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それからは三人での生活が始まった。ヴィンセントの世話を交代で行いながら生活をする、という単純なことだったがクレアはようやく解放された気分だ。朝目覚めてから寝るまでの間食事やマナー、仕草の一つにいたるまでメイドたちに監視されない。何より自分の好きなことをして過ごせるのは嬉しかった。

初日はヴィンセントをあやしながら荷ほどきを行って持ってきた荷物を整理した。レイモンドは食べるものに困らないよう、屋敷にあった食材や調味料、香辛料をありったけ鞄に詰めていたのだ。あまり大きくない旅行鞄から次々と出てくる食材はどう見ても鞄の大きさと中身の量が合わない。クレアが驚いていると魔法で鞄の中を拡張してあるのだといたずらっ子のような笑みを浮かべて教えてくれた。初めて見るレイモンドの表情に驚きつつ、久しぶりに触れる野菜や調味料を手に取る。食材は無くなっても山の麓に町があるのでそこに買いに行けば大丈夫だそうだ。クレアは何が食べたいか聞くとレイモンドは驚いてヴィンセントをあやしていた手を止める。


「クレアは料理ができるのか?」

「えぇ、元々料理が趣味なんです。実家ではよく作っていて」

「それで、料理の本を……」

「あぁ、くださった料理の本は本当に嬉しかったです。特にベラドリス様がくださった本がとても実用的で持ってきました」

「ベラドリス……オラージュ・ワイズ子爵の奥方か。クレアは彼女と知り合いだったのか?」

「いいえ、以前屋敷でシェリル・ジョーナー様と一緒に三人でお茶をしたんです。そこでお友達になっていただいて」

「そうだったのか、それであの時……彼女たちの夫は騎士団の同期で配属先が同じだったからよく一緒に行動をしていたんだ。気の置けない奴らでね。その二人の奥方だ、きっといい友人になるよ」

「はい、シェリル様には小さな観葉植物をいただきました。お二人に会えたのは幸運です」


そんな話をしながらクレアは手際よく野菜を切って鍋に入れる。レイモンドは隣でヴィンセントを抱えながらじっとクレアを見つめていた。視線を感じてやりにくかったが、ふと顔を上げるとレイモンドと全く同じ表情でヴィンセントがこちらを見ていて、作業を中断して抱きしめる。我が子がかわいくてたまらない。もう二度と会えないと思っていたのでこうして一緒にいられるのが嬉しい。レイモンドごとヴィンセントを抱きしめたため彼は顔を真っ赤にさせて固まっていたが、クレアはそれに気づかずしばらく抱きしめ続けた。


そうして始まった山小屋での生活は驚くほど順調に過ぎていった。クレアとレイモンドで家事と育児を分担し、仕事をする。元々クレアは平民寄りの生活をしていたので慣れていたが、レイモンドは公爵家嫡男とは思えないほどこの生活にあっさり溶け込んでいた。騎士の訓練兵時代にほぼ野宿状態で一カ月過ごしたことがあるらしく、それ以外にも料理を始めとした雑用全般をこなしていたので慣れているらしい。お金は数年間は生活に困らない額をレイモンドが持ってきていたが、公爵家のお金を使う気になれなかったクレアが自分でお金を出すと言ってもめたのでそれなら仕事をして新たに得ることにした。レイモンドは麓の町で日雇いの仕事を、クレアは彼が見つけてきてくれたお針子の内職だ。子育てをしながらの内職は大変だったが公爵家にいたときよりも充実した日々だった。レイモンドは体を動かす仕事が合っていたようで日雇いの仕事に積極的に取り組んでいる。そんな生活を二週間も続けるとすっかり慣れて誰もクレアたちが伯爵夫妻だなんて思うまい。クレアはレイモンドと結婚してから初めて心から穏やかに過ごすことができた。


山小屋で生活に慣れた頃、いくつかの取り決めを行った。山小屋の生活は公爵家に見つかったら終了とし、見つからなかった場合は二か月を期限とした。クレアはこの二か月できちんと今後どうするかを決めること、レイモンドはクレアの意思を尊重すると約束する。基本的に外部との連絡は断つが、ミルトン男爵家にだけは事情を説明することにした。これはレイモンドの要望で、クレアを離縁にまで追い込んでしまった責任からだった。頃合いを見てレイモンドがクレア直筆の手紙を持って男爵家へ事情を説明しに行ったのだ。この距離なら転移魔法で行けると言ってその日のうちに帰ってきた彼は本当にすごい実力者なのだと改めて実感した。男爵家から帰ってきたレイモンドの両頬は真っ赤に腫れあがっており、クレアは大慌てで冷たい雪解け水で濡らしたハンカチをあてる。レイモンドは照れながらぶつけただけだと言ってそれ以上は何も話してはくれなかった。彼はミルトン男爵家全員からクレア宛ての手紙を預かってきてクレアは一通ずつゆっくり読み進める。皆心配しており、いつでも帰ってきていいと書いてあった。涙が溢れそうになって手紙を胸に抱くとレイモンドがクレアの肩を抱いてくる。今だけだからと自分に言い訳をしてレイモンドへ寄りかかり、しばらく涙を流し続けた。


それからレイモンドとはたくさん会話をした。今までずっとどこかぎこちない当たり障りのない程度のものだったが、山小屋へ来てからは何でも話したように思う。趣味や好きな食べ物、嫌いなもの、仕事での悩みなどだ。今までどうしてはっきり聞かなかったのかわからなかったが単に話の振り方がわからなかったそうだ。聞かれて困ることでもないのでクレアも質問に答える。レイモンドは嬉しそうに話を聞くし、ヴィンセントも目をパチパチさせて聞いているので頬が緩む。


「あんなに美味しい料理ができるのに趣味だなんて信じられないな。クレアの腕なら王宮の料理人になれるよ」

「さすがにそれは言い過ぎですよ。でも、レイモンド様のお口に合っていて何よりです。それよりも乗馬が趣味だなんて意外でした。ずっと執務をしているお姿しか見ていなかったので」

「元々体を動かすことが好きなんだ。騎士団では正直下っ端の時が一番楽しかったよ。地位が高くなると事務仕事が増えて現場で動くことがあまりないから」


レイモンドと話せば話すほど知らないことがたくさん出てきた。乗馬と素振り、肉料理と甘味が大好きなこと。酸味の強い食べ物と勉強が苦手で苦労したこと。一年も一緒に暮らしたのにクレアは今まで彼のほんの一部しか知らなかったのだ。レイモンドとの会話がこんなに楽しいなんて思わなかった。レイスが亡くなってから自分のことをたくさん話したのは初めてのような気がする。


そんな日々が一カ月を過ぎた頃、就寝前にレイモンドから話がしたいと言われた。その話はどうしてレイモンドが女性嫌いになったのか、その顛末だった。その話を聞いて今までの彼の行動全てに納得がいく。思春期の青年時代にそんなトラウマを植え付けられれば女性から距離を取るのも当然だろう。結婚式の夜、クレアが部屋を明るくして呼びかけてくれたことが本当に救われたのだとレイモンドに感謝された。おかげでトラウマが払拭され、女性が近くにいても飛び退くこともなくなったそうだ。クレアは震えながら話すレイモンドの手を握ると何も言わずに寄り添った。彼は目を見開くとクレアを抱きしめる。レイモンドの心が少しでも安らぐならと、そのまま彼の腕の中に身を預けた。






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