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3.軽戦車(c)

「さぁて、やるか!」


 軽自動車の中から引っ張り出した折り畳みスコップを肩に担いで、健星は陽気な調子で宣言した。

 青白いホログラムに映る少女は、それを胡乱げな瞳で見つめていた。


「まさか本当にやるつもりなの?」


「え、駄目なのか?」


 健星は面食らったような顔をする。

 振り下ろされたはずのスコップが行き場を失い、地表を薄く撫でた。


「掘るの?」


「今まさに掘ろうとしていますが」


 スコップを地面に突き立て、片足で体重をかけて沈み込ませながら、健星はおどけるように言った。だが、明詩は浮かない顔のままだ。


「普通は燃やしてからお骨を埋めるんでしょ?」


「これは筐体だし、俺たちにはもう、そんな余裕はないぞ」


 健星が苦笑しながら言う。

 亡骸をちゃんと燃やす為に必要な燃焼剤は、今や食料にも勝る貴重品だった。死者に分けてやれるほどの分量は誰も持っていない。燃焼剤がなく、肉を炭にするほどの高熱を長時間持続できないただの炎では、亡骸の状態を徒に悪くするだけだ。筐体ならば尚更だった。


「分かってるけど……」


 明詩が迷うように声を発した。

 彼女の視線が、墓標にもたれ掛かる喪服の少女と眼下の街並みを行ったり来たりする。

 その様子を見て、明詩が弔い自体を嫌がっているのではないことを健星は確信した。


「誰も居ない真っ暗な場所は嫌だよね……」


 明詩がぽつりと呟いた。

 健星が同意の意思を込めて頷く。

 筐体は容易には腐らない。地中に埋めたとしても、恐らくは人類が死滅した後も形を保ち続けるだろう。どこにも還ることができないまま。


 健星は、心の奥底ではそんなことに頓着してはいなかった。だが、今の世界では、死の先に救いと安寧があると信じられることが何よりの重大事だったし、明詩には特にその傾向が強かった。骸を燃やし尽くす炎を食い入るように見つめていた、生身を持っていた頃の明詩の横顔が、健星の眼球にはずっとこびり付いたままだった。


「だったら、そんな要望を全て満たすウルトラCで行こうか!」


 健星は陽気な声で言う。


「ウルトラC……?」


 明詩は全く意図が飲み込めないというように首を傾げた。

 健星は明詩に微笑みかけ、スコップで地面を掘り返し始めた。表面に雪を被った雑草が茂る土は柔らかく、大した力と時間を掛けるまでもなく、10センチほどの穴と、その横にこんもりと盛り上がった小山が作られた。


 健星は明詩にこの場で待っているように手の動きで伝えると、ふらふらとした芯のない足取りで軽自動車の方へ戻り、後部ドアを開けてスコップをしまうと代わりに何かを手にして帰ってきた。


 健星が持って来たのは線香とライターだった。

 彼は明詩にそれを見せると、喪服の少女の傍に作った小山の前にしゃがみ込んだ。手を振って明詩にも隣にしゃがみ込みように促す。

 紙の箱から線香が取り出される。

 お香の匂いが強いタイプだった。

 健星たちがずっと愛用し続けているものだ。


 遺骸は腐臭を発し、病をばら撒く。

 焼けばウィルスは死滅するが、燃える遺骸が発する臭いはどうしようもなかった。その悪臭は、時に死者を弔う気持ちすら萎えさせるほどの不快感を与える。だから、線香は必需品だった。せめて平穏な心境で送り出し、送り出される為に。


「いつも通りだけど、やれることをやろう」


「うん」


 健星が線香に火をつけて上の方を抓んだ。

 明詩のホログラムの手が健星の手の下、線香の末端に添えられる。2人は目を合わせただけでゆっくりと挙動を同期させた。2人の手が、まるで一緒に掴んでいるように線香を小山の天辺に突き立てた。


 しばらくして、健星が立ち上がる。

 寒さで赤くなった鼻を啜った。

 そして、軽自動車が止めてある方向ではない向きへ、背を縮こまらせながら歩き出した。


「どこいくの?」


「花を摘みに」


 半身で振り返って健星が声を上げる。


「トイレ? いってらっしゃい」


「違う」


 健星は頬まで赤くしつつ言い訳のように早口で付け加えた。


「ばあちゃんに供える花だ。このままじゃあ少し味気ないからさ」


 言い終わるや大袈裟な身振りで手招きした。

 投影機のタイヤが地面の凹凸を拾いながらのろのろと進む。


「ふふ」


 健星の隣に来て、明詩は思い出したように笑った。

 白髪が微かに揺れて粉雪を透過する。

 数日振りぐらいに、明詩が笑った。












 ◆◆◆












 健星が門の近くに丁度いい感じの花を見た気がすると言ったので、2人はゆるゆると門に向けて歩いていた。


「ねぇ、あれ」


 明詩が指差す。

 墓標と墓標の間に点々とあったのは、花ではなく奇妙な轍だった。


「あぁ。なんだろうな」


 健星はそう呟いて轍の方へと近寄っていく。

 それは、健星が運転する軽自動車と同じほどの幅に、倍以上の重量を感じさせる深い痕跡だった。一見大型車両の轍のように見える。だが、不可解なのはその軌道だった。大型車両の車幅では進めない墓標の隙間を縫い、さらには、四輪車ではありえない角度にぐにゃぐにゃと曲がり、所々では、まるで宙にでも浮いたかのように轍が消えては数メートル先にまた同じものが現れている。


 その痕跡は、薄く積もりつつある雪に隠されようとしていた。

 明詩の表情が曇る。


「軽戦車か」


 健星が博物館で標本を見たかのような何気なさで呟いた。

 しかし、その声は微かに恐怖と緊張を孕んでいた。自分でも後からそれに気が付いたように健星は顔をしかめ、そして髪を掻きむしった。腕が下げられる頃には、どこか気の抜けたような穏やかな表情が戻っていた。


 一方の明詩は変わらなかった。

 むしろ、顔色は徐々に悪くなっていっているように見える。

 明詩はじっと轍を見つめた。


 この奇妙な轍を残す機械の正体は、忘れられるはずがないものだった。明詩と健星以外にも、致命的大流行以後を生きた殆どの生存者たちにとって。


 軽戦車。

 もしくは、無人戦車。

 全国家の軍事力の8割以上を担うと言われたPMC《民間軍事会社》。それすらも一部門として統括していた巨大企業連合体。それらが開発し、生き残る為に必須と信じられていた筐体や隔離施設を奪い合うべく投入された黒い兵器群。その筆頭。


 力なき者を蹂躙する、力ある者の尖兵たち。

 軽自動車よりも僅かに小さなその殺人兵器は、明詩の目の前で何度も何度も人を撃ち殺し、握り潰し、血肉をぶち撒けた。

 いつだって、それ相応の理由があるようには思えなかった。

 それは、明確な意思と形を持っていたせいで、ウィルスよりも克明に、明詩の心中に憎悪と恐怖を植え付けた。


 健星もそのはずだった。

 2人は、何よりも、喪失と憎悪で強く結ばれている。


 なのに今、明詩の目の前では、健星が過去の記憶など全て忘れたとでも言うように、無邪気そうに轍を踏み締めながら進んでいく。


「健星……!」


 明詩は掠れて消え入りそうになる声で辛うじて叫んだ。

 健星が振り返る。


「今すぐ逃げなきゃ! 鉢合わせたら健星が殺される!」


 明詩は喘いだ。

 過去の記憶が甦る。

 途方もなく強大で、恐ろしいほどにどうでもいい闘争に巻き込まれた自分たち。ウィルスに冒され、元から余命幾ばくもなかった儚い命が次々に散っていく。


 健星は駆け足で明詩の元へ戻ってきた。

 だが、彼女はホログラムだった。

 支えるべき肩も、握るべき手も実体を持たない。

 健星は俯く明詩を覗き込んでその青白い瞳を見据えた。


「大丈夫だ、明詩。軽戦車はここにはいない」


 健星はゆっくりと、一言一言、言い含めるように続けた。


「軽戦車はもう動かない。新州重工も、富士技研も、四ツ橋製作所も、半年以上も前に本社が壊滅している。ドクが言っていただろ? 本社からの指令を受け取れなくなったAIや圧縮人格は活動を止めたんだ。俺たちがそれから見てきた軽戦車も、全部止まっていたじゃないか」


 明詩の瞳が健星を見つめ返した。

 健星がほっと息を吐きながら言葉を重ねた。


「だけど、油断はできない。できるだけ早くここから離れよう」


「うん」


「だから、ばあちゃんに供える花を急いで探さないとな」


「う……」


 頷きかけて、明詩は複雑な表情になった。

 今はそんな場合じゃない。顔は雄弁にそう語っていたが言葉にはならなかった。健星がそれを見て笑う。


「大丈夫だ。たぶん」


 自信を漲らせて自信がなさそうな言葉を吐いた。

 心配性な明詩を納得させる為に、いつからか身に付いた健星の癖だった。


 かたんと、遠くから何かが落ちるような音が響いた。

 健星と明詩が周囲を見渡す。


 墓標と静寂。

 あとは何もなかった。


 だが、次の瞬間、2人の視界が煌いた。

 健星が訳も分からないまま手で庇を作って空を見上げた。


「あぁ……」


 思わず、吐息が零れる。

 隣に立つ明詩も絶句していた。


 空が割れていた。

 薄れた雲の狭間から陽光が柱のように差し込んで、墓地や眼下の死んだ街を照らしている。微かに降り続ける粉雪が光を反射してあちこちで輝いていた。

 今までに見たことがないほどに幻想的な光景だった。

 まるで、世界が終わる前触れのような。


 そして、それが姿を現した。

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