元勇者の非日常
俺には好きな人がいる。
一緒に話していると時間を忘れられるし、ふとした瞬間に目で追っていたりするし、会えば心臓はバクバク言う。話していると何か変なことを言ってるんじゃないかと気が気じゃない。
だが、俺はそんな好きな人に会うのは憂鬱だ。相棒は、会う時には常に嵐を連れて来る……。
「僕たちに依頼が回って来た」
相棒は唐突にそう言った。何時も通りの単刀直入。時候の挨拶も前置きもへったくれもない完璧な本題。相棒らしいっちゃらしいが、俺としちゃあんま嬉しくない。その本題ってのが俺にとっちゃ大問題なんだ。
「聞くぜ?」
カタカタと情けなく震える身体を何とか気付かせまいと不敵な笑みを浮かべて続きを聞く。
「勿論、ギルドの方からのね」
ああ、やはりか。いや、やはりというか相棒が持ってくる話題はこれ以外に思い付かない。それくらい自明の事柄なのだが、どうやら俺は現実逃避をしていた様だ。どうかこのまま何の用か伝えずに回れ右して帰って下さい。今のこの浮き立つ心を乱さないで下さい。そんなどこまでも浅ましく、自己中で、幼稚な願い。猛烈な自己嫌悪に陥る。俺は何て浮わついた気持ちで居たのだろう。俺は周りに居る誰よりも屑であるというのに。あの日の誓いを思い出して覚悟を決める。皆に蔑まれる覚悟を。
「教えてくれ。次は誰を殺せば良い?」
相棒の言ったギルドとは勿論普通のギルドじゃない。この世の闇を束ねるギルド。暗殺ギルドだ。当然、回って来るのは暗殺依頼。誰々が憎いとか、誰々が許せないだとか、誰々が邪魔だとか、そんなどうでも良いことが溢れている、そんなクソッタレな依頼。そんな泥沼の様な世界にどっぷり首まで浸かってしまっている。後はもう引き摺り込まれて、息が出来なくなって、それで終わりだ。
「この近くに僕の隠れ家がある。一先ず其処へ行こう」
相棒は困った様な顔をすると路地裏の方を指差す。其処は荷車が入らない程狭い路地であり、活気のある表通りを光と例えるならまさに影。道の狭さと不便さ故に廃れて行ったのだろう。陰鬱な空気がここまで漂って来るかの様だ。
相棒が何か言いたそうにしているのを見て、察しの悪い俺も漸く分かった。
天下の往来で人を殺すだ殺さないだなんて物騒な話をするもんじゃない。誰が聞いてるか分からないし、こんなこと憲兵にでも聞かれれば一発でお縄になってしまう。
辺りを見回して、変な挙動をしている奴が居ないかサッと探る。ホッ、どうやら誰にも聞かれなかった様だ。
「ワリィ」
相棒に向かって手を合わせて謝るとヘラリと笑う。相棒もそれにつられてフッ、と頬を緩めてくれた。ああ、やっぱ笑顔は良いな。これだけでも沈んだ気分が浮き上がりそうだ。
「頼むよ?この辺りはただでさえ人通りが多いんだから」
相棒の忠告に素直に頷くと、相棒に連れられて路地裏に入ろうとするが、途中で思い出す。
「あ、ワリィ。荷車借りてんの忘れてた。ちっとここで待っててくれ。返して来るから」
出店野菜のオヤジから荷車借りてたのをすっかり忘れてた。路地が小さくて相棒のアジトには持って行けそうに無いし、ここに捨て置くのも盗まれそうで気が引ける。まぁ、その気になればこんな荷車直ぐに“創れる”が、それでも恩には恩で返すのが人としての常識だ。魔力も節約したいし。
相棒を待たせるのは悪いが、先に返しに行くのが礼儀だろう。俺が相棒に向かってもう一回手を合わせてお願いすると、相棒は快く受け入れてくれた。
「良いよ。ここで待ってるさ。押し掛けたのは僕の方だしね」
やっべ。マジイケメン。行くと言ってからの急な掌返しにイケメンスマイル付き大人対応とかカッコ良過ぎかよ。
「ワリィな」
今日謝ってばっかだな俺。謝りつつそんなことを思った俺はこれ以上相棒を待たせるのは悪いので荷車をさっさと引くとする。
カラカラと車輪が鳴る。これから人を殺す相談をするというのに、荷車を引く俺の足取りは妙に軽かった……。
†††
「ワリィ!待たせちまったか?」
早速本日何度目かの謝罪をしながらこのままだと相棒の名前が“ワリィ”になり兼ねねぇな、精進しねぇと、などとバカなことを考える。オヤジに荷車を返し、ダッシュで帰って来た俺が多少息を切らしながら聞くと相棒は首を振った。
「いや?焦ってるリュウジが見れたからプラマイ0かな」
フフッ、と含み笑いをしながらイタズラっぽい顔でそう言う相棒。相棒、お前には必死で帰って来た俺を優しく慰める気は無いのか。主人を待ち続けてたのに怒られたハチ公の気分だよ。まったく、ダッシュで帰って来て損したぜ。
「オイコラてめぇ……」
俺は思わずムスッ、とする。そう言えば知ってた?オイコラって鹿児島弁なんだぜ?初めて知った時はスゲェ驚いたよ俺。いや、だから何だって話だけど。
ともかく、こんな益体もないことを直ぐに考えてしまう位には相棒の前じゃ俺が拗ねるのは続かなくて、でもそんな一瞬を相棒が見逃すことはない。
「ごめんごめん。機嫌を直してくれ。なんだったらお菓子持ってるけどあげようか?」
相棒はぺろっと舌を出して軽く謝りながらポケットからザラメの砂糖の振り掛けられたクッキーを取り出す。イケメンはどんな顔してもイケメンなんだなと思い知った一瞬だ。
「バカにしてるんだろ。そうなんだろ」
俺は22歳。元の世界にこっちの世界、どちらの世界でも成人している。幾ら日本人が童顔だからって子供扱いには無理がある。俺の若々しい顔を遠回しにディスろうとしていると見た。許さんぞこのアマ。大体物でご機嫌取ろうなんざ今時、小学生相手でも難しいぜ。
「ああ、そうだよね。ごめんごめん。じゃあコレは要らないかな」
相棒が見せびらかす様に持っていたクッキーをしまう前に手が差し伸べられた。
「誰も要らないとは言ってないだろう。寄越せ」
が、まぁ、それとこれとは話は別だ。くれると言うんだから素直に貰っておくとしよう。
あ?こっちの世界は砂糖がお高いんだよ。この商業の街でさえ滅多に流れて来ない。んまい。ちょっと位良いだろ?現代生活してて下手に舌が肥えてるからな。甘さ超控え目の穴なしドーナツがケーキって言われてもバカにされてるとしか思えねぇんだよ。んまっ。
俺はボリボリと口の中で砕けるクッキーの久々の砂糖の味を噛み締めつつ、この世界の不条理を嘆いた。ふと相棒の方を見ると、相棒はにっこりと笑っていた。
「何だよ?」
仏頂面で聞くと相棒はそのイケメンスマイルを更に深めると澄んだ瞳で此方に向けた。
「何でもないさ」
いや、何でもある顔してるだろ。わっかりやすっ!相棒、お前情報屋もやってたんじゃねぇのかよ!ポーカーフェイス出来ない情報屋ってどうなん?
「子供っぽいって思ったんだろ!扱い易いって思ったんだろ!」
言っとくけど菓子で釣られてやるのは今度限りだからな!次はねぇからな!
「思った。リュウジでもあんな顔するんだね?」
へ?そんな変な顔してた?いや、そんな筈はない。カマかけられてるだけだ。何しろ俺は相棒の前じゃ常に笑顔で居られる様に訓練してる。だから崩れたとしてもそれはまだ笑顔の範疇の筈だ。変顔なんてしてない。
「思ったんなら墓まで持ってけよ!何でここで言うんだバカ!」
22にもなって子供扱いとかマジか。これじゃもうお子様を笑えねぇぞ。
「だって、聞かれたし」
澄ました顔でスマートに肩を竦める相棒。
いや、聞いたけども。確かに聞きましたけども。それは否定して欲しかったからで……。それ肯定されちゃったらもうどうにも……。
ってか肩を竦めるだけでキマるんだからイケメンはズルいな。
「ほら、バカやってないでサッサと行こうか。通行人だって集まって来ちゃうしね」
「俺が悪いのか!?なぁ俺が悪いのか!?」
ふぅ、やれやれだぜ。みたいな顔してますけど今回の件は多分にアナタのせいだと思う訳ですよ相棒さん!そんな全部俺が勝手に騒いだ結果みたいな見解止めて頂きたいんですけど!
「お前なぁ!」
俺が声を荒げると相棒は笑う。そのイケメンフェイスが崩れない位の小さな笑いだ。大笑いって訳でも無いけど、そんな顔されたらこっちも怒れない。
俺もウッカリ笑ってしまう。まぁ、惚れた弱味って奴だ。
俺達は笑い合う。
紛い物の笑みを浮かべ合う。
俺は相棒について何も知らない。
相棒がどんな過去を送って来たのか。親はどんな人か、どんな友人を持って居たのか。どんな幼少期を送って来たのか。何故、殺し屋なんてやっているのか。これからどうするつもりなのか。どうして女なのに男の格好をしているのか。何で情報屋、事務作業が出来る程の教養が有るのか。
何故?なぜ?ナゼ?
俺は知らない。
何も知らない。
彼女の名前でさえも……。
初めて会った時、アンティという偽名を名乗られて以来それっきり。だから俺は彼女を相棒としか呼べないし、呼ばない。偽名なんて呼んでやらない。それはちっぽけな俺の意地で、“相棒”だなんて単なる嘘だ。
他人。それが俺達の関係を強引に表すなら用いられる言葉。俺は彼女のことを何も知らないし、彼女も俺のことを何も知らない。全ての秘密を暴くにはあまりにも脆すぎて触れることすら躊躇われる関係。隠し事だらけの俺達には丁度良い嘘だろう。
でも、今俺は幸せだ。富、命、そして居場所。俺は彼女に全てを与えられ、そして彼女に恋をしている。
この幸せが、例え紛い物であったとしても俺はこのままで良い。例えこの幸せが一瞬で終わろうとも、俺はその一瞬がなるべく永く続きます様にと願い続ける。そんな刹那的で、未来もクソもない俺の願望。
俺は、未来なんて考えられない。考えたくない。今はただ、この笑い合う日々が、未来永劫続きます様にと願うことしか、俺には出来ない……。




