第四章
ハクトは夢から覚めるところだった。遠く波の音が聞こえる。
「ティシア……」
彷徨うように腕が、指先が動く。
「ここに居ますよ」
ティシアは夢は見ない。ハクトが時折ぴくっと動きながら何かを呟いているのは何年も見ている。夢とはなんだろうとは思う。ティシアは不完全なんだろう。
そもそも寝る必要がない。添い寝はすることは有っても。
むにゅ。膝を掴まれる。腿を掴まれる。
「あと何年こんなことをして……」
「もう助かりましたよ」
「このまま、死ぬのは嫌だ……」
サプライズが有ります。そう言われてこの部屋に入ったら、ハクトが居た。
ティシアそっくりの映像に膝枕をするようにして、器用に石を積んでハクトが寝ていた。
石なんかで痛くないのかとティシアは思ったが、基本的にハクトはどこでも眠れる。
それはよく知っている。
ティシアが入れ替わって膝枕をすると、映像は消えた。
『君とコンタクトを取るのは難しかった』
「人とは違いますから」
『初めから無線通信を使うべきだったね。現時点で君を知性体として扱うか、ロボットとして扱うかは未決定のままだ。以降の君の行動に従って判断させて貰う』
「お好きなように」
『君の考えは直接読むことが出来ない。隔離していたことをお詫びする』
「いえ。仕方のないことです」
太腿までハクトの手が伸びて来る。いつもの事だ。
『不躾? な事を聞くが君の呼称、セクサロイドというのは性的な刺激を与えるためだけに作られたという意味に取っていいのだろうか。君は高度な知性体だ。失礼ではないだろうか』
「なぜ?」
『例えば計算能力を例に取ると君はハクトくんとは比較にならない速度で実行できる』
「まあ、そうですね」
ティシアは細く長い指を顎に当てる。
『動作と言葉だけで判断すると君はハクトくんと何も変わらない。むしろ出来ることは多い』
「そんなことはないと思います」
得意な事が違うだけだ。
『精神が読めないと言うのは我々にとってはコミュニケーションが遮断されているようなものなんだ。君にはあまり刺激を与えないようにする。解析は続けさせて貰う』
「どうぞお気になさらず」
金色の髪が風に流れる。髪の硬度を上げる。見た目はふわふわのウェーブを保つ。
個室も貰っている。シャワーを浴びて清潔にしてから来た。
香りも悪くはないはずだ。
蠱惑的、全身をそうして来たはずだ。
どうやって風を起こしているのだろう。ティシアは画像投影で作られた部屋を見回す。
映像を拡大する。
そうか。壁に小さな穴が開いている。ハクト様には見えないだろう。
『なるべく喋ってもらえると理解が進む』
「今はハクト様が寝ていますから」
そろそろ起きるだろう。尻にまで手が回った。
『気に成ることでもいい。何でもいい』
「どうやってティシアのシミュレーション映像みたいなものを出していたのですか?」
『ハクトくんの記憶から作らせて貰った。そちらからも解析を進めている』
「ティシアは、あまり自分の事は知らないんです。でも、読み取られないように作られている、とは聞いた事があります」
『そうか。大きな進歩だ。協力に感謝する。こちらのコンピューター? を引き続き解析に回す。電子的に介入を続けるが、不快な? 異常な? 感覚があったら言って欲しい』
「お好きなように。記録展示スペースにはティシアの全てについて、何か記録があるはずじゃないですか?」
船の後部にはこんな時の為に、何でも記録があったはず。
『損傷が酷い。さらに君については断片の記録もない。記録展示スペースというのが正式名称なんだね? それは乗員全員が知っているのかな』
「……ハクト様は忘れていると思います。何しろ施設が多いですから」
ハクト様は本当にお尻が好きですね。
寝たふりをしてる?
「そうだ。ハクト様にお薬は出しているんですか?」
『食事に混ぜている。錠剤の形の方が安心? するだろうか』
「その日によって処方も多少違いますから。ドクターの解析は終わりましたか?」
『構造は君に比べれば単純だった。すぐに提供する』
「お願いします」
壁にドクターが現れる。白衣の年配の男性の可愛いイラスト。笑顔が目立つ。
「何でこんなにすぐ出来るんですか?」
『ナノマシンだ。それでも完成まで五分ほどかかる。君は強いストレス? 衝撃? を受けても忘れたり、無視? することが可能だろうか』
「どうでしょう。程度によるとしか言えません」
『では穏やかに? 過ごして欲しい』
「はい。……ハクト様、起きているのは分かっていますよ」
下着に指がかかっている。
「あとちょっと、こうやっててもいいだろう? ん? 本物? ティシア?」
まだ半分寝てたのね。
「そうです。会ってもいいとお許しが出ました」
「なに泣いてるのよ。この映像切っていいかしら?」
10年間寂しかった。どこが?
あまり悪口は良くないだろう。評点が下がる。
イリアは短い溜息で留める。
『美しい光景? でもある? と誤認していたようだ。あまり評点は気にしないで欲しい』
壁の映像が消える。
「状況次第では美しい光景です。私次第で判断が変わるので、あまり参考にはならない……申し訳ありません。評点はどうしても気に成ります」
「評点が仮にマイナス10に成ったとしよう。我々は君たちの希望を全て叶えないかも知れないが、君たち自身に対して出来ることはする。そしてこの宙域で出来ることはする」
抽象的だ。何かを隠しているようにも思えた。
「地球に対しては何もしない、と理解していいですか? 曖昧です」
「君たちの寿命を延ばすことも可能だ。人口を増やすことも可能だ。この宙域で生きていく上で必要な資源もある」
「……答えて下さい」
はぐらかすようにも成った。デルガの理解力は想像以上だ。
「紅茶はどうかな。いつもの味を再現する」
時間を置く? 回答を延ばした事は一度もない。
試されている可能性もある。
「頂きます。その間に評点が10だった場合の回答をご用意願います」
時間は与える。
「不愉快にさせてしまったようだ。一方的に採点し、一方的に処遇を決める。酷い。この方式自体に誤りがある。異議を提出しておく」
懐柔か。私たちが危険かどうか判断するのは自由だし評点を付けて貰ってもいい。
「そうではない。懐柔策ではない。紅茶を持ってくるよ」
ほんの少し、審問官の表情が陰ったように見えた。
審問官は部屋を出た。
人に近付いて来ようとしているのだろうか。彼らなりに。
それとも困って見せる必要でもあるのだろうか。
助かった、という多幸感から私は醒めつつある。
考えたくない事は意識から遠ざけていた。
「希望、そればっかりだったわね」
疲れていた。頭を机に乗せる。糖分も足りないだろう。紅茶は間違いでもない。
ねえ、千年後の事なんて考えなくていいのよ? 私達は自分でやっていくから。
母はそう言った。
どこかの星で、きっとあなたは目覚めるから、そうしたら仲良くして。
そこで暮らして行きなさい。私の希望はそれだけ。行ってらっしゃいね。
フェイズⅡプラン。
ある年限が過ぎた場合、船は最寄りの太陽型恒星に向かう。船を利用、展開し熱源からのエネルギーのみで生活を再開すること。内部プラント停止後も乗員数を仮の上限とする生存が可能である。その際の指揮系統は、第一世代は睡眠施設の番号1を最優先とし、999を最下位とする。第二世代以降は合議の上決定すること。
「フェイズⅡに近いわね。デルガの提案は」
違う。もっと自由で楽だ。
お母さん。言ってくれた通りにはなりそうだよ。
幸せに……なれるかな。