ある、夏の日のお話 後編
朝、目が覚めたら奥さんは既に居なかった。早起きなのでだいたいこんな感じになってしまう。散歩にでも出かけているのか、息子の寝台までもぬけの殻となっていてがっくりと肩を落とす。布団に手を触れてみたが、ぬくもりすら残っていなかった。すごく悲しい。
寝台の近くにある椅子には今日の服が掛けられていた。
シャツにタイ、ベストにズボン、ベルト。全部ジークが毎朝選んでくれている。何も言わないで、こういうことをしてくれるところが最高に可愛いんだよなあと思いながら、服を着替えた。
歯を磨いて顔を洗い、ついでに髭も剃る。髪の毛も櫛で梳いてからしっかり編んだ。
身綺麗になったら食事をする為に食堂へ行った。
食堂には義父が居た。今日も牧場でのお仕事をして来たらしい。朝のお仕事は週に一回か二回位しかしていない。もっと手伝えたらと思っているが、残念なことに朝が弱くて起きられないのだ。
義父は毎日朝早くから牧場に出掛けるので、働き者だなあと感心してしまう。
「お義父さん、おはようございます」
「おはよう」
今日も良い笑顔で挨拶を返してくれた。
頼りになって、良く働き、家族を愛している。どこかのぽややん放蕩親父とは全く違っていた。
まさに、理想の父親像だなあと、ジークが羨ましくなってしまう。
それを伝えたら、義父は思いがけない一言を言ってくれた。
「リツハルド君も自慢の息子だよ」
「お、お義父さん!!」
嬉しくってお義父さんの肩を抱きしめたい! と思ったけれど、さすがに慣れ慣れしいかなと思って止めた。
二人で顔を見合わせて、にこにこしていたら、祖父が食堂にやって来る。腕の中にはアルノーが居た。後からジークもやって来る。
「なんだ、二人してニヤニヤしてからに、怪しい奴らめ」
微笑ましい親子のひとときを怪しいという一言で片づける祖父。酷いものである。
アルノーは使用人の手に託されて、食堂の端に置いてある揺り籠に寝かされた。
今まで三人で散歩をしていたらしい。祖父は自慢げに話す。
会話をしているうちに牧場の話題となって、あることを思い出した。
「あ、そういえば、お義父さん、牛乳を少し頂けますか?」
「構わないけれど、何に使うのかな?」
「今日、アイスクリームを作ろうと思って」
そんな話をしてみれば、あっさりと了承してくれる義父。
他にも卵や生クリームが要るだろうからと、牧場の新鮮な食材の提供を約束してくれた。
「エーデルガルドとアーデルトラウトも一緒に作っても問題ないでしょうか?」
「ああ、たくさん与えなければ問題ないと思うよ」
「良かったです」
なんか前にアイスクリームを子供に与えたくない親の話を聞いたことがあったので、ちょっとだけ心配だったのだ。
「やっぱり、お腹を壊しやすいんですかねえ?」
「リツハルドよ、そうではない」
「ん?」
お祖父さんの話によれば、アイスクリーム屋の中には薄めた牛乳を使っていたり、人工着色料を多く使っていたりなど、体に害を及ぼす成分が入っている品もあるというので、食べさせたくないという話であった。今回は牧場の乳製品を使うので、全く問題はないと言う。
祖父は街のアイスクリーム屋さん事情に詳しかった。
続いて、姪っ子姉妹とお義姉さん、お義母さん達がやって来た。お義兄さん達は既に仕事に向かったので不在だ。
家族が全員揃ったところで、朝食の時間となる。
一応、食後にお義姉さんにアイスクリームのことを聞いて了承を得てから、姉妹を誘うことになった。
驚いたことに、元都会っ子だった姪っ子達はアイスクリームを食べたことがないらしい。
病弱だったということも理由の一つだとか。
突然のアイスクリーム作りに、アーデルトラウトは飛び跳ねて喜び、エーデルガルドも頬を赤らめて嬉しそうにしている。
「お母様は、アイスクリームはお姫様しか食べられないのよ、っていつも言っていたの」
その言葉にエーデルガルドもコクコクと頷いていた。
今日は特別に食べられるので嬉しいと、わくわくするような様子を見せている。
なんて可愛らしいお姫様達なのだろうと、抱きしめたくなった。
アイスクリームメーカーを見せれば、目の輝きは増すことになる。
祖父が持って来たものだと言えば、尊敬のまなざしが注がれた。
「これは、妖精族に伝わる魔法で」
「わあ、素敵」
「!」
「……」
また、お祖父さんは適当なことを言ってから。
どうやら祖父と姪達は妖精話で盛り上がっていたらしい。
こういう事態になってしまったとジークの顔を見れば、彼女も困ったような微笑みを浮かべていた。
幼い姉妹の夢を壊すわけにもいかないので、何も言わずに受け入れる。
分量などは厨房のデザート係に聞いて作るので、失敗もしないだろう。
「では、始めますか!」
「やった~」
「……はい」
アイスクリーム作りは広い机がある食堂で行う。
祖父は読書用の椅子を持ち込ませて、膝の上にアルノーを抱いて座っていた。今日のお役目は現場監督らしい。
材料は牛乳に卵、生クリームに砂糖、バニラビーンズ。氷に塩。
まずはバニラビーンズのさやに切り目を入れて、さやと中身を分ける。
「叔父様、これはなあに?」
「バニラの果実を乾燥させたものだよ。お菓子に入れるといい香りがするんだ」
「へえ~」
さや状の果実は甘い香りがする香辛料である。お店などで売っているバニラエッセンスは合成香料とも呼ばれ、バニラの実をアルコールなどに漬け込んだ品だと厨房の料理人から聞いたことがあった。
バニラビーンズはそのまま使うものなので、本来の香りが楽しめる贅沢な一品とも言える。
牛乳を鍋に入れて、バニラビーンズのさやを投入して沸騰する前に火を消す。
「お砂糖は量れたかな?」
姉妹に頼んでいた砂糖はきちんと準備完了になっていた。
手が空いていたので、ジークが黄身と白みを分ける作業を二人揃って覗き込んでいた。
白身はラングドシャでも作って貰おうかと、近くに居た使用人に頼んで厨房に持って行って貰った。
最初に黄身だけをよくかき混ぜて、後から砂糖も追加で入れる。
ザラザラ感が無くなったら、バニラビーンズを投入。
次に砂糖と卵黄、バニラビーンズが入ったボウルに先ほどの牛乳を入れて、混ぜ合わせる。
舌触りを良くする為に布で濾してから、鍋の中に入れて弱火で加熱。熱し過ぎると卵が固まってしまうので注意しなければならない。
もったりしたところで火を止めて、鍋からボウルに移し、氷水に浸して冷やす。
「この牛乳に砂糖、卵黄にバニラビーンズを混ぜたものを『アングレーズソース』って言うんだって」
意味は異国風ソース。
このソースはとある国が発祥となっており、国の名を付けて呼ぶようになったとか。
カスタードと材料は同じだけど、小麦粉が入っていないので液体状となっている。
アングレーズソースを冷やしている間に、ボウルに生クリームと砂糖を入れて、泡だて器で混ぜる。こちらももったりしてきたら手を止めた。
冷えたアングレーズソースと生クリームを混ぜ合わせる作業をジークにお願いした。
その間に、氷と塩を混ぜ合わせ、アイスクリームメーカーの外側の器に入れていく。
上からも塩を掛ければ準備は完全なるものとなった。
混ぜ合わせたアイスクリームの素をアイスクリームメーカーの内側の器に入れて、蓋を閉めてきっちり密封する。
それから外についたハンドルを三十分程回せば完成すると説明書に書かれていた。
姪っ子姉妹の期待の眼差しを受けながら、ハンドルを回す。結構固いので、ちょっとだけ涙目になった。
ごりごりとハンドルを回す様子を、姉妹は飽きもせずに見張って……いやいや、見守ってくれた。ありがたくって、ここでも涙が出ちゃう。
途中でジークが交代をしようかと聞いてきたが、気持ちだけありがたく頂くことにした。
三十分後、どきどきしながら蓋を開ければ、綺麗に固まったアイスクリームが完成していた。
まずは、味が問題ないかその筋に詳しい祖父に毒味……いやいや、味見。そう、味見をして貰う。
「ふむ。初めてにしてはなかなか上手く出来ている」
「わあ~~、よかった!」
お祖父さんから合格を貰ったので、アイスクリームを匙で掬ってお皿に盛りつけた。
タイミングよく使用人が先ほど頼んだラングドシャを持って来てくれたので、端の方に刺しておく。
「叔父様、これは?」
「ラングドシャ。卵白で作るお菓子だよ」
「もしかして、使わなかった卵白で作ったの?」
「そう、正解!」
猫の舌、という意味があるラングドシャは異国から伝わったお菓子らしい。
これも厨房で聞いたお話だ。材料は卵白とバター、小麦粉と砂糖で作る軽い食感の焼き菓子である。猫の舌という名前の通り、平べったく長い形をしていた。さっくりとした軽い食感で甘さも控えめなので、濃厚なアイスクリームとの相性は抜群の筈。
使った道具などは使用人が片付けてくれている。ぐっすり眠ってしまったアルノーは揺り籠の中に寝かされていた。
アイスクリームが溶けないうちに頂くことになる。
まずは姪っ子姉妹が食べる様子を見守った。
口に入れた瞬間に目から星が飛び出したのでは、という程の輝きを見せている。
「おいしい!」
「……ま、魔法みたい」
嬉しそうに食べる二人を見ているとデレデレしてしまう。本当に可愛らしいお姫様達だ。
ずっと眺めていたかったが、アイスクリームが溶けてしまうので、自分達も頂くことにする。
果たして、どのような食感なのか。
未知の食べ物を前にドキドキしながら匙でアイスクリームを掬い、口に入れた。
「うわ、美味しい!!」
感想を言った途端に祖父が噴き出して笑い出す。
「お祖父さん、どうかしましたか?」
「どうかしたじゃない! 子供みたいに目を輝かせるな!」
「もしかして、目からお星さま飛び出していましたか?」
「全く、笑わせてくれる」
「そんな顔していたかな~?」
そんなことないよね? と聞くためにジークを見たら、口元を押さえて目を細めていた。完全に笑われている。ちょっとだけ恥ずかしくなった。
でも、アイスクリームは本当に美味しい。
新鮮な乳製品を使ったアイスクリームは濃厚で舌触りはきめ細かく滑らか。口の中で冷たさを感じ、一瞬で溶ける様は魔法のようにも思える。
ラングドシャにアイスクリームを載せて食べれば、サクサクの食感と優しいミルクの風味が口の中に広がっていた。バニラビーンズの甘い香りもなんとも言えない。
言葉では上手く表しきれない程、贅沢で上品なデザートだと感動してしまう。
姪っ子達はすごい魔法だと褒めてくれた。
大変な腕力を必要とする魔法だけど、喜んでくれたので嬉しくなった。
初めてのアイスクリーム作りは大成功と言えよう。
午後からはジークとアルノーと三人で湖を目指しながら森の散策に行ったが、それはまた別の話である。




