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ステップグラウンド  作者: ジーコージ
第一章 大地を踏み締めて
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大地を踏み締めて





「ふはぁ……寒いなぁ……」


 呟きと共に息を吐くと、それは一瞬で外気に冷やされて白く染まり、頬を撫でる風の中に消えていく。

 これ程寒いと指先がかじかんで思う様に動かない。両手を擦り合わせて、何とか温度を高めようとするが効果は薄い。


 クレス・ドールティはふと腕時計に目を向けた。

 暗幕が覆い隠したカンテラの光が照らす短針は2と3の中間を指している。夜明けまではあと四時間程度。出来れば魔物も少ない日の出前に出発したい。


「……三時間か、ちょっと足りねぇな」


 幸い周辺には魔物の気配も無い。こうして警戒はしているものの、切り立った崖の中腹にあるこの洞窟までは接近する事すら出来ないだろう。

 三時間程度の睡眠なら今日の疲れは取れる筈だ。今日、というより昨日は移動しかしていない為疲労こそ少ないが、それでも睡眠は必要だ。


「あと三十分くらいしたら寝るか……」


 持ち運び用の毛布に包まりながら、『星穿ち』の名を冠する散弾銃に降りた霜を拭き取っていると不意にクレスの足元の膨らみがモゾモゾと動き出した。

 それはゆっくりと毛布の下で彼の胸元まで移動すると、周囲を窺う様におどおどとした様子で顔を出した。

 その正体は物憂げな雰囲気を纏う一人の少女だった。


 うなじ辺りで束ねた青みがかった黒髪を肩に乗せ、琥珀色の瞳は恐怖というよりも不安の色に染まっている。それどころか端麗な顔もどこか憂いな表情で、俺の顔をおどおどとした目付きで見上げていた。


 彼女の名はアルセリア・リンド、今年で十五歳になる少女だ。


「ん、どうした?」

「いえ、目が覚めただけです……」


アルセリアはクレスのすぐ真横に来ると、布団の端を小さな両手で握り締めた。


「……ごめんなさい……私が歩くのが遅いせいでこんな事になっちゃって……」


いきなり彼女は謝罪の言葉を口にした。

 一瞬驚いたが、直ぐにクレスの口元は綻んだ。彼女の自己肯定感が低いのは今に始まった事ではない。それを理解しているからだ。


「別に大丈夫だよ、寒いのは慣れてるし」


 洞窟を利用したお手製のトーチカから外の様子を窺う。

 視界の下に広がる針葉樹林は寒風に揺れており、木々が擦れ合って巨人の呻き声の様な音を絶え間無く立て続けている。この周辺は魔物の多い地域とされているが、流石にこの寒空の下で動く者は少ないだろう。

 出来れば日没までに次の街まで行きたかったが、流石に無謀過ぎたか。少女の体力的にもやや苦しかったかもしれない。


「でも……本当なら今頃次の街に着いてる筈でしたよね……?」

「うん、まぁそうだけど、別に予定なんか気にしないで良いって。この先長いんだからさ、気楽に行こうよ」

「でも……!」


 アルセリアは毛布を口元まで寄せると、今にでも泣き出してしまいそうな程か細い声を搾り出した。


「私は、クレトさんの負担になりたくないんです……それなのに、今日もまたこうやって迷惑ばっかり掛けて……」


 途切れ途切れな言葉を必死に紡いで、何とか自らの思いを丈にする。その姿は弱々しく、かつて雷雨の中で見た朽ち果てそうな鈴蘭の花を連想させた。

 彼は暫し考え込んだ後、フッと笑い声を漏らし、アルセリアの肩にそっと手を置いて囁いた。


「だからさ、何回も言ってるだろう? 俺はアルセリアが居るからこそ、旅を続けれるし、こうして安心して眠る事も出来るんだ。世話になってるなら、それを返すのは当然。だから俺は、この旅に君を連れて行く事を選んだんだ。もし本当にお前の事をお荷物って思ってるなら、俺はとっくの前にお前を捨ててるよ」


クレスはアルセリアに悪戯っぽく視線を向けて、話し続ける。


「でも、そんな事やってないだろう? 必要と思ってるから捨てない。『特異点』だけじゃなく、話し相手としてもね。その点は安心してよ」


そう優しく諭すと、彼女も納得したのか目を伏せたまま頷いた。


「……分かりました」


彼女はクレスの肩に頭を寄せると、静かに息を吐いた。厚い上着越しだが、それでも感じる高い体温に心の緊張までもが解けていく。


 アルセリアは弱い子だ。それは決して能力面の問題ではない、他人に迷惑を掛ける事を極端に恐れ、凡ゆるトラブルを全て自分で背負おうとしてしまう奥ゆかしい性格が問題なのだ。

 彼女は自己肯定感が低く、その為に何か騒動が身近で起こる度に自分の所為だと思い込み、どうしようもなく塞ぎ込んでしまう。それが続いてしまえばきっと彼女の心は木っ端微塵に砕けてしまうだろう。

 そうさせない為に、クレスが居る。


「あの、クレスさんはまだ寝ないんですか……?」

「いや、もう少し見張った後寝るつもりだよ」

「そうですか……それなら、ちょっとお話しませんか? 」

「あぁいいよ」


 クレスは『星穿ち』の引き金から指を離して、アルセリアと同じ様に石壁に背中を預けた。これでお互いが隣り合って寝ている様な形になる。彼女は更にクレスの方へ身体を寄せると、僅かに微笑んで彼の顔を見上げた。


「……あったかいですね」


その年端の行かぬ少女とは思えない程の妖艶な色気を纏う笑みに一瞬たじろぐ。アルセリアはそれを好機と悟ったのか、布団の中でそっとクレスの手を握った。


「えへへ、こうすればもっとあったかくなるかも……」

「……銃触ってたから冷たいよ? 暖なんて取れないって」

「平気ですよ、私にとってはこれが一番良いので……」


 ふとその時、トーチカの隙間から内側へ冷たい風が吹き込んで来た。毛布に包まっているとはいえ、思わず身体が震えてしまう程の寒気が彼等を襲う。


「……穴埋めちゃおっかな」


 アルセリアは毛布から右手を出すと、人差し指を立て、その指先を銃口が突き出す穴、銃眼へ向けた。クレスは『星穿ち』に手を伸ばすと、その太い銃身を銃眼から引き抜いて腕の中に抱え込んでその様子を見守る。

 すると石と土で出来た壁がまるで粘土の様にグニャグニャと曲がり、三十センチ程あった横に細長い銃眼を埋めていくではないか。


 数秒と経たない内に銃眼は狭まり、数センチ程度の幅になった。これでは最早銃眼というより通気孔だ。


「これで大丈夫……」


 普通ならありえない、岩石が飴細工か何かの様に簡単に変形するこの現象。常人であれば目の前の光景に大いに驚き、原因を究明したがるか、それとも神の所業だと騒ぎ立てるか、そのどちらかだろう。

 しかしクレスは眉を微塵も動かす事無く、その光景を眺めていた。


「……流石だなやっぱり。ありがとう」


 これはアルセリアの持つ『特異点』と呼称される能力によって引き起こされる物だ。

 この三年間で突然存在が確認され出した異能、『特異点』を持つ特殊な人間にクレスは何回か出会った事がある。その中の一人がアルセリアだ。


 彼等は皆普通の人間と変わらない生活を送っているが、ふとした時にその異常性を発揮する。

 岩石を変形させる能力、ライター程度の炎を発生させる能力、空気から飲料水を精製する能力。それらは多種多様で、いずれも人智を超えた力であった。


 クレスの様な凡人には如何にその能力を操るか、何故それが存在するのか、知る由も無い。知っている事といえば、それが凄く役に立つという事実だけだ。


 今彼等が居るトーチカも、その能力を用いて拵えられたのだ。元々空いていた比較的小さな洞窟の入り口を埋めて、外の様子を窺い、危険が迫れば撃退する為の銃眼を作れば即席トーチカの完成だ。

 岩石の塊に等しい為か壁こそ冷たいが、雨風はどうにか凌げるので寝床としては及第点である。


「あの、穴狭くして良かったですか? 魔物が近付いてきた時とか、対処出来ないし……」

「多分平気だろう、このトーチカ作った所も崖にあるし魔物も来ない筈だから」


 彼は『星穿ち』に安全装置を掛け、暴発の危険性を限りなくゼロに抑えると、それをトーチカの隅に積まれた荷物の山の上に置いた。


「あぁー、やっぱりこのトーチカ良いな。寒くないし、何より外よりも断然安全だ」


クレスはアルセリアの方に顔を向けると、出来るだけ柔らかい笑みを浮かべた。


「ありがとう、いつも助かってるよ。これが無かったか、野晒しで寝てたかもしれない」

「そ、そんな事……!」


彼女は再び謙遜しようと口を開いたが、急に押し黙った。どうやら何か考え付いたらしい。


「……あの、私が居なかった時は、どこで休んでたんですか?」

「え?」

「私のこの、『特異点』が無かったらトーチカも作れないでしょうし……特に冬なんて、耐え切れなかっただろうなって……」


アルセリアの唐突な問いに一瞬戸惑ったが、クレスは言葉を選びながら答えた。


「適当な洞窟か廃墟探して魔物に見つからない様に奥の方で寝てた。だけど冬は寒くて耐え切れないから特別。手頃な物が無い平地だったら、その……」


不思議そうに首を傾げる彼女に、やや申し訳無さそうな視線を送った。


「馬とかの腹を掻っ捌いてその中で……」


どうやらアルセリアにとってその行動は明らかに常識外れだったらしい、垂れ下がった目尻を持つ両目が今まで見た事の無い程に見開かれた。


「えっ……そんな事やってたんですか……!?」

「あー、まぁ……あの日は死ぬ程寒かったから、もうそれしか手が無かったんだ。嫌な感触だったよ、凄く暖かったけど」

「えぇ……もしかして、今後する……んですか?」

「しないよ流石に!」


 今でも覚えている、内臓を全て取り出して強引に作り出した小さな隙間に身体をねじ込ませ、じんわりと無くなっている体温と、筋繊維を隔てた向こう側に埋もれた肋骨の感触と隣り合わせのまま過ごしたあの一夜。

 苦肉の策だったとはいえ、明らかに常軌を逸した行動、正直二度としたくない。


「……腹の中に潜り込むのはマズかったか」

「マズイですよ……! それに臭いだって凄い事になりそうですし……」

「服とかも全部脱いで入ったんだ、流石に服が血塗れになるの嫌だし」

「そ、そんな……」


信じられない、とでも言いたげに苦笑いを浮かべるアルセリア。その肩はクレスと触れたままだった。


「まぁ、そんな事が出来る程厳しい環境だったって事で……ね?」

「……分かりました、けど……やっぱりクレトさんって凄いですよね……生き残ろうとする意志が強いっていうか……」


 アルセリアはクレスの顔を見上げ、心配そうな、弱々しい視線を向けた。まるで地雷原に片足を踏み込むかの様に慎重に。


「……やっぱり、ライラさんの、為ですか?」


ライラ、その名前を聞いて、自分の顔からスッと笑みが無くなったのを鮮明に把握出来た。


「え?」

「ライラさんの為にクレスさんは旅を続けてるんですよね? 私と会う前からずっと……世界が壊れた時から……普通の人なら新天地を目指さない限り安全な集落に閉じ籠もるでしょうし……」


一瞬の停止時間の後に、彼は噴き出した。


「おいおい、また懐かしい名前を出しやがって。ライラ? 昔の女の事を言うんじゃねえよ、ったく……」


 そこまで言い終えると同時に、彼は口を塞いだ。


 言葉遣いが、戻っていた。注意していた筈なのに。


 アルセリアから目線を逸らし、自分の失言を後悔する事数秒。このまま話し続けるのは無理だと悟った彼は毛布の奥底へ更に身体を沈み込ませた。


「じ、じゃあもう俺は寝るからね。おやすみ」


 背中に物憂げな視線を感じる。

 アルセリアも恐らく気付いているのだろう、クレスがまだ旅を続けるもう一つの理由を。その目的の達成を「諦めた」と言っておきながら、実は心の何処かで踏ん切りが付いていない事を。


 話さないでおけば良かった、とは思わない。

 逆にあの事を話して何か得があった、とは言い難い。


 少なくとも、それは何かを彼等の間にもたらした事だけは確かだ。


「…………クレスさん」


 背中越しにアルセリアの声が聞こえる。


「……いつも、私の為に頑張ってくれてありがとうございます。ご飯を作ってくれたり、魔物から守ってくれたり……お母さんを探すのにも協力してくれたりして、本当に感謝してるんです」


クレスは身を捩りながら、小さな声で応えた。


「それは俺が好きでやってる事だから気にしないで」

「……普通の人なら、好きだからっていう理由だけで三年間も赤の他人の世話を見ませんよ」


ぐうの音も出なかった。


「…………いつか、恩返ししたいです。とびっきりの、三年分の感謝を込めて」

「……お母さんが見つかった時にしてくれると嬉しいよ」


 暫しの沈黙が流れた後、吐息混ざりの笑い声と共に彼女の声は途切れ、その代わりに規則的な寝息が聞こえてきた。どうやら眠ってしまったらしい。


「……ありがとな」


そう言い残し、クレスもまた眠りに着いた。






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