約束の種
夜の礼拝堂を後にし、アリアがゆっくりと歩いて敷地内の小道を戻っていくと、門の傍に佇む人影が見えた。
「……セドリック?」
アリアが名前を呼ぶと、彼はそちらに軽く振り向く。月明かりの下、眼鏡の奥の瞳が光を受けて鋭く細められた。
「お嬢様。まったく……こんな時間に一人で礼拝堂へとは。
誘拐されでもしたら、私の立場がありませんよ」
「ご、ごめんなさい……」
アリアがしゅんと肩をすぼめると、セドリックはため息をつきながら歩み寄る。だが、その声は思ったよりも柔らかかった。
「まあ、お嬢様が無事ならいいんです。領内の監視は甘くない」
そう言って、セドリックはアリアの肩にそっと上着をかけた。
「寒いでしょう。貴族の娘として礼儀と責任を学ぶのも大切ですが……。
今のあなたには、それ以上に“大事なこと”があります」
「……大事なこと?」
「ご自分の意思で動くことです。誰かの手に引かれるのではなく。
礼拝堂で、何か決めたんでしょう?」
アリアは驚いたように彼を見上げる。
「……どうして、わかるの?」
「長年、傍に仕えてますから。表情一つで、ある程度は。
それに、私はお嬢様の“逃げ癖”にも慣れてますので」
「ひどい……!」
「事実です。ですが今日は――少し、変わって見えましたよ」
ふっと、アリアは顔を赤らめながらも微笑んだ。
そして、ゆっくりと、決意を口にする。
「……私、ちゃんと選びたいの。
誰かに決められる前に、自分で選びたい。間違っても、怖くても……」
「ええ。それができるなら、聖剣の乙女としても、ひとりの女性としても立派です」
セドリックは、彼女を見つめながら口調をやわらげる。
「……さあ、戻りましょう。冷えると、顔色が悪くなります。会議で“心労で倒れた”なんて噂が立ったら、騎士様たちが大騒ぎしますからね」
「う……それはちょっと、恥ずかしいかも」
「“ちょっと”じゃすみませんよ。特に黒の騎士様など、真顔で説教してきますから」
そう言いながら、ふたりは館への帰路を歩き出す。
静かな夜風の中、アリアの胸にはもう迷いはなかった。
彼女の一歩一歩が、自分の意志で進むものであるように――。
ある日の午後、ほのかな香りとともに。
春の陽がやわらかく降り注ぐ中庭。
風に揺れる花々が、まるで祝福を告げるように咲き誇っていた。
「ねえ、見て。紅茶の葉、ちゃんと開いてきたよ」
アリアは嬉しそうにティーカップを傾ける。今日の茶葉は、セドリックが選んだ特別なもの。少し蜂蜜を垂らせば、ふんわりとした甘さが口の中に広がる。
白いレースのカーテンがやわらかな陽光を受けて、淡く揺れていた。
広間の一角、ティールームには、穏やかな時間が流れている。
銀器に並ぶ紅茶と、彩り豊かな菓子。
ふんわり焼き上げられたシフォンケーキのそばで、アリアが紅茶をそっと口に運んだ。
「……やっぱり、このお茶、おいしいです。セドリックが選んでくれたの?」
「当然です。お嬢様の好みを把握していない執事など、ただの飾りですから」
「辛口すぎない? 少しは“優しく選びましたよ”とか言ってもいいのに」
「優しくしてほしいなら、まずは“言葉遣い”を直していただきましょうか。
先日“もう一杯ちょーだい”などと仰った時には耳を疑いました」
「え、そんなにダメだった……?」
「ダメです」
キースは紅茶をひと口含み、ふっと笑った。
「アリア嬢……ずいぶん余裕が出てきたな」
キースが隣で肩肘をつきながら、どこか楽しそうにアリアを見ていた。
「余裕というか、自信かな?少しだけ認めてもらえたんだよ? 私の“やりたいこと”が」
アリアは照れくさそうに笑い、そっとカップを置く。
「通行税の見直しも、民の声を聞くことも。……昔じゃ考えられなかったわ」
セドリックが穏やかな声で言いながら、銀のポットを手にする。
「今では、外で勝手に歩き回らない限り、少しだけ安心して見ていられます」
「う……そこはまだ言う?」
アリアがむくれて見せると、セドリックは微笑んで静かに紅茶を注いだ。
「私にとっては、あなたが笑って過ごせることが何より大切なんです」
アリアは少し照れながら。
「過保護だなあ……」
「当然です。それが、私の務めですから」
キースが小さく吹き出す。
「まあ、いいんじゃねぇか。乙女様にはこれくらい甘くても。今のところ、グレイソンが一番甘やかしてねぇな」
「それは光栄です」
グレイソンが皮肉を交えたような声で返す。
「私は現実を突きつける役目ですので。アリア様には夢を見せる方が他にたくさんいますから」
アリアは少しだけ困ったように笑った。
「だがまあ、アリア嬢は元気な方がいい」
その声は少しだけ柔らかく、アリアは頬を染めて目を伏せた。
「……ありがとう、ございます」
そんな空気をなだめるように、グレイソンが優美に笑う。
「政務に追われる日々のなか、こうして茶を囲むひとときは貴重ですね。
おふたりの掛け合いを肴にするのも、悪くありません」
「肴にしないでください、グレイソン様……」
「ふふ、では代わりに——」
そう言って、彼はテーブルに置かれたマカロンをつまみ、アリアに差し出した。
「アリア嬢、お気に召すかはわかりませんが、どうぞ。これは私の故郷で“誓いの日”に贈る菓子です」
「……誓い、の日?」
「はい。誰かのために道を選ぶ、その決意を祝うもの。少し、今のあなたに似合う気がしました」
アリアは驚いたようにそれを受け取り、しばし見つめる。
「……じゃあ、いただきます。グレイソン様」
セドリックが咳払いをした。
(菓子ひとつで落ちるような軽いお嬢様では……なかったはずですが)
皆の笑い声が、陽だまりの部屋に優しく響いた。
昼下がり、陽だまりの部屋でティーセットを片付ける空気の中――
アリアがふと顔を上げて、無邪気に言った。
「ねぇ、せっかくだし……みんなで町に行ってみませんか? 市場とか、広場とか、見てみたいです!」
――その場に、妙な静寂が落ちた。
「……は?」
最初に声を漏らしたのはキースだった。
目元をひくつかせながら、アリアを見下ろすように睨む。
「お前、今なんて言った?」
「だから……町に、みんなで。あ、もちろん変装とかしますよ? ちょっと歩くだけ……」
「お前は、自分の立場がわかってないのか?」
キースの声は低く、冷たく響いた。
「乙女が不用意に出歩く? しかも俺たちを連れて?……目立つだろ!」
セドリックが心配そうにアリアを見る。
「……人目に触れることになります。危険もあります」
「大丈夫。護衛にあなたがいるもの」
アリアはにっこりと笑って言った。
セドリックは、ぐっと言葉を詰まらせる。
その笑顔を断れるほど、冷たい男ではない。
「……では、少しだけですよ。せめて目立たない服で」
そのやりとりを窓辺から見ていたキースは、口の端をわずかに上げた。
「……過保護だな、あいつも」
「それが執事というものですよ」
グレイソンは穏やかに茶をすすりながら返す。
「――さて、民の前に姿を現す“乙女”の印象がどう転ぶか……悪くない賭けです」
キースは顎に手を当て、視線を遠くへ向ける。
「ベラータが動くなら、このタイミングだな。“街中で襲撃される”か、“噂が流れる”か……」
「備えましょう。私の方でも、監視をつけてあります」
グレイソンは淡々と応じる。
「セドリック、早くーっ!」
太陽の光が差し込む中、アリアはすでに玄関に立っていた。
いつもより軽やかな服装、麦わらの帽子をかぶり、足取りはまるで跳ねるよう。
「……そのように急がなくても、町は逃げませんよ」
セドリックは仕方なさそうに言いながらも、手袋をはめ直す。
だが、アリアは返事も待たず、彼の手をぐいっと引いた。
「今日はいっぱい見て、いっぱい歩くの!」
「私は“少しだけ”と言ったのですが……」
「聞こえなーい!」
そう言って笑うアリアの横顔に、セドリックは深いため息をついた。
だがその口元には、かすかに笑みが浮かんでいた。
通りの空気は思った以上に和やかで、アリアは頬に風を受けながら、微笑んだ。
「思ったより……穏やかですね」
「わぁ……、これ、見てセドリック! かわいいっ」
アリアは市場の並びにあった小さな雑貨屋で、リボンのついたハンカチを見つけ、目を輝かせていた。
セドリックは人混みを見回しつつ、片手でアリアをかばうように寄り添う。
「……油断しないでください。何があるかわかりません」
セドリックが鋭くあたりを見渡しながらも、隣を歩く彼女の歩幅に合わせていた。
「それを言ったら、どこにも行けません」
アリアが小さく笑う。
その時だった。露店の並ぶ路地裏から、二人の中年の男の声がふと届いてきた。
「……にしても、アルデン卿はお気の毒だったな。あんな真面目な人が“敵国と通じてた”なんて、今でも信じられん」
「しっ……声が大きい。あれは“嵌められた”んだよ。証拠も全部、ベラータ公の手先がでっち上げたって話じゃないか。誰も表立って言えんが、兵の中には今でもアルデン派がいるらしい」
アリアが立ち止まる。風が止み、さざめきが遠のいたような錯覚を覚えた。
「……アルデン、卿?」
広場に近づくと、屋台の活気と人々の声が賑やかに響く。その一角、薬草商の前で老婆と若い女性が話し込んでいた。
「まったく、昔はアルデン様がいらっしゃって平和だったわ。今のベラータ公なんぞが幅利かせて……」
「あの……、アルデン様って?」
アリアはその話が気になって声をかけた。
「昔の軍のえらいお方さ。民の声をよく聞く方でね……でも、敵の手先って濡れ衣着せられて、追放されちまったのさ」
「でも……もし、その人が冤罪で失脚したのなら……」
「“もし”じゃありません。“それが真実だとしても”、貴族の世界では“負けた方が悪い”のです」
セドリックの言葉には重い覚悟があった。
「だが、それを潰したのも“この国の現実”です。お嬢様が知るには、少し重い話かもしれないですね」
アリアは強く首を横に振る。
「いいえ、ちゃんと知りたい。知らなければ、私が目指すものなんて、偽物になる」
「……ん? アルデン……どっかで聞いた名前……?」
アリアは小首をかしげ、路地裏から聞こえたその名前を反芻した。
「アルデン……アルデン……」
記憶のどこかに引っかかっている感覚。しかし、はっきりと思い出せない。
「……アルデン……」
記憶をたぐるように、もう一度小さく口に出したときだった。
「――呼んだか?」
背後から聞こえた声に、アリアは驚いて振り向いた。
そこには、無表情ながらどこか苦笑いのような雰囲気をまとった、カイルが立っていた。
「……カイルさん?」
「いや、まさか街中で俺の姓が出るとはな。気になる話だったか?」
「う、うん?……アルデン卿って……もしかして……」
「この方は?」
すかさず、アリアの隣でセドリックが一歩前に出る。声は丁寧だが、眼差しには警戒が滲む。
カイルはその威圧感に気圧されつつも、まっすぐ名乗った。
「カイルと申します。騎士をしておりまして。辺境伯領の土地を……見聞しております」
「アルデン卿ってカイルさんの事?!」
「えっ?俺の父だが」
「父は昔、辺境伯の最有力候補だった。でも……ある日突然、“敵国との内通”の疑いで、すべてを失った」
アリアは息をのんだ。
「そんな……それって……」
「証拠はすべて捏造された。仕組んだのは――ベラータ公。……だけど、どれだけ周りが気づいていても、誰も助けてはくれなかった。貴族の“正義”なんてそんなもんです」
そう言うカイルの声音に、普段の冷静さとは異なる熱が宿っていた。
「でも俺は……父の名誉を取り戻したい。そのためにここに来たんです」
アリアは言葉を失い、ただじっと彼を見つめた。
そして、ふと気づく――自分の周囲には、“過去の痛み”を背負い、それでも前に進む人たちがいるのだと。
「……私も……知りたい。もっと、あなたのお父様のこと……いつか、きっとお会いしたいと思っています」
アリアは静かに微笑んだ
カイルは少し驚いたようにアリアを見つめ、やがて小さく頷いた。
「……ありがとう。お嬢ちゃんがそう言ってくれるなら、きっと父も、どこかで報われます」
アリアの頭を軽くぽんぽんした。
目の前に立つ少女がただの貴族令嬢でないことを、カイルはひしひしと感じ取っていた。
「では、“その時”のために、俺たちは待つとしましょう。父……アルデン卿にも、そう伝えます」
カイルはその言葉に、目を細める。
風が、彼女の髪をそっと揺らした。
「ありがとうございます、カイルさん」
ふたりの間に、静かな約束が交わされた。
彼女の傍らに控えていたセドリックが、静かに声をかけた。
「では、お嬢様。そろそろ戻りましょう」
その背中を見送りながら、カイルはひとつ息をついた。
(……君は一体……?)
数日前……
夜の帳が落ちるころ、辺境伯領の外れにある街道沿いで、二人の男が血塗れの姿で引きずられるように戻ってきた。
身体中には深い斬撃と打撲、指の骨もいくつか折れていた。
それでも命だけは辛うじて繋ぎ止められていたのは――“見せしめ”として生かされたからに他ならない。
重厚な扉が閉じる音が、まるで棺の蓋のように響いた。
辺境の一室。ベラータ公は静かに腰を下ろす。
その表情は怒りでも焦りでもない。ただ――沈黙の奥に、冷たい炎が灯っていた。
「……ふざけた真似をしてくれたな、黒の騎士」
キース・アークレインによる“見せしめ”――
(これは警告ではない。恫喝だ。私の手が、アリア嬢に届かぬと誇示するための)
ベラータ公は、従者たちに目配せする。
「……対話の場で剣を見せびらかす者には、相応の代償を払わせねばなるまい。今こそ、備えた駒を動かす時だ」
ひとり、またひとりと黒衣の者たちが呼び出されてゆく。
「エルデン公の次は誰か――“恐怖”は、対話より強い力を持つ。お前たちがそれを証明しろ」
彼は窓の外を見た。
静かに風が揺れ、鐘楼の影が揺れている。
目の前の地図に、赤い印が増えていく。
それは、辺境に点在する補給拠点、街道、そして――教会。
「聖剣の乙女?”……ただの象徴に過ぎん、
笑わせる」
「盾になるというのなら、その盾ごと折ればいい。……正義も、神も、この世に永遠など無いのだから」
爪は研がれた。
黒い風は、再び動き出す。
重々しい声が書斎に響いた。キース・アークレインは、地図に視線を落としながら低く言い放った。
「……そろそろ、始めようか。牙を剥く準備は整った」
対面の椅子に座るグレイソンは、眉一つ動かさずに答える。
「予想より早いですね。例の二領主を一度に?」
「時間をかけすぎれば、アリア嬢の存在が足を引っ張る。平和の象徴は、時に毒にもなる」
「……なるほど。では、次の会議で“招く”のですね?」
キースは小さく頷くと、手元の紙に印を入れた。
「名目は、領内の秩序再建に向けた合同会議。だが、実際は“選別”だ」
「協力すれば恩賞。反抗すれば粛清……相変わらずお強い」
グレイソンは微笑を浮かべたが、目に潜む光は鋭い。
だがそのとき、扉が音もなく開いた。
「また、お嬢様を巻き込むことなく済ませるおつもりですか?」
入ってきたのはセドリック。表情は固く、瞳には怒りが宿っていた。
「おまえ……立ち聞きか?」
「“偶然通りかかった”だけです」
キースは嘆息し、椅子から立ち上がった。
「……何度言わせる。あの子は守られる存在だ。血に塗れた会議に、聖剣の乙女を座らせるつもりはない」
「それがあなたのやり方ですか。勝手に決め、勝手に守る。お嬢様には、選ぶ権利もないと?」
「理想を語るな。現実は、“力”でしか動かない」
キースの声が低く冷たく響いた。
一瞬、沈黙。
そして、キースは――薄く笑った。
「明日、アリア嬢には第二視察地に行ってもらう。……今度の視察は、護衛を倍にしろ。ベラータの手の者が動いているかもしれん」
「承知いたしました」
セドリックは軽く頭を下げた。
扉を閉めて去ろうとしたその背に、グレイソンがふっと声をかけた。
「セドリック。……アリア嬢には、今は何も言うな。安心だけを与えてあげてくれ」
その声に、珍しくセドリックが一瞬立ち止まった。
そして静かにうなずくと、まるで自分に言い聞かせるように、
「覚悟の形が違うだけです。私の剣は、あの方の笑顔のためにある」
「――せいぜい、貫いてみせろ。過保護な従者殿」
グレイソンは、二人の間に流れる火花を眺めていたが、やがてため息をついた。
「では私は、領主たちの“心”を動かしましょう。あなたが“牙”を向ける前に、餌をばら撒いておきます」
キースとセドリックは、同時に頷いた。
セドリックは背筋を正して廊下の向こうへ消えていった。
こうして、牙を剥く前の“罠”が静かに動き出す――
それぞれの守り方で、アリアという存在を背負いながら。
日差しの差し込む中庭。アリアは木陰の石椅子に腰を下ろし、小鳥のさえずりをぼんやりと聞いていた。
「……みんな、忙しそうだね」
小さくつぶやいたその声に、誰も答えはしない。
執事のセドリックは最近、四六時中彼女のそばにいるわけではなくなった。何かを探るように屋敷を出入りしているし、キースは――言わずもがな、戦場のような会議に身を置いていた。
アリアはふと、自分の立場を思い出す。
「聖剣の乙女……って、何をすればいいんだろうね」
問いかけは、花壇の花に向けられたものだった。
そこへ、歩み寄る音。
気づけば、セドリックが傘を手に立っていた。
「日差しが強い。お嬢様のお肌が焼けてしまいます」
「……あ。ありがとう、セドリック。なんか、最近ちょっと寂しいなって思ってただけ」
「……申し訳ありません。貴女をお守りする立場として、私は少し忙しくしておりました」
その声には、わずかに躊躇があった。
「ねえ、何か……起こりそうなの?」
アリアが小さく問いかける。
セドリックは一瞬、言葉を詰まらせた。
「……キース様と、グレイソン様は、領内の秩序を築こうとしておられます。そのために“動かざるを得ない者”が、何人か……いるのです」
「動かざる……?」
「今はご心配なく。お嬢様には、笑っていていただきたいのです」
「ありがとう、セドリック」
彼女が小さく笑った瞬間、セドリックの顔には、ほんのわずかに張り詰めた表情が崩れる。
「お嬢様、グレイソン様から伝言を仰せつかりました」
「伝言?」
「明日の第二視察地の訪問をお伝えするようにと。民の生活状況の把握と、次期分配のための現地確認です」
「……分かりました」
アリアとセドリックのやり取りが終わった頃。
別棟の執務室。その窓辺に、キースは目を細めた。
「欲は人を動かす。だが、アリア嬢は……ああいう“無欲”が逆に怖いな」
「どうされます? 会議にはアリア嬢は――」
「参加させない。“鳥籠”の外に出す気はない」
その言葉の裏には、冷たくも確かな信念があった。
“守る”ための檻。
“平和の象徴”にふさわしい静かな場所。
だが、アリアはまだ知らない。
自分が、知らず知らずのうちに――世界の力の均衡の中心に置かれていることを。