レヴォントレット家の食卓
時期はジークの実家から辺境の村に帰って数ヶ月後位です。
今日は普段見かけない商人が村に様々なものを売りに来ているらしい。
アルノーと一緒にお散歩に出かけていたジークが教えてくれた。
「まあ、これと言って珍しいものはなかったが」
「ふうん」
酒に果物、お菓子に香辛料と、村では手に入らない品々が売られていたようだが、異国出身のジークの目を引く品は無かったと言う。
その話に食いついたのは意外な人物で。
「わあ、リっちゃん、お母さんもお店を見に行きたい~!」
「うん」
「一緒に行こう?」
「……うん」
母が行商の店に行きたいというので、同行をする事となった。
「まあ、凄い! リっちゃん見て見て~」
「大丈夫、見ているよ」
何が嬉しくて母親と買い物に来ているのだろうかと、少しだけ切なくなった。
「すみません~、これと~これと~」
しゃがみ込んで真面目な顔で商品を物色していた母はどんどんと買うものを店主に示していく。家から持参していた大きな籠が瞬く間にいっぱいになった。
「たくさん買ったね」
「ええ。みんなに美味しいものを食べて貰いたいから!」
そろそろ店じまいなのか店主は空になった箱などを片付け始める。
「あれ、これって」
塩水の入ったバケツの中には黒い二枚貝が入っていた。同じようなものが四つ並んでいる。
「いやあ、失敗しました。この村の方は貝を食べないんですね」
「あ~、言われてみれば」
売れるかもしれないからとわざわざ持ってきた貝に、森の民は興味を示さなかったらしい。売れ残っていた黒い二枚貝は異国の祖父の家などで食べた事があったので、自分には珍しい品には映らなかった。
「いかがですか? 一つのお値段で四つをお売りいたしますが」
「えっ、安い!」
バケツ一杯分のお値段でバケツ四杯分の貝が手に入るなんてお得過ぎる。
店主から調理法を聞き、買って帰る事となった。
帰宅後、大量の貝の調理が始まる。
「とりあえずバケツ一個分は酒蒸しにしようかな」
「リっちゃん、ムール貝はスープにしても美味しいよ」
「へえ~」
なんと、母はこの貝の名前を知っていた。なんでも世界を旅する中で食べた事があったとか。
「じゃあ、酒蒸しはお願いねえ」
「了解」
まずはムール貝をごしごし洗うことから始める。殻ごと調理をするので、この作業は重要だと店主が言っていた。
「おひげを取ってねえ、って言っていたわね」
「殻に付いている海藻のことかな」
結構強い力で付いているひげ、足糸と呼ばれるムール貝が岩などに付着をする為につけているものは、指先でぎゅっと摘んで殻の線に沿って引けば抜けるという。
綺麗になったムール貝を桶に積み上げ、調理に取り掛かる。
鍋にオリーブ油を敷き、森で摘んできた生の香草と刻んだニンニクを炒める。香ばしい湯気がふわりと漂ってくれば、ムール貝を殻ごとざらざらと投入。鍋の蓋をして、しばらく待ってから白ワインを入れて、貝の蓋が空くまで待ったら出来上がり。
最後に乾燥させた香草を振りかけ鍋を振って全体に馴染ませてから、皿に盛りつけようとすれば母に止められてしまう。
「それ、お鍋ごと持って行って大丈夫なの」
「え、そう?」
お店でも鍋ごと出て来るらしい。
仕上げに薄切りにしたレモンを殻の上にペタペタと置いたら完成。
「あ、ちょっと待って」
「?」
本日二度目の制止。
母は小さな鍋に中にあった貝から出てきた水分をくれと言う。
「それ、どうするの?」
「アルノーちゃんのお食事を作るの~」
味が濃いのでお湯で薄めてから、研いだお米を入れて粒が無くなるまで強火で煮込めば、ムール貝風味の離乳食が出来上がった。
もう一つの鍋にはムール貝のクリームスープが仕上がっている。こちらも美味しそうだ。
食卓に料理を運び、アルノーをお風呂に入れていたジークを呼んで来る。
風呂上がりでほかほかになっているアルノーは風邪を引かないように毛皮の上着を掛けてから、膝の上に抱く。
「アルノー、お祖母ちゃんが美味しいご飯を作ってくれたよ~」
乳離れをしたアルノーは固形物が食べられるようになった。とは言っても、まだ形が無くなるまで煮込んだものしか食べられないが。
匙に掬ってまずは自分が一口。――うん、大丈夫、熱くないし、味も濃くない。
確認をしてからアルノーの口に運ぶ。
「美味しい? 良かったねえ」
アルノーのお腹がぽってりとしてきて、器も空になったのでお食事は終了。薄めた果実汁を飲ませてから、とりあえず自分たちも食事をしなければならないので、布団を敷いた籠の中に座らせておく。
「――さて、いただきますか」
アルノーの食事を見届けていた母とジークに声を掛けてから、ムール貝尽くしの夕食を頂くことにする。
まずは酒蒸しを食べる。身をフォークで刺して一口。
「うわ、美味しい!」
旨味が濃縮された貝はふっくらぷりぷりとした触感で、噛めばじゅわっと味わい深い出汁が滲み出て来る。ワインの風味も後から微かにふわりと香ってきて、殻に残っている汁まで美味しかった。
「リっちゃん、リンデちゃん、あのね、これ、ムール貝の殻で身を取って食べるのよ」
「へえ」
食べ終わった殻で身を掴んで取れば、フォークで刺して外すよりも簡単に取れた。異国の人たちは皆このようにして食べるらしい。
母の作ったスープも絶品だった。
ムール貝の出汁が濃厚な味に仕上がっており、黒麦パンとの相性も抜群。
ジークも「こんなに美味しいムール貝を食べたのは初めてだ」と言って喜んでいた。
美味しかったムール貝。
残ったものは燻製にして保存をしようと話し合った。
翌日。
残りのムール貝を加工する。
昨日と同じように殻を綺麗に洗い、鍋の中に油とワインを入れて酒蒸しにする。
口が開いたムール貝の粗熱が取れたら身が付いていない方の貝を千切って外した。
火が通った貝は、香辛料と木の実、塩、廃糖蜜、硝石、水、酒を混ぜて作った塩漬け液に漬けて氷室の中で数時間放置。
半日ほど漬け込んだ貝は、水にさらして塩抜きをする。
布で拭き取って水気を取ったら一晩外で乾かした。翌日、乾燥させたムール貝に香草油を塗り、片貝を下にした状態で燻す。
数時間燻煙の上にさらした貝は、しっかりと身の引き締まったものとなった。
完成したムール貝の燻製をジークに見せに行く。
「ジーク、見て」
「これは、凄いものを作ったな」
「でしょう?」
絶対お酒に合う、と二人で同じことを考えているような気がした。
時刻はまだお昼過ぎ。お酒を飲むのにはかなり早い。
ムール貝は夜に楽しもうと話し合い、午後からもお仕事を頑張る。
作った燻製は、三分の二は料理の出汁にでも使うようにと母に渡した。
夜。
食事もお風呂も終わって、アルノーも寝かせたという状態で、ムール貝の燻製と白ワインを持ってくる。
「お酒、久しぶりだねえ」
「そうだな」
最近は生活の中心がアルノーになっていたので、こうやってゆっくりお酒を飲むこともなかった。
祖父が家に置いて帰った高級ワインを開けて、以前教えて貰った澱取りもしてからグラスに注ぐ。
「美味いな」
「う~ん、辛い」
各々のお酒の感想を述べてから、ムール貝に手を伸ばす。殻付きの燻製なので食べやすい仕様だ。
本日出来たてのムール貝の燻製、一言で表すならば濃厚な味わいがある。
酒蒸しで食べたものよりも旨味が極限まで濃縮されており、噛めば噛むほど身から素材本来の甘みが出てきた。塩辛さもあるのでどんどん食べられるものでもなかったが、お酒に良く合う。初めて辛口のワインが美味しいと思ったほどだ。
「これは店でも売れそうだな」
「本当?」
ジークも満足をしてくれたようだ。
「やっぱりお義父さん直伝の塩漬け液に漬けると違うねえ」
「そうか?」
「うん。絶対違う」
義父に習った燻製の方法はここでも役に立った。自分が今までしていた燻製は素材の味を無駄にしていたんだなあ、と反省してしまうほどに。
物作りはどこまでも奥が深い。
これから先も義父に習ったことを色々と応用しつつ、豊かな生活が出来ればいいなあと思っていた。