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「忘れ物はない?じゃあ行こうか。クレアはヴィンセントをしっかり抱いていて」

「あの、本当に大丈夫なのですか?」

「大丈夫だよ。後のことは気にしないで」


言いながらレイモンドはカーペットのような敷物を広げた。そこには円形の魔法陣が描かれており、その円の中にベビーベッドと荷物を置く。ヴィンセントを抱いたクレアを円の中に連れて行くと、レイモンド自身も中へ入った。クレアの肩をしっかり抱きしめると魔法陣が発動し、気付いた時には公爵家の客室ではなく、どこかの山小屋の前に立っていた。


「ここは……」

「ここは私がお世話になった前騎士団団長、マーレ卿がくれた山小屋でね。国の西側のペトラ領の端っこにある山の中だ。この辺は魔獣も出ないし結界もあるから大丈夫。ここからだと馬車で一日かからなくらいでミルトン男爵領に着くんじゃないかな」


くしゅん、とヴィンセントがくしゃみをした。春になったとはいえ、山の中なのでまだ雪が残っていて寒い。クレアは自分の外套をヴィンセントにかける。


「クレア、少しだけ待っていて。中を簡単に掃除して暖炉を付けてくるから。これに魔力を流して」


レイモンドに赤い石を渡され、言われた通り魔力を流すと石が熱を帯びてとても暖かくなった。石をヴィンセントの側にやると目を輝かせて石を見つめている。そうやってあやしていると、レイモンドが小屋から出てきた。


「準備ができたよ。さあ、中に入って」

「お邪魔します……」


山小屋の中は意外に広く、親子三人が住むには十分な広さだった。火の付いた暖炉の側に椅子とベビーベッドが置いてあり、ヴィンセントをベッドへ寝かせる。


「ちゃんとした荷ほどきは後にしよう。はい、どうぞ。まずは一息つこうか」

「ありがとう、ございます」


マグカップを渡されてクレアは受け取った。お茶のとてもいい香りが広がってそれだけで気分が落ち着く。レイモンドと隣り合わせで座って、お互いに言葉がないまま静かな時間が過ぎる。


「クレア」


最初に沈黙を破ったのはレイモンドだった。


「色々とすまない。最初に言っておく。私は君を愛してる。だからこれからも夫婦でいたいし、一緒にヴィンセントを育てていきたい」

「え……」

「離縁状のことだが、私はそんなものが君に渡されているのを知らなかった。それは完全に父の独断だ。当主である父が渡したのなら公爵家の総意と取られてもおかしくはない。でもそれは私も含めておそらく母も知らなかったと思う。だから今は離縁のことは考えないでほしい」

「……私は、最初に離縁状を渡されて、この結婚は契約結婚なのだと思いました。だから子を産んだら出ていくのだとばかり」


クレアの呟くような言葉にレイモンドが項垂れる。よろよろと顔を上げるとマグカップを置き、クレアの手を握った。


「君がずっと私たちと距離を置いていた理由がようやくわかった。本当に、本当にすまなかった。もう謝っても謝りきれないが、どうか謝罪させてくれ」

「レイモンド様は、いつも謝ってばかりですね。今まであなたが謝ったこと、全てあなたのせいではないのに」

「それでもだよ。みんな身内がやったことだ。あのお披露目会の後、君を実家へ帰省させてあげればよかった。君に必要なのは安息だとわかっていたのに」

「………」

「情けないな……君を守ると決めたはずなのに、傷つけてばかりだ」

「どうして」

「ん?」

「どうして、私を愛しているのですか?」


クレアの純粋な疑問にレイモンドが固まる。途端にぶわりと顔を真っ赤にさせて手で顔を覆った。


「あ、あの、その、怒らないで、聞いてくれるか……?」


しどろもどろになるレイモンドにクレアは頷いた。あの過ちのあった夜しか接点のないレイモンドがどうしてクレアを愛したのかどうしてもわからない。彼は公爵家を出る前にクレアを愛していると言った。気のせいだと思ったが今この場ではっきりとクレアを愛していると言ったのだ。漠然とした、純粋な疑問だった。

レイモンドは深呼吸を繰り返すとぽつぽつと話し始めた。過ちのあった夜の出来事を全て覚えていること、その時に好意を持ったこと、どう接すればいいかわからなかったこと。どれもクレアは初めて聞くことばかりだった。


「あの夜のことを、覚えていたのですね」

「すまない!今更だが本当にすまなかった!私は魔法の耐性が人より強いようで魔法薬が効かなかったようなんだ。でも媚薬は体内に摂取してしまっていたからそれは効いていて、自制が効かずに君を襲ってしまって……」

「それはもう過ぎたことです。それよりもようやく納得しました。指摘したいところはありますが、教えていただいてよかった」


完全に納得したわけではなかったが最初に言われた理由よりはずっと腑に落ちた。彼の本音がようやく聞けて少しだけ信じられる気がする。


「それで、これからどうなさるおつもりですか?私も勢いで一緒に来てしまいましたが、公爵様たちに知られるのは時間の問題ですよ」

「それなら大丈夫だ。この場所が気付かれることはまずない。マーレ卿の祖父が隠れ家として残した遺産だったとかで、この山小屋を知っているのは私とマーレ卿だけだ。そのマーレ卿も引退してから外国へ旅行三昧で今国内にいない。私たちの結婚式に合わせて帰国するそうだから数カ月は帰ってこないだろう」

「では、しばらくはやり過ごせると」

「ああ、だからその間にクレアの療養も兼ねて話がしたいのだが……どうだろうか」


レイモンドは伺うようにクレアを見つめる。ここにいれば何のしがらみもないし、何よりも可愛い我が子と一緒に過ごせる。レイモンドがいるのは気まずいが今はぐちゃぐちゃになっている頭と心を整理する時間がほしかった。


「少し、考える時間がほしいです。今はすぐにお話しできる状態ではありません」

「すまない、急かす気はなかったんだ。その、まずはクレアにゆっくり休んでほしい。ヴィンスはともかく、私というおまけがいるがクレアが嫌なら視界に入らないようにするから」

「……いいえ、普通にしてくださってかまいません。そもそもここはレイモンド様の山小屋です。私がお邪魔しているのですから」

「あ、でもクレア……」

「もし、お邪魔でないようならしばらくここで過ごさせてください。今は少し、休みたいのです。お話しは少しずつしていけたら」

「そうだね、今はゆっくり体を休めてくれ。君の思うにように過ごしてほしい」


レイモンドは優しく微笑むとクレアの手に唇を落とす。その行動や彼の眼差しには愛が溢れていた。公爵家にいた時も彼の好意は薄々感じていたが、その時の比ではないほど明確だ。最初に伝えてくれていたら、と一瞬思ったがすぐに振り払う。レイモンドからの好意を感じていながらそれに一切応えなかったのはクレアだ。レイモンドに親愛を感じていても彼と同じ愛を返すことはできない。一時でも夫となった人として、ヴィンセントの父親としての愛情はあっても恋情を感じてはいなかった。


「クレア」

「はい?」

「愛してる」

「………」

「ごめん、今更だけどどうしてもこれだけはちゃんと伝わってほしくて。私のこの気持ちだけは、嘘偽りのないものだから」

「先ほども、聞きました」

「うん、それでも伝えたかったんだ」


レイモンドは少し寂しそうな笑みを浮かべると、彼はもう一度クレアに愛を告げた。







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