「代わって」
就職先を変え、今と全然違う場所へと引っ越しをした。
前の会社は色々とトラブルがあったものだが、新しい会社は良い感じだ。
既に転職してから一ヶ月は軽く超えている。新しい会社に対してちょっとなぁと思う部分は現状無い。
転職して良かったことは、他に、
「……電車通勤も、だいぶ楽になったしね」
という事だった。
元々都心部に住んでいたので、電車は満員が多かったのだ。
都心から離れたこの地域は朝の時間帯は空いている。行きも帰りも必ず座れる。未だに車両数が5両にも満たないのは違和感があるけれども。
創業してから40だか60年だか経過していて、色々とごまかしごまかしやっているらしい。
あまり駅に詳しくないから凄い年月が経過しているように思えるけれど、駅の中には100年経過しているものあると聞く。
この駅は、中間ぐらいの年期なんだろうかと思ったりする。
今も、古い車両に乗せられて、ガタンゴトンと揺られて帰宅中だった。
外の景色は特筆すべき物は無く、住宅街と時たま田んぼが目に入る位で、揺られているうちにその比率は田んぼが占めるようになる。
残業をしてきた都合で電車内はガラガラ、自分と遠くにご老人一人だけだ。
そして地元駅に着いて、改札に向かった時に気づいた。
目の前で、数歩先の改札からピ、という音と共に改札口の扉が開いた。
自分はまだ、改札に定期をかざしていないし、辿り着いても居ない。
無論、誰も居ない。
「故障かしら」
あるいは見間違えか。その日は普通に帰った。
◆
また後日、同じような現象に遭遇してから、改札を出る時は注意してみようと思った。
わかったのは、少なくとも残業をして帰るとその故障のような挙動に遭遇する事が多かったということだ。
今日もまた、それを目撃した。
そんなことを、自宅に戻ってから友人である加奈子に電話する。
「――――ということがあって、なんかうちの駅、改札壊れてるのかも」
『実害無いんでしょ、詩織』
「まーねー。駅員さんも気づいて無さそう」
ごろりとベッドに寝転びながら近況報告をする。加奈子とは、社会人になる前から付き合いがある友人だ、気軽に電話が出来る。
『それってなんか怪談みたいな話だね』
「え、やだ、怖いこと言わないでよ!」
そこで、カタカタと音が鳴る。キーボードのタイプ音。
「パソコン触ってるの?」
『うん。詩織の地域でなんか怪談ないかなーって思って』
「……そんな悪趣味なことやめてよ、もう」
『まぁ無いとは思うけどねー。……違う、これも違うし、――――ん?』
電話の向こうから、タイプ音が消える。
変わりにカチリ、カチリとクリック音が響く。
唐突に、
『△△地域だっけ。住んでるとこ』
と聞かれたので答える。
「そうだね」
『××路線? で、降りる駅は……○○駅? △△△駅は? □□駅は利用してる?』
「そうだけど……? 幾つかの駅は利用してるね。□□駅はもう自宅より先よ」
無言が続く。よく聞くと、マウスのホイールを操作しているような音がする。
『――――目撃したのは、改札を出る時だけ?』
「そうだね」
『ん……それじゃ違うのかな』
「え、ちょっと待ってよその含み方。なんか怖いよ!」
『いや、調べたらどうにもあるみたいでさ、怪談』
一瞬、ぞわりとした。
「加奈子、ちょっと!」
『いや、ごめんごめん! でも、へぇ、あるもんだねぇ』
「どういう感じなの?」
クッションを抱え込んで、加奈子の電話を聞く。
『んーっとね。昔――1990年前後くらいってある――□□駅まで通勤していた会社員が居たらしいんだけどさ』
「うん」
『どうにも、その人が勤めていた会社の経営が悪化したらしくって。それも、その人が主導していた大型企画が失敗したのが原因で、挽回しようにもどうにも出来ない、と』
「うわ、辛い話だ」
電話をしながら、スマートフォンの充電が足りない事を思い出し、サイドテーブルから長めの充電ケーブルを差し込む。
「それで?」
『もうどう足掻いても首が回らず、会社は保身の為に個人に対して処分を行う事を知ってしまい、最後に一縷の望みを掛けて、自分が生き残る為の方法を最終日まで探すわけだけど……』
どれほど追い詰められていたのか。
『……半狂乱になってたんじゃないかな。自分の人生が次の日には完全に詰んでるなんて、想像出来ない。……それで、自分が通勤している電車に乗っている乗客に聞き回ったらしんだよね』
「何を?」
『私の代わりになりませんか、って』
「――――それは、」
どうなのだろうか。自分が助かるために、最終的には自分以外の人身御供を探したのか。
『勿論、代わりなんて見つかる訳もなく、次の日から会社員は音信不通、でもあるときその遺体が、その人の最寄り駅……ホーム下の奥深くで見つかったってわけ。終電の運転手によると、確かに前日の夜に該当駅付近で異音がして、その時は見つからなかったんだって。奥まで吹き飛ばされたんだろうね』
「そうなんだ……」
『で、だよ?』
タイプ音が続けて聞こえる。
『ここから怪談の話なんだけど――――聞く?』
「……どんな事が起こる話なの?」
『え? 本当に聞きたいの?』
「うん。何、聞かせたら移る系の話?」
『そういう話じゃないけど……』
自分が関わる駅の怪談なんてよく聞きたいな、という呟きが聞こえてくるがバッチリ聞こえている。
ちょっと待ってね、というと、軽快なクリック音とタイプ音、そしてしばらく静かな状態が続いて、改めて話し出す。
『うん、そんな長くないからサクッと行くけど、とりあえずいうと――――改札に入るときに起こるとまずいっぽいね』
「……改札に入る時? 出る時じゃなくて」
『うん。掲載されてる情報だと、逆に出る時の情報は無いんだよね』
「じゃぁ違う怪談なんじゃない?」
『その可能性は勿論あるけど、――――改札に入って直ぐに、同じように誰かが改札に入ってきた、振り返っても誰も居ない――――ってのがあって、状況的には一緒だと思うんだよね』
「一緒……かなぁ?」
いつの間にか、友人の声はやや真剣味を帯びている。
室内の温度が少しだけ下がったような、そんな錯覚さえ覚えて、何気なく部屋の照明を最大まで上げた。
『で、繰り返すけど、入る時に起こるのがこの怪談らしい』
「ふぅん。それだけ?」
『いや……これだけじゃない。その後は、何となく誰かが隣にいるような感覚が続くとか、側にいる感覚があるとか無いとか。振り返っても誰も居ない。なのに誰かがいるような、見られているような……そんな感覚が、電車に乗っても続くらしいって。今見ているサイトだと、ここで記述が終わってる』
それは、気持ち悪い。
そんな状況を想像して、肌をさする。
「で、でもまぁ、それだけなんでしょ。なら全然大丈夫だわ」
空元気のような声が出る。
『……別の個人サイトには、似たような内容でもう一歩だけ踏み込んである記述があってね。ソレによると――――"何か聞かれても、代わってはいけない"ってあるよ』
「代わってはいけない……」
『まだ、自分以外を犠牲にして、助かる道を探しているのかもしれないね』
◆
次の日。
加奈子と電話した後、あまり寝付けなくてやや寝不足のまま出社した。
あんな話を聞いた後、まともに寝られるわけがなく、一日中室内灯をつけっぱなしで夜を過ごしたのは久しぶりだった。
地元駅の改札に入る時につい振り返ってしまったけれども、特に音が鳴ることは無く、その点はほっとした。
仕事が入ってしまえば、昨夜の話も吹き飛ぶほど忙しいのでその点は助かった。
それに、所詮怪談だし、そう起こる物でも無いと内心高をくくっていたのは事実だ。
「まさか、残業が終電手前まで続くなんて」
リリースしたアプリがうまく動かず、お客様から問題報告の電話が上がってきたのだ。
こちらでは再現しなかったため、何度かご確認して頂いたところ、原因は向こう側の通信環境だったということで、こちらでは無駄な時間となってしまった。
でも、これで晴れてプロジェクトが終了、今日を最終日に出来た。
「これを逃しちゃうと、終電だから、急がないと……!」
人気の無い駅に飛び込む。
古い電光掲示板を見上げれば、そろそろ電車が飛び込んでくるはず。が、歩いても間に合う程度には余裕がありそうだ。
ICカードを探しつつ、走って荒れた息を整えると、改札へと入った。
ピ、という音がして、ガタンと扉が開く。通り抜ける。
「間に合ったー」
と呟くと同時に、すぐ後ろで、
ピ、という音とガタンという扉の音がした。
思わず、人が居るのに気づかずに声を出してしまったと焦る。
――――何が間に合った、だ。もうちょっと周囲を確認してから喋ろう、自分。
変な目で見られていませんようにと、それとなく手鏡で後ろを確認した。
誰も居なかった。
音が出るほどの速度で振り返る。
やはり、誰も居ない。
焦ったように窓口を見るが、駅員さんは離席中の札がおいてある。
――――改札を入る時に起きると、不味いよ。
友人の話した怪談を、今この瞬間に思い出す。
じわりと、空気に異質な物が混じったような気がした。
◆
とにかく、改札口に居たくなくて足早に歩き出す。
自分の立てる足音が大きく鳴るが、半端な屋根しかないホームでは直ぐに消え去ってしまう。
自分が歩くと同時に、後ろから……人の気配がする。
スマートフォンで後ろを写そうとしても何も見えない。
振り返っても、誰も居ない。
けれど、誰かがそこにいる感じはする。
腕に鳥肌が立つ。
歩く。後ろから遅れて付いてくる。
心臓が五月蠅いくらいに高鳴っているのが分かる。
何時も電車を待つ場所へと立つが、後ろが気になってしょうが無い。
……じっと、見られているのでは無いだろうか。今も側に居る気配がする。
――――ぎゅう
という布が縮む音が聞こえて驚いた。が、その音は自分が握りしめた鞄から鳴った物だ。
早く、電車が来て欲しい――――その願いが通じたわけではないのだろうけれど、遠くから、ガタンゴトン、という音が聞こえ――――やがてホームへと短い電車が滑り込んできた。
扉が開くと同時に走り込んで、席に座った。
今この瞬間は誰も居ない。
車内に誰もおらず、あの気配も何も感じない。
ぷしゅーという間の抜けた音と共に扉が閉まる。
気配は無い――――気配が無いっ!
そのまま走り出した車内で安堵を得た。
大きくため息を吐く。
「何、何だったの、あれ……。ほ、本当に、怪談が本当に出た? そんな馬鹿な」
今もまだ、心臓が鳴り止まない。
知らず呼吸が荒くなっていたようで、誰も居ない車内だからと大きく息を吸って体調を整える。
「冗談じゃないわ……。また、引っ越し先を探さなくちゃ……。明日は有給使わせて貰って、しばらくはホテル生活かな……。いや、タクシーを使って帰ればいいのかな……ホテルよりそっちの方がいいかなぁ……」
どちらにせよ勘弁して欲しかった。
ふぅと息を吐いて、目を閉じる。
窓ガラスに後頭部を預ければ、そのまま疲労で寝てしまいそうですらあった。それもいいかもしれない、なんて考えて……
「もう、疲れたな……」
『席、代わりますか?』
「――――」
それは不意打ちだった。
息が止まった。
全身が総毛立ち、つま先から心臓まで、突き抜けるような冷たい衝撃が走った。
ハッ、と息が乱れる。
目を、目を開けてはいけない気がした。
そんな事は友人である加奈子からは聞いていないが、ハッキリと見てはならないと、脳が全力の警告を出している。
居る。
目の前に何かが居る。
まぶたの裏、抜ける程度に光っていた光が消えた。きっと車内の電灯が消えたのだと思う――――電灯が消えたから暗くなったではないと困る。
『席、代わってくれますか?』
最初の声は男性の声だった。けれど、今聞いた二回目の声は女性だった。
最初の声と二回目の声は、明らかに人が違った。それに、人とも思えなかった。声に感情が見えない。機械で作ったように、抑揚も溜めも無かった。
『代わりたいんです。代わってくれますか?』
今度は子供の声だった。無邪気な子供の声だ。親の後をついて回るぐらいには、幼い声質。
変わって、代わってあげないと。そう一瞬思ってしまうような声だった。
やや、声に抑揚が入った。
そんな声が自分の顔の直ぐ前から聞こえる。
絶対に違う、人ではない。自らに言い聞かせる。
『辛いんです、代わってくれませんか? もう、長い間……』
「――――っ」
続きの声は弱々しく消えていく。今度は弱々しい、男性の老人の声だった。
声を上げようとしてしまった。
今度は、本当に人が居るかのように聞こえた。
手段を問わず、代わりを探しているのだ。
――――私に合わせてきていると、直感的にそう思った。
『代わってくれませんか』
再び、男性の声。青年だとわかる。
本当に……本当に人では無いのだろうか?
相手は、やや困ったように問いかけ来ている。
そうだ、代わってあげないと――――いや、席は空いていたはずだ。だから、この声は違うんだ。
何度も、何度も代わってと問いかけられ続ける。
様々な人から聞かれた。
最初のぎこちなさが嘘のようだった。
今では、反射的に頷かないように意識しないといけなかった。
電車は何時になったら目的地に着くのだろうか。
気配はある。瞼の向こう側に、まだ光は見えない。
今度は、……黙っている。
いや、そうではない。電車が慣らすガタンゴトンという音に交じって、ドタバタと歩き回る音が聞こえる。
でも気配は前から消えてくれない。
呼吸の息が顔にかかっておかしくないはずの距離に、何かがずっと居る。
足音は鳴り続ける。
無言が続く。
車内の冷房は効いているのに、汗が止まらない。
息が詰まりそうになる。
唐突に車内放送が入り――――いつの間にか、自分が止まる駅が近づいている事を知る。
間に何駅もあるはずなのに、一度も止まらないまま、停車駅へと近づいている。その事実が異常だった。
降りなければいけないと、無意識に自覚した。
足音がピタリと止まった。目の前だ。気配は変わらずそこにある。
諦めるのだろうか。
電車は速度を落とし始めた。
もう終わりが近いと、そう感じて、気を少し緩めた瞬間だった。
『あの、私と代わって頂けませんか?』
「は――――」
い、と言い切る寸前に、言葉を止めた。
瞬間的に叫び出しそうな、その直前で電車が止まる。
止まると同時に、両手で目の前の何かを押し出した。
目を瞑ったまま、立ち上がり、外の空気が感じる場所を目指して走る。
電車の中は、いつの間にか気配で満ちあふれていた。生ぬるく、押し留めてくる。弱々しく縋り付くように身に絡みつく。
手で押し、かき分け、のかしながら動く。
必死だった。
手すりに頭をぶつけて、でもそれがドアに近い証拠で、最後の気力を振り絞ってドア枠に強引に手をつけた。
そして、電車の外へと転ぶように飛び出し、
「痛っ」
数歩たたらを踏んでから倒れた。
手をついて、荒く息をする。
気配はもう、無い。
外の空気が新鮮で、目をようやく開けば、寂れたホームにベンチ、色の抜けた広告と、上には美しい夜空が広がっている。
安堵のため息が、大きく出た。
背後でプシューという音と共に扉が閉まる音。
振り向くと――――背筋に氷を突っ込まれたような冷たさが走る。
電車には車内灯が付いていなかった。
暗闇の中には、大量の何かが居た。
顔もわからない、形もあやふやな何かが、こちらをじっと見つめている。
車内灯の消えた電車が、そのままガタンゴトンと走り出していく。
そのまま、何事も無く視界から消えた。
そして、次の電車が来るアナウンスが流れる。
ごく普通の声だった。
改めて駅名を見れば、確かに自分が降りる駅で、毎朝毎晩見ている景色だった。
ふらふらと立ち上がる。
こんな所に一秒でも居たくは無かったが、少しだけベンチに座って楽にしていたかった。
自販機で水を買うと、そのままベンチに座り込む。
喉を通る冷たい水が、乱れた精神を落ち着かせていく。
最後、危うく返答してしまう所だった。
あの瞬間、聞こえたのは、本当に疲れ切った男性の声だった。
縋り付くような、絶望しかない声だった。
あれが本当の男性なのだろう。
……そして理解したのは、本当に代わって欲しかったのは、恐らくその人の会社の席、つまり役職だったのだろう。
切り捨てられる席から離れて、自由になりたかったのかも知れない。
そうして一息を吐く最中に、アナウンス通りに電車がホームへと流れ込む。それをぼうっと眺めた。
電車が、来る……?
さっき乗った電車が、終電のはず……?
やや身構えていたものの、滑り込んできた電車にはまばらだけれども人が居て、降りる人は居なかったけれども、普通だった。
それが、本来自分が乗るべき電車だったと気づくのに、そう時間はかからなかった。
もし、最後に代わっていたら……この電車で、当時と同じ結末になるのだろうと、そう理解した。