最終話 北欧貴族と猛禽妻の雪国狩り暮らし
今年の夏、心待ちにしていたイベントを開催する。
それは、アルノーの誕生日!
もうすぐ一歳になろうとしている息子は毎日すくすくと育ち、歩けるようになったり、喋れるようになったりと、その成長は片時も見逃せない。
そんな喜びに満ちた暮らしの中で、驚きの手紙が届く。
アルノーの誕生日に合わせて、父が帰って来るらしい。
ちょっと前に戻って来たような覚えがあったが、一度帰って来たら里心(?)が刺激されたのか。よく分からない。
父との同居について若干の不安を覚えるが、こちらから歩み寄るしかないだろう。
ジークと一緒に頑張ろうと、励まし合っている。
ここ最近はいつもの生活に戻りつつある。
『紅蓮の鷲亭』はアイナとエメリヒを中心に、母やジークが手伝っている。近々、従業員を増やす予定だ。
養蜂はぼちぼちといったところ。まだ、販売出来るほどの量ではない。
まあ、これは地道に頑張ろうと思っている。
今日は久々にジークと森の中でベリーを採りに行った。アルノーは家で昨日帰って来たばかりの父が面倒を見ている。若干の不安を覚えるものの、母も家に居るので大丈夫かと思うことにしていた。
ジークにとっては久々のベリー狩りであり、二回目の辺境の夏だった。
今日はアルノーの誕生会をするので、張り切ってケーキ用のベリー摘みをしなければならない。
深い緑の中に、鮮やかなベリーが至る場所に実っていた。
ジークとお喋りしながら、一つ一つ丁寧に摘んでいく。
空腹を覚えて時計を見れば、昼食の時間となっていた。
「ジーク、お弁当を食べよう」
「もうそんな時間か」
「そうみたい」
母とジークが準備してくれたお弁当を食べるために、開けた場所まで移動する。
「そういえば、一昨年見た白い花が咲いている場所はこの近くだったか?」
「あ、そうそう。行ってみる?」
夏に咲く可憐な花、『森の星』。
結婚一年目にジークと見に行った花で、覚えてくれていたようだ。
草木をかき分け、森の星が咲いた花畑に到着した。
「おお、満開!」
「見事なものだ」
見渡す限りの可憐な白い花が咲き乱れている。今まで見た中で一番綺麗に咲いていた。
草むらに座り、花を眺めながら昼食を摂ることにする。
お弁当の中身はハムサンドとベリージュース。
「――うん、美味しい」
ハムはジークと二人で作ったもの。
作り方は簡単。香草に胡椒、塩などをまぶし、肉に揉み込んでいく。それを清潔な布に包んで左右をキャンディみたいに絞る。その上から紐でぐるぐると縛って、氷室で保管。
一週間後、そのままの状態で二時間ほど煮込む。
茹った豚肉は布を取って水を切り、燻製させたら完成。
これはお義父さんから習ったもので、驚くほど美味しい。
生ハムはちょっと手間がかかるので作っていないが、いつか暇が出来たら挑戦したい。
あの時食べた、三年物の生ハムの味が忘れられないのだ。
お弁当を食べ終わったあとも、ジークと一緒に花を眺める。
「この花、母さんも好きなんだ」
「そうなのか。だったら、苗にして持って帰るか?」
「いいかも」
立ち上がってジークに手を差し出し、握って引き上げる。
「――うわ!」
「!?」
足を引いた先が窪んでいて、ジークを引き上げたのと同時に後ろに倒れ込んでしまった。
最悪なことに彼女も巻きこんで。
とっさにジークの体を抱き締め、衝撃がいかないようにした。
花畑がクッション代わりになって、そこまで痛くなかった。
「ジーク、ごめん、大丈夫!?」
「ああ……」
申し訳なさ過ぎて、花畑に倒れ込んだまま硬直してしまう。
起き上がろうとすれば、ジークの異変に気付いた。
どうしてか、肩を震わせている。
「ジ、ジーク?」
どこか怪我をしたのではと思ったが、笑っているだけだった。
何が面白かったのかと聞けば、二人揃って転んでしまったのが笑いの壺に入ってしまったらしい。
「す、すまない、今、退く」
「待って、しばらくこのままで」
夏の草花に囲まれ、腕の中にはジークが居る。なんて素敵な状況なのか。
そう思って、咄嗟に引き止めてしまった。
「重たくないのか?」
「全く」
「だったらいいが」
しばらく黙ったまま、森の空気や花の香り、鳥の囀りなどを楽しむ。
もちろん、ジークの抱き心地もしっかりと堪能していた。
「ここに初めて来た時――」
「うん」
「リツが地面に寝転んでいただろう?」
「そうだったっけ?」
「そうだった」
ジークはどうして森の中で寝転がっていたのか、疑問に思っていたらしい。
「今、理由が分かった。こうしていると、森の素晴らしさの全てが分かる気がする」
「あ、そうだ。そうかも!」
こうして草花の地面に転がっていれば、森の全てを感じることが出来る。
今まで無意識のうちに夏の森を謳歌していたようだ。
ジークと二人、緑豊かな自然を十分に楽しんでから、森の星を根から採って持ち帰ることにした。
◇◇◇
村を囲う城塞に入り、窓口で軍人に挨拶をする。
「お帰りなさいませ、領主殿」
「ただいま帰りました」
交代でアールトネン隊長が番をしていた。
「今日は坊っちゃんの誕生日ですよね」
「はい」
「良かった。これ、城塞の皆で用意したもので」
「うわあ、ありがとうございます!」
なんと驚いたことに、城塞の軍人達がアルノーの誕生日の贈り物を準備してくれていた。
中身は絵本らしい。ジークと一緒にお礼を言うことになった。
「領主殿、これから、忙しくなりますね」
「ええ、頑張りましょう」
アールトネン隊長に手を差し出せば、しっかりと握り返してくれた。
アルノーの贈り物を小脇に抱え、家路に就く。
相変わらず、村の奥様方は忙しそうにしている。
途中、土産屋に寄ることにした。土産屋のおかみさんに声をかける。
「いらっしゃい……って、領主様じゃないかい」
「こんにちは」
二人並んでいる姿を見て、「いつも仲良しだね」と言われる。「おかげさまで」と言葉を返す時、思わずにやけてしまった。
頬を緩ませていたら、木彫り熊の進捗状況を聞かれる。
一気に現実に引き戻されてしまった。
「み、三日以内には」
「頼んだよ」
「はい」
土産屋ではケーキ作りの材料を買って帰る。
隣の『紅蓮の鷲亭』は本日定休日。
外から覗き込めばアイナとエメリヒが居たので、中に入る。
「あのこれも、美味しい、すごく」
「だから、そうじゃなくって――あ、領主様」
机の上に並ぶのは大量のお菓子。どうやら二人で試食会をしていたようだ。
アイナはちょうどいいところに来たと言う。
「この人、何を食べても美味しいしか言わないの! 試食の意味がないわ!」
「で、でも、アイナちゃんの料理は全部美味しいし」
「だから、それじゃ参考にならないじゃない!」
エメリヒにとって、アイナの料理の全ては至高のものらしい。
二人のやりとりを見て、微笑ましい気持ちになる。
「だから、領主様も試食を――って今日はアルノーの誕生日だっけ」
「そうなんだ」
「そう。だったら、隣のおかみさんに頼むわ」
「ごめんね」
「いえ、大丈夫」
アイナとエメリヒはお祝いの言葉を贈ってくれた。後日、お祝いのお菓子も用意してくれるらしい。
寄り道をしながらも、帰宅する。庭先は誕生会の準備が整いつつあった。
敷物が敷かれ、人数分のクッションが置かれている。
今日はランゴ家とルカを招待していた。
「今帰ったのか?」
「あ、ルカ」
ルカとミルポロンが、大きな皿に載っている魚を持って来ていた。
「うわ、すごいね魚。これどうしたの?」
大きな魚について聞けば、ミルポロンが嬉しそうに説明をしてくれる。
「トウサンと、ルカ、ツッタ」
「釣ったつーか、力づくで捕まえたと言うか」
ルカはテオポロンと釣りに行ったらしい。いつの間に仲良くなったのか。
いやはや、家族ぐるみのお付き合いが出来るなんて、ルカってばいい子だなと思った。
「リツ、そろそろケーキを作ろう」
「あ、そうだね!」
誕生会の開始時刻が迫っていた。
屋敷の裏の簡易台所で、ジークと二人でケーキ作りを開始する。
まずは、鶏小屋で卵を頂いた。
ジークが材料を量っている間に卵白を泡立てる。
ふわふわなケーキはしっかりと泡立てることが大事なのだ。
アルノーのためのケーキなので、砂糖は控えめ。その代り、甘いベリーをたくさん入れる。
小麦粉や溶かしバターなどを入れてさっくりと混ぜ合わせ、型に入れて焼く。
ケーキはおいしそうに焼けた。
誕生会の会場に戻れば、敷物の上は料理で満たされていた。
ルルポロンは随分と腕を揮ってくれたらしい。ごちそうが並んでいる。
「リッちゃん、ケーキ、焼けた?」
「うん、バッチリ!」
中心に置くように指示される。
アルノーは大好きな熊おじさんの膝に座り、満足げな顔で居る。
準備は整った。
皆、席に座り、ルルポロンより飲み物が配られる。
まずは集まってくれたみんなに、挨拶をすることにした。
「え~本日はお日柄も良く、息子、アルノーの一歳の誕生日に集まって頂き、まことにありがとうございました」
夏のこの期間は白夜なので、陽は暮れない。
時間を気にせずに楽しんでくれと伝えた。
乾杯の音頭を取り、ベリージュースが入ったククサを掲げる。
採れたてのベリーを使ったジュースは甘酸っぱくて、美味しかった。
本日の主役であるアルノーはお腹が空いていたのか、どんどんもぐもぐとごちそうを食べている。
ルルポロンはアルノーが食べるのを、笑顔で手伝っていた。
テオポロンの膝に食べ物がこぼれていたけれど、一切気にしていない様子だった。珍しく頬を緩ませながら、膝の上のアルノーを眺めていた。
ミルポロンはルカにチーズを食べさせようとしていたけれど、顔を真っ赤にさせて拒否していた。まあ、そういうの、恥ずかしい年頃だよね。
母さんは料理を取り分けてくれている。ジークも手伝っていた。
父さんはこんな時でも何かを熱心に書き移している。
途中、母さんに食事をするようにと怒られていた。
しばらく経てば、アルノーを迎えに行った。
テオポロンとルルポロンにお礼を言って、息子と手を繋いで歩いて行く。
アルノーはよちよちと歩けるようになった。その姿の可愛いことといったら!
席に戻り、膝に座らせる。
そろそろケーキが冷えたころだろうと思い、小さく千切って与えてみた。
「まい!」
「そっかあ、美味しいかあ」
お父さんとお母さん、二人で作ったんだよ~と言えば、にっこりと笑ってくれる可愛すぎるアルノー。
ふわふわケーキは気に入ってくれたようで、一切れをあっという間に食べきっていた。
お腹いっぱいになったからか、うとうととし始める。
その様子は、どれだけ見ていても飽きない。
「リツ、どうした?」
「ん?」
どうやらアルノーの様子を眺めながら、感激をしていたらしい。
目頭が熱くなっていることに、今更気付く。
「ジーク」
「なんだ?」
「あとで、みんなにも言うけどさ」
伝えたいのは感謝の気持ち。それから、引き続きお世話になりますという言葉。
「これからも、よろしくね。俺の奥さん」
そう言えば、ジークも言葉を返してくれる。
「ふつつかものですが、これからもよろしくお願いいたします。……私の旦那様」
互いに顔を見合わせ、微笑み合う。
今日は白夜で太陽は沈まないし、森の恵みたっぷりの料理も美味しい。腕の中にはアルノーが居て、隣にはジークが居る。
なんて素敵な誕生日なのかと思った。
ジークと結婚をして三年目。
周囲の状況は激変した。
忙しい日々は続いているけれど、家族が居れば頑張れる。
そんな気がしてならない。
――狩って、採って、食べる。ただそれだけの、でも愛しき日々。
自分達の暮らしは、これからも、続く。
北欧貴族と猛禽妻の雪国狩り暮らし めでたし めでたし