玉川温泉での不思議な気持ち
えーっとー、僕はもともと「幽霊」とか全然信じてなかったのですが、
1992年9月に12時間に及ぶ大手術を受けた直後にある種の「臨死体験」みたいなことを経験しまして、
そのときにReincarnationというか「生まれ変わり」を知りました。
「信じている」んじゃなくって、「知っている」といったほうが近いのです。
激痛の中で、僕は前世の僕と言葉によらずに会話しました。
僕は泣きました。
幻覚だよと言われればそれまでなんですが…
ひとつだけ言えるのは、もし霊というものがいたとしても僕は恐くなくなった、ということ。
もともとその類いには鈍感だったのですが、たぶん誰かが化けて出ても僕は「やあ」と言うような気がします。
ただし、悲しいかな僕は霊的な経験を、ほとんどしたことがなく、「幽霊を見た」とか、
「正夢を見た」という話はひとつもできないわけです。
妹の旦那さんはなんかそういうのがあるらしく、僕の両親の家に来たとき、しばらくしてから、
「(あの方は)おばあさんですか?」と尋ねたそうです。祖母は亡くなってすでに何年も経っていましたが。
彼がそういう能力を自分でちっとも重要と感じてないのがよく分かりませんが(笑)。
まあ、彼はともかく、僕には霊的な能力がないらしいのです。
ただ一度だけ、「何かを感じた」というのが玉川温泉に行ったときのこと。
僕と連れ合い君の二人は、秋田の乳頭温泉で数泊したのち、寄り道(回り道ですが)をして、
ほとんど予備知識のない玉川温泉まで足を伸ばしたのです。
混雑を避けてわざわざ梅雨の時期に訪れたのですが、ここは人でいっぱいでした。
その日は曇天でしたが幸いにも雨は降っておらず、二人で岩盤浴をしている湯治客や、
周囲の風景を見たあと、入浴しようということになりました。
さて、引き戸を開けて広い室内に入ったとたん、僕は固まりました。
中の光景でもなく、出来事でもなく、ただただ「雰囲気」に打ちのめされたのです。
まったくわけが分かりません。「えっ、これは何なの???」としか言えません。
あえて言うと、「何かがいる/ある」という感覚です。
見えないのですが、何かがそこに満ちているのです。
ほんと言うと、すぐに出たくてたまりませんでした。しかし、なんせ「有料」です。
無理して奥まで行って、ほんのちょっとだけ飲泉を試み、オエッとなり、
無理して源泉につかり、「ビリビリ痛いよーっ」と呻き、
ついにいたたまれなくなって、10分も経たずに上がってしまいました。
とても不快だったのです。心臓バクバク。
そこにいた「存在」が、僕にはとても不安だったのです。
同時に感じたのは、デジャブに似た感覚でした。
僕はこの感覚を前に経験している、という確信。ここには来たことがあるという確信。
実際には何ひとつ見覚えはありませんが、「これは知っている」という感覚だけがあるのです。
やせ我慢(?)していたのも、もう限界。
そそくさと上がって、連れ合い君を待つこと数十分、その長かったこと…。
ここだけのこと、早く彼女に上がって来てほしくてたまらなかったですよ。
とても不安で不安で。
あれが何だったのか、未だに分かりません。
玉川温泉は恐山のような「霊場」ではない(と思う)ですが、
僕と同じように「何かを感じた」という人も、ネットを調べると少しはおられるようです。
「玉川温泉にもう一度行きたいか」と言われると、複雑です。
なんか嫌なのでもう行きたくないという気持ち半分、
あれが何だったのか知りたい気持ち半分、
というところです。
劇的な展開もないし、他人に訴えることのできるエピソードもないのですが、
僕には「転生」と同じほど大きな経験でした。
世の中には何か、そんな見えないものがある/いるんだなとあらためて知ったというか。
人間は新しいもの、見知らぬもの、見慣れないもの、認識できないもの、異質なものに出会うと、
それを否定しようとし、嫌悪し、恐怖し、無視し、なんとか排除しようとします。
それは愚かなことだと思います。不快なものから遠ざかるのは単細胞生物でさえできます。
(今日は本当はここから書きたかったのですが、あまりに前書きが長いので改めて書きます)
愚かなままではプライドが許さないので、きっと僕はもういちど、玉川温泉に行くのだろうと、思います。