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ステップグラウンド  作者: ジーコージ
第一章 大地を踏み締めて
2/3

夜明け前に見た夢





 綺麗に手入れされた花壇の周りを、カラカラと車椅子を押しながら進んでいると、不意に彼女が尋ねてきた。


『……あの、私の事好きですか?』


 その言葉に驚いて、彼は思わず彼女の顔を見下ろした。


『急にどうしたんだ? そんな事言って』


 彼はそう茶化す様に笑ったが、その顔を見て言葉に詰まった。

冗談を言っている様には思えない程真剣で、それでいて何かを静かに考え込んでいる様な表情。その視線は静かに、彼の双眸を貫いていた。


『病室に一人で居る時、時々不安になるんです。私が生きてる意味って何なんだろうって』


 きっとその哲学的な問いは人生のおよそ殆どを白く簡素な病室の中で暮らしてきたからこそ抱く、言うなれば人間の根幹への疑問なのだろう。


『このままじゃ私はずっと病院から出られなくて、その内死んじゃうんですかね……ははは……何だかそう考えると馬鹿らしくなってきちゃうな』

 

 彼女は完璧な女性だ。

 純白の肌は透き通り、整った顔は温かな微笑を浮かべる。背中まで伸ばした檜の様に艶のある亜麻色の髪は仄かな斜陽に照らされ鈍く輝いており、その姿がまるで中世の時代に描かれた絵油の様に神秘的で、魅惑的に思えた。

 淡い水色の病院服の袖から伸びた二の腕は深雪の様に白く、樺の枝の様に細く、容易に触れてしまえば折れてしまいそうな程に華奢だ。


 その美貌に加え、彼女は思慮深い。あまり人と触れ合った事が無い為か表面を取り繕う事もせず、ありのままの感情をありのままに口にする。

 これ程心が綺麗な人に出逢ったのは、初めてだった。

 だからこそ愛した。患者と看護師という垣根を越え、想いを寄せ合った。


『……大丈夫、きっと良くなる筈だ』

『それは、看護師としての言葉? それとも彼氏としての言葉ですか?』

『両方。最近はリハビリも頑張ってるし、先生も調子良いって言ってたからな。この調子なら来年くらいに退院出来る……かな』

『ふーん……』


 車椅子の上の彼女は暫し顎に手を置いて何かを考えた後、パッと花が咲く様な笑みを浮かべた。


『それじゃあ、ちょっと提案があるんですけど』

『ん? 何だ?』


 彼がそう優しく尋ねると、彼女は白い歯をチラつかせて言った。


『退院出来たらさ、二人で旅行でも行きません?』

『旅行?』

『そう。レンタカーなんかに乗って、東の方へずーっと進んでいくんです。目的地なんか無い、それこそ当ての無い旅。どうですか? 素敵だとは思いませんか?』


 その言葉を聞いて、ふと彼の脳裏にとある情景が浮かび上がった。

 岩石と砂塵で構成された荒野の中にまるで一雫の水滴の様に細長く伸びる舗装道路、所々が欠けたアスファルトを蹂躙していく四輪の車が一台。

 シートを取り外すという改造が施された助手席に乗っていたのは紛れも無く彼女だった。見慣れないジャケットを着て、ダッシュボードに乗せられた袋詰めのチョコをパクパクと食べている。

 その隣でハンドルを握るのは、間違い無くーー-


『……あぁ、良いな。それ』


 会心の笑みと共に頷き、彼女の意見に賛成した。


『ですよね! いつか治ったら、二人で……』


 ふとその時、強い風が吹いた。冷たくて乾いた、冬の到来を告げる寒風だ。

 病院指定の看護服は生地が薄く、彼は中に黒いアンダーシャツを着ているがそれだけでは寒過ぎる。仕事の関係上屋内で過ごす時間が多い為、看護服は防寒性には優れていないのだ。


『うっ、寒くなってきたな……もう戻るか、身体に障るから』

『いえ、もう少しだけいいですか? あとちょっとだけ……』


 その希望に、彼は渋々ながらも頷いた。


『分かった。でも無理し過ぎるなよ、まだ万全って訳でもないんだし』


そう言うと、彼女は満面の笑みを浮かべた。


『本当ですか!? ありがとうございます!』


 彼は車椅子を押し、中庭をもう一周する。七色に咲き誇る花々を横目に、整頓された道を進んでいく。楽しい遠足、という訳ではないが、一日中病室のベッドに横たわっている彼女にとってこの時間こそが日々の楽しみなのだ。

 何も乗ってないのではないかと錯覚してしまう程軽いそれを押しながら、彼女が入院している病棟を見上げる。斜陽に照らされて淡いオレンジに輝く壁の中に空いた窓が。

 その窓が空いている912号室こそが、彼女の病室である。


 病院内では数少ない個室で、彼女は半年前に地方の病院から転院してきたのだ。

 アメリカは医療保険が無い分医療費が莫大で、入院すればかなりの費用が掛かってしまう。彼女の様にリハビリが必要で合併症の危険に晒されているのなら尚更だ。

 だが彼女の両親は不動産業で利益を生み出している、俗に言う富豪で医療費を簡単に支払える程の資産を有している。


 一度お見舞いに来ていた両親と会ったが、物腰が柔らかくて良い人達だった。 

 もし彼女の看護師を続けているのなら、再び彼等とも会う事になるのだろうか。


 そんな事を考えていると、不意に彼女が口を開いた。


『……あの』

『今度は何だよ』

『大好き』

『……俺もだよ』


 愛を囁き合い、病魔に抗い続ける恋人を彼は献身的に支える。

 世間の人々はこんな彼等を見てどう思うだろうか?

 看護師と患者、結ばれるべくして結ばれた二人、お似合いカップル。

 まるで伊邪那岐・伊邪那美夫妻、ゼウス・ヘラ夫妻の様に。一蓮托生の夫婦になる事を直感するだろう。

 だが、やはり一部の心無い者達はその姿を見て、嘲笑う筈だ。


 実際、この二人を見た人々は最初にその事実に間違い無く気付き、一瞬目を伏せるだろう。

 そして抱く感情は様々で、憐み、同情、哀しみ……多岐に渡るだろう。共通点として挙げられるのは、それらの感情は全てマイナスな物である事だ。


 それは何故か。


 彼女には、ライラ・ザックバーンには大地を踏み締める筈の両足が無いから。






~~~~~~~~~~





「ッ!」


 目が覚めると同時に、上半身を起こして周囲を見回した。意識の覚醒に至るまでに必要な筈の寝惚ける、というプロセスはとうの昔に消え失せた。

 トーチカ内に充満する薄闇の中で見えるのは毛布に包まるアルセリアと隅の方に 重なった荷物の山だけだ。

 ソーラーパネル腕時計の盤面に浮かぶ、銀色の針が指すのは数字の6。睡眠時間は三時間、短眠者(ショートスリーパー)であるクレスにとっては充分過ぎる休養だった。


「……夢……か」


 それにしても、懐かしい夢を見たものだ。

 三年前の出来事。クレスがまだ常勤の看護師として大学病院で働いていた、そしてこの世界がまだ荒廃する前の時代。あの時の当たり前が何物にも代え難い幸福であったと、今更痛感する。

 腕ではなく頭で世間を渡り、銃ではなく金を握って生きる事の出来た、平穏な時代。しかしそれも今となっては夢幻の如く。最早取り返せない。


 日常も、失った恋人、ライラも。


「……クソッ、ライラ……」


 クレスが旅を続ける目的、それはライラを探し出す事だ。

 あの日、彼女は孤島に存在するという安全な病院へ向かう為に軍の輸送バスに乗った。以来、情報も経済線も何もかもが絶たれ、彼女の行方が分からなくなった。情報通で有名な生存者達に尋ねても、両足の無い女など見た事も聞いた事も無いと言う。


 最早生存は絶望的、誰もが口を揃えてそう言う。彼は心のどこかで再会し、再び愛を語り合う日々が訪れるのを諦めていた。

 あの艶やかな亜麻色の髪を撫でる事も、あの向日葵の様に明るい笑顔を拝む事も、純白の手を握る事も、もう二度と叶わないのか。


 生きていなくてもいい、せめて彼女が死んだ墓標まで行って、墓参りをしたい。

 その一心で、彼は三年間も旅を続けているのだ。


「……飯でも作るか」

 

 毛布から抜け出すと、荷物の山に手を伸ばしてパンパンに膨らんだバックパックを手に取った。チャックを開け、その中から取り出したのは三倍濃縮されたコンソメスープの缶詰だった。生産ラインすら失われた今では有限な食糧だが、味が良い為手を出さずにはいられない、好物の一つである。

 クレスはキャンプ用のガスバーナーコンロに火を着けると、その上に水を張った鍋を置いた。この水は一晩掛けてトーチカの壁から染み出した地下水を溜めた物だ。最近雨が降ったのか、スープを作るには充分過ぎる量が集まった。


 鍋の底に気泡が付着した頃を見計らうと、彼はスープ缶を開けてその中身を鍋の中へ投入した。具材を伴った赤褐色の原液が透明な水に溶けていく様子は幻想的だ。

 後はこれにビスケットを一袋添えれば完璧だろう、ご機嫌な朝食の出来上がりだ。


「……あっ、おはようございます……」


 先程まで寝ていたアルセリアも香ばしい匂いに惹かれたのか、小さな欠伸と共に目を覚ました。


「おはよう。よく眠れた?」

「はい、お陰様で……」

「それは良かった。今日は飯食ったら出発するから、今の内に身の回り整えといてくれ。今日中に次の町まで着きたいし」

「分かりました……!」


 今度こそ迷惑を掛けてたまるか、そうとでも言いたげな決意めいた瞳でアルセリアは此方に目を向けた。

 そうだ。それで良い、クレスは会心の微笑を浮かべた。


「あ、トーチカの蓋開けてくれないかな? ガスが充満する」

「分かりました。えっと、こういう感じかな……?」


 アルセリアがトーチカの蓋の方に手を伸ばし、五本の指を複雑に動かすと、土壁が蠢いて出口を創り出した。その向こうから朝の冷たく新鮮な風が吹き込み、ガスバーナーの炎を揺らした。


「よし、ありがとうアルセリア」

「いえそれ程でも……」


 空は依然暗く、日の出までは小一時間程度は掛かりそうだ。陽が出てる間に出来る限り動きたいので、都合の良い時間帯だろう。早朝は奴等、魔物にとっては宵の口なのだから。

 基本的に魔物はその多くは夜行性であり、日が出ている間に活動する者は少ない。人間がそうであるように、魔物達もまた各々の住処に引き篭り、休息を摂るのだ。


 暫く混ぜながら温めていると、濃縮液が均等に撹拌したコンソメスープが出来上がった。それを二つのステンレス製のコップに分けて、その片方を非常食のビスケットを添えてアルセリアに差し出した。


「ほら、出来上がり。熱いから注意して食べるんだよ」

「ありがとうございます……」


 アルセリアは両手を組んで簡単な祈りを済ませると、早速食事を始めた。ビスケットの袋を破り、スープでふやかしながら石の様に固いそれを少しずつ噛んでいく。決して美味いとは言えない味だが、それでも多少の腹の足しにはなる。

 クレスは彼女が食べ始めたのを見届けてから食事を始めた。言葉も礼拝も無いままビスケットの封を開け、一枚ずつゆっくりと咀嚼し、喉の奥へ押し込んでいく。時々スープを啜って口内を湿らせながら食べると、ビスケットの塩味とスープの香ばしく奥の深いコンソメの風味が混ざり合い、渇いた胃を満たしていくのを感じる。


「……美味しいですよね、このスープ」

「だろう? 俺好きなんだよな、このスープもだけど同じ会社が作ってるやつ全部。見つけたら、そればっかり取ってるんだ」

「あっ、言われてみればそうですね……この前は、確かコーンスープとか作ってましたよね」

「そうそう。水が無いと碌に食べれないってのがちょっと辛いけど、やっぱり美味いからなぁ。ついそればっかり作っちゃうんだ」


 旅に於いて食事とは数少ない楽しみの一つである。日々の移動で蓄積していく不満や疲労を解消する為にも、食事への妥協は許されないのだ。

 それにアルセリアはまだ成長途中の子供、こんなご時世とはいえ出来るだけ良い物を食べさせたいというのが大人としての意見である。


スープとビスケットを平らげ、一息ついていると不意にアルセリアが尋ねてきた。


「あの……今度の町には、人って居るんですか?」

「うん。三十人くらいがバリケードを張って、その中で暮らしてるらしい。食料もある筈だし、もしかしたら銃弾もあるかもしれないね」


 クレスの愛用する『星穿ち』はイタリア軍で実際に運用されていたとある散弾銃を、数年前知り合った機械工学者に改造して貰った物だ。

 銃身を絶妙な長さに切り揃える事で弾丸の拡散範囲を上げ、殺傷能力と射程距離を両立させており、至近距離なら魔物の頭部を吹き飛ばす事など造作も無い程の高火力を秘めている。

 その分砲撃音も凄まじい為、攻撃は出来ずとも音だけで威嚇して接近してきた魔物を追い払う事も出来るのだ。


 『星穿ち』という命名はただ単に改造した彼が好きな小説の一文から取った物らしい。ロシア文学という話だが、詳しくは知らない。彼があの後どうなったのかも知らない。


「今度の町でやる事は二つ。生活必需品の補給とあわよくば旅の足の用意。車、それも燃費の良いヤツがいい」

「車はこの前、間違えて壊しちゃいましたもんね……」

「あぁ。散弾の流れ弾がな……」


 あれは今から丁度二週間前、野営している最中に魔物の軍勢に襲われた際、咄嗟に放った弾丸が燃料タンクまで到達してしまい周囲に止まっていた車の残骸を巻き込んで大爆発を引き起こしてしまったのだ。

 当然車は大破し、二度と乗れないスクラップと化してしまった。それからというもの、新しい車が見つかるまで徒歩で移動するしか無く、苦労している。

 出来るのなら、早く車を調達したい。


「本当にごめんね、俺の不注意でこんな事になって。歩くのも疲れるだろう?」

「い、いえ……私は大丈夫です……!」


 疲れを隠して気丈に振る舞うアルセリアにクレスは申し訳無さを感じながらも、その問題を解消する手立てが無い事に頭を抱えていた。  

 もし次の街に車が無ければどうしようか。リヤカーか何かがあれば代用も出来るかもしれない。


 そんな事を考えていると、アルセリアはスープとビスケットを食べ切ったらしい。彼女は満足気な微笑みを浮かべていた。


「あの、食べ終わりました。いつでも出れます」

「そうみたいだね。毛布とカンテラ、バックパックに詰め込んどいて。その間俺が食器洗っとくから」

「分かりました」


 彼女が毛布やカンテラを小さなバックパックに押し込んでいる間にクレスは溜め水で鍋やコップを濯いで汚れを落とす。洗剤は無い為雑菌までをも完全に洗い落とす事は厳しいが、それでも食中毒は防ぐ事は出来るだろう。我が儘は言えない。


 そして洗った食器に付いた水滴をタオルで拭き取り、缶詰と一緒のバックパックに入れればもうこのトーチカに思い残す事は無い。

 出口から顔を出して周囲の様子を探っていると、アルセリアが肩を叩いた。


「あの、クレトさん。出発の準備が出来ました……!」

「よし……それなら、行こうか!」

「はい……!」


 クレトはパンパンに膨れ上がった重いバックパックを背負い、右肩には『星穿ち』、腰に提げたホルスターにはサイレンサー付きの拳銃という重厚な旅装束を纏い、一夜を明かしたトーチカを後にした。



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