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多分恋のキューピッドといってもいいかもしれない両片想い令嬢の友達の話

作者: 根尾



 貴族の子息子女たちが通う学園の中庭。休息時間を迎え、各テーブルでは皆穏やかにお茶やランチをしている。しかしこの二人の令嬢のいるテーブルだけは、同じ場所とは思えないほど静かだった。

 ――ディアヌは内心かなり焦っていた。伯爵令嬢であるロザリー・クレール様に、まさか昨日の事が伝わってしまったとは……。


「ディアヌ……? つまり私とオペラを見る事より、アデラール様と二人でお出かけする方が大事だったのかしら?」

 ロザリーは侍女の用意したハーブティーに手を伸ばすことなく、ディアヌを真っ直ぐと見つめる。紺碧の双眸はいつになく冷たく、見返すだけで背筋が冷える。

「いえ……!その……」

 ディアヌは強く首を横に振ったが、その後をどう答えたものかと頭の中でぐるぐると必死に言葉を探す。しかし丁度いいものが見つからない。しばらく「えっと」や「あの」とばかりで言葉を継げないでいると、ロザリーは短くため息をついてから酷く悲しげに瞳を揺らがせた。そしてもういいわ、と背中を向けて去っていった。


「あっロザリー様……!!」

 声を掛けるが、答えが纏っていないままで追いかけるのも憚られ、一度上げた腰をまた下ろした。

(ロザリー様に本当の事を伝えられたらいいのに……!!)

 ディアヌは自分の髪の毛が乱れるのも厭わず強く両手で頭を抱えた。ロザリーにこのまま嫌われてしまったらどうしよう、と今にも涙が溢れそうで、ぐっと奥歯を噛み締めた。



 

 ロザリーとアデラールは婚約者である。アデラールは侯爵家嫡男で、女性であれば誰もがため息を吐く美貌と人格を持っている。ロザリーとは数年前、領地が豊かで経済力のあるクレール伯爵と結びつきを強めるべく婚約したらしい。学園では、ロザリーより一学年上でクラスが別の為、通常の学園生活をただ送るだけでは接点はない。そして、学園内には婚約者同士で登下校やランチの時間を過ごすカップルもいる中で、ロザリーとアデラールが会っている姿を殆ど見た事がない。


 しかしロザリーの友人であるディアヌは、ロザリーがいかに彼の事を慕っているのかをよく知っていた。以前恋の話をした時に、「政略結婚であろうといつかあの方に愛されたい」と頬を染めながら微笑むロザリーはとても可愛らしかった。

 その一方で、ここ最近学園内にアデラールは家が決めた婚約者に興味はなく、敢えてロザリーに近寄らないようにしてるという噂が流れた。ロザリーがその噂を聞いて酷く悲しそうな顔をしたのを見て、アデラールに直談判することをその時から決めていた。




◆◇◇◆◇◇◆




 ――とある休日。ディアヌは父親の用事でやむを得ず街にお使いに来ていた。


(今日はロザリー様とオペラだったのに……父様ったらなんでこんな時に"痔"になるのかしら!)


 今日は父親の懐中時計が修理が終わる日だった。家に代々伝わる大切なもので、すぐにでも手元に戻したかったものの持病の痔が悪化し自分で取りに行くことが難しかった。男爵家であるディアヌの家はこの王都に連れてきた使用人も少なく、男爵の補佐や家の事で忙しいからと家長としてお使いをディアヌに命令したのだ。しかも痔だとバレたら恥ずかしいから、誰にもバラすなときた。とんだ我儘男爵だ。


 その結果、かねてからロザリーと街で話題のオペラを見に行く約束をしたのに、前日になってキャンセルする事になってしまった。家格が上の令嬢との約束と伝えてあるのに、それより懐中時計の方が大事らしい。私が学園や社交会でどうなってもいいのだろうか。父親の事を憎々しく思いながらも、仕方がなく前の日に学園でロザリーへ予定キャンセルのお願いをした。ロザリーは父親のせいで理由も「家の事情」と曖昧にしか言えないにも関わらず、快く許してくれた。ロザリーが優しい人で良かったと思うのと同時に、もう二度とこんな事を起こさないと固く心に誓った。






 その日懐中時計を受け取り、大切に懐にしまってから徒歩で帰路に着くと、馬車も通る大通りでアデラールを見つけた。学園内で話す機会などまずないので、今こそが好機だと意気込んで彼の元に向かった。



「アデラール様、少々お時間頂いてもよろしいでしょうか」

 挨拶は目上の者から、というルールを完全に無視してアデラールへ話しかける。するとアデラールは琥珀の目をぱちくりと瞬かせ、すぐに表情を緩めた。


「君はロザリーのご友人のディアヌ嬢だね?構わないよ。場所を移すかい?」

 アデラールの柔和な態度に、むしろディアヌの方が面食らった。しかもディアヌの事をロザリーの友人とまで認識しているとは、完全に予想外だった。


「い、いえ!すぐに終わりますので大丈夫です」

 ディアヌは大きく深呼吸をしてから、一番気になる質問を直球でぶつけた。


「アデラール様は、ロザリー様に興味がないというのは本当でございますか」

 その質問にアデラールは眉根を顰めた。どこか哀しげに見えたが、ディアヌは気にせず話を続けた。

「学園内で、アデラール様がロザリー様を嫌っているから避けているという噂が広がっております。ロザリー様もその噂を聞いてお辛そうです。あんまり噂が広がるのはよろしくないのではないかと存じますが……」


「とんでもない!私はロザリーの事を愛している!」

 ディアヌの話が終わるか終わらないかのタイミングで、声こそ控えているが叫ぶようにような勢いでアデラールは口を開いた。ハッと気づいたように周囲を見渡し、辺りがこちらへ注目していない事を確認するとまたディアヌの方に向き直った。

「噂はについてはすぐにこれ以上広がらないよう対処しよう。情報をありがとう」

「い、いえ。それは大丈夫ですが……。アデラール様、ロザリー様の事を慕っていらっしゃるのでしょうか?」

「勿論だ!君も分かるだろう?ロザリーの艶やかで美しい髪、猫のような大きな瞳、気品のある美しさ、尚且つ可愛らしい内面。どこをとっても愛おしい!」

 突然饒舌になり、まだ語り足りないと言いたげなアデラールの圧に若干引きつつも、ディアヌはロザリーの友人として特に学園内では誰よりも側にいる。言ってることは確かに分かるので肯定した。


「しかし嫌っていない事は解りましたが、学園で避けてらっしゃるのは事実では……?」

 アデラールは突然ポッと顔全体が赤くなり、固まってしまった。当然の事を聞いたつもりなのにと困惑しながらも、「アデラール様?」と声を掛けるとやっと動き出した。

 そして先程の饒舌さはどこへ行ったのやら、パタパタ手を扇子のようにしてアデラール自身の顔を仰ぎなならボソボソと「これから生涯添い遂げなければならないのに、学園でくらい自由にさせてあげたい」などと言い訳を連ねた。なるほど、おそらく「生涯添い遂げ」ってところに照れたらしい。

「それに、私ばかり片想いしていて恥ずかしいじゃないか」

「まさか!ロザリー様もアデラール様の事を慕っていらっしゃいま……!」

 ――人の恋心を勝手に本人に口にしてもいいのだろうか。

 ディアヌがそれに気づいてパッと自分の口に両手を当てるが、もう殆ど口から出終わってしまっている。やってしまった、と後悔したのも束の間、


「本当かい?!」

 アデラールの表情が、パッと輝いた。瞬間、その表情は翳り、目を泳がせた。

「いや、しかし……。ロザリーは優しいから、私への気遣いで言ったのではないだろうか……」

「いえ……!!私の目から見て、確実にロザリー様の本心だったと存じます!」

 ディアヌはロザリーに申し訳ないとは思いつつ、ここまで口を滑らせてしまったら一度も二度も同じだと思い、アデラールの勘違いを止める為に補足し、何度も強く頷いた。


 するとアデラールの瞳は再び輝いた。そして喜び勇んで、宙ぶらりんだったディアヌの手をパッと握りしめた。


「ああ、どうしよう。ロザリーに好かれてるとは夢にも思わなかった。ありがとう、ディアヌ嬢」


 突然の事に驚いたが、アデラールは心から嬉しそうに、琥珀の目を輝かせてあまりにも無邪気に微笑んでいる。その表情を見ると諌める気もなくなってしまった。


(ああ、ロザリー様は愛されていたんだ。良かった。)

 ディアヌは自分の手のことよりむしろそちらの方に安心した。


「いえ、とんでもないです」

 ディアヌもロザリーに後から勝手にばらした事を怒られないだろうかと若干冷や汗をかきながらも微笑み返した。

「オペラに誘ったら喜んで貰えるだろうか?」

「ええ。喜んでいただけるかと存じます」

 ディアヌは本当は今日行く予定でしたから、と心の中で付け足した。


 人が多くなってきた為ようやく手を離してもらい、それから二つ三つロザリーについての質問に答えた。アデラールの質問は的を得ていて、ロザリーの好みの傾向をちゃんと知っている様子だ。それでなんでロザリーがアデラールを慕っていることは分からないんだろうか。しかしアデラールとロザリーが両想いになったら素敵なカップルになるだろうとディアヌは確信した。


「近々ロザリーに手紙を出すとするよ。あと、申し訳ないけど今日の私の発言は本人に言わないでもらえるだろうか。流石に恥ずかしいからね」

「はい、ロザリー様に直接伝えてあげてください」


 アデラールは笑顔でディアヌに手を振って、ディアヌの家とは反対方向に去っていった。ディアヌは大好きで尊敬する友人・ロザリーの恋路が実った事に狂喜乱舞するほど歓喜しすぐにでもロザリーと話したい気分だったが、懐の懐中時計の存在を思い出して哀しく家路についた。




 ――次の日。ディアヌはとても幸せな気分で学園へ登校したが……。


(やってしまった……!!)

 友人の恋の成立を見て幸せになるはずだった今日は、ディアヌが登校してたった数分で地獄になってしまった。先日までのように"アデラールとロザリーが不仲かもしれない"というレベルの話ではない。


 ……アデラールが男爵令嬢ディアヌと懇意だという噂が流れてしまった……。



 まずい事に、おそらく昨日のアレを誰かに見られていたのだろう。面識のある人にはすぐに誤解である事を伝えたが、噂は既に広まってしまっているようで、ディアヌ一人で火消しをするのは難しそうだった。

 いち早くロザリーへの弁明もしたかったが、見事にタイミングが合わず、そのまま昼の休息時間を迎えた。そしてロザリーはいつもの休息時間と同じ調子で、しかし目だけは冷たく「中庭へ行きましょう」とディアヌを誘ったのだった。




 そして冒頭に戻る。ディアヌは開口一番で噂が誤解であるという事は伝えた。しかし父親の#痔__・__#の事、そしてアデラールの発言を秘密にするように言われている事から、ディアヌは言っていい事すら分からなくなっていた。結果、しどろもどろになってしまいロザリーへの誤解を深めてしまったのだった。



 しばらく頭を抱えていたディアヌだったが、一つ決意をして立ち上がった。手櫛で軽く髪の毛を整えて、教室塔へと向かう。しかし自分の教室がある方向ではなく、一学年上の、アデラールがいる三年生の教室棟の方向だ。


「……アデラール様。お時間よろしいでしょうか」

 ディアヌとしては目立たないように小さくなっていたつもりだったが、隠密の訓練を受けているわけでもないディアヌは普通に目立ってしまい、教室にいた人達はざわめいた。それを無視してアデラールに小声で話しかける。


 どうしたんだ?と疑問顔のアデラールに、これ以上目立たないように教室から出てもらってあらましを説明する事にした。これってかなり失礼な事なのでは、とディアヌ自身も感じているが、ロザリーをこれ以上悲しませない為にはどうしてもアデラールの協力が必要だった。



「……というわけで、ロザリー様は私達の関係を誤解して哀しんでいらっしゃいます」

 私がうまく説明できなかったばかりに申し訳ありません、とディアヌはすっかり萎縮しながら続けた。両手は胸の前で組んでいるが、冷たくなっている指を反対の手で包むように握っている。


「いや、私も迂闊だった。ロザリーを哀しませてしまうとは……」

 アデラールの方も殆ど顔面蒼白な状態だった。


「ですから、先日のアデラール様がロザリー様についての相談を受けていた、という事だけでも話す許可をいただきたいと思いまして……」

「いや、すぐに私が行こう」


 えっ、とディアヌが驚く声を出す間もなく、アデラールは二年生の教室棟の方向へ歩き出した。アデラールの歩幅は大きく、早歩きで進んでいる為、ディアヌは殆ど走って必死についていった。


「ロザリー!!」

 流石というべきか、アデラールはディアヌのようにこそこそするわけでもなく堂々とロザリーのいる教室のドアを開けた。

「アデラール様……?」

 ロザリーはアデラールを見て一瞬だけ目を輝かせたが、後ろにいるディアヌを見て眉根を寄せて瞳を潤ませた。


 アデラールはずんずんとロザリーへ向かい、向かい合う形で足を止めた。

「どうして、アデラール様がこちらに?」

「ロザリー、私は君を愛している」


 突然の熱烈な告白に、ロザリーだけでなく教室にいた皆が困惑した。

「アデラール様、一体何を……」

「昨日はディアヌ嬢に君の好きなものについて相談に乗ってもらっていた。良ければ、私とオペラを見に行かないか」


 アデラール様の言葉はとても堂々としていた。しかし顔は、耳まで真っ赤に茹で上がっていて、威厳は全くない。

 ロザリーは、目を何度か大きく瞬いてから目を泳がせて逡巡した。


「……私で、いいのでしょうか」

「君がいい。……ロザリー、どうだろうか」

「……はい、是非ご一緒させてください」


 観客、もといクラスメイトから、パチパチと拍手が鳴り始めた。いつの間にか開かれたままのドアの外にも観客がいて、同じように拍手している。

 ロザリーは注目されている事にやっと気づき、アデラールと同じように顔を真っ赤にさせた。


「ロザリー様。先程は大変失礼いたしました。口止めされていだとはいえ、ご不安な思いをさせてしまい本当に申し訳ございません……」

 拍手が鳴り止んだ頃、ロザリーがディアヌへ目を向けたのを見計らって、泣かないように顔をギュッと寄せたままで丁寧に頭を下げた。


「ディアヌ、顔を上げて」

 ロザリーの声に、怖々と頭を上げた。ロザリーは、とても柔らかい――いつもの表情をしていた。


「私こそさっきはごめんなさい。ディアヌに嘘をつかれたのだと思って、とても哀しかったの」

 私と出掛けたくないのかと思って……と続けるロザリーに、ディアヌは力強く否定した。


「昨日の予定のキャンセルに関しても、家の仕事という理由に嘘はございません。重ね重ね申し訳ございません」


 ディアヌが今度は短く頭を下げると、ロザリーは「良かった」と目頭を拭った。


「ディアヌ、また今度お出掛けしましょうね」

 ロザリーは目を細めてディアヌに微笑みながら硬く結ばれていたディアヌの手を取った。ディアヌも堪えていた涙が溢れて、ボロボロになりながらもロザリーの手を握り返した。






 この事件(?)を機に、ロザリーとアデラールの不仲説は完全になりを潜め、代わりに学園一有名カップルになった。

 それでもロザリーは休息時間をディアヌと過ごす事は変更を望まず、今は毎日穏やかな時間を過ごしている。話題にアデラールとの惚気が加わったのは言うまでもない。



 今回の事件のそもそもの原因である、ディアヌの父親の痔について。娘のディアヌにきつく口止めをしていたのにも関わらず、出仕した際に自らバラしてしまったらしい。流石はディアヌの親だった。しかも父親がそれを気にしているそぶりもなく話すものだから、ディアヌは気抜けし肩を落としたのだった。





おしまい



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