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高梁と菊地

第七話 不思議の保留

作者: エメス

物語はオムニバス形式であり、各話は時系列がバラバラになっています。

また、それぞれが完結しているので、

1話から順に読まなくても分かるようになっています。

どうぞ気兼ねなくお読み下さいm(_ _)m


※物語で登場する人物名等はフィクションです。

※またFC2小説、mixi、2ch系掲示板等にも投稿したことのあるお話です。

 大学へ通うため、先月住み慣れた地元から東京へ引っ越してきた。

 

 はじめは都会の駅や町並みがまるで迷路のように思えたが、

 住んでしまえば、意外とすぐに慣れるもので、

 今では一人暮らしも少しは様になってきている。

 

 アパートは大学から徒歩20分ほどの場所にあるのだが、

 僕はいつもスーパーへ寄るために少し遠回りをしていた。

 

 買い物を済ませると、住宅の立ち並ぶ裏路地を通ってアパートを目指す。

 塀の上で寝ていた猫がアクビをしている。

 民家からは良い匂いが漂ってくる。

 時刻は夕方に指しかかり、町並みには少しオレンジ色に染まっていた。

 

 東京は何処か忙しないイメージを持っていたが、

 下町には地元と同じのんびりとした時間が流れている。

 僕はこの雰囲気が好きだ。

 

 大通りに出て、道なり進むと僕のアパートが見えてくる。

 そこは近くにある小学校の通学路であり、下校する子供達の姿がちらほらと見えた。

 

 歩道に設置されたベンチに俯いて座るお婆さんの姿が視界に入る。

 散歩の途中で疲れたのか、一休みでもしているのだろう。

 お婆さんが顔を上げ僕を見る。目が合ってしまった。

 

 気まずく感じて、僕はすぐに目を逸らす。

 少し急ぎ足でアパートを目指した。

 

 

 翌日の講義は3時限からだ。

 それに甘え昨晩夜更かしをして、僕は昼過ぎに大学へ向かう。

 いつも賑やかな大通りも平日の日中だと、さすがに人通りが少ない。

 

 歩道に設置されたベンチに俯いて座るお婆さんの姿が視界に入る。

 昨日のお婆さんだ。今日も居る。

 僕は目が合わないようにチラ見だけして通り過ぎた。

 

 今日の受講が全て終わると、友人に声を掛けられる。

 どうやらこれから他の受講生達と夕飯を食べに行くらしい。

 それで僕も誘いにきたのだ。

 この後、特に予定があるわけではなかったので快く承諾した。

 

 少し騒がしいファミレスに入り、

 他愛もない会話を挟みながら友人達と食事をとる。

 

 こうした当たり前で平穏な日常が、僕には少し新鮮だった。

 

 

 僕の本当の父親は4歳のときに死別している。

 それからというもの母は必死に働いて育ててくれたのだ。

 

 高校へ上がる頃には、

 進学のための掛かるであろう費用にある程度の目処が立ち、

 母は自分の将来を考え、仕事を辞めて再婚した。

 

 しかし僕はその相手と、どうしても馬が合わない。

 その歪みは日に日に膨らみ、やがて暴力へと発展していく。

 1度でも暴力に訴えてしまうと歯止めが効かなくなるものだ。

 

 僕は毎日のように義父から暴力を受け、

 時には、肋骨や腕の骨を折られることもあった。

 

 だが、母への恩と義父に見返してやりたい一心で、

 当時の偏差値では難しかったこの大学への進学を目指したのだ。

 もともと勉強が出来る方ではなかったものだから、

 高校の頃は、とにかく勉強ばかりしていた。

 

 だから友人達と、このような時間を過ごすことが少ながったのだ。

 

 

 夕食を終えた後、友人達に別れを告げ帰路につく。

 辺りは薄暗く、すでに街灯が点き始めていた。

 もう春とはいえ、この時期はまだ昼夜の寒暖差が激しい。

 僕はいつのも大通りを少し足早に歩いていた。

 

 ベンチに俯いて座るお婆さんの姿が視界に入る。

 日中に見かけたお婆さんだ。まだ居る。

 この人は1日に数回散歩をするのが習慣なのかも知れない。

 

「お婆さん、夜は冷えるから早めに帰って下さいね」

 

 少し心配になって声を掛けた。

 お婆さんはゆっくりと顔を上げ、微笑みながら答える。

 

「おやおや、優しいね、ありがとう」

 

 そう言って、再び俯いた。

 

 本当であれば、自宅へ送ってあげるなり、

 警察に言って保護して貰うなりすればいいのだろう。

 だが、これ以上の気遣いは単なるお節介になる。

 

 僕は釈然としない気持ちを抑えてアパートへ向かった。

 

 

 今日は日曜だ、講義はない。

 僕は昼近くまで寝ていた。

 

 さすがにお腹も空いたので、朝食を兼ねた昼食を買いに行くため、

 いつも通っているスーパーへ出掛ける。

 

 休日の日中は人気が多い。

 大通りへ出ると、部活へ行くため、あるは遊びに行くため、

 あちらこちらに子供達の姿が見えた。

 

 ベンチに俯いて座るお婆さんの姿が視界に入る。

 今日も居た。

 

「ここは散歩コースですか?」

 

 特に話しかける理由はなかったのだが、何気なくお婆さんに問い掛けた。

 お婆さんはゆっくりと顔を上げ僕を見る。

 

「ああ… 昨日の」

 

 少し間を置いて、思い出したかのように答えた。

 

「私は散歩をしているわけではないよ

 ここで人を待っているんだ」

 

 人を待っている?

 

 僕は辺りを見渡す。

 ここはバス停でもなければ、近くに目印となるようなものもない。

 とてもじゃないか待ち合わせには向かない場所だ。

 

「それで毎日ここに座って待っているんですか?」

「ああ、そうだよ」

 

 お婆さんはにっこり笑って答えた。

 

 失礼かも知れないが、

 このお婆さんは少しボケが始まっているのだろうか。

 

 もし今の話が本当だったとして、

 何日もここで人を待っているなんて老体には辛い。

 僕はその相手に少し怒りを覚えた。

 

「早く待ち人が来るといいですね」

「もうすぐ来るよ」

 

 お婆さんは再び笑いながら答える。

 先ほどの笑顔とは違って、どこか不気味に感じた。

 

 どういう意味だろう。

 もうすぐ来るとは、電話か何かで知らせがあったのだろうか。

 それともやはり、このお婆さんはボケ始めているのかも知れない。

 

 ただ待っていた人が来るのであれば、これ以上心配することもないだろう。

 

「それは、よかったですね

 この時期日中は暑いので無理はなさらないで下さいね」

 

 お辞儀をして立ち去ろうとした。

 しかしお婆さんに引き止められる。

 

「そうだ、1つだけ忠告をしよう」

 

 僕は振り返って、お婆さんの話を待つ。

 忠告とは意味深な言い方をするなぁ。

 

「今夜はこの通りを歩かない方がいいよ」

 

 お婆さんはそう言って再び俯く。

 

 随分含みのある忠告だった。

 先ほどお婆さんが見せた、不気味な笑顔を思い出して鳥肌が立つ。

 僕は話し掛けたことを少し後悔した。

 

「わかりました」

 

 僕はもう1度お辞儀をして立ち去った。

 

 スーパーで買い物を済ませ帰路につく。

 わざとお婆さんの居る大通りを避け、遠回りしてアパートへ戻った。

 

 

 月曜の講義は1時限からだ。

 寝坊してしまった僕は慌しく部屋を出る。

 

 玄関の鍵を閉めながら少し悩んだ。

 

 大学への道のりは大通りを進むルートが一番近いのだけど、

 あのお婆さんにまた会うのが嫌だった。

 しかし、そんな理由で1時限に遅刻するのは癪だ。

 

 仕方なく僕は大通りへと出る。

 俯きながら足早に歩いた。

 

 もう少しで、いつもお婆さんが座っていたあのベンチが見えてくる。

 今日も居るだろうか?

 もし声を掛けられたらどう受け答えしようか。

 情けないことに僕は、昨日見たお婆さんの不気味な笑顔を思い出して畏縮していた。

 

 しかしそこにはベンチを囲むように人だかりが出来ている。

 人と人の隙間から立ち入り禁止と書かれた黄色いテープが見えた。

 

 一体何があったのだろう?

 

 僕は言い知れぬ不安を感じて足を止める。

 あれはいつもお婆さんが座っていたベンチだ。

 もしかしてお婆さんに何かあったのだろうか?

 昨日のお婆さんの忠告を思い出す。

 

『今夜はこの通りを歩かない方がいいよ』

 

 僕は人だかりに混ざって中の様子を伺った。

 制服を着た警察官が険しい顔を浮かべながらテープで作られた囲いの中に、

 人が入らないよう制止している。

 更に奥でスーツを着た2人の刑事が何かを話している姿が見えた。

 

 聞き耳を立てると雑音に紛れて誰かの会話が聞こえてくる。

 

「殺人があったらしいよ」

「近所でこんなことがあるなんて…」

「殺されたのはどうやら中年の男性らしい」

 

 不謹慎と思いつつも、少しホッした。

 どうやら、あのお婆さんに何かあったわけじゃないらしい。

 僕は人だかりから離れ、再び大学を目指して歩き出した。

 

 しかし結局1時限に15分遅れ、

 教室へ着いたのは出席を取られた後だった。

 

 

 それから1週間が過ぎた。

 殺人事件が起きてすぐは、大通りが小学校の通学路ということもあって、

 黄色い腕章を着けた先生や保護者、集団で登下校する小学生の姿を見て取れたが、

 しばらくすると何事もなかったかのような静かな日常に戻っていた。

 

 気がかりだったのは、あれ以来お婆さんの姿を見掛けなくなったことだ。

 あのお婆さんは、どうしたのだろう?

 

「やっぱり待ち人が来たから、

 あのベンチで待っている理由がなくなったのかな?」

 

 僕は友人と電話をしている。

 

 友人の名前は高梁。

 彼とは中学時代からの付き合いで、

 僕が進学で上京したことによって徐々にだが疎遠になっていった地元の友人達の中で、

 未だに連絡を取り合っている腐れ縁に近い関係だ。

 

「お前、そのお婆さんを疑おうって発想はないわけ?」

 

 高梁は溜息混じりに答えた。

 

 確かに、あのお婆さんの言動は怪しい。

 だけど僕には、それほど悪い人のようには思えなかった。

 それに被害者は中年の男性だ。

 老人の力で成人男性を殺害するのは容易なことではない気がする。

 

「考えなかったわけじゃないけどさ」

「まぁ、お前が被害者にならなくて良かったじゃない」

 

 高梁は笑いながら物騒な発言をした。

 こいつは昔からこういうやつだ。

 

「それで───」

 

 彼は少し間を置き、続けて答える。

 

「その婆さん、お前以外の人には見えていたのか?」

 

 一瞬思考が停止した。妙な言い回しだった。

 言葉の意味がよく分からない。

 

「…すまん、忘れてくれ」

 

 僕が高梁の問い掛けに沈黙していると、

 少し残念そうに彼は言った。

 

 僕は高梁が何を伝えようとしたのか気になったが、

 あえて他の話題を振ることで話を終わらせることにした。

 それは謝罪を入れた彼に対する気遣いの意味もあったのだが、

 後に続く話を聞くのも少し怖かった。

 

「そうそうGWは無理かも知れないけど、夏休みは帰省するから」

「おう、そんときは遊ぼうぜ」

 

 高梁は笑いながら答える。

 

 彼は度々変なことを聞きてくることがあった。

 その発言によって不快感を覚える人は少なくない。

 そのため周囲から変わり者と評されることが多かったし、

 彼自身それを十分に理解していた。

 しかし僕が彼に興味を持つようになった理由もそこにある。

 

 もしかして高梁は…

 いや、止めておこう。

 

 これまで僕と高梁は互いのことを踏み込んで聞くことはなかった。

 相手の伝えたいことが分からなくても言葉の節々から気持ちを汲んでやる、

 それが僕達の関係値であり、彼が話しを止めた時点で終わりなのだ。

 

 その後は適当な近況報告をし、電話を切った。

 

 

 翌日の講義は1時限からだ。

 慌しく部屋を出て、大学へと向かう。

 大通りをしばらく歩くと、あのベンチが見えてきた。

 僕は少し足を止め周囲を見回す、やはりあのお婆さんの姿はもう見えない。

 結局、僕が体験した少し不思議な出来事は、不思議のまま保留となった。

 

 高梁の言った言葉を思い出す。

 

『その婆さん、お前以外の人には見えていたのか?』

 

 あのお婆さんは何だったのだろう?

 高梁は何か知っていたのだろうか?

 

 いつかこのことに触れる機会があったら、

 そのときは、彼が伝えようとした質問の意図を聞いてみよう。

 

 僕はいつ忘れるかも分からない小さな決意をして、

 再び歩き出した。

 

 ※ 終わり。

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