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公爵がミルトン男爵家を訪ねて来てから数日後、教会からレイモンドとクレアが正式に婚約者となる文書が届いた。あまりにも早い婚約通知に全く実感が湧かない。そしてついでのように王家からクレアの要望が取り消された手紙が届く。王家の貸しは健在なので要望があればいつでも連絡をしてほしい、とも綴ってあったがクレアの父はその手紙をぐしゃぐしゃに丸めて机の奥底へ押し込めた。


そして家の状況が落ち着いた頃、レイモンドが男爵家へやって来た。公爵家へ嫁ぐクレアを迎えにきたのである。結婚前に妊娠した令嬢は嫁ぎ先で出産するのが通例だ。クレアもその例に漏れず公爵家で出産するので早い段階で引っ越すことになった。ちなみにレイモンドは男爵家へ到着してからずっと落ち着きなく耳まで顔を真っ赤にしていることは余談である。

レイスと住むはずだった小さな家はすでに片付いており、家族が管理してくれることになった。たった一か月程度しか住んでいないはずなのに住み慣れた我が家のように別れを惜しむ。もちろん生家でもある男爵家の屋敷も自室を整理してお別れをした。家族と幼い頃から仕えてくれる使用人たちに見送られて公爵家の馬車へ乗り込もうとすると、誰かが馬車の影から姿を現す。


「クレア!!」


名前を呼ばれてクレアが振り返るとバチンと大きな音と頭が大きく揺れて体が傾く。反対側にいたレイモンドが咄嗟にクレアを支えてくれた。


「何をするんだ!!」


レイモンドの怒鳴り声が聞こえるが、クレアは一瞬何が起こったのかわからなかった。頬を殴られたのだと遅れて理解すると、殴った相手を見る。


「アイリーン……」

「裏切り者!レイスが死んで、もう他の男に乗り換えたわけ!?はっ、これだからお貴族様は信用ならないのよ。結局あんたのレイスへの思いなんてそれっぽっちしかなかったのね。こんなことならあんたにレイスを譲るんじゃなかったわ!!」


真っ赤な髪を猫のように逆立てながらアイリーンはクレアに罵声を浴びせた。彼女はレイスの幼馴染であり、ことあるごとにクレアを目の敵にしてきた人だ。何度もレイスとの逢瀬に割り込んできては身分違い、うまくいくわけないと喚き散らして嵐のように去って行く。クレアより三つも年上なのに子どもっぽく癇癪を起こすアイリーンにはレイスも呆れて全く相手にしていなかった。それが余計癪に障ったのか彼女はクレアの悪い噂を流したり、レイスと会わせないよう画策して時には手紙を配達人の荷台から盗んだりと嫌がらせを受けたのだ。怒ったレイスに絶縁宣言をされ騎士団へ突き出されてからは一度も彼女の話は聞かなかったが、元気でいたらしい。


「ちょっと、何とか言ったらどうなの!?えっ、レイス……?」

「私はレイスではない。それより彼女に謝れ」


レイモンドが鋭くアイリーンを睨むが、彼女は目を見開いて驚愕の表情をしている。だがレイモンドが否定したことで彼がレイスではないことにアイリーンは気付いた。彼らは特徴や背格好が同じなので一見同一人物に見えるが、顔の相貌や髪の長さは違うのでよく見れば別人なのがわかる。

アイリーンはみるみるうちに顔を真っ赤にさせると今にも泣きだしそうな顔でクレアを睨んだ。


「見損なったわクレア・ミルトン!もうレイスはいないのに彼に似た人と結婚するとか最低!!それじゃレイスが可哀想だと思わないの!?あんたがそんなに不誠実な人間だと思わなかったわ!!」

「アイリーン、私は」

「黙りなさいっ!!!!」


クレアが言い返すよりも先に辺りに響き渡るような怒鳴り声を上げたのはクレアの母であった。いつも穏やかで優しい母とは思えない形相に皆びっくりして動けない。母は顔を真っ赤にしてずんずんとこちらへ来ると、アイリーンの髪を鷲掴みにして引きずり倒した。


「きゃあっ、痛い!痛いわ!」

「誰かっ、この大バカ者を摘まみだしてちょうだい!今すぐ!!」


あんなに穏やかだった見送りが大騒ぎになってしまった。クレアはただ茫然とすることしかできず、レイモンドに抱きしめられていることにも気づかない。レイモンドはクレアを抱えたまま公爵家の馬車に乗ると、クレアを座席に座らせて出て行った。そのままクレアがぼーっとしているとレイモンドが濡れたハンカチを持ってきて腫れた頬を冷やしてくれた。頬に冷たいハンカチが当たるまでクレアはどこか上の空でいたが、心配そうにこちらを見ているレイモンドに申し訳なさがこみ上げる。


「申し訳ありません」

「どうして君が謝るんだ?」

「せっかく迎えに来てくださったのに、このようなことに巻き込んでしまって…」

「私は気にしていない。それより君だ。頬は大丈夫か?それにあんな風に罵声を浴びせられたら嫌だろうに。私に話して気が楽になるならいくらでも聞くからどうか思い悩まないでくれ」


こちらを見るレイモンドの顔が一瞬レイスに見えてクレアは思わず目を逸らした。そんなクレアにレイモンドは少しショックを受けた表情になり気まずい空気になる。クレアは自分の軽率な行動を後悔したがどうすればいいかわからずしばらく沈黙が続いた。

外の騒がしさがすっかりなくなった頃、レイモンドがおずおずと口を開く。


「クレア嬢、君がまだ気持ちの整理がついていないのはわかっている。だが、歩み寄ることはできるだろう?私たちはまだお互いのことをよく知らないが、色んな話をして知っていきたいと思っている。少しずつでいい、少しずつ、仲を深めていけないだろうか?」


すでに離縁状も渡されているというのに、仲を深める必要はあるのだろうか。互いに歩み寄ったところで別れることは確定している。互いを知りすぎて情が移ったら別れが苦しくなるだけなのでクレアはあまり接触しないように決めていた。しかし相手にその気がないとなると回避は難しく、これからどうすればいいのだろう。


「私は……」


クレアは言葉が続かず目を伏せた。レイモンドはそんなクレアの言葉を待つが何も言わない彼女に小さく息を吐く。


「ハンカチを取り替えてくる。ミルトン男爵たちの様子も見てくるからこのまま待っていてくれ」


クレアが返事をする前にレイモンドは馬車から出て行った。これからどうやって彼と向き合えばいいかわからない。どうしようもないやるせなさだけがこみ上げてクレアは顔を覆った。




馬車から降りたレイモンドはクレアの乗った馬車を振り返ると、胸ポケットから小さな箱を取り出す。箱を開けると美しい装飾が施されたダイヤモンドの指輪が入っていた。クレアに告白して渡そうと用意していた結婚指輪だ。レイモンドは深く息を吐くとミルトン男爵の元へ向かった。





男爵家の屋敷へ入ると使用人に取り押さえられているアイリーンと男爵夫妻、子息がいた。全員怒りを隠そうともせずアイリーンを睨みつけている。さすがに複数人に睨まれては分が悪いと悟ったのか彼女は唇を噛みながら視線をさ迷わせていた。


「もうお前は絶対に許さない。騎士団が到着次第すぐに引き渡す。前科持ちは鉱山で強制労働と決まっているからな、一生そこで償うがいい。たとえ刑期を終えてもお前の居場所はないと思え」

「そ、そんなの不当だわ!確かに叩いたのはやり過ぎたと思うけど、強制労働なんてあんまりよ!三カ月前にやっと修道院から出られたのに今度は鉱山だなんて酷い!あなたたち貴族は平民をなんだと思っているの!?」

「少なくとも君は犯罪者であって平民ですらなくなっていることは確かだな」


子息の言葉に反論するアイリーンにレイモンドが静かに言うと、彼女はがばっと顔を上げた。レイモンドの凍るような視線に彼女は怯む。


「私の婚約者に危害を加えたんだ。鉱山送りだなんて生温い処罰で済むと思うな。公爵家からも厳罰を求める書簡を騎士団に送っておく」

「ど、どうしてよ!だいたいレイスを裏切ったクレアが悪いんじゃない!それに前はそんなに重い罰じゃなかったわ」

「クレアはレイスを裏切っておらん!そもそも貴族の手紙を、王宮から領主宛ての文書まで盗んだお前がたった四年で修道院を出られるわけがないだろう!一生監獄か鉱山送り、最悪死刑だ!お前がその程度の罰で済んだのはクレアとレイスがお前にやり直すチャンスを与えてやってくれと私に頭を下げて頼んできたからだ!そうでなければ誰がお前など減刑してやるものか!二人の温情を無下にした大バカ者がっ!」


肩で息をしながら叫ぶ男爵を夫人が支える。子息も一緒に男爵を支えながらアイリーンを鋭く睨みつけた。


「そんな、だって、私そんなこと、知らなかったもの……」

「それはないな。少なくとも騎士団や修道院でお前の罪と減刑について説明があったはずだ。その様子じゃお前は自分は悪くないと信じて疑わず、話を聞き流していただけだろう」

「あ……」

「もうお前を庇ってくれる者はいない。一生自分の罪と向き合い償うんだな」


レイモンドの言葉にようやく自分のしでかした事の重さに気付いたのか、アイリーンは顔を真っ青にして子どものようにでも、だってと繰り返す。

そして家令から騎士団が到着した旨が伝えられるとアイリーンは一切抵抗をせず騎士と共に屋敷を出て行った。公爵家の従僕に極刑を願う書簡を騎士団へ送るよう手配すると、レイモンドは男爵たちと一緒にクレアの元へ向かった。





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