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虎天堂

作者:


深い夜。

呼吸を少し乱しながら薄暗い路地裏を足早に進んでいく。

人がすれ違うには少し狭い道が、わずかに左右に揺れながらずっと続いていく。


今日は新月だったか?

あまりの暗さにうんざりして、ふと空を見上げると雲の隙間から覗く月が見えた。


街灯というには粗末な古い蛍光灯が行く道をわずかに照らす。

粗末な街灯は道の向こうに向かって続いているのが見えるが、

肝心の道はひとつ向こうの街灯あたりまでしか見えない。

よく見ると道は左右だけでなくわずかに上下にも揺れているからかもしれない。


道の両脇には民家や雑居ビルの裏口のようなものが時々現れるが、人の気配は感じられない。

きっと時間が遅いからではあるが、なんだか妙に気味が悪かった。


そんな薄暗く、気味の悪い路地裏を進んでいくが目的地は一向に見えてこない。


「あぁ…もう…!」

思わず口から漏れる不満。

苛立ちをガソリンにしてさらに速度をあげる。

事前に調べた場所的にはそろそろ着いてもいいはずだが?

もしかして、道を間違えたか?

いや、だけどここまで一本道だった。

薄暗くて見落としたのか?

戻ってみるか?

いや、でも10分以上はこの道を歩いているぞ?

また戻るなんてありえない。

何より誰かに見られるわけにはいかない。

ここまで誰にも見られずに来られたってのに…


「はぁぁぁー…」

ピタッと足を止めて膝に手をついた。

乱れた呼吸とともに苛立ちを抑えていく。


あー…いっつもなんでこうなんだ

俺はただこの問題を解決したいだけなのに

また騙されたのか?

そりゃネットに転がっていた情報を鵜呑みにした自分も悪かったけど、

けど!ここに来ればなんでも願いが叶うって聞いたのによっ!!

また貧乏くじひかされたのか?

そんな与太話にも縋らないといけなくなるなんて

俺はなんて不幸なんだ。


絶対、絶対に、アイツを見返してやる!!

どんな手を使っても!


「あぁぁぁぁくそぉぉぉ!!!」


やけになって叫び

地面へと座り込み勢いよく空を見上げる。

ふと顔に光が差し込んだ。


目の前に現れた不思議な店。

いや、俺が下を向いていたから気づかなかっただけかもしれない。

でも今ここで立ち止まるまでは前を向いて歩いていたぞ?

この店も薄暗いとはいえ、さすがに今まで歩いてきた道よりは少し明るいから気づくはずだが?

いや、まて、そんなことよりここは…


『虎天堂』


店の入り口の上にはそう書かれた古い看板がかかげられていた。

「あった…」

やった、やった…!

あった!あったぞ!!虎天堂!!

絶望した人間のどんな願いも叶えてくれる虎天堂!!


「はぁー…よかった…」

立ち上がりかけた身体を再度元に戻して

どっかり座り込む。

こんなところに座り込むのはみっともないのはわかってるけどやっと安心した。

ちょっと、休憩。


「ふぅー…」

一息吐いて、改めて店を見上げる。


『虎天堂』


古い木製の額縁に彫られた飾り文字

看板自体が古い上に薄暗いので元の色はあまりわからないが金色で縁取りされている。


人がひとり出入りできる程度の扉。

上部が格子ガラスになっているがガラスが埃でくすんでいて中は見えない。

扉の両脇には同じく格子ガラスの小さなショーウィンドウがあるが…同じく埃で汚れてあまり中は見えない。

扉よりは、かろうじて中が見えるが…

わずかに見える隙間からは怪しい装飾のランプがオレンジ色に光っているのが見えた。


全体的にエキゾチックな中華風。

古い骨董屋という印象だ。


控えめに表現したものの、

はっきり言ってボロい。今にも壊れそうだ。

今、歩いてきた埃臭く薄暗い路地の先にあるとしたら雰囲気も年代もぴったりかもしれないが…不気味だ…


“絶望した人間の願いであればなんでも叶えてくれる”


という売り文句の店だ。

雰囲気が出ているといえば出ているか…

やっぱりこんな胡散臭い店やめておくか?

不気味な店を前にしてそんな考えもよぎったが

アイツを見返したくてここまで来たんだ。

俺から何もかもを奪ったアイツに仕返すために。


俺にはもう何もない…

だからこそ、ここで引き返すわけにはいかない。

「よしっ!」

俺は大きな声で気合を入れて立ち上がる。

ズボンについた砂埃を軽く払って、入り口の前に立ち、古びた扉をまっすぐに見つめ、ひとつ呼吸を吐いた。


右手を扉の取っ手にかける。


ガチャ


ギィィと鈍く響く蝶番の音。

まだ店に足は踏み入れないまま、そっと店の中を覗く。

木製の暗い色の古びた棚や机の上に煩雑に並べられたガラクタたち。

何に使うのかよくわからない置き物や石なんかが所狭しと並べられていた。

部屋の端には古い本も積み上げられている。

古い本は古書のような装いでかろうじて見えた背表紙には漢字が並んでいるのがみえた。


どれも埃をたっぷりかぶっている。

外観通りというか…かなりボロい。


今ならまだ後戻りできるか?

本日何度目かの後悔が頭をよぎるが、その考えを強い心で打ち消すように思い切って声を上げる。


「すいませーん!」


しんと静まり返る空間。

不安が再び苛立ちに変わってくる。

苛立ちを勢いに俺は一歩踏み出し店の中に入った。


「すいませぇーん!」

さっきよりも少し語気が強くなってしまったか。

でもそんなのどうでもいい。

すぐに出てこない店の人間が悪い!

客を待たせるとはなんて店だ!

それとも俺を馬鹿にしているのか?

ネットの噂に踊らされてやってきた人間を蔑み笑ってやがるのか?


ムカつく!!

もう感情はめちゃくちゃだ。

惨めになったり、不安になったり、苛立ったり…

もう誰でもいいから、この状況を打破してくれ…!


「誰か…誰かいませんかー!?」


今日一番の大声で呼びかける。

まだ見ぬ店主に呼びかけると言うよりは

誰でもない、この不公平な世界に呼びかけるような気持ちだった。


惨めなこの俺を、誰でもいいから助けてくれ…




………




再び、しん…と静まり返る店内。

あぁ…やっぱりダメだったか…

そう思い絶望し、踵を返そうとした瞬間


…はぁい


耳に入った小さな声。

今にも消え入りそうなその声に

わずかに残った希望を込めて顔をあげる。


「うわぁぁ!!」

俺は勢いよく後ろに仰け反り、すぐ後ろにあった店の入り口に強く背中を打ちつけた。

ガラス戸、特有のガシャーンというガラスの音が響き渡る。

幸い、ガラスは割れていなかったようで

俺の肩や首にガラスが降ってくることはなかった。

それより、そんなことより!


「な…な…」


「んんん?いらっしゃぁい」


目の前には男。

さっきまでは誰もいなかったはずの店に突然、男が現れた。

驚きのあまり腰を抜かしかけたが

かろうじて扉に背中を支えられて耐えている俺のことをにっこり笑って見下ろす。

「お、お、お前!さっきまでここにいなかっただろ!?」

「んん?あぁ…貴殿の声が聞こえて、今そこから降りてきたところだからなぁ」

男が指差す先に小さな階段がみえた。

店内があまりに薄暗く、鬱蒼としていたから気づかなかったのか?

それにしても気配すらしなかったが…

不思議には思ったが、


それより…

「あんたがこの店の人か?」

体勢を立て直し、じっと目の前の男を観察する。


切れ長の目に合う整った眉毛。

二重幅が広いからか瞼が重くアンニュイな印象だ。

ゆるいウェーブの真っ黒な癖っ毛で長い前髪はルーズにかきあげて横や後ろに流している。

後ろ髪も鎖骨まである長髪で首の横に流して飾り紐で緩く結っている。

通った鼻筋の先で薄い唇の口角は緩く上がっている。

チャイナ服の上に着物を肩が見えるくらいに雑に羽織っており、それが余計に男の気だるさを感じさせた。


「いかにも…我輩がこの店の主だ。」

そういって、にっこり笑う男は

男の俺から見ても色っぽく、

一瞬とはいえ、つい見惚れてしまうほどに美形だ。


気を取り直して、無様に扉に支えられたままの佇まいを正してひとつ咳払いをしてから要件を告げる。


「絶望した人間のどんな願いも叶えてくれると聞いて来た!俺の願いを叶えてくれ!」


「あぁ…依頼か…ならば座ってゆっくり聞かせてもらおう」

男はにっこりと笑ったまま何度か頷き、

机の前にある椅子をすすめた。

すすめられた椅子に腰をおろすと、

(この椅子もやはり埃をかぶっていたので、男にバレないようにそっと埃を払った。)

男は大きな机を挟んだ正面の椅子に腰掛けこちらを見つめた。


俺が、座って男を見たのを確認し、ゆっくりと話し始めた。

「改めて自己紹介をしよう。

我輩はこの虎天堂フーティエンタンの店主・窮奇チオンジーだ。」

「フーティエンタン?店の名前“とらてんどう”じゃなかったのか?」

「あぁ…よく言われる。我輩ご覧のとおりルーツは中国でな、中国読みだと“フーティエンタン”だが、別に店の名前にこだわりはないのでお客様に好きなように呼んで頂いている。

ちなみに我輩の名前は日本語読みだと“きゅうき”と読むが…我輩の名前も“きゅうき”でも“チオンジー”でも貴殿の好きなように呼んで頂いて構わない。」

いや、店名はまだしも、名前はちゃんと呼んだ方がいいだろう。

心の中で返事をしていると男は構わず話を続ける。

「まぁ窮奇というのは中国の四凶の名前でもあるんだが…窮奇は四凶の中でも唯一、神様かもしれないと言われているらしく、それならこの名も悪くないだろうと思っている。

ちなみに窮奇は白い虎に羽が生えた姿をしているらしくてな、

白い虎は幸福の動物とされているし、それも悪くなかろうと思っている。

だから店の名前に“虎”の文字を入れたのだ。

ちなみに“天堂”は中国語で“天国”という意味だ。

なかなかに粋な名前だろう?」

「えぇ…まぁ…」

急に饒舌に話をしてくる。

この店やこいつの名前のルーツに興味なんてなかったが、あえて最初にこの話をするということは質問されることも多いんだろう…

あぁ…でもなるほど、だから虎の絵が描かれた着物を羽織っていたのか。

そう思ってチオンジーの着物を見ていると

それに気づいた彼はにっこり笑って虎の絵が見えるようにそっと裾をあげてみせてくれた。

「なかなかに素晴らしい着物だろう?」

「ああ…まぁ…」

気の利いた返しは出来なかったが、

彼は気にすることなく、微笑んだまま裾を元に戻した。


「さて、」


空気がガラリとかわる。


「次は貴殿の番だ…」


「…」




「貴殿の不幸自慢をしておくれ」




「っ…」


空気がキンッと音を鳴らしたような気がした。

チオンジーは微笑みを携えたまま、

両肘を机につけ、組んだ手に顎を乗せて少し前のめりになっただけ…


なのに、さっきよりも一層怪しく見えた。


「俺は…」


その雰囲気に圧されて、俺はゆっくりと話し始める。


「俺は…杉元すぎもと 翔太しょうた

今は訳あって働いていない。っていうか働いてない訳ってのが今回の依頼に関係するんだけど……」

俺はこのまま依頼内容を話すべきか、

いや、正直、話しづらくて口籠もる。

その気持ちを察してかチオンジーはにっこり笑ったまま

「うんうん。大丈夫、続けて。」

っと右掌をふわっと俺に向けて俺が話すのを促した。

その促しに応じて勇気を出して続きを話し始めた。


「大学時代の友人に誘われて会社を始めたんだ。

大学時代っつっても俺は中退したけど。

俺が先に中退してからはしばらく連絡をとってなかったんだけど、数年前に突然連絡がきて、

一緒に会社を立ち上げないか?って…」

「うんうん。」

「…」

チオンジーは時々、相槌をうちながら俺の話を聴く。

俺はゆっくりと当時の記憶を辿りながらぽつりぽつりと話しを続ける。

「最初は嬉しかった…

もう二度と関われないだろうと思ってた友人から連絡が来ただけでも嬉しいのに、

一緒に何かをやろうって誘ってくれたことがなにより嬉しかった!」

そう、嬉しかった。

大学を辞めてからいろんなバイトを転々として、何をやっても満たされないまま、

そのうち社会から取り残されたみたいな気持ちになっていった…

「だけど…」

あの日、あの時の悪魔の誘いがアイツの声で再生される。

『新しい会社をやるんだ!翔太も一緒にやらないか?いや、一緒にやってくれないか!』

「そう言われて、俺は嬉しくて誘いを受けた。

コイツなら何かやってくれるんじゃないか?って…」

そう、これで俺の平凡な人生は救われるって…

なのに、

「起業してしばらくした時に金を貸してくれって言われた…

新しいシステムを入れるのにお金がかかるからって…

ネット販売系の会社で、アイツと俺の2人しかいなかったから、まだ利益を得るところまではいってなくて、アイツが最初に準備してた金は初期設備に投資して、いくらも残ってないからかもしれないと思って…

俺もフリーターだったけど、親が残した財産もあったし、すぐに返してくれるんだろうと思って金を貸した…貸しちまったんだよなぁー…」

「………」

あの日の悔しい想いが溢れる。

あの時、金を貸さずに身を引いていれば、

もしかしたらここまでめちゃくちゃにはなっていなかったのかもしれない…

「悪い予感は当たって、その後は会社は軌道に乗らないまま閉めることになった…

いいんだよ、別に!!起業なんか失敗してなんぼだろ!?失敗したことは別に責めてないんだよ!!そんなことよりも俺はアイツの行動が許せなかったんだ!!」

「…」

チオンジーの相槌は聞こえなくなっていたが、彼は笑みをたたえたままこちらをみている。

俺は構わず続ける。

「俺は…なんとかしなきゃって必死で働いてるっつーのに、アイツは営業だって言っていつもどこかに出ていきやがる!!最初は信じてたけど、待てども待てども何も収穫がないことに不信になった俺はこっそり後をついて行くことにしたんだ。」

そう、忘れもしないあの日…

「会社からしばらく行ったところにあるマンションに入って行くのが見えた。

マンションなんかに何があるんだ?って思ったけど俺はアイツを信じて待つことにした。」


中で何をしているかわからないし、今日は何の収穫もなかったけど、

タイミングをみて直接聞いてみてもいいのかもしれない。

そんなことを考えながら信じて待っていた。

「30分ほどしてアイツが戻ってきた…」


当然ひとりで戻ってくるんだろうっと思っていたのに…


「アイツは…女と一緒に戻ってきたんだ。

笑いあって、楽しそうに話ながら…」


一瞬、人違いかと思った。

でも、間違いなくアイツだった。


「2人はずいぶん親しげで…

それでもなんとか信じようといろんな言い訳を考えてみたけど」


ふと女がアイツの肩にそっと手をかけた。


「俺は自分の目を疑ったよ…

まさかそんな、信じてた親友が仕事中に女と会ってたなんて…」


俺はこんなに頑張ってんのに…アイツは女と密会していただなんて…


「そのあと…俺はアイツのすべての行動を疑ってしまった。

むしろ疑われて当然だろう!?俺は!必死で頑張ってるのにアイツは遊んでただけ!!

俺の金も何に使ったのかわかったもんじゃねぇ!!」


コイツとはもう一緒にやっていけない。


「そう思って俺はアイツを捨ててやることにした。

俺が辞めたらアイツはひとりになるだろ?ひとりになって悩んで苦しめばいいんだって…」


俺がいなくなればアイツは不幸になる。

そう思ってたのに…

「俺が辞めてしばらくしたら、アイツはすぐに結婚したらしい。

ひとりになって寂しくなってあの女と結婚したんだろう。

まぁ結婚したって仕事が上手くいかなくて貧乏すりゃあ幸せになれないだろうと思ってた。」


そう、貧乏して不幸になりゃあ、アイツは俺に泣いて謝ってすがってくるだろう。

でも、また俺の考えは外れた。


「なのに…あいつの会社はいつの間にか成功して事業拡大も発表しやがった!

事務所も新しい場所に引っ越して、今じゃ、ちょっと有名な大きな会社だ!」


俺は会社が苦しいときあんなに頑張ってやったのに!

金だって貸してやったのに!


「俺は今でもろくな仕事に就けない。若くて未来がある一番大事な時期をアイツの会社で無駄に過ごしたせいだ!早くに死んだ両親が遺してくれた遺産も削ってアイツに尽くしてやったのに!遺産ももうすぐなくなっちまう…」


俺を不幸にしたアイツはどんどん幸せになっていくのに

アイツのために尽くしてやった俺はどんどん不幸になっていく。


「だから、せめてアイツも不幸になればいいと思ってここへ来たんだ。」


俺はまっすぐにチオンジーの目を見つめる。

俺の確固たる覚悟が伝われと願って。

チオンジーはさっきまでのほほえみを消し、無表情でじっとこちらを見つめ返す。


まずい…断られる?


さっきまでの確固たる覚悟はどこへやら、不安になった瞬間。

彼はにっこりと笑う。

「いいじゃないかぁー!

貴殿の願い、吾輩が叶えて差し上げよう!」


そういって両手を大きく広げ、明るい笑い声をあげた。


「ほ…本当にいいのか?」


いきなり派手に笑いだすチオンジーに圧倒されながら、俺はもう一度確認をした。


「もちろんだぁ!それとも、今更怖くなったか?

願いを叶える代償が大きいのではないかと…」


彼がにっこりと笑いながら上目遣いでこちらを見つめる。

俺は息を呑む。

図星だ。


「あぁ…それも、ある。」


勢いでここへ来たものの、いよいよ手に入ると思ったら一気に不安が戻ってくる。

“絶望した人間のどんな願いも叶えてくれる”

という代償は今の俺が払える値段なのかと…

いや、でも、借金してでも叶えたいと思ったんだ!何を今更ビビってんだ!

覚悟はもう、とうにできている…!

でも、一応…


「いくらだ?」


勢いで契約するのは良くないからな、契約の直前には少し冷静にならなければな。

内心焦っているのを悟られないように彼の目をじっとみつめ、返事を待っていると

彼は心底不思議そうな表情をする。


「んんー?いくらか?貴殿はお金のことを聞いているのか?」


え、それ以外何を聞くんだ?

俺も不思議そうな表情に変わっただろう。

でも大事なことだ。しっかりと問い返す。


「お金のことだよ。だって何をするにも対価、お金は必要だろう?いくらかかるんだ?」


そう問うと、彼は心底納得したようににっこり笑って何度も頷いた。


「あぁ、あぁ、なるほどなぁ。勘違いさせて申し訳ない。

うちは金銭をいただいていない。」

「え?どういうことだ?」


すかさず聞き返す。

まさかタダってわけではないだろう。

え、まさか、労働させられる?そもそもこんな辺鄙な場所にある店だ。ありえる…!

やばい…もう後戻りできない?

俺の顔色がどんどん青ざめていったのだろう。

彼は心底面白そうに笑いだした。


「はっはっはっ!安心せい。うちはそんな店じゃないよ。

確かに変な場所にあって、変なモノを売っているからよく勘違いされるがなぁ。

吾輩は幸運なことに財産には困っていないのでなぁ。

苦労している者たちには申し訳ないが、まぁいわゆる慈善事業のようなものだ。

貴殿の言うように対価は当然もらうがなぁ…

吾輩は吾輩のためにお金以上の価値を生むものを求めてここでこのような商売をしているのだ。」


なに言ってんだ?とは思ったけど、こんな店をやっているような金持ちなら、常人の俺達には理解できなくても当たり前か。

少なくとも自分が思っているような悪い店ではないことはわかった。

俺は一呼吸おいて冷静さを取り戻し、落ち着いて話を再開した。


「じゃあ、何を払えばいいんだ?」


チオンジーはまたにっこり笑い、俺をまっすぐに見つめて告げる。






「貴殿の“幸せ”が欲しい。」






俺の幸せ…?

何を言ってるんだ?どういうことだ?俺の不幸話を聞いておいて俺の幸せがほしい?

彼の言っている意味を理解しようと考えを巡らせるがすぐには理解できない。

でもこれに関しては大切なことだ。なんとか自分なりの答えを探っていると彼は話を続ける。


「なぁに。吾輩が貴殿の願いを叶えてやると貴殿は“幸せ”になるのだろう?

その“幸せ”を少しばかり吾輩に分けてくれればいいのだよ。」

「………」

「言っただろう?これは慈善事業。

吾輩が貴殿の願いを叶えた後に次は貴殿の“幸福自慢”を聴かせに来てくれればよいだけのこと。」

「幸福自慢…」


絶望している俺にとっては夢のような話。

なるほどね。慈善事業ね。金持ちの暇つぶしか。


「わかった。幸福自慢しにきてやるよ。」


チオンジーは一層、妖艶ににっこりと笑う。

「では契約を交わそう。

小虎シャオフー、あれを持ってきてくれ。」


妖艶な雰囲気をパッと解いてチオンジーは自分が降りてきた小さな階段に向かって声をかけた。


「なに?人使い荒くない?」


階段から少年がひょっこり顔をのぞかせる。

他にも人がいたのか。不思議に思ったが俺は目の前に現れた少年に目を奪われた。

色白の肌に大きな目。まだ幼さを残してはいるものの男の俺から見てもかなりの美形だ。

少年に見惚れていると少年とばっちり目が合う。


「…」

「…どうも」


目が合ったのに無視をするのも悪いと思い、小さく挨拶した。

しかし、少年はそれに返事することもなく、冷たい目で俺のことを一瞥してからチオンジーに話しかけた。


「お客さん?」

「そうだ。今から彼と契約をするんだ」

「ふぅん」


そういってシャオフーと呼ばれた少年は階段で上に上がっていった。

感じ悪っ!

美形がもったいない。愛想なさすぎだろ!


俺が微妙な気持ちになっているのを察してか「申し訳ない。あの子はかなりの人見知りでな。」とチオンジーが少し困ったように笑ってフォローしてくれた。


そんなやりとりをしているとバタバタと階段から少年が降りてくる音がした。


「はい。」

「ありがとう。」


そういってチオンジーは少年から小さな石を受け取った。

なんだろうと、その様子を見守っているとチオンジーはこちらに向き直り、説明をしてくれた。


「これは“虎目石フーイェンシー”という鉱物だ。いわゆるタイガーズアイだな。

この石は幸運のお守り。我々の契約の証としてプレゼントしよう。」


彼から差し出された石を右手で受け取る。

掌に収まる程度の小さな石。石に興味がない俺でもショッピングモールなんかに入ってる鉱物屋の店先で見かけたこともある石だ。

見かけたことのある石ではあるが、その美しさに目を奪われる。

光の加減で茶色にも黒にも黄色にも…金にも見える。美しい石だ。


「では、最後に我々の契約の“まじない”をしよう。」


虎目石に見惚れる俺にチオンジーが声をかける。

ハッとして顔を上げた俺にちょいちょいと手招きをする。

俺は手招かれるままチオンジーに近づく。







「 “契約チーユェ” 」





そう言ってチオンジーは俺の額にキスをする。


何が起きたか理解できずに固まる。


一層、妖艶に笑うチオンジーが視界に現れる。

至近距離でばっちり捉えた彼の瞳は金色にみえた。


え…

「なにすんだよ!!!???」


俺は急いで額を拭う。

そんな俺を見て、彼はクスクスと笑う。

少年も顔を背けているが袖で口元を覆って笑っているのがわかる。


馬鹿にしてんのか!?


そう思って怒鳴ろうとしたところで彼は笑うのをやめて、俺に向き直る。


「なぁに、中国式のまじないだよ。悪かったねぇ。」


そんなの聞いたことないが中国ルーツの彼が言うことだ。

日本から出たことのない俺よりも確かな情報だろう。


俺は咳ばらいをしてから気を取り直して彼に向き直る。


「事前に言ってからやってくれ。」

「いやいや、申し訳なった。次は気をつけよう。」


次があってたまるかよ。

そう思ったけどそれは言わずに黙って座っていることにした。


「で?具体的に何してくれるんだ?」


一番重要なところを問う。

俺の“幸福自慢”に対してコイツは何をしてくれるんだ?

まさか、この石をくれるだけってわけないよな?

そんな俺の心配を察してか、彼はまたにっこり笑って答える。


「大丈夫。貴殿は何も気にせず3日後に例のマンションに行くだけでいい。

それまでに吾輩たちが全てを整えておいて差し上げよう。」

「例のマンション?アイツを追いかけて行ったときにたどり着いたマンションか?」

「そうだ。」


正直、悪い思い出が詰まった場所だから二度と行きたくはなかったが、

アイツの不幸な姿が見られるんだったら行く価値もあるか…。


「わかった。3日後だな。」

「あぁ…3日後だ。」


そういって、チオンジーはやっぱりにっこり笑った。

その笑顔をまっすぐに見つめた後、俺は荷物を持って席を立つ。


「お客様がお帰りだ。」

「はぁい」


そういって、店の出口へと向かう俺を追い抜いて少年が扉の元へ行く。

俺が扉の前に立つと少年を何も言わずに扉を開けた。

「…」

「…」

不愛想なガキには何も言ってやらない。

俺は無言で扉を出た。


「…」


扉を出て店の中を振り返ると机に座ったままにっこりと笑う窮奇チオンジーの顔が目に入った。



どこからともなく風が吹いたと思った瞬間、

バタンと扉が閉まった。


扉が閉まる直前、笑顔が消えた彼の瞳は、

また金色にみえた。


「3日後…」


俺は約束の日を声に出し確認し、右手に持った石をぎゅっと握りしめ、その場を後にした。




―――――…




約束の3日後…

俺はあのマンションの前に立っていた。


もしもの時のためにバレないようにマスクに帽子をかぶって変装をして。

そういえば、何時に来ればいいのかとか何も聞いてなかったな。

まぁ、時間も決まってるんだったら何時って言ってくるだろうし、今はあの胡散臭い男を信じるしかないか…

そう考えながら俺はあの日にもらった幸運のお守りである虎目石を握りしめたあと

むずむずした額をポリポリと掻く。


いったい何が起きるんだろうな。

10分ほど経って、やっぱり一度出直そうかと思ったとき、マンションから誰かが笑いながら出てくる姿が見えた。

俺は慌てて姿勢を低くして物陰に隠れた。もしものときの逃走経路も背後に確保済みだ。

その人物にバレないように慎重にそっと覗く。


「いやぁ…本当にありがとうございました!一時はどうなるかと思いましたがこんなにいい場所に店を出せることになるなんて!」

「…!」


間違いない。忘れもしない。この声はアイツだ。間違いなくアイツだ。

全身の毛が逆立つのを感じた。

呼吸が浅くなりそうなのを必死で抑え込みながら俺は会話の相手を見ようとさらにのぞき込む。


「え…!?」


アイツの正面にはあの日の女がいた。

にこやかに笑ってアイツを見つめる。

やっぱり!アイツ、あの女と結婚したんだ!あの日はやっぱりこの女と密会してたんだ!


一気に頭に血が上った。

呼吸が荒くなる。

今すぐに飛び出してアイツの胸倉をつかみたくなる衝動を必死に抑える。

だめだ!今飛び出してしまったら全てが台無しになっちまう!!

真夜中にあんなに辺鄙な店に行って、妙な契約をして。

騙されているのかもしれないけど、今はチオンジーの言葉を信じるしかない。

もう何も残っていない俺には、あんな妙な男の言葉を信じるしかないんだ。


そう自分に言い聞かせていると会話の続きが耳に入ってきた。


「私も嬉しいわ!あなたみたいな素敵な人にぜひ店舗を貸したいと思ってたのに会社が大変なことになるなんてね。

でも少し時間はかかっちゃったけど、こうしてあなたに店舗を貸せることになって本当によかったわ。」

「本当にありがとうございます。」


え?店舗?貸す?

どういうことだ?あの女、アイツの嫁じゃないのか?二人は結婚したんじゃないのか?

ほら、アイツ、左手薬指に指輪してるし…SNSでも結婚報告あげてたぞ?

確かに、相手の顔は見えなかったけど…


「やっぱり、誰かのためなら頑張れちゃった感じ?」

「あぁ…いや…でも確かに、誰かのためには頑張りましたね。」

「なんの話してるの?」


2人が話しているところにもう一人、別の女の声が聞こえてきた。

そっともう少し顔を出すと、アイツの横に見知らぬ女が立っていた。

え…?誰だ?妙に距離が近いぞ?もしかして…


「あら、噂をすれば、本人の登場ね。」

「え?私の話してたの?」

「そうよ。彼、一時期は大変だったけど、大切なあなたのために頑張って、夢をひとつ叶えったって話をしてたの。ちゃっかり結婚までしちゃて、ねぇ?」


え?あの女が結婚相手?

言われてみればSNSに上がっていた写真は小柄な女の後ろ姿だった気がする。

よく見れば数年前に会った女は背が高く、ヒールを履いているのもあってかアイツとそんなに身長が変わらなかった。

いや、でも結婚相手は予想と違ったけど…え、じゃああの日、俺がこのマンションで二人が密会しているのを見たとき、アイツらは何をしてたんだ?


「あぁ、いや、頑張った理由はほかの人なんです。

あ、でも、彼女はきっかけになってくれた大切な人ですよ。」

「まぁ、そう。」

「それに、いつか店をやりたいって思ってたんで!それを叶えてくれたあなたには本当に感謝しかありません。」


は?何言ってんだ?

いつか店舗を出せばいいって話したのは俺だろ?俺の案だろ?

まさか…


俺はさらにアイツの後ろをのぞき込む。


「うそだろ…?」


そこには昔、アイツに語って聞かせた“俺の考えた店”があった。

は?ありえねぇ…アイツ…俺が昔からやりたかった店を盗みやがった…!

許せねぇ…許さねぇ!!!


「えっ!?」

「きゃあぁ!!」


俺は一気に頭に血が上り、アイツの元へ走っていく。

勢いのまま、俺はアイツの胸倉をつかんだ。


「え…翔太!?」

「え…」


驚きで声が出ない三人。

隣の女ふたりには目もくれず、俺は勢いのままアイツに怒りをぶつけた。


「うるせぇ!!馴れ馴れしく俺の名前呼んでるんじゃねぇよ!!この裏切り者の盗人が!!」

「え!?裏切り!?盗人!?」


コイツはなんにもピンと来てないようだが、俺は構わず続ける。


「この店!!俺が考えた店だろ!?てめぇ、俺から金を盗んだだけじゃなく、俺のアイデアまで盗みやがって!!この泥棒が!!!」

「え、ちょっと、待って!誤解だよ!」

「ちょっと!手を放しなさいよ!」

「え、え、誰か!誰か助けてください!!」


隣で見ているだけだった女ふたりが騒ぎ出す。

俺は構わず奴を睨みつけていたが女につかんでいる手を引っ張られ、仕方なく手を離した。


せき込みながら地面に座り込むアイツに嫁の女が心配そうに寄り添った。

座り込む奴の姿を上から睨み続ける。


「ごほっ、ごほっ…誤解だよ。翔太…俺、お前にずっと謝りたかったんだ。」


奴は俺に正座で向きなおり、ぽつりぽつりと話始めた。


「俺、本気でお前と一緒に夢を叶えたかったんだ…でも、俺すぐには結果出せなくてさ。

それでもお前と一緒にネットショッピングで儲けて、店作って一緒に店やって行きたいって思ってたんだ。」

「…は?」

「どうしても夢をあきらめたくなかったから、あんまり親友とお金の貸し借りはしたくなかったけど、決心してお前にお金を借りて、もうひと頑張りしようって思ったんだ。」


は…?


「俺が不甲斐ないばかりに、やっぱり翔太に愛想つかされちゃって…どうしようかな…やっぱりあきらめて会社にでも入って働くしかないのかなって思ってたら彼女が俺にあきらめんなって元気づけてくれて、やっぱり頑張ろうって思ったんだ。


何言ってんだ…コイツは?


「翔太に借りたお金も返せてないし、やっと仕事も軌道に乗ってきて、

やっぱり翔太と一緒にやりたいなって思って…

もしかしたら、一緒に働いていた頃の会社の近くで、翔太がやりたがってた店を開けば戻ってきてくれるんじゃないかなって思って…それで翔太の考えてくれたこの店をオープンすることにしたんだ。」


は?は?は?

意味がわからない。コイツは何を言ってるんだ?

俺のため?俺のためにこの店をつくった?

何言ってるんだ?今更、そんな大嘘には騙されないぞ…!!


「翔太。

借りてたお金、ここにある。いつでも返せるように封筒に入れて持ち歩いてたんだ。

だから頼む!また一緒に俺と会社をやってくれないか?

いや、会社じゃなくてもいい、この店だけでもお前と一緒にやりたいんだよ。」


奴が土下座をしながら、札がたっぷり入った茶封筒を俺に差し出す。

こころなしか封筒を持つ手が震えている。


そんな哀れなヤツの姿を見下し、俺は静かに怒りを燃やした。


「…せぇ…」

「え…?」


あぁぁぁぁぁぁぁぁーーー


「うるっせえなぁぁぁ!!!!!」

「…!?」

「きゃぁぁ」


奴が封筒を持つ手を払いのけ、そのまま胸倉を掴んで立たせる。


「ぅぐ…翔太…?」

「てめぇ!!人を馬鹿にするのもいい加減にしろよ!!俺がそんなウソに騙されると思うか!?俺の貴重な時間を!金を!!人生を!!!無駄にしやがったくせにてめぇは結婚もして、大金も手に入れて、挙句は俺のための店だぁ?人を馬鹿にするのもいい加減にしろよ!!」

「翔太…!違う!俺は本当にお前のこと親友だと思って…!」

「うるせぇぇっ!!」


俺は勢いよく、胸倉をつかんでいた手を放し、ヤツを地面にたたきつけた。


「ってぇ…」

「大丈夫!?あなた!!なんなんですか!?警察呼びますよ!?」

「警察でもなんでも呼べよ!!この詐欺師を捕まえてもらえ!!」


地面に転がるヤツをかばう女に怒りをぶつける。


なんなんだ…ほんとに!!

人を馬鹿にしやがって!!許さねぇ…絶望しろ!!地獄へ堕ちろ!!


「お巡りさんこっちです!」


バタバタと走ってくる音。

いつの間にかいなくなっていた店のオーナーらしき女が警察官を連れて戻ってくる姿が見えた。

やばい…!


俺は咄嗟に走り出した。


「おい!待て!」

「お巡りさん!大丈夫です!彼は僕の親友で…ちょっともめただけなんで」

「え?ちょっと?」

「あぁ…まぁそういうことなら…」


走り去っていく最中、背後でそんな会話が聞こえた。

俺は振り返ることなく、その場を後にした。


“元・親友”の不幸を心から願いながら…



―――――



「っで?アイツどうなったの?」


ある日の昼下がり

鼻歌混じりに新聞を読む窮奇チオンジーに話しかける。

俺の声を聞いて、鼻歌を止め、そっと新聞を下ろした。


「んん?」


妖艶でアンニュイだと言えば聞こえはいいが、

相変わらずのだらしない顔をしてこちらを見る。


「あぁ…杉元殿のことか!」


誰のことを聞いているかピンときていなかったらしい。

俺は頷きもせず目で返事をし、次の言葉を待った。


「うんうん。まぁ、彼らしくそれなりに暮らしてはいるようだよ。」


にっこり笑って、そう答えた。


「嘘ばっかり。よくそんなに嘘が出てくるよね。」

「んん?いやいや、嘘はついていないよ。

言い回しを少しばかり変えているだけさ。」


そう言って胡散臭い顔でにっこりと笑った。

俺はいつも通り、

心底この男を軽蔑した。


「言い回しねぇ…」


そう呟いて、チオンジーと一緒に“覗いた”アイツのことを思い出す。


元・親友とやらに喧嘩を売って逃げた後、

アイツは怪しげなヤツに誘われて仕事を始めた。

『お前の才能は素晴らしい!特別だ!“一緒に仕事をやらないか”』

っという誘い文句を間に受けて。


元・親友のように自分のために全てが整えられるんだろうと甘い期待をして受けた。

その仕事はいわゆる闇バイト。

あっという間に捕まって、今は刑務所行き。

幸い、初犯だったから罪は軽く済んだみたいだけど…


今もアイツは刑務所の中で反省もせずに

甘い言葉で誘ってきたヤツのせいにして過ごしている。


馬鹿馬鹿しい。


「ほんっと、人間って馬鹿で愚かだよねー」


その言葉を聞いて、チオンジーはわざとらしく驚きの表情を浮かべた。


「おいおい。神の子がそんな風に言ってやってはいけないよ。

白虎バイフーが悲しむぞぉ。」

「はぁ?アイツは関係ないでしょ!」

「おいおい。父親のことをそんな風に言うでないよ。小虎シャオフー

彼は偉大な神なのだから。」


突然出された親父の名前にイラッとする。

俺をこんなふざけた奴のところへ預けやがって。

何が修行だ!

コイツもコイツだよ。絶対、今、俺を揶揄って楽しんでやがる。


「いっつも思うけど、あんたもあんな、いじわるしなくてよかったんじゃない?

3日後じゃなくて、すぐにでも行けば、アイツはあそこまで冷静さを欠くことはなかったでしょ?」


言われっぱなしじゃ腹が立つから俺も言い返してやる。


実際、翌日にでも行けば、まだ、あの店は準備中だった。

まだ未完成の店だったら状況を冷静に把握しようとする時間が出来て、その間に元・親友とも話す時間が出来て仲直り出来たかもしれない。

完成してしまった店を見たら

一目で自分が提案した店だとわかり、怒りは倍になって、冷静さを取り戻すのにも苦労することは想像できただろう。


元・親友とうまく仲直りしていれば

アイツは妙な仕事をやる必要もなくなって、

順風満帆に過ごせたかもしれない。


「それに、元・親友の彼は“不幸”にはなってないよ。」


アイツと交わした“契約”とは違う。


どう答えるんだろ?

ワクワクする気持ちを抑えて、

あくまでポーカーフェイスでチオンジーの言葉を待つ。


「あぁ…そのことかぁ…」


チオンジーはその問いを待っていましたと言わんばかりに笑みを深める。


「親友の彼は確かに苦労しているよ。

親友から借金をして、その金を全て使い果たしてもやはり上手くいかず。

それでも諦めずにさらに借金をして努力をした。

杉元殿に返そうとした金も借金をして準備していたものだ。

それなのに、蒸発した後も信じ続けていた親友に裏切られた。

今はようやく少しずつ利益も得られ始め、杉元殿よりも膨らんだ借金をコツコツ返し始めたところ…

…捉え方によったら十分、“不幸”だろう?」


嫌な言い方。

でも、確かにそうだ。


状況だけ聞くと、悲劇的だ。

でも元・親友の彼は誰かを悪く言うこともなく、誰かを妬むこともなく、誰かを羨むこともなく、悲観的にならず、

ひたむきに努力し続けている。


自分のことを幸福だと信じて。


「な?嘘は言っていないだろう?」


そう言ってチオンジーは妖艶に微笑む。


「お優しいことで?」


結局、上手く返されて悔しいから

たっぷり嫌味を乗せて言い返してやった。


嫌味に視線だけで返事をし、

チオンジーはそのまま視線を逸らし、

真っ直ぐにどこかを見つめながら続けた。


「不幸自慢するから不幸になるんだ。

そんなに不幸が良いならわずかにのこった幸せを我輩が代金として頂いてあげよう…

そう思っているだけさ。」

「………」

「人のせいにして努力しない不幸思考な人間は何をしても幸せにはならない…」




窮奇。

正しいことを言っている人間を食べ、

悪人がいると野獣を捕まえてその者に贈る。

善人を害するという伝承がある反面、

大儺たいなという儀式に登場する災厄を喰らう十二神にも存在する。

十二神としては悪を喰い亡ぼす存在として語られている。



コイツは…

“呪い(まじない)”という名の呪いを相手にかけて、一生涯そいつの“真実”を喰らい続ける。

そうして、神としての“徳”を積む


真実を言った人を喰らう。

不幸もその人にとっては真実だから…



「な?慈善事業だろう?」


そう言って、また俺の目を見てにっこりと笑った。


「…ふん」


コイツにとってどこまでが真実でどこまでが嘘なのやら。


ふと、心に浮かんだ疑問を投げかける…


「ねぇ…窮奇チオンジー


君は天界に還りたいの…?」


嫌味じゃない。たぶん優しさでもない。

単純に、この可笑しくて不憫なコイツの気持ちが知りたくなった。



「………どうかなぁ…?」

「…ッ!」


彼はほんの一瞬、その美しい顔から笑顔を消す。

全身の毛が逆立つ。

笑顔が消えたその姿はあまりに危険で、美しく妖艶だ。


恐怖と緊張に硬直していると

窮奇は黄金に輝く美しい瞳でスッとこちらを鋭く睨みつける。


喰われるっ!!


そう思って覚悟をしたが、

鋭い視線をスッと緩めてにっこりと笑った。


「今の暮らしも悪くはないからなぁ?」


たっぷりの嫌味を込めてそう答えた。


「…ッ!!」


全身からチカラが抜ける。

唖然とする俺を見て、チオンジーがくすくすと笑う。


くそ!!揶揄われた!!

俺は精一杯、威勢を込めて吠える。


「ほんっと、性格悪いよね!」


「はっはっはっ!

お褒めに預かり光栄です。」


焦る俺をみて、愉快に笑いながら

目の前にいる窮奇はわざとらしくお辞儀する。



こんな醜い人間界での修行は辟易するけど、

でも、まぁ、コイツと一緒なら悪くない。





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