震えるアリア
――国と平和の象徴。
皆既日食に生まれた私は、ただそれだけで、まるで聖女のように扱われてきた。
「アリア様なら、きっと素晴らしい未来をもたらしてくださるでしょう」
「聖剣の加護を受けたお方ですから」
……本当は、そんな大それたもの、持っていないのに。
ずっと、期待に応えなきゃと、胸が苦しかった。
だから――
目の前のキース様にも、私は期待されているのだと思った。
この国のために、私が"正しい役目"を果たすことを。
怖い。でも、逃げられない。
アリアは、キースの前で小さく震えていた。
ぎゅっと胸元を押さえ、かすれるような声で呟く。
「……怖いんです。」
キースは黙って、ただ彼女を見つめた。
「小さい頃から、たくさん言われてきました……『アリア様は特別だ』『国の希望だ』『聖剣の乙女として皆を導くのだ』って……」
懐かしいけれど、痛みを伴う記憶が蘇る。
「どんなに大きな力が与えられても、私はただの一人の女の子にすぎないって……心のどこかでずっと思ってた。でも、その『言葉』が私にとっては呪いのようで。自分が普通の女の子でいたいだけなのに……どうしても……聖剣の乙女という重圧から逃げられない」
笑顔で頭を撫でてきた大人たち、けれどその手の奥に見えた、重たく期待に満ちた眼差し。
「最初は嬉しかったんです。褒めてもらえるのが、嬉しくて……でも、だんだん、怖くなっていった。私は私なのに、『聖剣の乙女』にしか見てもらえない」
「何か失敗したら、国をみんなを裏切ることになるって…… そんなふうに思い込んでしまって……」
アリアは言葉を詰まらせ、震える手をきつく握りしめた。
その様子に、キースはそっとアリアの肩に手を置いた。
「……逃げたいって思ったんだな」
アリアは、こくりと小さく頷いた。
「……私を聖剣の乙女と見られて、私がそれに応えられなかったら、どうなってしまうのかって……」
(周りの視線が怖くて、怯えてた)
小さな声。消えてしまいそうな想い。
けれど、キースはそのすべてを受け止めるように、言った。
「……お前が、逃げたくなるのは当然だ。 誰だって、そんな重荷を背負えるわけじゃない。聖剣の乙女としての役目は、何も完璧である必要はないと思う。完璧にこなすことが大切じゃない。お前が自分らしく、心から信じられる道を歩むことが、最も大切だ。」
アリアは驚いたようにキースを見上げる。
初めて、大人たちとは違う反応だった。
「でもな、アリア嬢……。逃げてもいい。怖くてもいい。お前がそれを選ぶなら、誰にも責めさせやしない」
キースのまっすぐな瞳と、そっと触れた彼の指先。
「お前が倒れたら、俺が支える。」
キースは優しく笑い、低い声で囁いた。
「それでも――俺は、お前が聖剣の乙女であろうと、なかろうと、全部ひっくるめて欲しいと思ってる。」
アリアの胸に、じわりと温かいものが広がった。
そっと俯き、指先でドレスの裾をぎゅっと握る。
優しくキースはアリアの頭を撫でる。
「……ふふ、キース様って優しいんですね」
不意を突かれたように、キースが眉をひそめる。
だがすぐに、からかうような笑みを浮かべた。
「そう思うなら、もう少し俺に懐け」
アリアはきょとんとして、キース猫の事を思い出す。
目の前にいるキースの肩が力強く頼もしく見えた。
「あの、その……肩幅がすごく頼もしくて、まるで守られてるみたいな……?」
キースの低く囁くように
「お前、今の“守られてるみたい”って台詞、責任とれるのか?」
首をかしげるアリア
「な、なんの責任でしょうか!?」
怯えていたアリアの気持ちがいつの間にか笑い声に変わった
キースはふいにアリアの肩に手を置き、軽く引き寄せた。
「……少しは落ち着いたか」
低く響く声は、思ったよりも優しくて、アリアの胸にそっと触れる。
――キース様って、本当は優しいのかも。
そんな考えが頭をよぎった、けれど。
「ほら、さっさと来い。俺様の退屈しのぎ、ちゃんと果たせよ」
キースはすぐに、冷たく意地悪な笑みを浮かべた。
その言い草に、アリアは一瞬で我に返る。
――やっぱり優しくなんてない!撤回、撤回!
キースは命令するように言い捨て、先に歩き出す。
アリアはぷくっと頬を膨らませながらも、その背を追いかけた。
でも、ほんの少しだけ――
聖剣の乙女じゃない、"アリア"として、
見てほしいと、願ってしまった。
セドリックは物陰からこっそり聞いていた。
「……お嬢様、やっぱり褒めるのはあと10年早かったですね」
「……それとさりげなく、キース伯爵の告白をスルーするのも……さすがです」