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煙の王  作者: 文鳥愛子
2/17

真実は煙の向こう側に(2)

 警察の応援はすぐに来た。静かだった道路のあちこちが、パトカーの赤いランプでチカチカ照らされている。

 結局、荷台にあった全ての荷物の中身は大量のタバコであり、野菜や魚を入れていたものなんて一つもなかった。うまい話には裏がある。安心しきっていた太一と黄瀬に、今頃になって今までの報いがやってきたのである。

 全国民禁煙政策。それは喫煙、タバコにまつわるありとあらゆるものにまで規制をかける。

 例えば、三十kg以上のタバコの輸送、所持には政府公認の許可証が必要という風に。

 野菜と魚の配送としか言われていない太一たちは勿論そんな許可証など持っているはずもなく、運転を務めていた黄瀬は現行犯逮捕で警察署まで連れていかれた。 同乗者である太一はパトカーの群れから外れた道の隅で、千ヶ崎から個別に尋問を受けていた。

「なるほど、となるとあなた方は加害者ではなく被害者。会社側から利用されていただけだと」

「だから何回もそう言ってるだろ。分かったら黄瀬さんを釈放しろ‼」

「そこまでの権限は残念ながら私にはないのですがねぇ」

「何?」

 警察組織の構造なんて何も知らないが、斎藤という中年の警官に指示を飛ばしていたからてっきり千ヶ崎は上の地位にいるものだと思っていたので、彼の発言は思いのほか意外だった。

「というより私、そもそも警察組織の人間ではありませんので」

「は?」

 更に意外な発言に、いよいよ千ヶ崎という白スーツの男が分からなくなってきたところで、彼は不意に、脈絡なく話題を変えた。

「時に赤丸太一さん。あなた、お兄さんの銀次さんから何か預かっていたりするものはありませんか? 例えば、タバコとか、ライターとか」

 千ヶ崎の物言いに、太一は眉を顰める。随分と遠回しな言い方だ。まるで、タバコとライターを貰ったことが既に分かっているような……。 

 何かがおかしいと勘づいた太一は警戒して答える。

「知らねぇな。っていうかなんで今そんな話をする」

「いえいえ。これはただの個人的関心というか、別件の仕事の話なんですよ」

「別件の仕事?」

 話を戻しましょう、と千ヶ崎は懐から小さな十字架を取り出した。

「『破魔十字』。これは私が『灰祓ハイバラい』であることの証です」

「お前、いきなり何言って――」

「気づかないのですか赤丸君。もう話は変わっているのですよ? 既に私は、こんな下らない事件を捜査する刑事なんかではなく、大儀を全うしようとする灰祓いなのであり――」

 悠長に千ヶ崎の言葉を聞いている暇なんてなかった。

 それを見た瞬間、今すぐに逃げねばならないと太一の本能が警鐘を鳴らす。

 目に入ったのは、刃。

 敵を捉えるために長く、人肉を斬り裂くために鋭い。

 端から端まで、人を殺すためだけに作られた剣という凶器を、今まさに千ヶ崎が振り抜かんとしているのだ。

「今のあなたは、その大義がために殺される罪人なのだから」



 躱したというより、外れたという表現が正しい。

 喉元まで刃を近づけられ、恐怖で足を止めた太一の前に割り込んできたのは、一本角を生やした黒兎の面を被った人間であった。パーカーのフードを深く被っているために人相だけでなく髪型も分からない。しかも上から下まで全て服装が黒で統一されているために、闇夜に紛れてその姿形すら捉えるのを許さない。

 だがその黒兎が、太一に迫る刃を寸前で弾いたというのは確固たる事実。

「誰だ、お前……? なんで俺を、助けた」

 その問いに、太一の前に立つ黒兎は肩越しに彼の方を振り向くと、逃げろ、とくぐもった声で言った。 警察に言わなくてもいいのか。そもそもこの黒兎を残して行っていいのか。様々な案が浮かんだが、とにかく今は一刻も早く千ヶ崎から距離を取りたくて、太一は闇雲に駆け出していた。

「何なんだよアイツ」

 『破魔十字』に『灰祓い』。躊躇いなく振るわれた剣。自分の命が狙われているという状況。そして黒兎の面を被った人物。

 まるで洪水のように、わけの分からない状況や言葉が目まぐるしく起こり、そして立て続けに飛んで来る。

 いつもと同じように、ただバイトをしにきたはずなのに。

 いや、

(本当に、いつもと同じか……?)

 目まぐるしく変わるこの状況をまるで洪水のようとたとえるのならば、その発端はきっと、防波堤に走るか細い亀裂のような小さな綻びであるはずだ。

 ささやかで、誰かが気に留めるほどでもなく。

 けれど確実に、日常の崩壊を予言する――

(ああ、これか)

 ズボンのポケットに入った、タバコとライター。

 押入れの奥からあの箱を見つけた瞬間、何かがおかしいと太一は思っていた。しかし、何かが変わり始めるだろうとは思ってもいなかったために、彼は今こうして命からがら逃げているのである。

(千ヶ崎の奴は、このタバコとライターを気にしていた。それと兄貴のことも。つまりこのタバコとライターには、兄貴と関係するような秘密が隠されているってことなんだろうが、だからってどうして俺が殺されなくちゃならねぇ⁉)

 事実と事実がうまく繋がり合わない。そのために今取れる選択肢が、取りあえず逃げるというところから一向に広がらない。

 しかしそれすらも、一度壁を目の当たりにするだけで脆くも崩れてしまうものであったが。

「行き止まり……ッ」

 行き着いた先はレンガ造りの大きな壁。抜け道はないかと両脇を見ても、どちらもビルの壁が幅を利かせているために隙間なんて一切ない。

 どうすれば……と惑う太一を追い詰めるように、走ってきた道から何かが飛んで来た。

レンガ造りの壁にぶつかって漸くその勢いを殺したのは、先程太一を助けてくれた黒兎。

 呼吸が苦しいのか肩は忙しなく上下し、面の隙間から首元にかけて、一筋の赤い鮮血が脈を撫でるかのように流れている。

「おいアンタ、怪我してんじゃねぇか」

「いいから、今は生きることだけを考えな」

 くぐもった、荒い息の混じるものではあったが、その声色から黒兎の正体が女であるという察しがついた。

 彼女は首筋を垂れる血を拭うと、再び太一の前に立つ。

 すると暗闇の向こう側から、乾いた拍手の音と革靴が響かせる固い足音が聞こえた。

「おやおや、随分と献身的ですね、貴女。忠誠心と言えば兎ではなく犬なのでは?」

「一緒にするなよ。負け犬はアンタらで十分さ」

 黒兎の強気な物言いを、千ヶ崎は大きく笑い飛ばした。

 これまでの数分間で、恐らく黒兎と千ヶ崎は戦っていたのだろう。

 だから彼女は血を流し、だから彼の剣先は赤く染まっている。

「無茶だ……。丸腰の俺らが、剣を持ったアイツと戦うなんて無理だ。とにかくここは警察を――」

「そんなの意味ない」

 制したのは太一を庇う黒兎であった。

「アイツは政府お役人の犬。つまりアイツはこの国の命令で、この国のためにアンタの命を狙っている」

「国のために、俺を殺そうとしている……?」

 意味が分からない。

 こんな、何の変哲もない一介の大学生の死に、一体何の意味が?

 太一と同じ年頃の人間なんて、日本中隈なく探せば当たり前のようにそこら中で死んでる。

 それなのに、どうしてわざわざ、こんな面倒な手段を取ってまで、赤丸太一を殺そうとする?

「それは君が赤丸銀次の弟だからですよ」

 まるでそれが、誰もが納得のいく一番の最適解のように千ヶ崎は堂々と言い放つ。

 しかし太一にはどうしてもその発言の真意に納得がいかなくて、むしろそれがこの一連の出来事の謎の根源であるがために、彼はやはり、怪訝そうに眉を顰めた。

「だから、それと俺の命が狙われることに一体何の関係がある」

「赤丸銀次という名を聞いて何も浮かばないなんて……、本当に君は何も知らないんですね。至極残念。その無知には、憐れみすら覚えますよ」

言い返そうとする太一を後ろに押しのけ、対して黒兎は一歩前に出る。

「退いてろ。ここは私がなんとかする」

「なんとかって、一体どうやって」

 こうやって、と黒兎がまず初めに行ったのは、懐から取り出した煙草にライターで火を灯すことだった。ご丁寧に面の口元には穴が開けられているようで、優雅に一服までし始める始末。

「お前、一体何のつもりだッ‼」

 この隙を千ヶ崎に狙われたらどうすると赤丸が危惧するまでもなく、勿論彼は好機とばかりに飛び込んでくるわけで、

「そこで見てなさい」

 しかし黒兎は一服するのを止めようとはせず、まるで人生最後の至福の時を噛みしめんばかりに大事に大事に煙を吸って、ポツリと、こう呟いた。

「一歩でも近づけば、悪いけど巻き込んで殺してしまうかもしれないから」

 吐き出す白煙が、彼女を覆い隠すかのように渦を巻く。けれど千ヶ崎は構わず剣を振り抜く。

そして、金属音。

 それは確かに、刃と刃がぶつかり合うような甲高く、けれど同時に、殺気と殺気がぶつかり合う地鳴りのような低い響き。

 だが太一は、千ヶ崎の剣を黒兎が受け止めたとは思えなかった。

 丸腰なはずの彼女が剣を受け止めたとして、待っているのは血飛沫と断末魔なはず。

「一服終えたし、さぁここからが正念場」

 しかし聞こえるのは、やけにはっきりとした黒兎の声。

 そして見えるのは、タバコの煙の、白。

 その煙は時に規則的に、しかし不規則的に、集まり、別れ、やがて黒兎の背後で髪の長い女を形作る。

 守護霊のような、それでいて背後霊のような、煙から生まれたその女は、刃毀れの激しいボルボロの日本刀を携えていた。

「見せてやろうじゃないの。私たち、吸う者の戦い方を」

 


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