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そんな生活を続けるとあっという間に期限の三日前に迫った。正直期限を待たずに公爵家に見つかるかと思ったがいまだに見つかる気配はない。でもそのおかげで心行くまで山小屋の生活を楽しむことができた。眠ってしまったヴィンセントをベビーベッドへ寝かせると、お茶の準備をしていたレイモンドへ向き合う。クレアの雰囲気を察したレイモンドはお茶の入ったマグカップをクレアの前に置いた。お互い椅子に腰かけると空気が少し重くなる。


「レイモンド様、私の答えを聞いていただけますか?」

「……あぁ」

「このまま、離縁をお願いします」


ガタン、とレイモンドが立ち上がった。そのまま口を開けて何か言葉を発しそうではあったが、結局何も言わずに座りなおす。


「……もう、アスクストーン公爵家と関わるのは嫌か?」

「そう受け取っていただいてかまいません。私はこれから公爵夫人としてあなたの隣立つ自信がないのです。公爵夫人としての仕事も役割も十分果たすことは難しいでしょう」

「そんなもの果たさなくていい。公爵夫人の仕事をしてほしくて君と結婚したんじゃない。ただ私とヴィンスの側にいてほしいんだ。もう両親とは会わなくていいし、住む場所も他にいくらでもある」

「そういう訳にはいかないことくらいレイモンド様も理解していますよね。アスクストーン公爵夫人は代々王妃様を支えてきました。社交での情報収集に派閥の取り纏め、時には夫人や令嬢の問題に仲裁に入ったりなど責任重大です。それが何の交友関係も人脈もない私にはとても務まりません」


これは公爵夫人からの夫人教育で知ったことだ。知れば知るほど公爵夫人の立ち位置の重要さに胃が押しつぶされそうだった。学ぶことは楽しかったが、それを自分が今後こなしていけるのかと問われれば無理だ。知識があるから実際に行えるかと言えばそうではない。これは小さな頃からコツコツと人脈を広げてきた人間ができることであり、社交を一切していないクレアができることではなかった。いくらアスクストーン公爵家やその他の家の助力があってもきっとすぐに限界は来ていただろう。


「夫人教育を受けていた時から自分にできる自身はありませんでした。レイモンド様とは一時の夫婦関係だと思っていたこともあり、勉強は真面目にしていましたが夫人になる覚悟は全くできていません」

「それなら今からでも遅くないはずだ。人脈だってこれから広げていけばいい。お披露目会でもクレアは上位貴族たちに認められていた。だから」

「そういうことではないんです、レイモンド様。夫人教育は今からできても、私がもう公爵夫人になりたくないのです。なったとして、私に何の見返りがありますか?高い身分を手に入れ、社交界の中心人物になりたいとでもお思いで?」

「それは……」


よくある小説のように男爵令嬢が紆余曲折を経て王子様と結婚して幸せになりました、なんて言えるほど現実は甘くない。中には王子様に相応しい人間になれるよう努力した人もいるのだろう。でもそれは、王子様への愛と覚悟があってこそ成り立つものだ。元々クレアの結婚は半ば強制されたものであり、レイモンドと大それた恋愛などしていない。それに中途半端な覚悟で公爵夫人になどなったら後ろ指を指されるのはヴィンセントだ。何の罪のない可愛い我が子をクレアたちのせいで巻き込むわけにはいかない。


「私がレイモンド様との結婚を避けられないと思った時、少しではありますが公爵夫人になる覚悟をしました。でも、公爵様から離縁状を渡されて、公爵夫人に趣味を変えるよう言われ、使用人たちに管理されて、そんな覚悟などすぐに消えました。それに、ウェディングドレスのことは本当に悲しかったのです」

「クレア……」

「それでもレイモンド様だけは、本当に私に良くしてくださいました。交わす言葉こそ少ないですが、あなたが私の味方でいてくれたことは救いだったんです。今もこうやって私のために山小屋へ連れてきてくれました。あなたには本当に感謝しています。でも、私はあなたが私にくださる思いを返すことができません。私はレイモンド様を――」

「それ以上は言わないで」


クレアの言葉をレイモンドは遮った。レイモンドを見ると大粒の涙をボロボロと零している。深緑の瞳が溶けて消えてしまいそうだった。

彼は立ちあがるとクレアの側へやって来て、手を取って膝をついた。クレアのスカートにレイモンドの涙がぽたぽたと落ちていく。


「クレア、たらればの話なのはわかってる。でもどうしてもこれだけは聞きたい。もし、クレアが公爵家へ来た時から私が愛を告白し、何でも君に話せていたら、君は変わらず私の側にいてくれた?」


レイモンドはクレアを見上げながら聞いた。嘘をつく必要はない。クレアは素直に答えた。


「はい、きっとまだあなたの側にいました」

「そうか……」


寂しそうに笑うと、クレアの手ぎゅっと握る。


「本当に、私はバカだったよ」

「レイモンド様……」

「君と夫婦になれたことが嬉しくて、恥ずかしくて何も言い出せなかった。ようやくクレアと話せるようになって、告白もできたのにね。結局、これも最後まで渡せなかった」


言いながらレイモンドはポケットから四角いケースを取り出した。中を開くとダイヤモンドの指輪がある。


「クレア、どうかこの指輪を受け取ってほしい。これは君のために作った結婚指輪だ。いらないなら後で捨ててもらってかまわない」

「でも」

「お願いだ、今は何も言わず受け取って。君が公爵家に来た時に渡せばよかった。タイミングとか、雰囲気とかそんなもの関係なく早く渡しておけばよかった。私に情が少しでもあるなら受け取ってほしい」


泣きながら指輪を差し出すレイモンドにクレアは素直に受け取った。シンプルで美しい装飾の指輪はクレアの好みだ。こんなものを用意してくれていたなんて知らなかった。


「綺麗……」


指輪を見ながら小さく呟く。しばらくレイモンドはそのままクレアの側で静かに泣き続けた。しかし眠っていたヴィンセントが起きて泣きだしてしまい、それどころではなくなる。レイモンドがおしめを取り替え、クレアが母乳を与えると満足したのかにこにこ笑っていた。レイモンドと顔を見合わせて微笑むとぷっくりした頬を彼がつつく。


「クレア、一つお願いがあるんだ。離縁なんだが、もう一カ月延ばしてもらえないだろうか」

「それは、何故ですか?」

「あと一カ月もすれば薔薇が見頃になる。離縁する前にクレアともう一度、ラーク伯爵家の庭園に行きたい。結局クレアをどこにも連れて行ってあげられなかったから」

「ラーク伯爵の庭園は嬉しいですが、公爵家はよろしいのですか?それに騎士団の仕事だっておありでしょうに」

「急ぎの仕事は全て済ませてあるし、あとは父上がなんとかしてくれる。あんな人でも仕事だけは本当にできるからね。そこは信頼できる。それと騎士団だが、もうすでに退団しているんだ。私のように役職が決められている上位貴族の嫡男は騎士団にい続けられないから。今はクレアとヴィンセントの時間を大切にしたい」


優しい表情でヴィンセントを見つめるレイモンドはとても穏やかだった。クレアもできればもう一度ラーク伯爵の庭園には行きたいと思っていたのでこの申し出は正直嬉しい。


「わかりました。でもさすがに公爵家には連絡をしておいた方がよろしいのではないでしょうか。ここへ来てから二か月も経ちますし、公爵様たちも心配しておられるのでは」

「心配させておけばいいさ。これは私の意思表示でもあるから。もし除籍にでもなったら騎士団でまた訓練兵から頑張るよ。そうしたら毎日クレアに会いに行ける」


レイモンドが言うと冗談に聞こえない。でもあの公爵たちがそう簡単にレイモンドを除籍しないだろう。レイモンドも含めて公爵家の人たちは自分の立場と責任をよくわかっている。レイモンドが公爵家を捨ててクレアと暮らすなどと無責任な発言をしないのがその証拠だ。アスクストーン公爵は国王の右腕であり、大臣たちの統括役である。公爵夫人が社交で夫人たちを取りまとめるように公爵は官職や爵位持ちの者たちをまとめているのだ。莫大な魔力と魔法技術を持つアスクストーン公爵のみに受け継がれる役職でもあった。それがわかっていながら責任を投げ出すようなことを彼はしない。そういった覚悟や責任感を持てないクレアとは大違いだった。


「ではあともう一カ月ほど、よろしくお願いします」

「こちらこそよろしく、クレア。何度も私の我儘に付き合わせてごめん」


言いながらレイモンドはクレアの額にキスをした。ヴィンセントごとクレアを抱きしめるとクレアの肩に顔を押し付ける。肩から彼の涙がぽたりと落ちてきたのを感じながら抱きしめ返した。







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