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そうして事件の説明が終わった後、今度は元王太子たちを除いた面子が顔を突き合わせている。これからどんな話になるのか容易に想像がついてクレアは気が重い。
「それでクレア嬢のことなんだが、このままレイモンド令息の妻としてアスクストーン公爵家へ迎え入れるということでよいか?」
やっぱり。そういう話になると思った。
「もちろんです陛下。事故とはいえ間違いを犯したのは私です。責任はとります」
「我が家は元よりそのつもりです。クレア嬢とミルトン男爵家について調べさせてもらいましたが、彼女は大変真面目で勤務態度もよく、男爵も真面目な領地経営で領民からの評判も良い。身分は低いですがそこは我が家の縁戚の養子になるなりやりようはあるので問題はないかと」
「わたくしもクレア嬢を歓迎いたしますわ。どこかの素行の悪い王女と比べたら、真面目で働き者の令嬢の方がはるかに我が公爵家の夫人となるに相応しいですから。それにこんな形になったとはいえようやく息子が身を固めてくれたことを嬉しく思います。今から結婚式のドレス選びが楽しみですわ」
「うむ、ではそれで決まりだな。王家としても二人の結婚を祝福しよう」
公爵夫人の嫌味をさらっと受け流して国王は頷いた。いやいや、それで決まりではないんですよ国王陛下。
おわかりいただけただろうか。この会話にクレアを含めたミルトン男爵家の意見が全く取り入れられていないことに。この場に来てから男爵家は誰一人発言していないのにクレアがレイモンドと結婚することがすでに決まっている。確かに吹けば飛ぶような田舎男爵が公爵家へ嫁ぐなんてシンデレラストーリーだろう。体裁的にもクレアは一度公爵家へ迎え入れるのが最善だ。でもそこにクレアの意思は一切ない。クレアは冷や汗をかいている父に目配せをすると困り顔をしながらも頷いてくれた。それは母も兄も同様でクレアを見て頷いている。皆クレアの気持ちを理解してくれていることが嬉しい。家族に支えられてクレアは深呼吸をすると背筋を伸ばして言葉を発した。
「恐れながら国王陛下。この場で私の要望を聞いていただけないでしょうか」
「それはかまわぬが、この場でよいのか?」
「はい、この場で言わせてください。私、クレア・ミルトンはアスクストーン公爵令息様との婚姻を望みません」
えっ、と男爵家以外の者全員がクレアの発言に驚いた。まあクレアの発言にそれは当然の反応だろう。皆が固まっている中でいち早く我に返ったレイモンドが言いにくそうに口を開く。
「理由を、聞かせてもらっても?」
「もちろんお話しいたします。でもその前に皆さま、今から私が話すことに対して不敬罪に問わないでいただきたいのです。私は皆さまとは違い、身分が低い者であります故」
「よかろう、好きに話しなさい」
クレアはレイモンドを見ないようにしながら国王から言質を取るとようやく安心できた。トップから許しをもらえたので全て言わせていただこう。
「今回の事故について公子様も同様の被害者です。あの夜の出来事について責めるつもりは一切ありませんので、その責任として結婚をしていただく必要はありません。周囲から何を言われようとも、その点については陛下が私たちの名誉を回復してくだされば問題ないはずです。それに私も含めて公子様との結婚について男爵家は誰も同意しておりません。私たちの意見も聞かず公爵夫人になる人生を勝手に決めないでください。勝手に私をどこかの貴族の養子に出すこともやめてください。私は生まれた家を、家族を愛しています。私が不釣り合いでしたらどうぞ公爵様たちがお好きなご令嬢をお選びください。私の人生は私自身で決めます。それが私の要望です」
言った、言い切った。クレアの思いの全てを言う事が出来た。
クレアの発言に周囲は唖然としており、とても微妙な空気だ。ミルトン男爵はクレアの発言に胃痛が起こっているのかお腹を押さえていた。クレアは心の中で父に謝る。でもクレアにとってこの結婚はどうしても許せないことだった。
「クレア嬢、あなたの思いは十分理解しました。でもあなたはレイモンド令息の子を身ごもっている可能性があるのよ?子どものことを考えればやはり婚姻は結んでおくべきだわ」
「その点についてはご心配に及びませんわ、王妃様。私はここ一年半ほど月のものが来ていないのです。ですから身ごもっている可能性はないかと」
クレアのその言葉にミルトン男爵家も含めて全員絶句した。子どもを産むことは貴族令嬢として最も重要な義務だ。身ごもれない体ならすぐに治療などの手を打たなければ結婚はおろか家によっては貴族籍を除籍されてしまうほどの重大事件だったりする。クレアは結婚をする気がないので関係ないし、なんなら平民になっても問題ない。すぐに王妃は立ち上がって指示を出した。
「誰か、わたくしの侍医を呼びなさい」
「王妃様、そこまでして頂く必要はありません」
「いいえクレア嬢、今すぐ診察してもらいましょう。これは結婚以前に今後健康でいるために必要ですし、それこそあなたの人生にもかかわることです」
「クレア、王妃様もそうおっしゃっているのだし診てもらいましょう」
クレアの母も心配そうに診察を促すが彼女は首を横に振った。
「違うのお母様、月ものが来ない原因はわかっているんです」
「え?どういうことなの?」
「仕事が忙しいからよ。だって私、ここで働き始めてから三年半で休みは月二日か三日しかないもの。月ものだって来なくなるに決まってるじゃない。それに私みたいな下級給仕たちは月ものが来なくなるのは普通よ?結婚して辞めた人たちは皆ちゃんと子どもも生まれているし、私も今回のことで仕事をやめるからそのうちきっと治るわ」
あっけらかんと答えるクレアに全員開いた口が塞がらない。クレアは何故みんな驚いた顔をしているかわからず首を傾げた。下級給仕たちにとって月ものが止まることはごく一般的なことだったから。だが国王や王妃、公爵たちは初めて聞く給仕たちの実態を知って言葉がでない。
「お、恐れながら国王陛下、王宮は月ものが来なくなるほど娘たち給仕を酷使しているのですか?それに休みが月に三日?給仕の月休みは最低でも九日はあったと記憶しているのですが……どういうことか説明していただいても?」
肩を震わせながらミルトン男爵が低い声で初めて発言した。その顔からは表情は抜け落ちており、先ほどまで青かった顔色も真っ赤に染まっている。
基本的に貴族が王宮に娘を出仕させるのは伴侶探しと人脈を広げるのが目的だ。それに短期間でも王宮へ勤められたことは名誉になり箔付けにもなる。クレアの言ったことが事実なら令嬢の価値を高めるための出仕が逆に価値を地の底まで落としていた。出仕する者の中には有力貴族や幅広い人脈を持つ大商家の娘もいるので、このことを把握していなかった王宮側は元王太子や王女がしでかしたこと以上の非難を浴びることになるだろう。クレアは箔付けのために出仕していたわけではなかったがそれでも娘が子を産めない体にされたとあっては親が黙っていない。
「すまないミルトン男爵、何か手違いがあったようで……」
「こ、これが手違い?娘をこんな体にされて?」
「お父様、落ち着いてください。私は大丈夫ですから」
「大丈夫なわけないだろう!!!」
男爵はそう怒鳴るとクレアの手を引いて立ち上がった。
「も、申し訳ありませんが我々は帰らせて頂きます。これ以上娘をここに置いておけないっ。娘は今日付けで辞めますので失礼します。大変お世話になりましたっ!」
怒りに体をぶるぶると震わせながらミルトン男爵は罵詈雑言を飲み込んで最低限の挨拶だけ言うとクレアを連れて早足で去って行った。男爵夫人も令息も軽く頭を下げて無表情で男爵の後に続く。もう結婚について話していられる雰囲気ではなくなっていた。
「私たちも今日はここで失礼いたします。陛下たちは至急やらねばならないことができたようですので。調査結果の報告、お待ちしています」
男爵に続いて公爵もそう言うと皆で部屋を出て行く。普通ならミルトン男爵は不敬罪になってもおかしくないほどの態度だが、アスクストーン公爵が追随する形で一緒に部屋を出てくれたおかげで見逃された。それに給仕たちの件はどう考えても王宮側の責任なのでミルトン男爵を不敬罪に問うことなどできない。新たな問題に国王たちは大きなため息をついた。
クレアは怒りを隠そうともせずずんずんと歩く父に手を引かれながら公爵に向かって頭を下げると、彼はウインクをしながらいたずらっぽい笑みを返す。それを見てクレアが思わず笑顔になるとレイモンドは物凄く不機嫌な顔で公爵を睨みつけた。
王宮を出た後はアスクストーン公爵が屋敷へ招いてくれたが父はそれを拒否してクレアを連れてさっさと男爵領へと帰っていった。だが公爵家との話し合いが十分されていないため、父の代わりに兄が残って話をつけてくれたのだ。とりあえずクレアとレイモンドの結婚の話はなしとなる。怒り心頭だった父も数時間もするとそれが納まり、今度は胃を押さえて後悔していた。父は帰路につきながらアスクストーン公爵へ謝罪の手紙を書き、十分頭が冷えたらきちんと両家で話し合う旨を公爵とやり取りをして一連の事件はひとまず収束を迎えたのだった。