第六十四話 貴族らしく
夕食後、話があると秘密裏に義母と義姉に呼び出される。何か粗相をしたのでは、ドキドキしながら指定された部屋に行けば、案の定、怖い顔をした女性二人と、居心地悪そうにしている義父が出迎えてくれた。
自分は義父の座っている長椅子の隣に腰掛ける。
「リツハルドさんはあまりお酒を飲まないと聞きましたが?」
「あ、はい。どうかお構いなく」
机に置かれた酒はそのまま放置され、代わりに義姉が果実汁をカップに注いでくれる。その間、義母は握っていた扇を手の平にペンペンと打ちつける行為を繰り返していた。
「それで、お話とは?」
ピタリ、と示し合わせたかのように動きの止まる義母と義姉。恐ろしくなって思わず助けを求めるかのように義父の方を見た。が、義父も自分と同じような怯えた表情を浮かべるばかりだったという。
先に口を開いたのは義姉だった。
「拘束時間が長くなるとジークリンデさんが心配するので率直に言わせてもらいますが、リツハルド殿、あなたは働き過ぎです」
「!?」
「勿論、労働を行う事は素晴らしいこと。ですが、あなたはその前に貴族なのですよ?」
「えーっと、それは、俺が貴族らしからぬ行動をしているので、お義姉さんとお義母さんはお怒りになっていると?」
「そうです!」
「ま、待ってくれ、リツハルド君に牧場の仕事を手伝ってとお願いをしたのは私で」
「お義父様は黙っていて下さい!!」
「……はい」
牧場の仕事を手伝いたいと言い出したのは自分だったが、この場では余計な発言はしない方がいいなと勝手に判断をしたので静観させて頂く。申し訳ないと思ったが、目の前の女傑二名が怖いので仕方がない。なんというか、お義父さんの犠牲は忘れないからと心に誓う。
「言いたいことはまだあります!!」
「!?」
まだ話は終わっていないし、お怒りも治まりでないご様子。隣で微かに震えている義父の背中でも擦ろうかと思っていたが、姿勢を正して真面目な態度で聞くように努めた。
「あなたは、ジークリンデさんを放置し過ぎです!!」
これに関しては何も言い返せない。実質、ジークと接し合うのは朝と夜だけで、それ以外はほとんど牧場に居た。
なんだか働いていないと落ち着かないし、何もしないで滞在をするのは申し訳ない気がして、頼まれてもいないことに手を出してしまったという。
「ジークリンデさんは、リツハルドさんに会うのを本当に楽しみにしていたのに、再会して一日たりともゆっくり過ごさないなんて!!」
申し訳ない、の一言に尽きる。
「言い返す言葉はありますか?」
「いいえ、なにも」
義姉の迫力に圧倒されてしまう。それよりも、笑顔のままで一言も発しない義母が怖い。
「リツハルドさん!!」
「は、はい!」
「明日から、お義母様のご指導の元、貴族らしい生活をして頂きます!!」
「……」
貴族らしい生活って何!? と思ったが、疑問を口にすればまた長い説教を頂きそうだったので、「はい、喜んで~」と元気良く返事をするしかなかった。
◇◇◇
明日からの予定を言い渡された後にあっさりと解放される。義父と一杯酒でも飲みたかったが、まだ部屋の中に取り残されたままだった。救出なんて出来る訳も無く、荒ぶった義姉と義母に囲まれた義父を気の毒に思いつつ、涙ながらに私室へと戻る事となる。
寝室では既にジークが待っていて、布団の上に横たわっていた。
「遅かったな」
「うん、ちょっとお義父さんと」
仲良く怒られておりました、とは言えない。
そう言えばと、義父との良好な仲を面白くないと話していたことを思い出し、それを誤魔化すかのようにして明日の予定を述べる。
「あ、明日、なんかお義母さんと一緒に過ごすことになって」
「なんだと!?」
「勿論ジークも一緒」
「私も?」
「そう」
鋭くなっていたジークの目が、元の状態へと戻っていく。
危うく義母とも仲良くなっていたと勘違いをされる所だった。危ない。
「何ゆえ、そのような話に?」
「いや、なんかね、貴族としての振る舞いや生活の在り方を教えて貰おうかなって思ってさ」
「別に変わらなくてもいいのでは?」
「そうかな~?」
一応怒られたことは伏せておく。その為、自分から望んで教えを請うということにしておいた。
「今まで通りでも問題はないと思うが」
「う~ん」
振り返ってみれば我が家は伯爵という爵位を賜っていながら、貴族らしくない暮らしなどをしていたと気がついてしまう。故郷では領土の村人達と変わらぬ暮らしをしていて、威厳も何もない領主だった。
もしかしたら、自分の振る舞いには決定的な欠陥があり、それを正せば領民達もちょっとは認めてくれるかもしれない、ということも考えていたり。
「まあ、何事も経験することは悪くないよね」
「それもそうだな」
会話をしながら服を着替えて、布団の中へと潜り込む。
「そんな訳だからさ、明日からよろしくね」
「分かった」
そして、おやすみと言って額にキスをしてから眠った。
◇◇◇
この国では秋から社交期が始まる。国王主催の大きな夜会から、貴族の奥方が主催するささやかなお茶会まで、様々な交流の場が開かれている。
本日は伯爵家のお屋敷に客人を招いて昼食会をするらしい。
「リツハルドさんとジークリンデさんは食事の席に来るだけで構いません。それまでゆっくりしていて下さい」
「分かりました、お義姉さん」
義姉の指示を受けて、ジークと二人、部屋で待機をする事となった。
「なんか、この感じ久しぶりだね」
「そうだな」
朝から二人だけでのんびり過ごす時間が久々だったことに気がつく。
ジークは今日も早起きをしてめかし込んでいた。昼食会があるからか、いつもより濃い化粧が施されている。
唇には真っ赤な紅が引かれていた。それは、食べごろの果実のようにも見える。
だが、それを味わう事は許されていない。欲望の赴くままに口に含んでしまえば、綺麗に塗られた口紅が台無しとなってしまうからだ。
「よし、ジーク、遊戯盤をしよう!!」
自分の荒ぶりかけていた感情を誤魔化す為に、ジークに遊ぼうと誘う。
「だったら、賭けをしようか?」
ジークからのご提案。勿論だと返事をする。
「何を賭けるの?」
「未来永劫相手の言う事を聞く権利はどうだろうか?」
「うん、まあ、いいけれど」
なんだろうか。負けてもジークの言う事だけを聞くのは嬉しいし、勝ってもジークを自分の言いなりにするのも嬉しいし、賭けにならないのでは、と思ってしまった。
「どうした?」
「いいえ、何でも!」
またしてもニヤニヤしてしまったので、怪しまれてしまう。
結果。負けてしまった。紛うことなく完璧な敗北だった。別に、ジークを言いなりにするよりも、ジークの言いなりになる方が好きだとか、そんな個人的な感情は全く関係なくて、本当の真剣勝負だったと思っている。
勝者となったジークの前に行って片膝をつき、忠誠を誓った騎士のような態度でお伺いをする。
「さてと、何か所望することはありますかな、王妃様?」
可愛い姪っ子達がお姫様となったので、ジークは王妃様となっている。勿論自分だけの脳内設定だが。
「ならば」
「はい」
「ここでは、というか、この先も、リツのしたいように、自由に生きて欲しい」
「え?」
「牧場の仕事が好きならば、一日中出かけていても構わないし、疲れているなら一人で過ごすのもいい」
「どうして、そんなことを?」
「義姉か母に何か言われたのだろう?」
「え、いや、べ、別に」
「本当のことを言え」
「……言われました」
驚くべきことに、ジークは全てをお見通しだった。
片膝をついた忠誠の姿勢から、膝を折り曲げて座るという、異国での反省の座り方へと変える。
「そんな訳だから、リツは私の言う事を聞かねばならない」
「好きに過ごせってこと?」
「そうだな」
そんなお願い聞いた事が無い。
混乱する中でジークを見れば、穏やかな顔で微笑んでいる。何度目かも分からない、胸をぎゅっと掴まれたような感覚に陥っていた。
この気持ちを何という言葉にすればいいのだろうか。
なんだか泣きたいような気持ちになってしまった。




