山越え3
焚火の前で、私はコラン様にハージ兄の話をたくさんした。
好きな食べ物、好きな色、学校での武勇伝——。
特に、私を守ってくれた話は、コラン様も興味深そうに聞いてくれた。
「隣領地の幼馴染み、メイサンのことは前にも話しましたよね?」
「アイラを嫁にすると言った不届きものだな」
「そうそう、それです。なにかと私に意地悪をしてくるのです。虫を鞄に入れてきたり、誕生日プレゼントでもらった髪飾りを奪って壊したり……」
「嫌なやつだな」
「そんな時、いつもハージお兄様が助けてくれたんです『俺の妹にいじわるするなーっ』って。でも、ちょっとやりすぎて結局メイサンが自分の父親に告げ口して……そこから伝わってお父様がハージお兄様を叱ることになる。だから、お仕置きで納屋に閉じ込められたのも半分は私のせいなんです」
「ハージはアイラのせいだなんて言ってなかったぞ」
「そういう優しい人なんです」
焚火が燃える音とともに、夜が少しずつ明けていく。
しばらくしてハージお兄様が目を覚まし、山を移動した。
野宿だと安心して数時間おきでしか眠れない。
つくづく冒険者というのは大変なのだと痛感した。
前を歩くハージ兄が、以前よりもずっと大きく見える。
離れていたけれど、こうやってコートボアール家を、家族を守ってくれていたのだ。
今日は頑張って歩いて、必ず山小屋までたどり着こう。
私の意気込みが届いたのか、それからは特に魔獣に遭遇することもなく、今度こそ夕方までに無事、山小屋へたどり着くことができた。
「よく頑張ったな。もう山道は半分だ。明日からは緩やかな下りになるから、少し楽になるだろう」
「はい!」
コラン様に褒められて、嬉しい。
山小屋は思っていたよりもずっと大きく、調理場なども整えられていた。
管理人が三日おきに訪れて小屋を整備し、宿泊者はそれぞれ使ったものを元の場所へ戻すというルールがあるらしい。
シーツや枕は借りられるが、基本的に大きな部屋で雑魚寝となり、宿泊費は入り口の箱へ入れる仕組みになっている。
不用心にも思えるが——盗んだり、施設のものを故意に壊したりすると、「山の神の祟りが降りかかり、悪いことが起きる」 というジンクスがあるらしく、誰もルールを破ることはないようだ。
「裏に温泉もあるから、後で入れるぞ」
ハージ兄の言葉に、ワクワクと胸が躍る。
天然の温泉なんて、初めて見る。
簡単な食事をとり、交代で温泉に入ろうとしたその時——山小屋に別のパーティがやってきた。男性ばかりの三人組で、年齢はハージ兄やコラン様より十ほど上に見える。
「おお、こんなところにお嬢ちゃんがいるのか」
男の人たちが私をニヤニヤと見るのでコラン様が背中に隠してくれた。
「いやな感じの連中だな。アイラ、気をつけなさい」
「いっそう、ぴったりとくっつきます」
そう笑って言いながら、私はコラン様の背中にぴたりとくっついた。
私には頼もしい兄たちがそばにいるから安心だ。
温泉に入ることになり、呪いをハージお兄様と交代した。
しかし、私を一人にするのが心配だと、二人は私をそばで控えさせることに決めたらしい。
ゴツゴツとした岩に囲まれた温泉は、山小屋のすぐ裏に作られていて、雨だけしのげる簡単な脱衣所と垣根がついている。
私は垣根のすぐそばで、三角座りをして下を向いていた。
もう、やだ——。
二人が裸で、すぐそばにいるんだもん。
い、妹がいるんだもん、二人でへ、変なことしないよね?
水音とか、なんか……もう、いたたまれないんだけど。
「アイラ、そこにちゃんといるか? いいお湯だから、楽しみにしたらいいぞ~」
上機嫌なハージ兄が定期的に声をかけてくれるが、もう、やめてほしい。
だって覗こうと思えば、覗けるのだ。
ハージ兄の裸に微塵も興味はない(筋肉だるまだし)。
……以前二人が裸で寝ていた時に、ちらっと見たコラン様の上半身……彫刻のような美しい体をもう一度くらい拝んでみたい。
きっとあの本の挿絵のようなスバラシイ肉体美がすぐそばにあるのだ。
コラン様は細身に見えるが、実はとても体はしっかりしている。
……ちょっとくらい、見てもいいだろうか。
どうする、私。こんなチャンスはもうめぐってこないだろう。
今後の妄想のために少しだけ見せてもらうだけだ。
二人を応援する身としては……ね?
ほんのちょっと頭を上げて……いや、待てよ。
見つかったら、こんな変態な妹にコラン様が幻滅するだろう
。
それはダメ!
でも、別に全部見たいってわけじゃない。
上半身をちらっとだ。
下半身なんて見てしまった日には寝込んでしまうに違いないし、そこまで見る気はない。
男の人なんだし、きっと夏だったら薄着も当たりまえ。ハージ兄なんか庭で鍛錬していた時は常に上半身裸だった。
よ、よし、一度だけ……
意を決して頭を上げれば、そこには上半身裸の二人がいた。
ああああああーっ。
「どうした、アイラ? あがったぞ」
「……はい」
思いがけないご褒美がそこにあった。鍛え抜かれた鋼のようなコラン様の体。心なしか水滴さえはじいているように見えた。
隣のハージ兄の浅黒くてムキムキな体に対して芸術品のように美しく見事な体だった。
すごい……これは、ご褒美だ。
しかし、口を開けて呆けて見ていた私に、恐ろしい言葉が耳に入ってくる。
「今度は俺たちがここで待機しているから入ってこい」
「……はい?」
オレタチガ、タイキ?
「さっきの連中、アイラを嫌な目で見ていたからな。ここで見張っていたほうがいい」
「……え? ここ?」
ここ、丸見えなんです。
私は必死で見ないように顔を下げていたえらい子だっただけです。
ハージ兄だけでも無理なのに、コラン様とここで見張るって⁉
「確かに、危ないな」
「でも……」
「大丈夫だ、心配ならタオルでかくしておけ」
「アイラ、体を流したいなら早くした方がいい」
「……」
私の体に魅力がないからって、簡単に言ってくれる。
まな板だからって、女の子なんだもん、恥ずかしいに決まってる。
でも、確かに見張ってもらうなら早く入って出たほうがいい。
昨日も体を綺麗に出来なかったから、汗でべたついているし……。
「絶対、見ないでくださいよ」
「いうほどの体でもないから気にするな。コラン様には下を向いてもらっておくから」
「……むむ」
まあ、この二人が私の裸を見たいわけはないだろうし……さっさと温泉に浸かって出よう。
思い切って裸になってタオルを巻くと、私は勢いよく温泉の中に入った。
ジャポン!
はあ~っ! 何これ! 気持ちいい!
入ってよかった!
と感動していると脱衣場の方ががやがやとした。
「妹が入っているから少し後にしてくれ」
「ここは、共同施設だぜ? 別に、誰に遠慮することはないだろ? どうして俺たちが後にしなくちゃいけないんだよ」
「そうだよ、入りたいから、入るだけだろ? そこをどけよ」
――嘘。
さっきの男の人たちが本当に来てしまったんだ。どうしよう、と耳を澄ましているとなんだかもめているようだった。
出たくても裸だし……。
「少しだけみんなで楽しめばいいだけだろ? 妹なんて言って、全然似てないじゃないか。こんなところに付き合って旅をしているんだ、どこかで買った女だろう? 金なら払うぞ」
「正真正銘、俺たちの大事な妹だ! 侮辱するな」
「私たちを倒していくか? 受けて立ってもいいぞ?」
「……わかったよ! ったく、ケチケチしやがって」
なにもできずに聞き耳だけ立てていると、男たちは兄たちに撃退されたようだった。
「アイラ、急いで出ろ。まだどこかで窺っているかもしれない」
「へっ⁉ はい!」
ハージ兄に言われて慌てて湯船から出た。
十分に水滴も取れないまま服を着てでると、すぐに指に針を刺されて、呪いの交換が行われる。
「ゆっくりさせてやれなくて悪いな」
兄たちが私を隠すように立つ。
「いえ。さっきの人たち、まだいるでしょうか」
「ここからいなくなっても山小屋にはいるだろうしな。寝る場所は同じだから、今日は私と一緒にいる方がいい」
「……お願いします」
コラン様が私を守るように肩に手を回して引き寄せた。
頬にコラン様の胸が当たる。
ええと、シャツは羽織っているけど、さっき見た肉体美が布一枚の隔たりしかない。
ああ、興奮して目が回りそう……。
しかしそんな私にコラン様が目を反らして訴えた。
「アイラ……山小屋に戻ったら、上になにか羽織ってくれないか。その、髪が濡れていて肩が透けている」
私の肩くらいなんだ!
それはこっちの言い分だ!
無自覚なコラン様には呆れてしまった。
山小屋に戻ると先ほどの三人はいない。でも荷物は置いてあるので温泉につかっているだけなのかもしれない。
「髪を乾かしてやろう」
軽くシャツをはおらされて向かい合うと、呪文を唱えたコラン様の手から風の渦が出来た。
「魔法ってすごいですね!」
こんなこともできるんだ。……感動。
プレスロト国についたら詳しく魔法を教えてもらおう。
感心してコラン様を見上げているとその目が泳いでいることに気づいた。ん?
「アイラ、ちょっと、その服は胸元が開き過ぎている……手で押さえなさい」
胸元が風で大胆に揺れていたようだ。まさか、中、見えてないよね?
急いで着替えたから、胸当て(どうせ大して膨らみもないけど)もつけてない。
「み、見えてないですよね?」
「あ、いや、故意には見ていない! 事故だ」
って、見えてるじゃない!
真っ赤な顔をしているコラン様を見て胸元をギュッと手で押さえた。
……なにが見えていたかは怖くて聞けなかった。
「ありがとうございました」
「……ああ」
髪を乾かし終わると、ちょうどハージ兄がシーツを借りて戻ってきた。
それからみんなでマットの上にそれを敷いて並んで寝ころんだ。
危ないからと私は二人の兄の間である。
「腕枕はいるか?」
そしてコラン様が私にいらないことを聞いてきた。
「いえ、枕がありますから」
それに食いついてくるハージ兄が鬱陶しい。
「腕枕ってなんだ? お前、コラン様とそんなことをしてたのか? 枕にするなら俺の腕の方が太くていいだろう」
「あの、だから枕があります」
案の定、ムッとしたハージ兄がご自慢の腕を私によこしてきた。
正直、ムキムキの腕枕なんて硬いし、グニグニして落ち着かない。
「太いからいいというものでもないだろう」
頭の上で腕の置き場所を奪い合うように、二人がじゃれ合い始めた。
「だから、枕がいいんです。二人とも頭の上に腕を出さないでください」
もういい、寝るんだから。
ぎゅっと、目をつぶる。
左右から指で頬をぎゅうぎゅうつつかれたけど、私は無視を貫いた。
やがて諦めた二人が静かになって、私たちは三人で並んで眠った。
次の日、心配していたが朝になってもあの男たちは見かけなかった。
それから私はすっかり忘れていたけれど……。
素行の悪かった男三人が小屋で悪さをし、山の神の怒りをかって、お灸をすえられたと街で噂になっていたそうだ。
ハージ兄ちゃんがやっつけた……(笑)