プレスロト国へ出発
雨が止んでしばらくすると、ハージ兄が戻ってきた。
「アイラ、ご苦労様。お陰で手続きが無事全部済んだ。コラン様もありがとうございました」
「無事に済んでよかった。申し訳ないが、明日からプレスロト国に向けて出発してほしい」
「それは、もちろんです! アイラ、城下で簡単な旅装束もそろえてきた。細かいものは旅の途中で買うとして、それを着ていくからな。あと、鞄も。これに必要最低限を詰めるといい」
「わかりました」
お兄様は帰ってくるなり、すぐに呪いの糸を引き受けてくれた。私も肩の荷が下りてホッとした。
夕食は皆でわいわい食べた。
明日、私たちが出発することで母を一人にしてしまうと気にしていたが、思ったよりも母は平気そうにしていた。空元気かもしれないけれど。
「それで、城では何か言われた?」
無事に手続きを済ませたハージ兄に母が訊ねた。
「いや、書類を出したら終わり。……ああ、そういえば書類に判を押すときに魔法宣言させられた」
「魔法宣言?」
初めて聞く言葉に首をかしげるとコラン様が説明してくれた。
「魔力を帯びた契約書だ。ロメカトルト国では古い風習が残っているんだな。何かを引き継ぐときに決められた言葉を宣言して血判を押すんだよ。昔はプレスロト国でも爵位を引き継ぐときにしていたが、特に意味がない事が多いから今はほとんどしないことの方が多いな」
「ハージお兄様はなんて宣言したのですか?」
「ええと、『コートボアールに許しを受け、半分を受け入れます』だったかな。なんか、それをしなきゃいけなかったみたいで、アイラに呪いを代わってもらって城に行っていなかったら、大事になっていたよ」
「ではお留守番できて私は偉いですね!」
私がエッヘンと言うと皆がそれを見て笑った。『なんだか妹がすみません』とコラン様に言うハージ兄がお似合いである。
「アイラちゃん、私、ハージたちを陰からしっかりと応援することにしたわ」
例の本を読み終えたらしい母は小声で横からそう告げた。
そうでしょう、そうでしょう。私もさらにこの旅でハージ兄をコラン様に売り込むつもりだ。
夕食後に食べた洋梨のタルトは母にもハージ兄にも、もちろんコラン様にも大好評だった……が、
「お前、コラン様にタルトを作らせたらしいな。プレスロト国の王子になんてことをさせるんだ……しかもお兄様呼びなんてどういうつもりだ」
とハージ兄にお叱りを受けた。でも、タルトをおかわりしておいて、その言い草はないと思う。
そして私はプレスロト国へ、二人の兄たちと共に旅立つことになった。
***
次の朝、用意してくれた旅装束を着た。
……長袖長ズボンなんだけど、サスペンダーが付いているのはハージお兄様なりの優しさなのか。
正直、かわいくない。
まあ、動きやすさをとったのだろう。
文句は言えない。旅行じゃないしね。
母に挨拶をして、さて、出発しよう、と馬に乗ることになった。
ここまでコラン様の愛馬ミシェルに乗ってきた二人だが、同じようにすると私が一人で馬に乗ってついていくことになる。
が、生憎私は馬には乗れない。
どのみち男二人が乗るとミシェルの負担も大きいし、これは私が呪いを受けた方がいいだろうということになって、馬で移動する間は私が赤い糸の呪いを受けることになった。
私は兄二人のいちゃらぶが見たかったのに……。
「アイラ、どうせくっついてしまわねばならないのだ。私に背中を預けなさい」
「……はい」
私はハージ兄から呪いを移され、コランお兄様と馬に乗っていた。
「不安定だな。途中で落ちないか?」
「アイラでは抱き着いていられないかもしれませんね」
え、ハージ兄は抱きついて移動したの!? ちょ、興奮しちゃう!
「うーん……私は手綱を持たねばならないからな」
「仕方ないのでひもで縛りましょう」
「え……」
ワクワク、抱きつく二人を想像していた私は現実に引き戻され、ハージ兄の提案でコラン様のお腹に括り付けられてしまった。
うう。
「アイラ、恨めしそうに見るな。仕方ないだろう? 落馬したら大怪我するぞ。以前、子どもを乗せている父親に習った結び方だから安心しろ」
王子様と白馬に乗れるというのに、なんか違う! 大いに違う!
「ほこりが立つから私のマントの中に入ればいい」
仕上げにマントの中に包まれて、まるで私は赤子か幼子のようだった。
最後の抵抗として踏ん張っているとコラン様に体を引かれて背中を預けさせられた。
意地を張ってごめんなさい。
「楽な姿勢で乗らないと、後でケツが痛くて泣くのはアイラだぞ」
ハージ兄がとどめのアドバイスをしてきて、淑女として乗るのはあきらめ、バブバブと何も考えないことにする。
ようやく諦めた私にコラン様の腹筋が揺れて、笑ったのがわかった。
パカパカと馬が揺れる。結構なスピードで進むのでコラン様に必死にしがみついた。ひもがなかったら私の腕力だけでは乗っていられなかったかもしれない。
ハージ兄よ、ありがとう。
ミシェルは美しい白い馬で、コラン様が乗るとまさに王子様といった感じである。
できれば絵本のお姫様のように優雅に横乗りしてみたかった。
「ハージが乗っていた時はさすがのミシェルも重かったからな。今は跳ねるように喜んで走っている」
「……重量でいえば私はお兄様の半分もないですからね」
男二人はとにかく重かっただろう。
兄は特に筋肉だるまだ。
コラン様は魔法が使えるのでミシェルの負担を減らすために風の魔法を使っていたそうだが、ミシェルには災難だったはずだ。
ちらりとマントのすき間から斜め後ろを見ると、すがすがしい顔でハージ兄が自分の馬に跨っていた。
いくら好きでも四六時中呪いで繋がれていたらしんどいものね。
そう思うと誰かとずっと繋がっていないといけないコラン様はとても気の毒である。
ここからプレスロト国までは約一週間かかるらしい。
それでもとっても早い方だとか。土煙をコラン様のフードで防いでもらいながら私たちは先へと急いだ。
「では、俺は宿の用意をしてきます。コラン様とアイラはここで待っていてください」
ハージ兄がてきぱきと動いてくれる。
私は乗せてもらっていただけなのにへとへとで、なにもできなくてなんだか申し訳なかった。
「どうした? アイラ」
表情が曇った私をコラン様が気遣ってくれた。
「ハージお兄様に世話を焼いてもらってばかりで申し訳ないな、と」
「はは。二人の時の苦労をアイラは知らないからな。それこそ宿をとるのにも二人でくっつきっぱなしで大変だったぞ。それを思えばアイラがここで大人しくしてくれているだけで、ずいぶん助かっている」
「あの、私、コランお兄様のお役に立つと思ってついてきました。だから、ハージお兄様と代わってほしい時はすぐにおっしゃってください」
「アイラ……私は君たち兄妹にはもう十分よくしてもらっている」
そう言ったコラン様の視線は私の指先に移動していた。指の絆創膏の下には入れ替わるために傷つけた無数の針傷ができている。もちろんハージ兄の指にも同じだけ傷が出来ていた。
「コランお兄様も不自由を強いられているのですから、こんな小さな傷、どうってことありません。刺繍を刺している時の方が傷数が多いくらいですよ」
威張ることでもないことを得意そうに言うとコラン様がふ、と笑った。
声を立てて笑ったところはまだ見たことがないが、時々こうやって笑うことが多くなってきたと思う。
打ち解けてくれたのかな、と思うと嬉しい。
なんとか本物の兄に出来ないものか。
それから様々な都合を考えて、夜だけハージ兄が呪われることになり、ほとんど私がコラン様とくっついていることになった。