第四話 弁当を忘れる
あくる日の学校。
栗栖はちょっとだけ寝不足だった。
昨晩はソフィアが来たせいで勉強の時間が長引いた。もともと時間が押したのもあるし、ソフィアのせいではかどらなかったというのもある。
ソフィアと来たらとにかく横で邪魔をするのだ。
――お前そんな問題も分からないでーす? バカ、なのですね。
――うるせえな、バカっていう方がバカなんだよ。
――なんですとぅ? 言っておきますがわたしはフラレミング高等大学校卒業でーす。そんじょそこらの無学なメイドとは違うのでーす!
――すいませんね、無学で。
――ああんっ。もちろんお姉さまは、と・く・べ・つ!
とにかくそんな会話が続いて勉強は遅々として進まない。それでもイザベラは当初予定していた通りの場所まで勉強しようとするのだ。結果として寝る時間はいつもより一時間半遅くなった。
しかしそんな栗栖よりもさらに眠たそうな男が一人。
まるでゾンビのような足取りで栗栖の方へと向かってくる。
「おお、栗栖……」
「なんだ、死にそうだな」
友人の山崎だ。
この男、一応朝から教室にいたのだが栗栖に話しかけたきたのは今日これが初めてだ。授業中も起きているのか寝ているのかよく分からない状態で、一度机からずり落ちていた。
「ぜんぜん寝てないんだよ……」
「だろうな、見たらそんな感じがするよ」
「別に俺が悪いわけじゃないんだ。ただ、周回が……周回、が」
バタン、とその場に倒れる。どうやら今回のイベントをかなりやりこんでいるらしい。一方の栗栖は周回作業を全てイザベラに任せているので楽ちんだ。いつの間にか終わっているようなものである。
「お前、そんなことばっかりしてテスト勉強大丈夫なのか?」
がばり、と山崎が起き上がる。
「テスト勉強だと! まさかお前の口からそんな言葉を聞くことになるとはな!」
「そんなにおかしいかよ?」
「テストよりソシャゲ! 出題範囲よりも次回イベントの情報! 点数よりもガチャの排出率! 俺たちに大切なのはそういうことじゅねえのかよ!」
「なんだよお前、いきなり大きな声だして。そりゃあそういう遊びも大切だけどさ。勉強だって大切だろ?」
「遊びじゃねえんだよ、こっちは本気でやってんだよ! 命と金を賭けてるんだよ!」
栗栖はちょっと引いた。
まさか自分も少し前まではこんな様子だったのだろうか。だったかもしれない。しかし最近はどうもそこまでソシャゲにやる気がでない。イザベラが来てからだ。これがいわゆる倦怠期というやつだろうか。このままイベントをこなすだけになり、やがてログインボーナスをもらうだけになり、それが一度途切れれば引退。実に自然な流れだ。
「お前まさか、勉強してるんじゃないだろうなぁ?」
山崎が光彩のない澱んだ瞳で栗栖をにらむ。
「わ、悪いかよ? そりゃあ勉強くらいするよ」
「ちょっとスマホかせ!」
「あ! やめろよ、おい!」
「イベント期間中にテスト勉強してるやつのデータなんて、どうせ周回作業もまったくしてねえんだろ!」
山崎は勝手にスマホのアプリを開く。そして一通りの栗栖のデータを見ると驚愕の表情で目を見開いた。
「……イベントは終わってる。それにこの素材の集まり方、お前まさか俺よりも周回を」
「おい、人のスマホを触るなよ」
「はっ!」と、山崎はなにかに気がついた。「栗栖、お前まさか隠れて周回を! あれだな、テスト前に『あー、俺ぜんぜん勉強してねえわー』っていうのと同じで周回してないふりをしてたんだろ! 俺を騙したな!」
「別に騙してはねえよ」
「じゃあなんでこんなに周回してんだよ! これ百回や二百回じゃきかねえだろ! お前もう徹夜でやってるレベルだろ!」
やってるよ、イザベラが。
もちろん言わない。そもそも山崎のやつはメイドのことを言っても信じてくれなかったからだ。
「あーあ、俺ももっと頑張らないとな」
「いや、お前はもう休め。たぶん頭おかしくなってるぞ」
「もともとだよ」
「自分で言うか、それ」
山崎は昼食の菓子パンを取り出す。いただきます、と手を合わせて包を豪快にやぶる。そして右手でパンを食べながら左手でスマホをいじる。非情に行儀は悪いが、教室を見渡せばそんな食べ方をしている生徒はちらほらと見られる。
「あ、まずい」
栗栖も昼食をとろうとしたところ、とんでもないことに気がついた。
「どうした?」
「昼ごはん、忘れた」
イザベラが弁当を作ってくれたのに、どうやら出てくるときに家に置いてきてしまったらしい。悪いことをしたなあ、と思う。それと同時に昼ごはんをどうするか考える。この学校には購買のようなものがない。だからといってコンビニに行こうと思うと片道二キロの坂道を越えなければならず、非情に面倒だ。よって食べられるものというのがない。
こういうのを陸のガ島とでもいうのだろうか、昼食がないとなれば余計腹が減った。
「ご愁傷様、俺の分はやらないぞ」
「そこをなんとか、一つくらい良いだろ」
「友達に嘘ついて隠れて周回するよなやつには何もあげません!」
「別に隠してないよ」
「隠してる! そのスマホがその証拠だ!」
ずばり、と山崎はスマホを指差す。
その瞬間、スマホがなり出した。突然のことだったので二人共おどろく。電話がかかってきているのだ。画面を見たが知らない番号だった。
「おい、電話だぞ」
「見れば分かる」栗栖は電話に出た。「もしもし」
電話の向こうからはキンキンとしたアニメ声が聞こえてきた。
『あ、もしもし! 私、ソフィアでーす!』
どうしてソフィアから電話がかかってくるのだろうか、不思議に思いながらも廊下に出る。
「どうした?」
『お前バカでーす!』
「ソフィア……お前そんなこと言うために電話してきたのか?」
『違いまーす。お前がお姉さまの作ったお弁当を家に忘れたから、わたしが届けにきました。門のところに居ますからさっさと来るです』
「え、マジで? ありがとう、今すぐ取りに行くから」
『早く来るでーす。そうしないとわたしが勝手に食べちゃいますよ』
分かった、と答えて電話をきる。
「誰から、親?」と、山崎が教室から顔をだした。
「ま、そんなところ。弁当届けてくれたんだ、ちょっと行ってくる」
「へえ、お前の父さん優しいな」
山崎は栗栖の家が父子家庭だというのを知っている。だからこういう時、真っ先に父の名前が出るのだ。もっとも今は、家に栗栖とその父。そしてメイドが二人もいるのだが。
言われた通り正門まで走る。途中で生活指導、兼、国語教師の鬼怒川に廊下は走るな、と怒鳴られる。慌てて謝り、競歩のような早足で移動する。
昇降口で靴を履き替え、外へ。
天気が良かった。ついこの前梅雨入りしたというのに、そんなことをまったく感じさせないほどの晴天だ。照り差す陽が暑いくらい。
ソフィアは電話で言った通り正門にいた。だが一人ではない。数人の女子生徒に囲まれている。三年生のお姉さま方だ。
「ねえねえ、どこの子?」
「それコスプレ? メイドさんの」
「誰かの妹さんかなあ?」
「それはないでしょ、だって外人さんだよ。お嬢ちゃん、日本語わかる?」
ソフィアは鬱陶しそうにしている。栗栖はいやだなあ、と思い話しかけるのを躊躇する。できればこの前のイザベラとどうよう、家にいるメイドのことは他人に知られたくない。きっと根掘り葉掘り説明を要求されるだろう。だがそうなったところで、栗栖自身も満足に答えることができないのだ。
それが面倒で、栗栖は自分の家にいるメイドのことをできるだけ隠している。もちろん独占欲もあるが。
だというのにソフィアのやつ……余計なことをしやがって。栗栖はそう思うのだった。