第十二話 ジークリンデの活動報告・その二
何故一年間仮夫婦として暮らすことの提案をしたかと言えば、しばらく共に居ればリツハルドも我に返るのではと思ったからだ。
私は体型も性格も見た目ですら普通の女性とは違う。
うっかり嫁として連れて帰り、共同生活を経てから「何か違う」、と感じる日も来るだろうと予測していた。
彼が諦めるようにここで主張しても構わなかったが、とりあえずは従姉妹達が結婚をするまで隠れる場所が必要だ。
それに自分に合った土地ならばそのまま住んでもいい。
良き妻にはなれなくとも、屈強な村民位にはなれるかもしれないのだ。
とりあえず両親に会わせる予定を立て、話が纏まったのでリツハルドと別れることにした。
帰宅後。
これで抱えていた問題は解決したと安堵したかに思えたが、なかなか寝付けることが出来ない。
やはり、仮契約とはいえ安易な気持ちで焦って結婚など決めていい訳がなかった。
私も案外繊細な所があるものだと自覚をする。
世の中には愛の無い結婚などいくらでも存在すると聞く。愛が無くともいい関係性を保っている夫婦も多いと聞くが、自分にそのような器用な事が出来るのかと疑問に思った。
利害の一致が出来たからと言って、上手くいくものだろうかと自問自答を繰り返す。
しかも自分達は生まれた国も育った環境も違う。
軍で教わった技術は雪国では役立たないかもしれない。
そんな風に考えると何だか申し訳なくなった。
結局、あまり眠れないまま翌日を迎える。
両親に会わせる前にもう一度リツハルドに会って不安を解消したいと思ったので、彼が泊まっている宿に手紙を送ることにした。
急な呼び出しにも関わらず、雪妖精殿は快く応じてくれた。
待ち合わせ場所で待っていると、待ち人は時間通りに現れた。
街中でもリツハルドは目立つ。いい意味でも悪い意味でも。
にこにこと愛想良く笑う様子は至極可憐だが、無愛想・無表情を常としている男の多いこの国では軽薄な印象を与えてしまう。
とりあえず彼には雪国で必要な買い物をしたいと言って、その場を離れることにした。
酷い人込みであった。逸れないようにと言おうとすれば、何も言わずに手を握られてそのままポケットの中に収納される。
突然の行動にどういう反応を示していいのか分からなかったが、その意図はすぐに明らかとなった。
振り返るリツハルドは「凄い人だね」と言って困ったような表情を浮かべ、それから「手、冷たくなっていたでしょう?」と言って微笑む。
まるで守ってくれるかのように人を避けながら歩いてくれて、寒くないかと聞き、入り口があれば先に開きに行ってから私に入るように手で示す。
彼は私を大切な姫君のように扱ってくれるのだ。
一日行動を共にするうちに昨日の不安はほとんど無くなっていた。なんだか上手くいくかもしれないと、そういう風に考えることが出来るようになっていたのだ。
だが、念の為に「友達からよろしく」と言ってしまった。
女性扱いをされるのは、慣れていないので何とも言えない気持ちになったからだ。
こうして翌日の両親への紹介も滞りなく終わり、リツハルドは祖国へ帰るまで私の実家で過ごす。
彼が実家に滞在している間は色々な話を聞いた。
リツハルドの領地の環境や文化、歴史、生活様式に習慣のこと。どれも興味深い内容で、二人で過ごす時間はあっという間に過ぎていった。
最終日の朝、帰国をするリツハルドを玄関先で見送る。
別れの握手をする為に手を差し出したら、目の前の男はとんでもないことを言ったのだ。
――『また会えるのを楽しみにしているよ、お嬢さん』と。
どこに『お嬢さん』が居るというのだ。そういう風に呼ばれるのも、勿論初めてである。
自分の耳を疑っていると、差し出していた手を両手で優しく包まれる。
温かな手に気を取られていると、今度は頬に何かが押し付けられたのだ。
あろうことか、リツハルドは私の頬に口付けをしたのだ。
きっと悪戯が成功したかのような顔をしているに違いない。この軽薄男が、と思って顔を見れば、目の前の男は顔を微かに赤く染めて、照れたような微笑みを見せていたのだ。
思わず頬を押さえ、呆気に取られてしまう。
リツハルドは元気良く走って馬車に乗り込み、忙しなく手を振りながら帰って行った。
次に会えるのは二ヵ月後。長い長い暇つぶしの日々の始まりであった。
◇◇◇
結婚が決まったので、母は余計な手配をしてくれた。
礼儀に厳しい二番目の兄の奥さんを地方から呼び寄せてくれたのだ。
嫁ぎ先は狩猟民族の家だからなにもしなくても大丈夫だと言っていたのに、家に居る者達は全く聞く耳を持たなかった。
その日から地獄の訓練が始まる。
刺繍にお茶や食事の作法。客を持て成す為のお菓子作りに、ドレスの着方。
どれも完璧に出来るまで勉強の日々は続く。
意外だったのは、自分は案外手先が器用だったということだ。
一日に一枚と決めていたハンカチの刺繍はどれもあっさりと合格を貰うことが出来た。
一ヶ月間で三十枚となったハンカチは、嫁ぎ先でお近づきの印として配ればいいと助言される。自分で作った刺繍入りのハンカチは、嫁入り道具の一つとなった。
義姉の指導から解放されたある日、甥のクラウスが再び寄宿学校の休日を利用してやって来た。
彼は私を見るなり『男装ババア』という言葉をかけて来る。いつもの事だった。
一ヶ月前に口の悪さをどうにかしろと怒ったばかりなのに、日を置くとすぐこれだと呆れてしまう。
だが、男装ババアであることに間違いはないのでそのまま黙っていた。
翌日。
結婚をする身なのだから、男の格好をするのは止めろという父の言いつけを聞いて、母が贈ってくれたドレスを身に纏う事にした。
両親にどうだと聞けば、母は「頑張ったわね」と目を合わせない状態で言われた。父は「一応、努力は認める」と、やはり目を合わせない状態で言ったのだ。
全く、失礼な親である。兄と義姉も同じような反応であった。ドレスが似合わないことは自覚していたが、家族は私が傷つかないように気を使ってくれたらしい。全く以て余計なお世話だった。
その分かりやすい態度に逆に傷ついてしまう。
そして、傷心の私に止めを刺したのは、口の悪い甥・クラウスだった。
彼は着飾った状態の私のことを『女装ババア』と言ったのだ。
男装ババアはまだいい。意味は分かる。
だが、女装ババアは意味が分からない。全く。
私はクラウスの首根っこを掴み、一時間ほど説教をした。
そして、私はすぐに男装ババアへと戻る事となったのだ。
◇◇◇
その後の一ヶ月間は暇を持て余す。
母や義姉の買い物に付き合ったり、ご婦人方のお茶会などにも出かけたが、心躍るような出来事もなく。
唯一の楽しみと言えば、リツハルドから届く手紙位であった。
中の文面はあっさりしたものであったが、彼は用意してくれた民族衣装を送ってくれたり、手作りしたという毛皮の靴も贈ってくれたのだ。
途中、軍時代の同僚が求婚しに来たり、従姉妹達に引き止められたりもしたが、私の予定が変わる事もなかった。
荷物は先に届くように手配をし、自分は鞄一つで旅立つ。
生まれ育った国を出た二日後、ついに嫁ぎ先へと到着をした。
話に聞いていた通り、酷い寒さであった。船の出口は人が詰まっていたので、外に出る前に持って来ていた外套を脱ぎ、リツハルドから貰った毛皮のコートに着替えた。
動物の毛は驚く程温かい。その違いに驚く。
それから、久々に会ったリツハルドは相変わらす儚い妖精のような姿で居た。
歓迎をしてくれているのが顔を見るだけ分かり、こちらも何だか嬉しくなる。
何度も死ぬかもしれないと脅されていた雪国の寒さは、思ったよりも平気だった。
風が吹けば素肌を晒している顔が痛いという初めての経験はあったものの、我慢出来ない程のものではなかった。
このようにして私の雪国生活は始まったが、抱え込んでいた不安とは裏腹に愉快な日々を送っていた。
リツハルドに『俺の奥さん』と呼ばれる度に、なんとも言えない気持ちとなるが、そんなことですら心地よいと思えるような日常を送っている。
まだ、仮夫婦の暮らしは始まったばかりであったが、これから先、どんな未知なる体験が訪れるのか楽しみに思っていた。
このようにして、何かが満たされるかのような、穏やかな毎日は静かに過ぎていく。




