続・養蜂家になろう
父の研究書にあった、蜂に刺されないためのポイントを復習する。
まず、服装はなるべく目立たない色のものを纏う。
これに関しては大いに無視していた。森の中へは、青と赤の布地を使った民族衣装で分け入っていたのだ。
次に、蜂の前で慌てないこと。蜂の出す合図に目を向けること。
服に止まったからといって、すぐに刺すわけではない。蜂も、向かってくる存在がどういう者なのか調査をしているらしい。
これに関しては難しいなと思う。だが、可能な限り、慌てないようにしたい。
先日蜂に刺された話を、ジークが母にもしたらしい。
「リッちゃん、お母さん、蜂よけを作ってみたの」
「おお!」
それはつばの広い帽子を囲むように、細かく編んだ網が付けられたものだった。
小さな穴なので、蜂が顔面に近づけないような構造になっている。
「これ、すごいね」
「服も、厚い生地で白い物を作ったから、着て行ってね」
「ありがとう」
今まで服を重ね着しているだけだったが、一気に防御力が上がったような気がする。
これで、蜂が近づいて来ても冷静で居られると思われる。
気合を入れて母の作ってくれた防護服を着こんだ。玄関で外出用の靴を履いていれば、ジークとアルノーが見送りに来てくれた。
「リツ、分かっているとは思うが、十分に気を付けてくれ」
「了解です」
アルノーも力強い応援の眼差しを向けているような気がした。額に軽く唇を寄せ、出来るだけ早く帰って来るからね、と声を掛ける。
ジークの頬にもキスをしてから出掛けることに。
「行ってらっしゃい」
「行ってきます」
まだ完全に雪が解けていない春の森を進む。
今回の目的は、蜂を捕まえることだ。
蜂の巣の女王は一年に一回生まれる。
前の年の女王は、働き蜂の半数を引き連れて巣を出るのだ。
そのご一行を捕まえるという訳である。
森の中を注意深く進んで行く。
途中で、ウロウロと飛び回る蜂を見つけたので、あとを追ってみた。
巣別れをした蜂は、次なる移住地を調査しているらしい。なので、あとを追えば、蜂の集団、分封蜂球に辿りつく可能性があった。
根気強くあとを追った結果、木にぶら下がった分封蜂球を発見!
幸い、巣代わりの木箱を設置した場所に近いので、持って来ることにする。
ゆっくりと近づき、分封蜂球の下に蜜をたっぷり塗った木箱を置く。
蜂達が巣箱に気付き、入ってくれたら成功だ。
これが上手くいかなかったら、分封蜂球を網で捕まえるという手段を取る。
蜂球になっている蜜蜂は大人しいらしいが、直接の捕獲は緊張してしまう。
どうか、設置した箱に定住してくれますようにと、お願いすることになった。
森の中で薬草や香草を摘んでから帰宅。
玄関の扉を開けば、ジークが走って出迎えに来てくれた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
息つく間もなく、ジークは蜂に刺されなかったかと聞いてきた。
本日はこの通り、母の防護服もあったし、前よりは落ち着いて行動出来たので、刺されることもなかった。
そういう風に言えば、ジークはホッとしたような顔を見せてくれた。
「そうか。無事なら、良かった」
「……うん」
「どうかしたのか?」
「いや、なんだか、嬉しくって」
今まで新しいことを始める時は毎回探り探りで、怪我をしたり、危ない目に遭ったりすることもあった。
成果が出なくて凹み、一人暗い部屋に帰って、擦り傷の手当てをしたり、裂けた服を縫ったりという行動を寂しくしていたのだ。
それが普通だった。でも今は違う。
心配してくれたり、助言をくれたり、応援してくれたりする家族が居る。
とても嬉しいことだと思った。
これからも、家族のために頑張ろうと気合を入れ直す。
翌日。
ドキドキしながら森に向かった。分封蜂球があった木を目指して歩く。
――見つけた!
遠くから見れば、蜂球は無くなっていた。
分封蜂球は同じ場所に待機をしているわけではない。二日ほど経ったら、別の場所へ飛んで行ってしまうのだ。
なので、無かったからといって期待してはいけない。
ゆっくりと、巣箱の中に近づいて、箱の中をそっと覗き込んだ。
「……!」
思わず声を上げそうになったが、寸前で呑み込んだ。
すごいことが起きていた! 箱に中に、蜂が居た!
嬉しくって落ち着きがなくなってしまう。
そのまま走って家に帰り、ジークと母に報告をした。
「努力の成果が出たな。すごいことだ」
「ありがとう」
こうして成果があったと言えるのは嬉しいものだ。
ジークに褒めてもらえたので、頬が緩んでしまう。
今回のことは、養蜂への第一歩でしかなかったが、それでも喜びが溢れて止まらなかった。
俄然、やる気が漲ってくる。
後日、箱をいくつか増やし、分封蜂球の下に設置して捕獲するという作業を繰り返した。
六つ程作って、蜂が入ってくれたのは三つ。
網で捕獲をしようと森の中を探したが、巣別れの時期が終わって蜂球を見つけることが出来なかった。
とりあえず、今年は三つの巣箱で養蜂を始めることになる。
春は女王蜂の産卵の季節と、採蜜の時期。
自分が出来ることは多くない。
働き蜂が蜜を集めてくれるのを待つばかりだった。
◇◇◇
春になればいろいろと始めなければならない。
白樺の蜜採りに、森の薬草・香草摘み。
トナカイの森の柵の補修に、乳絞り、耳印付けなど、やることが山のようにある。
『紅蓮の鷲亭』の営業時間の短縮と定休日を増やさせてもらった。
村人に会うたびに「今日は開いていないのか」とがっかりされることもしばしば。
申し訳なかったが、このように店の存在を望まれるのは嬉しいことだと思った。
出来るだけ店を開きたい気持ちはあったが、忙しくってどうにもならない状態であった。
真剣に、手伝ってくれる人を探さなければと考える。
そうこうしているうちに、嬉しい知らせが届いた。
アイナとエメリヒが近日中に帰って来るというのだ。
村を離れること一年と半年。
ベルグホルム家はすっかり平和になっている。
お爺さんが具合を悪くしていることは心配だけど、食欲はあるようだし、その分アイナのお母さんが頑張っている。
食料については可能な限り提供しようとしたけど、貯蓄がかなりあるので大丈夫だと言ってお断りされた。
今まで、アイナのお爺さんが獲った獲物などを売って、お金を貯めていたらしい。
しばらく心配はいらないと言っている。
もしも困った時は頼ってくれと伝えておいた。
今までベルグホルム家を見守ってきたが、驚くべきことはアイナの母の強かさだろう。
大切な娘を手放す勇気、家族の面倒を一身に受けようとする気概、明るく元気に生活を送る精神力。
そのすべてが賞賛すべきことだと思った。
彼女の頑張りが、ベルグホルム家を変えた。
早くアイナとエメリヒが帰って来て、支え合ってくれたらいいなと考える。
そして、我が家にもささやかな変化が。
一週間に一度か二度、家族みんなのお休みを入れるようになった。
休みの日は何もしない。これが決まりだ。料理や家事、犬の世話などはランゴ家の人々がしてくれる。
休日は野歩きに行ったり、港町に買い物に行ったり、アルノーと遊んだりして過ごす。
でも、まだ『休暇を過ごす』ということに慣れていなくって、うっかり薪割りなんかをしていたら、母やジークに怒られてしまうことが何度かあった。
働いてはいけないということは難しいと言えば、ジークに笑われてしまった。
「リツは趣味というものがないのか?」
「ジークやアルノーと遊ぶこと、とか?」
「それは家族サービスだ。趣味ではない」
「そ、そんな!」
趣味というのは、自分だけの楽しみらしい。
「リツが好きなことをして過ごすんだ」
「好きなこと……」
「何かあるだろう?」
「アルノーを眺めたり、一緒に散歩したり、ジークとお話したり、触ったり、キスをしたり」
「……それも、家族サービスだ」
家族と触れ合っている瞬間が一番癒されるのだ。
だから、趣味:家族サービス、でいいなと思った。
そんなわけで、今から趣味の時間とする。
アルノーは母と散歩に出かけていた。
なので、ジークをもふもふすることにする。
彼女の肩をそっと抱き、頭を撫で、首筋に頬をぴったりとくっつける。
ジークの肌はすべすべしていて気持ちがいい。
髪の毛もサラサラしていて、触り心地が良かった。
「リツ、それでいいのか?」
「うん、幸せ!」
これぞ、至福の時間なのだ。
12月4日に二巻の発売日を迎えました。
無事に本屋に並ぶことが出来たのも、読者様の応援のお蔭です。ありがとうございました。
また、これからも『北欧貴族と猛禽妻の雪国狩り暮らし』をよろしくお願いいたします。
 




