佐藤美紀「私はまったく登場しないよ! しかも登場人物ですらないよ!」
「おい、まずはお前がここに住む理由を教えろ」
オレはキッとプリズンを睨むが、意に介さず着々とここに住むための用意を、大人一人入る鞄の中から取り出していた。
「修行をするためだ。アンタは強くならなければいけない」
淡々と話す。
鞄の中身からはシンプルな上下の服と、日常に必要最低限の用品に加えて、ナイフやら拳銃などなど、今すぐにでも警察に引き取ってもらいたい。
「よく分からんが、修行はしねぇよ。それと、ここに住むためには妹の承諾を得ないといけない」
「もう貰ってる」
耳の穴を小指でほじってみる。うん、耳くそは詰まっていないようだ。
「もう一回聞いていいか?」
「妹からの許可は貰ってると、言ったのだ」
あの妹から許可を貰っただと。ミチみたいな小さな子がいただけで怒りを撒き散らす(オレに向かってだけ)妹が、こんな同年代とも言え、手遅れとなるほどに頭のネジが数本空の彼方へと吹き飛んでいるこの女を許可したのか…!?
「いや、嘘も大概にしとけ」
そういえば妹の姿が見えない。さっきの騒動ですっ飛んでくるかもしれないのに。もしかしてプリズンが、妹を拉致や監禁している可能性があるかもな。まぁ、あの妹が捕まりそうには見えないし。
昔、家にサバイバルナイフを持った強盗が入ってきたときも、ナイフをかいくぐりながら正拳一発でノックアウトにしちゃったぐらいだ。
ということは、買い物とかかな。それとも鈴香のところだろうか。後者だった場合はいますぐにでも飛び出して迎えに行かなければ。次に会うときが遠い国の見ず知らずの結婚式場かもしれない。
「……嘘ではない。今はでぱーととかいうところに行っている」
ベッドから飛び起きながら、着替えを始めるオレに向かってため息交じりで言った。
「お前なんか信じられるか」
「それでは、けーたいという奴で連絡をとってみるか?」
鞄の中に手を突っ込み、出てきたのは液晶画面が前の商品より2.5倍を売り文句に出しているタッチパネル式の形態だ。2.5倍というのはパカパカ携帯と比べてなのだが。
「妹の番号はこのけーたいに入ってるようだ。アンタが連絡してみろ」
投げた携帯が弧を描いてオレの手元に収まる。
「お前、使い方知らないだけだろ」
「知ってる。けーたいのことなど手に取るように分かる」
少し日本語がおかしいが、あまり深く追求しない事にしよう。床に置いてあるナイフを握って、また襲ってきたらかなわんだろうし。
機種が変更しようとも、携帯は携帯である。素早く妹に発信をとばす。
三回のコールの後、妹の「もしもし」という元気な声が聞けた。
「今、なにしてるんだ?」
『あれ? どうしてお兄ちゃんがプリズンさんの携帯使ってるの?』
プリズンのことは知っているのか。まだ安心は出来ない。
「今すぐ、どうしてるかだけ聞かせてくれ」
「鈴香ちゃんとオランダにいるよ」とでも言い出したらどうしよう。
『デパートで買い物中だよ』
「本当だな?」
『そうだよ。嘘ついてどうすんの』
クスクスと笑っている。
「よかった。帰り道には気をつけろよ」
『心配してくれてるの? ありがとうお兄ちゃん。でも、大丈夫だよ鈴香ちゃんも一緒だし』
「今すぐ迎えに行くから、変な誘いに乗るなよ」
通話を切り、携帯をプリズンの元へ少し横暴に投げながら寝巻きのまま走り出す。
プリズンは困惑しながらも、俺についてきた。その格好でついてくるのは勘弁して欲しいなと思いつつ、注意はしない。いまは妹の方が心配である。
妹が向かう買い物先はほとんどが白峰デパートなので、そこに向かって地面をえぐるかのように蹴りだして走った。
「急いでるなら手を貸そうか?」
全速力のオレと並走しながら、平気な表情でプリズンが問うてくる。
「お前に何ができるんだよ」
「しらみねでぱーととかいう場所に向かってるんだろう?」
「それがどうした」
「今すぐ連れて行ってやろう。お礼はアタシの修行を受ける事だからな」
プリズンはオレの返事を待たずに、手を握ってきた。次の一歩が地面を踏んだ瞬間、周りの背景は白峰デパートに変わっていた。白峰デパートはさほど大きい印象は受けないが最低限の日用品が揃い、飲食店も豊富であり、学校帰りの生徒が少し遠出をしてくるような所だ。そういえばプリズンが鞄から取り出していたものは、この白峰デパートの値札かあったな。
目の前には妹である椎名と、右頬をぴくぴく上下に動かしながら引きつった笑みの鈴香がいた。
「プリズンさん、急に人が多いところで『ナンバー』をつかっちゃいけないよ」
「すまない。まだ馴染めないもんで」
さっきまでの横柄な態度がガラリと変わりやがった。
「椎名、今すぐ一緒に帰るぞ」
「どうして?」
「そりゃあ、後ろの女が百合だか――」
話している最中に瞬間移動とも言えるべきスピードで接近した鈴香の右拳が、昨日散々痛めつけられたみぞおちにクリーンヒットをかます。恋する乙女は強いということが身にしみたような気がした。
「倒れそうだったから、抑えてみたけど大丈夫?きつそうだね。ちょっと医務室まで運んでくるよ」
実況者のような喋り方が苛つくが、みぞおちに小さなパンチ……ジャブを続けてくるので体に力が入らない。
「誰だか知らないが、これ以上殴るのはやめていただこう。修行に支障をきたす」
プリズンが鈴香の手首を握り、敵対心むき出しで鈴香のことを睨む。最後の言葉を無視して、今の言動は褒めよう。
「誰?そんなメイドの服を着て、恥ずかしくないの?」
うーむ、たぶん鈴香は何かのスイッチがオンになっているようだ。
妹はいつもと違う鈴香を見て、脳がキャパオーバーしてフリーズしている。
「服装はどうでもい――」
ガラスを壊してしまいそうなカフェの女性店員の鬼気迫る甲高い叫び声で、プリズンの発言が遮断された。