春になる
極夜期間中は皆、職人モードになる。
男達は木を彫って木製食器を作り、トナカイの角を削って様々な細工を作る。
女達は繊細な刺繍や、錫を編んで腕輪を作ったりするのだ。
それらの手工芸を、ドゥオッチと呼んでいる。
持ち手やナイフの柄には絵文字を掘る。
トナカイに雪、太陽、ゆりかごなど。一つ一つ、意味のある模様を入れていく。
そして、春になれば蚤の市に行き、店を開いて販売するようになっていた。
極夜期間になれば、母は張り切って腕輪作りをする。今年はジークと二人で仲良くしていたようだ。なんという羨ましいお話。
自分はせっせと木製カップや木彫り熊を掘る。
昼から夕方にかけては、お店の営業を行う。
お休みは週に三日。休みがあるから大丈夫と思いきや、それでも結構な忙しさだった。
しかし、ありがたい忙しさでもある。
老若男女問わずに、たくさんの村人達や軍人が店に来てくれた。
皆、店に集まって楽しそうにしてくれる。
嬉しい悲鳴だった。
『紅蓮の鷲亭』に集まった村人達の話題と言えば、手工芸の進捗状況がほとんど。
今度見せ合いっこ会をしたいというので、定休日の店を開放し、品評会みたいなことをすることにした。ついでに自分も参加希望を出す。
ちなみに、参加者は自分含め、全員おっさんだった。
翌日。
各々が作った自信の品を机の上に広げた。
今回はククサ自慢をする。
十人のおっさん達がわらわらと四人掛けの机に集い、自分の作品を自由に置いていくので、誰がどれを作ったのか分からなくなった。当然、自らの作品は分かる訳だが。
こうやって並べてみれば、一つ一つ個性があって面白い。
コロンとした完璧な丸みがあるものや、表面の艶を追及したもの、持ち手の細工が美しいもの、木目模様にこだわったものなど、同じ物は一つもなかった。
「ん? なんか珍しい絵を彫っている奴が居るな」
指さされたのは自分のククサだった。
「なんだ、鳥……鷹か?」
「鷲です」
最近のククサの持ち手には、鷲を彫っている。鷲は自分にとっての幸せの象徴だった。
トナカイは富の象徴。雪は忍耐、太陽は輝く生命の喜び、などなど、地方によって絵に様々な願いを込めて彫るのだ。
鷲や鷹などの猛禽類は害獣を追い払ってくれる勇敢な生き物でもある。
今まで使ったことのない絵に、皆興味津々な様子だった。
「そういや、去年、観光客が鷲の手工芸がどうこう言っていたな」
「ああ、俺も聞かれた」
多分、ジークのファンの女性陣だろう。
今年の観光期は鷲をモチーフにした品物を増やそうと思っている。
もう一度、鷲の絵の意味を聞かれた。
「えーっと、自分の奥さんをモデルにしたというか、なんというか」
祖国を飛び立ち、遠く離れた異国の地に降り立った紅蓮の鷲。
それは自分にとって、極夜の中でも強く美しく存在し続ける太陽で、奇跡の存在、また、幸せの象徴でもあった。
胸の中にあった鷲への思いを、おっさん達の前で発表する。
誰も、馬鹿にするようなことはしなかった。
真面目な顔で話を聞いてくれた。
そして、思いがけないことを言ってくれる。
「なあ、領主、俺の手工芸にも、鷲を彫っていいか?」
「え?」
「いや、嫌だったらいいが……」
「い、嫌じゃないです、むしろ嬉しい!!」
みんなが鷲の幸せの恩恵を受けてくれたら、これ以上の喜びはない。
そんな風に言えば、おじさん達は自分も鷲を彫りたいと、口々に言ってくれた。
この日をきっかけに、鷲が入った民芸品が村で多く作られるようになる。
精悍な鷲の意匠は、村の男達も気に入ってくれたようで、積極的に手工芸品に取り込んでくれたのだ。
そして数年後、名産品として幸福の鷲の絵が付いたものが有名になり、村を象徴するような物になるとは、この時は夢にも思っていなかったのである。
人生とは何が起こるか分からない。この一言に尽きるのだった。
◇◇◇
わたわたとしているうちに、極夜は終わった。
残りの冬は狩猟に明け暮れ、店の営業もこなし、夜は民芸品作りを必死になって行う。
とても目まぐるしい日々だった。
ある朝、起きてみれば、枕元に手紙があった。
宛名を見ればジークから。
一体何かと、手元の角灯を点け、開封する。
中には、体を労わる言葉と、一日でもいいから休んでくれという内容が綴られていた。
疲れている自分を見るのが辛い、とも書かれていた。
ジークに指摘をされて我に返る。なんというか、酷く疲れていることに。
朝なのに、どうしてこんなにも体が重いのか。
答えは一つしかない。頑張り過ぎてしまったのだ。
多分自分だけではない。母やジークも、同じ状態だろう。
昨日の夕食なんか、皆上の空だったように思える。
今になって気付く。
自分が忙しなくしているから、他の人も休めなかったのだ。
それに、このところ、ゆっくり家族と過ごす暇がなかったように思える。
禁猟になる前だからと、日が暮れるまで獲物を狩っていたし、『紅蓮の鷲亭』はお蔭さまで大繁盛、毎日目が回る忙しさだ。それに、蚤の市が近いので、お店で出す品物をせっせと夜遅くまで作っていた。
振り返ってみれば、ジークが何度も工房に来てくれて、休むように言ってくれたのに、言うことを全く聞いていなかった。
働き過ぎなのは悪いところでもあると義母にも怒られていたのに、同じような過ちをここでも犯してしまった。深く反省をしなければならない。
幸い、本日の『紅蓮の鷲亭』の営業はお休み。
昨晩は満天の星空が見えていたので、きっと晴天だろう。
忙しい日々を送っているうちに、いつの間にか冬は終わり、村には春がやって来ている。
今日は絶好の野遊び日和だろう。
そうと決まればお弁当の準備をしなければならない。
急いで身支度を整えてから、一階まで降りて行く。
厨房では母とルルポロンが朝食を作っていた。
「あら、リッちゃん、早いね」
「母さん、今日、野遊びに出掛けるから!」
「え?」
台所に吊り下げてある燻製肉の塊とパンを一斤、ジャムをお弁当箱の中に入れて、台所に移動する。
燻製肉は厚く切って串刺しにして、暖炉の火で炙った。パンを切り分け、ジャム挟みパンを作る。
燻製肉が焼けたら、肉挟みパンにした。
二種類のパンを籠に詰めれば、お弁当の完成だ。
手抜きだけど、たまにはこういうのもいいと思った。
アルノーの分は母が朝食と一緒に作ってくれているだろう。
十ヶ月になった息子は、離乳食を食べられるようになっていた。
お弁当箱を布に包んでいれば、アルノーを抱えたジークが朝の散歩から帰って来る。
「リツ、早いな」
「おはよう」
ジークは母と同じことを言ってくれた。
そんなにお寝坊のイメージがついているものなのか。
ジークが大きな弁当を見て、質問してくる。
「今日は村の者と遠出をするのか?」
「ううん、違うよ。みんなで野歩きに行こうと思って」
抱いたままだったアルノーを受け取り、ゆりかごに寝させてあげる。
それから、ジークに向き直ってお礼を言った。
「ジークありがとう」
「え?」
「手紙。……俺、また無理をしていたんだね」
ジークは困ったような表情になる。
怒られるかな、と思ったけれど、彼女は何も言わなかった。
「ごめんね、いつも、心配ばかりかけてしまって……」
ジークは首を横に振る。
それから、何も言わずに肩をポンポンと叩いてくれた。
それは、労わるような行為であり、心配をさせるなと、訴えているような気がした。
「ありがとう、ジークリンデ」
胸がいっぱいになり、それだけしか言えなかった。
これからは、定期的に休みを決めて、その日は家族でのんびり休むようにしようと、心に決める。
◇◇◇
そして、楽しい楽しい野歩きを始める。
野生動物を警戒する為に犬を三頭ほど連れて、若葉が生い茂る森の中を進んだ。
アルノーは自分が抱き抱えている。
いつもの抱っこ布に包み、首と脇の下からぶら下げていた。
森の中の散策が心地いいのか、とても穏やかな顔をしている。
母は花を見つけては、摘んでジークの三つ編みに挿していくことに凝っているようだった。
ジークがどんどん可愛らしくなっていく。
今回の行先は内緒のお花畑。
一年目の春はバタバタしていて行く暇がなかったのだ。
比較的村から近いので、母やジークの負担にならないだろうと思って選んだ。
村を出てから数十分後。目的地に到着をする。
「わあ、すご~い!」
母が感嘆の声をあげていた。ジークも目の前の景色に目を奪われている。
そこに咲いているのは、たくさんのタンポポの花。
一面に広がった黄色い花畑は、見事としか言いようがない。
「リッちゃん、素敵な場所を知っていたのね」
「うん。春になったらみんなで来ようって思っていたんだ」
「お花見なんて、何年振りかしら~」
嬉しそうに話している様子を見て、連れて来て良かったなと思う。
母がアルノーを抱きたいと言ってきた。
宝物を持つように胸に抱き、微笑みながら話し掛けている。
「アルノーちゃん、タンポポはね、食べられるし、お薬にもなるのよ~」
どうやら森の英才教育を施す気らしい。まだ早いと、ジークと一緒に笑ってしまった。
母は鼻歌交じりで花畑の中心まで、息子と共に歩いて行く。
さらりと、爽やかな風が吹いた。
まだちょっと冷たいけれど、これが辺境の春だ。
頬を撫でる風で季節を感じながら、お花見を続ける。
花を眺めていたジークが、ぼそりと呟いた。
「ヴィオクッカ、『バターの花』、か」
「そうだね」
タンポポを意味するヴィオクッカの、ヴィオがバターで、クッカが花という意味だ。
バターと同じ色の花だから、そういう風に呼ばれているのだろう。
植物は食べ物由来の呼び名が多い。
この国の人々はみな、食いしん坊なのだろう。
タンポポを一本摘んで、ジークの耳に挿す。
「……リツ、私は今、大変なことになっているのではないか?」
「そんなことないって」
母がジークの三つ編みに挿した花は七本ほど。
どの花も、彼女に似合っていた。
そう言っても、信じていないような表情をするジークリンデ。
自分の愛らしさに気付いていないとは、嘆かわしい。
仕方がないので、はっきりと伝えることにした。
頬に掛かった赤い髪をかき上げてから、「可愛いよ」と耳元でそっと囁く。
みるみるうちに紅く染まっていく表情は、なんとも言えない。
この時になって気付く。彼女こそが、世界で一番美しい花だと。
思いがけず、春のお花見を堪能してしまう。
また、来年も、同じ場所で、同じように家族で過ごせたらいいなと思った。
活動報告にて、リツの祖父のキャラデザやイラストなどを公開しています。
よろしかったら是非!




