第五十三話 ジークリンデの活動日記
※新婚旅行編、第一弾。
本日より祖国への旅が始まった。
船に乗って二日ほど過ごし、港から首都まで馬車で移動をする。
初日から三日目まではリツハルドの父君の実家で過ごし、夜会にも参加をする。残りの一日は実家に滞在してから帰国をするという日程が組まれていた。
この旅行の為に二人して働き詰めという日々を送っていた。私の倍働いていたリツハルドはきっと船の中ではぐったりしているだろうと、そんな風に思っていたが。
「リツ、旅行中位休んではどうだろうか?」
「うん、あと少しだから。ありがとう」
「……」
リツはうちの実家への土産である、木彫りのトナカイの仕上げをしていた。船が出発してから三時間ほど、休まずにずっとだ。
「それは完成したものと思っていた」
「そう思っていたんだけど、改めて見たら粗があって。こだわりだしたら際限がないんだけどねえ」
鑢を当て、見事な角の曲線を更に滑らかなものにしている。じっと木彫りのトナカイを眺め、木を削るという繊細な作業を黙々と行っていた。
真剣な顔で作業に打ち込むリツハルドや、仕上がっていく品を眺めるのは何時間でも出来たが、根を詰め過ぎてしまうのは彼の悪い所だと思っている。
「リツ、売店に酒を買いに行こう」
「……分かった」
とりあえず作業を中断させることに成功をした。
船にはちょっとした品物を売る商店がある。何故か食料よりも酒が充実しているという、良く分からない品揃えだ。
小麦蒸留酒に紅茶葉酒、に数種類の葡萄酒に麦芽酒と、祖国の酒も豊富だった。
「ジーク、それは?」
「香草と香辛料と果実の混成酒だな」
「へえ」
手に取っているのは狩人の守護聖人。
ほろ苦さとほのかな甘さがあるという、漢方にも使われる薬草も入っているので、健康にも良いと言われている滋養強壮酒だ。
「これはリツにはキツイだろう」
「そうなんだ。でも、せっかくだからちょっと変り種を飲んでみたいんだよねえ」
「だったら貴腐葡萄酒はどうだろうか?」
貴腐葡萄酒は世界最高の甘口酒と言われているもので、干し葡萄から作られるという。酸味も少なく、濃厚な甘味と蜂蜜のようなまろやかな香りがある。酒が苦手でも好んでいる人は多いと聞いていた。
「だったらこれにしようかな」
「そうするといい」
それから酒に合うつまみも買い物かごの中へと放り込む。
チーズにチョコレート、茹でた卵に鳥の燻製肉、乾燥果物など。
酒を買った後は再び客室に戻る事となる。
寝台の端に座り、小さな丸い机を近くに引き寄せて、買ってきた食べ物を皿の上に盛り付けた。それからグラスを部屋に備え付けてあった棚から取り出して、一気に酒を注ぐ。
「うわ、赤い!!」
狩人の守護聖人の色は血のような濃い赤色。度数は高いがすっきりとしていて飲みやすい。
リツが飲んでいるのは綺麗な琥珀色の葡萄酒。一口味見をさせて貰えば、あまりの甘さに顔を顰めてしまう。甘いお菓子は好きだが、酒は辛めの味が好ましい。
口直しをと皿の上に置いてある食料に目を向ける。
その視線に気がついたのか、手にしていた品をこちらへと示して来るリツハルド。
「チョコレート、食べる?」
開封していたチョコレートを、返事を言う前に口の中へと押し込まれてしまった。
甘い。だけれど、口の中に残っている酒の味わいに合うような気もする。
そして、どんどんと顔が熱くなるのを感じていた。
「ジーク、どうしたの? チョコレート、美味しくなかった?」
「……いや」
前に同じようなことをされた記憶が蘇って、思わず口許を隠して誤魔化そうとしたが、リツは更に顔を覗き込むという予想外の行動に出て来る。
「ジーク?」
「何でもない。チョコレートも、普通に美味しかった」
「そう。だったら、この手は何?」
「……なんでも、ない」
そういう風に言えば、やんわりと手首を掴まれて、口許から手を離されてしまう。
それからしばらく見つめ合った後に、唇を重ねた。
触れた唇は熱を帯びており、浮かされるような気分となる。
……どうしてか、とんでもなく甘い口直しとなってしまった。
◇◇◇
残りの乗船時間は家から持ち込んで来ていた遊戯盤を行ったり、甲板に出て海を眺めたり、酒を舐めるように飲みながら内容の無い会話を楽しんだり。あっという間に時間は過ぎていく。
祖国から乗って来た時の二日間は酷く退屈を覚えていたのに、リツが居るだけでこんなにも楽しいものなのかと、不思議な気分となった。
降りる数時間前となり、身支度を始める。纏うのは実家の家族が贈ってくれたドレスだ。
着慣れた男性用の服を脱ぎ、矯正下着に手を掛ける。
「……」
下着は背中で紐を締める構造となっていた。一人では着ることは不可能である。
「……リツ」
「はい?」
寝台の上の左右の端に背中合わせに座っていたリツハルドに声を掛ける。
「……」
「ジーク、どうかしたの?」
「いや、まあ、ちょっと、手伝って欲しいことが」
「なに?」
「下着の紐を、背後から締めてくれないか?」
リツは軽い口ぶりで了承してくれた。
コルセットは腰周りだけを締め付ける型ではなく、胸部の形も綺麗に見せるような構造となっていた。まずは背中の紐を解いて前から着込み、胸肉をしっかりと下着の中に仕込まれた太い針金の上に載せる。
その後は背後から紐で縛るだけ。
手先が器用なリツハルドは、軽く締め上げるようにして素早く紐を穴に通していく。
「ジーク、きつくない」
「大丈夫」
だが、問題は一つあった。ドレスの腰周りがきつかったという。
先日試着したときに発覚をしたことで、今から紐を思う存分に締め上げてもらわなければならない。
「……リツ」
「なんでしょう?」
「願いがある」
「はいはい」
「力いっぱい紐を締めてくれないか?」
「どうして? あまり負担を掛けるのは良くないよ」
「……」
辺境の肉料理中心の食生活は、確実に私の体を雪国仕様としてくれた。
全身を覆っていた筋肉もどこへいったのか。今は厚い脂肪で守られているという。
そんな悲しい事情をリツに話せば、渋々といった感じに理解を示してくれた。
寝台の上から移動をして、壁に両手をついて足元にも力を入れる。
「じゃあ、行くよ」
「頼む」
その瞬間に背中の紐はぎゅっと締め上げられるが、まだまだだと思った。このままでは腰から上まで服を着込むことは不可能となる。
「まだ、力を」
「ジーク、それは」
「言う通りにしてくれ」
「……分かった」
二回目の圧迫。今度は少しだけ息が詰まったような感覚に陥る。
「ジーク、これでいい?」
「あと、少し」
「これで、最後だから」
体に食い込みそうな程に、ぎゅっと紐が締められる。
「……くっ!」
歯を食いしばっていたのに、声が漏れてしまった。
きゅっと紐を結ぶ音がして、やっと終わったと安堵の息を吐き出す。
リツハルドのお蔭でドレスは難なく着ることが出来た。
それから洗面台の前に移動をして、化粧をしてから元より結ってある付け毛をピンで留め、帽子を被って顔を隠すようにすれば、女性に見えなくも無いと鏡を見ながら考えていた。
ドレスも体の線に沿った形で露出も装飾もほとんど無いので、前に家族に批判されたフリルと露出たっぷりの品よりは似合っていると思われる。
身支度が完璧なものとなれば、洗面所から居室へと戻って行く。
「うわーー!! ジーク、可愛いーー!!」
リツハルドは想像通りの反応を示してくれた。
「……」
「どうかしたの?」
「その、格好は」
「お祖父さんから貰った異国の服なんだけど」
四角いモコモコの白帽子に、モコモコとした白い外套。黒いズボンとブーツが白に良く映えていた。
部屋の真ん中に、可憐な雪妖精が立っていたという。
自分よりも遥かに可愛い夫の姿に、悔しがればいいのか、じっくりと愛でればいいのか、どうすればいいか分からなくなってしまった。




