落花流水
「―――めんどくさい事には巻き込まれないように、以上っす」
明らかに最後の部分は、オレ達より自分が面倒なことに巻き込まれたくないと思っているだろう。
先生はそのまま出席簿を手に持ち、自分が壊したドアを通り、本校舎へと向かう。きっといつもいる家庭科室だな。
不意に肩を叩かれ、叩かれたほうに振り向いてみると、由美先輩が目線で「分かってますよね?」と作戦実行を促してくる。
「はいはい」
別に乗り気でもないので、由美先輩に曖昧な返事をした後、立ち上がる。
「椎名、ミチ、もう帰るぞ」
机の横に掛けてあった鞄を手に取り、手の甲を肩の上へと乗せる。
「分かった、お兄ちゃん」
「分かった」
椎名も鞄を取り、両手で持つ。ミチは立ち上がるとすぐに、オレの横にピタッとくっつく。
「お兄ちゃん、早く行こうよ」
オレの手を引っ張りながら、教室から出ると、由美先輩も「私も今日は帰ります。さようなら」と言って、オレ達と同様に教室から出てきた。
オレ達はすぐさま足音はできるだけ出さずに、忍び足でオレ達のクラスを窓から見れるところに移動をする。
着いた矢先、由美先輩は窓から目だけをひょっこりと出して、教室の中を覗き込んだ。それに合わせて、オレと椎名も教室の中を見る。ミチは興味がないのか、ぼーっとして近くに咲いてあった花を観賞していた。オレの隣からは離れようとはしないが。
連先輩は椅子に座りながら、後ろの方に座っている千春先輩を見れずに、前を向いたまま話し出す。
「そ、それじゃあ、きょ、今日…ちゅでい、昼にえきゃまえで」
連先輩は何語を話しているんだ。隣の由美先輩が訳すと「それじゃあ、今日、昼に駅前で」と言っているらしい。「ちゅでい」は「今日」を英語にしようとしたが噛んでしまったようだ。
「…分かってる」
千春先輩も、さも当然かのように会話を続けている。
今日は連先輩と千春先輩は一旦帰宅してから、着替えを済ませ、また落ち合うらしい。
沈黙の教室の中、千春先輩が最初に椅子から立ち上がり、教室から出て行く。
本当に千春先輩は嬉しいのだろうか、声はいつものイントネーションだし、変わった様子もない。
「なんか、まだ疑ってるようですね。狼紅さん」
オレの浮かない表情を見てか、溜め息交じりで言った。
「分かりました」そう言って由美先輩は立ち上がり、これから千春先輩の出る旧校舎の出口の所へと歩みを進めていく。
旧校舎から出る千春先輩と、偶然であったてきなシチュエーションでなにやら会話を始めた。
話が終わるまで少し時間がかかりそうだったので、連先輩の状況を見てみると、額を机の中央に当てて、肘を耳と付近に置き、両手を互いの指と指の間に入れて、何かをぶつぶつと呟きながら祈っていた。
「お兄ちゃん、そんなに楽しい?」
隣から椎名の声が聞こえた。
「楽しくねぇよ。面倒だ」
連先輩から椎名に視線を移すと、ニコニコと微笑んでいる椎名がいた。
「その割には、表情が明るいよね」
「そうか?」
頬を少し掻きながら、連先輩の方を向く。
「だって本当に面倒だったら帰ってるじゃん」
それもそうだ。
由美先輩から話を聞いて、断ればよかったじゃないか。
いつから、断る、帰る、の選択肢が無くなっていたんだ?
「お兄ちゃんが幸せなら私も幸せだよ。あ、でも妹の方も面倒見てね」
なぜか無性に恥ずかしかった。
「分かってるよ」
最後はわがままな子供のように、反抗期の子供のように、そっぽをむいて言った。
「証拠、持って来ましたよ」
いつのまにか千春先輩との会話が終わり、由美先輩が帰ってきていた。
すると、由美先輩はガラパゴス携帯、通称ガラ携の画面をオレの目の前に持ってきた。
「一人のときは油断するものです」
そう言ってきた先輩の携帯の画面には頬を紅く染め、少し俯いている千春先輩の写真だった。
「もしかして盗撮してきたのか」
明らかに写真の脇に移ってある物は由美先輩のスカートだから、携帯を後ろに持ってきて、千春先輩の目の前に出た瞬間シャッターでもきったのであろう。
「盗撮なんてたいそうなものじゃありませんよ。ただの隠し撮りです」
「一緒じゃねぇか」
と、内心でつっこんで……あれ?声に出してしまったみたいだ。
「それもそうですね」
まるでお嬢様かのように手で口元を隠しながら上品に由美先輩は笑った。
体の温度が一気に上がったような気がした。由美先輩の微笑みに心打たれたとかではなく、とっても恥ずかしい。なんかよくわからんが恥ずかしい!
「くくく、お兄ちゃん面白い」
後ろで、まるで小悪魔のように椎名が笑っていた。
「も、もういいから、早く作戦実行しようぜっ!」
早くこの場を終わらせたい一心でそう言うと、
「お兄ちゃん、作戦に協力的だね」
墓穴を掘ってしまった。
きっと今は生きてきた中で一番恥ずかしくて、顔が真っ赤になっているだろう。
椎名はそのことを分かって弄ってくるのであろう。
「連さんも行ったみたいですし、いきますよ。作戦始めましょうか」
由美先輩の声と共にオレと椎名は立ち上がる。すると、ミチも立ち上がり、オレの手を掴んで離れないようにしてる。
「もう、耐えられない。そんなにお兄ちゃんと一緒にいたいのなら、私がお兄ちゃんの腕を切ってあげようか?それならいつも手を掴んでいられるよ。本体は私のものだけどね」
椎名が鞄からお手製ダガーを取り出し、近づいてくる。
太陽光が刃物に当たり、反射して椎名の顔に当たる。
前にオレは襲われていた女を助けるべく、喧嘩をしたときがあった。難なく五人の男を半殺しにして、女を助けてあげたのだが、その女は引越しをしたばかりで、オレの『灰紅の一匹狼』という噂を知っていなくて、付きまとうようになった。
そのことを知った椎名は「もう、その拳で女を助けられないようにしないとね」と言って、オレの爪を全て剥いだ。そのときに使われたのもあのダガーである。
それ以来、助けた女は一回も顔を見ていない。たしか、また引越しをすることになったみたいだ。
その時からオレは本当に一人となった。
そんな経験をフラッシュバックされる。
「椎名、待て。ミチがもう泣きそうだ」
体をガタガタと震わせながら、目にはたくさんの涙が溢れていた。もう少しで溢れた涙が落ちてきそうである。
「そんなの知らない」
なお、近づいてくる椎名。
「オレは物なんかじゃない。それに、そんなに手を繋ぎたいのかよ」
オレは半ば強引に椎名のダガーを持っている腕を握る。
「いいから、こんなの離して一緒に手を繋いで一緒に行こう」
椎名はダガーを落とし、満面の笑みで「うん」と言った。
少しプロポーズチックな感じはするが、よく分からんが納得してくれたらしい。
それと、恥ずかしかった。ものすごい恥ずかしい台詞を口にしながら満面の笑みは疲れたし恥ずかしい。
「それじゃあ、ミチは私達の子供だね」
「まぁ…子供だな」
ミチは小学五年生ぐらいの体型だが、精神年齢は見た目よりものすごく若い子供であるのは間違いない。
それと、これほどまでに笑顔の椎名は初めてだ。逆に気持ち悪い。
「なにしてるんですかー、早く行きますよー」
遠くから由美先輩が手を振りながら、催促してきた。
「分かった」と、だけ言って、由美先輩のもとへ歩いていった。
たぶんさっきの会話は由美先輩には聞かれてなかったようだ。