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パーティーから二か月後。

クレアは実家の男爵家から徒歩数分の距離にある小さな家で一人静かに暮らしていた。家族は皆実家に住むよう言ってくれたが兄も結婚して所帯を持っている。二十二歳にもなった行き遅れの娘が実家に居座るのは申し訳ないため、元々クレアが住む予定だった家に引っ越した。幸い王家とマルロー公爵家から莫大な慰謝料をもらったので毎日豪遊さえしなければ一生生活には困らない。慰謝料の半分は男爵家へ渡し、残りの半分はクレアが所持している。本当はその半分の慰謝料を教会に寄付して修道院に入ろうと思っていたが、家族に大反対されて今の状態に落ち着いた。まだ若く将来があるのだからと家族と使用人にまで説得されて渋々頷く。二十二歳の行き遅れに将来があるとは思えないが、しばらくは静かに暮らしたいと思っていた。


「クレア嬢」


クレアを呼ぶ声に編み物の手を止めて視線を上げた。天気が良かったので庭に設置した椅子に腰掛けていたが、集中しすぎて馬車の音にも気づかなかったらしい。


「アスクストーン公爵令息様、遠路はるばるようこそいらっしゃいました」

「堅苦しい挨拶はいらない。押しかけたのは私だし、どうか楽にしてくれ。今日はこうして話す機会を設けてくれてありがとう」


そう言いながら彼は優雅な足取りでこちらへやって来た。アスクストーン公爵家とミルトン男爵家の双方の話し合いで結婚はなかったことになっている。それで話は終わったはずだが、レイモンドから話がしたいと連絡があったのだ。クレアとレイモンドは王宮での謝罪の場がある意味初対面であり、あの場でも会話らしい会話などない。手紙でこちらへ来る知らせが届いていたのでそれを待っていた次第である。クレアとしては何も話すことはないので両家での話し合いで終わってほしかったがそう簡単に終わってはくれなかった。レイモンドとはこれっきりで終わることを願いながら家の中へ案内する。


「こちらへどうぞ。今お茶を淹れますわ」

「ありがとう。その、これを。王都で人気の焼き菓子だ。君の口に合うといいんだが」

「まぁ、ありがとうございます。甘いものは大好きなんです」


レイモンドが差し出した茶菓子を受け取るとソファへ座ってもらい、クレアは手際よくお茶を淹れる。家のドアは開いており、外で離れた場所に護衛らしき人が待機していた。それを横目に見ながらもらった茶菓子も皿に出してお茶と一緒にテーブルに並べるとクレアは彼と初めてきちんと対面する。


「それで、ご要件を伺っても?」

「ああ、まずは謝罪を。事故とはいえ、私は君にとんでもないことをしてしまった。本当に、申し訳なかった」


言いながらレイモンドはクレアに向かって頭を下げた。クレアは慌てて立ち上がる。


「顔を上げてください!あれは完全な事故です。私はあの時のことは一切覚えておりませんし、薬を飲んだ公子様の方が重症だったと聞いています。それに公爵家から謝罪はすでに受けていると父から伺いました。これ以上の謝罪は必要ありません」

「それでも私が直接君に謝りたかったんだ。事故とはいえ全く関係のない君を巻き込んでしまった。殿下たちを諫められなかった私の怠慢と油断によるものだ。本来なら絶対に許されることではない。すまなかった」

「謝罪は受け取りますのでどうか顔を上げてください。もう過ぎたことですから」


クレアが必死に言うとレイモンドは納得していなそうにしながらも頭を上げてくれた。これ以上謝罪をしても同じ問答が繰り返されるのが目に見えているからだろう。クレアも長引かずに済んでホッとした。


「言葉での謝罪はこれ以上言わないが、私は謝り足りない。何かあれば遠慮なく私に言いつけてほしい。できる限りのことをすると約束する」

「ありがとう、ございます」


そんなものはいらないという言葉をどうにか飲み込んでお礼を言うに留めた。公爵家に寄りかかるほどクレアは図々しくはなれない。その気持ちだけ受け取っておく。


「それから、話が変わるがもうひとつ。王宮から下級給仕の勤務についての調査報告書だ。ミルトン領への出発前に届いたので一緒に持ってきた。君はもう給仕を辞めたが関係者でもあるし読んでほしくて。ミルトン男爵にも渡しておいた。君の発言がなければ下級給仕たちの勤務実態は知られることはなかっただろう。王家としてもこれ以上醜聞を出さずに済んだと感謝していたよ」


先ほどの謝罪話から一転、クレアは頭を切り替えてレイモンドから書類を受け取ると説明を受けながら要点だけを読んだ。下級給仕たちの重労働は一部の上級侍女や給仕たちが自分の負担を減らすために意図的に仕組んでいたものらしい。今回クレアの爆弾発言によりその勤務実態が暴かれると犯人たちは芋づる式に捕まったそうだ。今後は勤務時間や休日をしっかり管理し、クレアのように月ものがこなくなった者たちは治療と縁談を王家側が責任を持つとのこと。ついでに慰謝料も支払われるらしく、クレアにも結構な金額が振り込まれるそうだ。ちなみにクレアの進言のおかげで王家は給仕の実態を知ることができたと発表しており、遠まわしに王家は関与していないとアピールしている。元王太子たちの件もあり、立て続けに王家の印象を悪くする事態を避けたかったのが露骨だ。だがクレアの発言に国王たちが驚いていたので関与していないのは事実だろう。その辺は王家ならきっとうまく誤魔化すのでこれ以上クレアが言うことはない。


「ご報告ありがとうございます。この件については私もどうなかったのか気になっていたのです。良い方向へ改善されるようで安心しました」

「そうだな。これからは定期的に王妃様が監査を行うそうだ。給仕たちについてはもう大丈夫だろう」


クレアとしては結婚しない言い訳として労働と月ものについて言っただけだったのだが、想像以上に事態を重く受け止められて驚いたのだ。下級給仕たちは皆この状況を当たり前のように受け入れていて王宮の仕事はそういったものなのだと思っていた。今思えば一種の刷り込みのようなもので、こうして辞めた今冷静に考えてみるとおかしな環境だったのだとはっきり理解できる。なにがともあれ、改善されたことは大変喜ばしいことだ。


「それで、あの、あともうひとつだけ話したいことがあるんだが……」

「私が妊娠していた時のお話しですか?」


予想はしていたがレイモンドの視線が泳いだので図星だったようだ。今回わざわざクレアに会いに来た本題はこれだろう。月ものが来ていないとはいえ妊娠の可能性はまだゼロではない。アスクストーン公爵家ほどの上位貴族がこのまま黙っているはずがなかった。この国の貴族は婚姻している正妻の子以外は当主の子として認められない。これは婚外子との跡目争いを避けるための明確な線引きであり、正妻の立場を守るためのものだ。婚外子は養子にできるが貴族籍には入れず準貴族の扱いになり、社会的立場は弱いので跡取りがいない限り引き取ることはまずない。それ故に婚外子に対しては基本的にあまり関わらず経済的な援助だけで済ますのが普通だ。


「たとえ子ができていたとしてもアスクストーン公爵家に養育費の請求等のご迷惑は一切おかけいたしません。目に見える約束がほしいのでしたら裁判官立ち合いの元、魔法誓約書にサインいたしますわ」

「君は、もう誰とも結婚する気はないのか?一生ここで一人、あるいは子どもと二人で生きていくつもりなのか」

「少なくとも今は誰とも結婚する気はおきません。その理由は父や兄からお聞きしたのでしょう?」

「……ああ、聞いたよ。君の元婚約者のことを」


そう、私にはかつて婚約者がいた。ミルトン男爵家領に住んでいた平民で、精悍な顔つきの好青年だ。平民と貴族は婚姻できないのでクレアが貴族籍を抜けて平民になり、四年前に結婚して家族になっているはずだった。

でも、そうはならなかった。四年前、暴走した馬車に引かそうになった子どもを庇い、彼は亡くなった。結婚式の三日前の出来事だ。

彼の名前はレイス。平民には珍しい金髪に深緑の瞳をして誰よりもクレアを愛してくれた最愛の人。細身で綺麗な顔立ちだが、正義感が強くとても男らしい性格をしていた。兄と一緒に領地を視察へ行った時に出会い、あっという間に恋に落ちた。彼が亡くなって三日三晩泣き続け、それから一カ月間は廃人のように自室で過ごした。そうやって過ごしていると王都から帰ってきた両親が王宮で給仕を募集しているという話を聞いてクレアはふと正気に戻る。そこからクレアの行動は早く、家にあった本という本を引っ張り出してがむしゃらに勉強した。家族に相談もなしに勝手に王宮の下級給仕に募集して滑り込みの合格をもらい、男爵領から逃げるように王都へ行った。家族からは大層怒られたがそうでもしなければとてもではないが自分を保つことができなかった。嗚咽と涙を零しながら机に齧りついて必死に勉強をした甲斐もあって、王宮に下級給仕として勤められてクレアは本当に救われた。目の回るような忙しさのせいでレイスを思い出す余裕などなかったから。今回、王太子たちが起こした事件にはかなり腹が立ったが給仕の勤務についての不満は一切ない。むしろ彼を一時的にでも忘れさせてくれて感謝すらしていた。おまけに月ものが来なくなってこれでレイスの子以外を孕むことはないと安心していたくらいだ。


それなのに、今回の事件。クレアと一夜の過ちをした人の名はレイモンド。金髪に深緑の瞳で、その特徴と背格好はレイスによく似ていた。リネン室で目覚めた時は薄暗くて相貌しかわからなかったが、初めてレイモンドと対面した時は悲鳴を必死に飲み込んだ。見た感じがあまりにもレイスに似ていたから。クレアの家族も口を無一文にして声を上げないようにしていたくらいだ。王宮での話し合いでは極力レイモンドの方を見ないようにしながら必死に無表情を顔に張り付けた。そしてレイモンドの子を身ごもっている可能性と彼との結婚話で絶望した。最愛のレイスとはキスまでしかしたことがない。レイスと結婚し、彼の子どもを授かることを夢にまで見ていたのに、それが叶わないばかりかレイスに似た他人と関係を持ってしまうなんて。

なんという皮肉だろう。それ以外言葉が思いつかない。元王太子たちのちっぽけなプライドのために起こしたくだらない事件がなければ一生下級給仕として働いて過ごせたはずだった。レイス以外の人と体を繋げることもなかった。幸いクレアにはレイモンドに抱かれた記憶はないが、当時の状況を考えれば一目瞭然でもう言い逃れはできない。


「私の要望はお伝えした通り、あなたとの婚姻は望みません。私はここで彼の冥福を祈りながら静かに暮らしたいのです」

「それは、わかっている。だがこちらにも事情があってな。その、私が女性が苦手なことは知っているか?」


もちろん知っている。レイモンドの女嫌いはかなり有名な話だ。女性という女性を決して寄せ付けず、令嬢が近づこうものなら全力で拒絶した。彼が普通に話せる令嬢は第一王子の元婚約者であったマルロー公爵令嬢だけで、一時は彼女との噂がたったが王子とレイモンドが噂の出所を徹底的に潰したという。マルロー公爵令嬢は第一王子に心底惚れており、彼以外は全く眼中にないのも王宮では皆が知る事実だ。第一王子のために生きてきた彼女にとって今回の事件で婚約解消されたのは相当ショックだっただろう。将来国王となるはずだった第一王子のためにあらゆる手を回し、それこそ我が身を削るような献身してきたのだ。一見マルロー公爵令嬢には罰が軽いように見えるが、婚約解消こそ彼女にとって最大の罰だった。


「母方の従兄妹のせいで女性が苦手になって、結婚は本当に諦めていたんだ。両親もすでに諦めていて、途方に暮れていた時にあの事件が起きた」

「………」

「だから、だな。これで子どもができていた場合、我が家にとってはこれ以上ない幸運なんだ。私は女性に近づかれるだけで条件反射のように飛び退くし、無理矢理結婚したところで子を作る行為は絶対にできない。恥ずかしい話、娼館でも機能しなくて……一応誤解のないよう言っておくが男が好きなわけではない。だからその、私が言いたいのは……」

「つまり、アスクストーン公爵家の後継者がほしいと」


クレアはため息をつきそうになる。レイモンドの女嫌いは有名だがそこまでこじらせていたとは初耳だ。高位貴族の後継問題は重要で、血統主義である故に当主の子どもの血筋は絶対でなければならない。クレアの人間関係を調べた上で結婚の打診がきたということは、クレアが身ごもった子が確実にレイモンドの子であると公爵家が認めているのだ。しかも上位貴族に嫁ぐための必須条件である魔力もクレアは持っている。魔力の有無は家のステータスに直結するのに加え、両親共に魔力持ちならほぼ確実に魔力持ちの子が生まれるからだ。公爵家の嫁としての条件をクリアしてしまっているというとんでもなく厄介なことになっている。それにレイモンドに婚約者はいないのでここでクレアと結婚して子どもが生まれても何の支障もない。せめてレイモンドが形だけでも婚約していればこんなことにならなかったのに。

アスクストーン公爵家側にとってクレアがレイモンドに嫁ぐことはメリットしかない。今更その事実に気付いたが遅すぎた。こんなことなら家族の反対を押し切って修道院に行くべきだったとクレアは後悔しかない。


「いや、その、もちろん後継者が欲しいのもあるんだが、あの、だな、君を調べた時……」

「?」

「だから、その、悪いとは思ったんだが君を調べさせてもらった時、君はとても真面目でしっかりしていると知って…王宮で会った時に君は私に見向きもしなくて好感を持てたというかそうでないというか。最初は責任を取る意味で娶るつもりだったんだが今は純粋に君に妻になってほしくて、あああの!別に変な意味ではなくてだなっ、今まで出会った女性で私を見なかった人はいなくて……こうして近くで話をしても嫌悪感が一切湧かない女性も初めてで、君を知れば知るほど気になってしかたなかったんだ。ここへ来る時も緊張して眠れないくらいで、その、だから……」

「……そうですか」


レイモンドは耳まで顔を真っ赤に染めながらよくわからない言い訳をしている。誰がどう見ても恋をしている人のそれだ。誰に好意を寄せているのかなんて考えずともわかってしまってクレアは本当に頭が痛くなってきた。クレアがレイモンドの方を見なかったのは動揺を隠すためにあえて意識しないようにしていただけだ。何故国王に意見できるほどの権力を持つ公爵家嫡男に田舎男爵の娘が見初められるのか全く理解できない。


「公子様のお話しは概ね理解いたしました。しかしそれは子ができていた場合のお話です。子がいなければ私には関係のないことですわ」

「でも、子ができていないとも言い切れないだろう?」


クレアの言葉にレイモンドは顔を上げてまっすぐ彼女を見た。深緑の瞳がクレアの群青の瞳を射抜くような感覚に陥る。思わずクレアはレイモンドから視線を逸らした。


「君の事情は知っている。知った上で私が無理を言っていることもわかっている。でも、私はどうしても君を諦められない」

「いいえ、わかっていません。あなたは何も分かっていないわ!お願いですからこれ以上私に関わらないでください。やっと落ち着いて彼に祈りができるようになったのです。私はここで静かに暮らしたいだけなんです。どうか放っておいて」


これ以上耐えられずクレアは立ち上がってレイモンドから距離を取った。レイモンドも立ち上がろうとしたが、クレアの表情を見て浮かせた腰を元に戻す。そしてお茶を一気に飲み干すと足早に扉へ向かった。


「クレア嬢、すまなかった。誰かに自分本位で一方的な感情を押し付けることがどれほど迷惑なのか、私が一番知っていたはずなのに。本当に、すまない。子ができていない場合はもう二度と君に近づかないと約束する。後日魔法誓約書を送ろう。でももし、子ができていた時は」


一度言葉を切るとレイモンドはクレアを見た。レイモンドの視線に耐えられなくてクレアは彼に背を向ける。


「どうか私との結婚を考えてほしい。何があっても君を守ると誓う……今日は会ってくれてありがとう。お茶、美味しかったよ。失礼する」


扉が閉められる音と同時にクレアは顔を覆ってその場へしゃがみこんだ。






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