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クレアが悪阻と夫人教育に追われていると月日はあっという間に過ぎ去り、ついにレイモンドとの婚姻を迎えた。レイモンドは成人とともに公爵が所持していたジュエリア伯爵位を継いでおり、クレア・ジュエリア伯爵夫人となった。王宮では公爵家のくくりで公子と呼ばれていたが、本来はジュエリア伯爵がレイモンドの正式な名称である。行き遅れの男爵令嬢が伯爵夫人だなんて期間限定とはいえ出世したものだ。

式の参列者はアスクストーン公爵家とミルトン男爵家、そしてお忍びで来た国王と王妃という少人数で簡易的な結婚式を王都の教会で挙げた。出産後にも結婚式をするのに何故と思ったが上位貴族は婚姻時にも挙げなければならないらしく、とてつもなく面倒である。簡易的ではあるが結婚式なので装いはもちろんウェディングドレスだ。ドレスは真っ白なエンパイアドレスで、繊細な刺繍が施されている。装飾品の宝石も華美すぎず落ち着いたデザインでクレアによく似合っていた。この日のために公爵夫人がデザインなどを職人と打ち合わせし、材料から装飾品に至るまでこだわり抜いた最高級の一品だ。レイモンドや公爵はクレアの意見も聞けと言っていたがクレアは全く興味がないのでウェディングドレスだけでなく普段着のドレスも公爵夫人に任せている。女の子がほしかったという公爵夫人は喜んでクレアのドレスや装飾品を選んで着せ替え人形にしていた。着替えるのは疲れるが夫人の選ぶドレスはどれもクレアによく似合うものばかりなのでクレア自身不満はない。でも本番の結婚式に着るウェディングドレスにはマーメイドラインのものはやめてほしいと一つだけ注文を入れた。この国ではウェディングドレスはプリンセスラインかエーラインのドレスが主流なので大丈夫だと思うが念のためだ。そこだけは念入りに繰り返し、公爵とレイモンドが同席している時に夫人から了承を得たのでこれでクレアの心配事はない。

レイモンドはドレス姿のクレアを見て直立不動で固まっており、式の途中で何度も神父に咳払いをされることになった。公爵夫妻が頭を抱えているのが横目に見えて苦笑いしかできない。結婚式は驚くほどあっさり終わり、誓いのキスは唇ではなくクレアの額に落とされる。レイモンドは終始寂しそうな顔でクレアを見つめていたが、繋がれた手を彼は決して離さなかった。


その日の夜。クレアはベッドに腰掛けてレイモンドを待っていた。夫婦になったのだからと、今までクレアが使っていた客室からレイモンドの自室へ寝室を移される。婚姻後は伯爵夫人の部屋を用意すると言われていたのはなんだったのだろう。何もレイモンドの自室でなくとも広めの部屋を二人の寝室にしてそれぞれ自室を持てばいいのでは?というクレアの意見は却下された。クレアの両親と兄夫婦でさえ共同の寝室とそれぞれ自室を持っているのに公爵家が用意できないはずがない。納得のいかないクレアだったがメイドたちは有無を言わさずクレアをレイモンドの自室に押し込むとおやすみなさいと笑顔で扉を閉めた。

お腹を撫でながらクレアは息をつく。何も離縁予定の人間と夜を共にしなくてもいいのでは?まさか同衾も体裁のうちに入っているのだろうか。妊娠しているのでさすがに夜の営みはないはずだ。装いだって初夜によくあるスケスケのネグリジェではなく、首元からくるぶしまでしっかり肌の隠れた露出のろの字もない温かさ重視のナイトドレスである。

それにしてもこれからレイモンドと一緒に寝ると思うと憂鬱だ。実はクレアは少々寝相が悪い。公爵家へ来てからずっと一人で寝ていたのでこれからもずっと一人で寝ると思っていただけに油断していた。恥ずかしいがこればかりは正直にレイモンドへ打ち明けなければならない。なんと言って打ち明ければいいのだろうか。


どう話せばいいかと考えていると、キィと扉が開く音が聞こえた。クレアが振り返るとレイモンドが扉の前に立っており、微動だにせず立ち尽くしている。薄暗くて表情はよく見えなかったがとても良くない空気を感じた。

クレアは立ち上がるとレイモンドの方へ近づこうと一歩を踏み出したが、彼が大袈裟なくらいビクリと体を揺らしたので止まる。


「レイモンド様、どうかなさいましたか?」

「………っ」

「レイモンド様?」


クレアが呼びかけてもレイモンドから返事はない。誰かを呼ぶにしてもレイモンドが扉の前にいるのでそれもできなかった。普通は呼び鈴が置いてあるのだが、一応初夜ということもあり今日は置いていない。しかなたなくクレアはサイドテーブルにあるランプと天井の灯りに魔力を流して灯りを付ける。明るくなった部屋でレイモンドを見ると、大量の汗をかきながら真っ青な顔をして彼は立っていた。視線をさ迷わせて震えている。明らかに具合が悪そうなレイモンドにクレアは慌ててその場から呼びかけた。


「レイモンド様!大丈夫ですか!?」

「………ぁ、え?」

「レイモンド様!しっかりしてください!今人を呼んできますから扉から離れてソファへ座ってください!早く!!」

「あ、あれ……クレア?」

「はい!クレアです!レイモンド様早くソファへ!今医師を呼んできますから!」


クレアが必死に呼びかけるとレイモンドはパチパチと瞬きをした。そしてクレアの姿を上から下までゆっくり視線を上下させるとはっとしてクレアへ駆け寄ってくる。クレアがぎょっとして一歩下がるが、そんな距離はあっという間になくなってレイモンドに両手を握られる。


「クレア!」

「は、はい!?」

「クレア、クレアなんだよな?」

「は、はい、クレア・ミルトンです……」

「クレア……はぁ……」


レイモンドは大きく息をつきながらずるずるとその場へしゃがみこんだ。何がなんだかさっぱりわからないが彼の震えはなくなっていた。とりあえず大丈夫みたいだが、明らかに様子がおかしかったのでやはり医者は呼ばなくては。クレアもしゃがんでレイモンドの顔を覗き込む。


「レイモンド様、大丈夫ですか?今医者を呼んで参ります」

「あ、いや、医者は呼ばなくていい。もう大丈夫だから」

「でも、まだ顔色が悪いですよ」

「大丈夫、本当に大丈夫なんだ。それより情けないところを見られてしまったな。申し訳ない。忘れてくれると嬉しいんだが…」

「忘れることは難しいですが、誰にも言いません」

「……ありがとう」


レイモンドは優しく微笑むとクレアの手を取って立ち上がった。


「明日も早いのに夜更かしさせて悪かった。手が冷たくなっているが、寒いか?」

「いえ、寒くありません。レイモンド様こそすごい汗です。このままでは風邪をひいてしまいますから、服を着替えた方がよろしいですわ。今着替えを…」

「クレア」


クローゼットへ着替えを取りに行こうとするが、レイモンドに手を引かれて抱きしめられた。すっぽりとレイモンドに腕の中に閉じ込められて彼の香りがいっぱいに広がる。はぁ、とレイモンドが息をつくのを聞きながらしばらくクレアは彼の腕の中でおとなしくしていた。この時レイモンドは耳まで顔を真っ赤にしていたがクレアは気付かない。そうしてじっと待っているとレイモンドの腕が緩み、ようやく解放されたと思えば肩をぐっと掴まれる。


「クレア、一つ訂正を。クレアはもうミルトンではなく、今はクレア・ジュエリアになったからね。次に名乗る時は気を付けて」

「はい、わかりました……」

「うん」


まだ顔に赤味を帯びながらレイモンドは柔らかく笑った。状況がよくわからないクレアはとりあえず頷いていると突然ひょい、と彼に横抱きにされる。


「ひゃぁ!?」

「おっとすまない、ベッドまで大人しくしていてくれ」


驚いて素っ頓狂な声を上げると笑いながらレイモンドはクレアをベッドまで運ぶ。優しくベッドの上に降ろされるとシーツをかけて寝かされた。


「私に付き合わせて悪かった。クレアは気にせず先に休んでいてくれ」

「あの、レイモンド様。本当に大丈夫ですか?先ほどよりは顔色は良くなったみたいですがやっぱり医者に診ていただいた方が」

「何かあったら自分で呼ぶさ。それにクレアのおかげですっかり良くなったよ。私はもう少し落ち着いたら着替えて寝るから」


レイモンドはクレアの栗色の髪を優しく撫でると額に手を乗せる。すると途端に睡魔に襲われた。意識が遠のき瞼を開けていられない。


「ぁ、レイモ…さ、ま……」

「おやすみ、クレア」


レイモンドの優しい微笑みを最後に、クレアは夢の中へ旅立った。







クレアが完全に眠りについたのを見届けると、レイモンドは彼女の髪を優しく撫で続ける。青ざめていた顔色もすっかり良くなって気持ちはさっぱりとしていた。クレアなら大丈夫だと思っていたが、過去のトラウマが蘇ってしまい扉の前から進むことができなかった。しかしクレアに呼びかけられて落ち着いてみると愛しい彼女がいてとてつもなく安心したのだ。おまけに普段は見ない寝間着姿に赤面して誤魔化すためにクレアを抱きしめる。彼女からなんとも言えない良い香りがしてレイモンドの心臓は爆発寸前だったがなんとかおさまって本当によかった。


「クレア、本当にありがとう。たとえ君がまだあいつを忘れられなくても私は……」


その先の言葉は続かなかった。嘘でも言葉にして言うことができない。嘘でも何か彼女に気の利くことを言えていたら彼女との仲はもっと進展できていたはずだ。うじうじしている自分が嫌になって深いため息をつく。


「うーん」

「ぅぶっ!?」


クレアが寝返りをうったので顔を上げると、べちんっ、とレイモンドの顔面に彼女の手がクリーンヒットした。そのままゴロンとレイモンドがいる反対側のベッドの端まで転がっていくので慌ててクレアを捕まえる。


「ん……お花、美味しい……」

「えっ、花!?」


クレアの寝言に思わず大きな声で聞き返してしまい、慌てて口を噤んだ。恐る恐るクレアを見ると、変わらずすやすやと眠っている。ほっとしてクレアをベッドの中央で寝かせると肩までしっかりシーツをかけた。しかしまたもやクレアの手がレイモンドめがけて突き出されたので咄嗟に避ける。せっかくかけたシーツは再びめくれてクレアは万歳しているような恰好になった。その姿にレイモンドが肩を震わせてこみ上げてくる笑いを喉奥へ押しとどめる。


「ふ、ふふふ……一緒に寝たら蹴落とされそうだな」


声を出さないようにしてひとしきり笑うとクレアを愛しそうに見つめる。彼女の前髪をそっとかき分けると額に唇を落とす。そして万歳状態のクレアの腕を下ろして再びシーツを肩までしっかりかけ直すと着替えるためにレイモンドは立ち上がった。


「ありがとう、クレア」


レイモンドがそう呟くとクレアはまたコロリと寝返りをうつ。再び笑いがこみ上げたレイモンドはしばらくお腹を抱えて声を出さないよう笑い続けた。







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