安心してください宣言
ドレスの裾を摘まみながら、舞踏会の記憶を思い出していたアリア。
華やかな音楽、キースと踊ったあの時間――最後にはなぜか彼の表情が曇っていた。
「…なんで怒ってたのかしら?」
ぽやっと首をかしげながら、アリアは紅茶を一口。隣には、いつものようにセドリック。
「ねぇ、セドリック。昨日の舞踏会のとき…キース様、なんか怒ってたよね?」
問いかけると、セドリックはほんの少しだけ目を伏せたあと、静かに言った。
「お気づきでないのですか、アリア様?」
「え……?」
「……おそらく、キース様は、あなたがスイーツに夢中で挨拶もなかったから不機嫌になられたのでは」
「それがキース様には気に食わなかったのでしょう。ああ見えて、意外と――独占欲が強い方ですから」
「えええええっ!?!?」
セドリックは少しだけ溜息をついた。
「それと……もう一つ、理由があるかと存じます」
「え? まだあるの?」
「お嬢様が――キース様にまったく関心を持っていないように見えることも、原因かと」
「……っ!」
(確かに……)
思わず固まるアリア。
「そ、そんなことないし……たぶん」
「ですが、お嬢様はいつも『結婚なんて興味ない』と平然と言っておられますし……それでは、いくらあのお方でも、自信をなくされるかと」
「うぐ……」
アリアはソファに沈み込み、クッションをぎゅっと抱えた。
「そんなつもりじゃなかったのに……」
「お気持ちは分かりますが、言葉は、時に思った以上に伝わってしまうものですよ」
セドリックの言葉は優しいけれど、少しだけ痛かった。
そしてアリアは思う。
「やっぱり、私…謝りに行った方がいいかしら……?」
アリアは頬を指でつつきながら、ぽやっとした顔でセドリックに尋ねた。
「怒らせたままだと……お父様やお母様にご迷惑かけるかもしれないし……」
その呑気な口ぶりに、セドリックの口元がぴくりと引きつる。
「……お嬢様、その“ぽやっと”した雰囲気で謝罪に行かれても、逆効果かと存じます」
「えっ!?」
「まるで“何が悪かったのか分からないけど謝っておきます”の態度に見えるかと」
「うぐっ……そ、そんなことないもん……ちゃんと反省してるし……」
「それなら、少なくとも目を見て“ごめんなさい”と言える準備をされてからがよろしいかと。あと、ついでに関心を持たれている素振りも――」
「む、無理ぃぃぃ……」
(怖くて目が合わせれないよ〜〜~。)
ソファに沈み込み、アリアはクッションに顔を埋めた。
「……ですが、お嬢様なら、できますよ」
セドリックのその言葉だけは、不思議と優しかった。
アリアは淡いラベンダー色のワンピースに身を包み、セドリックとともにキース伯爵の屋敷を訪れた。
目の前に広がるのは、まるで黒く沈黙するような石造りの館。
高い壁、正面にはアークレイン家の家紋『漆黒の盾に銀の剣』が刻まれている。そしてわずかに揺れる黒の旗印――
この場に立つだけで、全身が引き締まるようだった。
玄関の前で深呼吸をして、セドリックを見上げる。
「ちゃんと、できるかな……?」
「“ちゃんと”ですよ、お嬢様。ぽやぽやしないで目を見て、素直に。心から謝ること」
セドリックの言葉にコクリと頷くと、扉が静かに開かれた。
屋敷のから1人の従者が案内してくれた。
「キース伯爵は書斎においでです」
セドリックが書斎の扉前で立ち止まり。
「私はここでお待ちしております」
心細いアリアだった、勇気を出して一歩踏み入れた。
案内された部屋の扉が開かれると、そこには書類に目を通すキースの姿があった。淡い陽が差す中、アリアを見ても表情は硬いまま。
落ち着いた声で歓迎してくれたキース。
「……どうぞ、お座りください」
「あ、ありがとうございます……」
緊張の中ソファーに座るアリア。
(キース様が…黒の騎士、って、セドリックが言ってた……)と、ふと思い出す。
異国にもすらも名を轟かせている異名――
戦場で、黒衣に身を包み、誰よりも冷徹に、確実に勝利をもぎ取る存在。
彼を敵に回した者は、一度たりとも生きて帰らなかった、と。
そんな恐ろしい呼び名を、アリアはただぽやっと、
「黒って、かっこいいなあ」と無邪気に思っただけだった。
(黒って、かっこいいと思ってたけど、実際に見ると怖い……)
「……あの、キース様!」
キリッとした表情。いつものぽやぽやが少しだけ封印されている
「……なんだ」
ちらりとアリアを見る。だがその真剣な瞳に、一瞬だけ驚いたように目を細める
「先日は、いきなり怒られてびっくりしましたけど……たぶん、私がちゃんと“舞踏会”の意味を分かってなかったせいだと思います」
「本当にごめんなさい……」
頭を下げるアリア、キースは無言で腕を組み、じっと見つめる
「だから、ちゃんと伝えに来ました――」
ぐっと手を握りしめて、顔を上げた
「安心してください!わたし、花嫁候補なんて全然興味ありません!!」
キラキラした目で言い放つ
「………………は?」
思わず二度見
「だって、あんなに綺麗な人たちの中で、わたしが選ばれるわけないし……それに、スイーツのほうがずっと魅力的ですし!」
「……おまえな」
ため息。けれど、肩の力が抜けたように、どこか笑ってる
「あっ、でも、キース様はその、私に興味無いのにわざわざ気にかけて下さったって…だから……その一応言っておこうと思って!」
「急に腕を掴まれたらびっくりしますし、睨まれて他のご令嬢でもあれは怖がります……」
「……ふん。謝りに来たのかと思えば、文句を並べに来たのか。」
「でも私大人ですから、口外しません!」
「……ああもう、黙ってろ。余計にイラつく」
顔をそらして、口元だけで笑う
「……? なんか、怒ってない?」
首をかしげるアリアに
「……怒ってねぇよ。あーもう、好きにしろ」
ぽつりとつぶやく
――そう言いつつも、彼の胸の奥には、
“なんでだ、なんで安心してる側がそっちなんだ”というモヤモヤが、静かに渦巻いていた”
書斎から出てきたアリアを迎えてくれたのはセドリックだった。
「お戻りですか、お嬢様。で……」
「うん、謝ってきたよ」
「……して、その結果は?」
アリアは俯きながら、ぽつり。
「また怒らせちゃったかも……」
「……やはり」
セドリックはぴくりと片眉を上げて、呆れたようにため息をつく。
「お嬢様、お願いですから、“謝りに行く=言いたいこと全部ぶつける”ではありません。あれは謝罪ではなく、もはや追撃です」
「えっ、でも私、ちゃんと謝ったつもりだったんだけど……」
「“つもり”では足りません。火に油を注ぎ、さらに松明を投げ込むレベルでしたよ、あれは」
「そ、そんな……私、爆弾魔みたいじゃない!」
「いえ、無自覚な分、始末が悪いです。無邪気な爆弾魔です」
「ひどっ!!セドリック、いつもみたいにフォローしてよぉ!」
「さすがに今回は無理です。よく逃げ出さずに済みましたね。逆に尊敬しますよ」
アリアはぷくっと頬を膨らませて、
「もう……伯爵様ってば、ほんと分かりづらいんだもん……」
「お嬢様も相当ですよ?……ああいう方は、もっと扱いが繊細なものなんです。お嬢様の“天然ぽややん攻撃”は、心にダイレクトですから」
「そ、そんな自覚ないもん……」
セドリックはやれやれと肩をすくめた。
「せめて、もう少し“ご機嫌取り”というものを覚えてください。でないと、このままだと謝罪しに行く度に書斎が戦場になります」