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一 螺旋の中で

 大陸ゼルフォリア。

 この大陸はリディアという一つの国によって総べられており、下界の全てであった。何故ならこの世界にはゼルフォリア以外の陸は存在しないからだ。ゼルフォリアを一歩出れば、そこは果てしなく広い海。今まで何人かの冒険者たちが新大陸を求め旅に出たが、戻ったものはいない。無論陸など無いのだから当たり前だ。

 何故世界に大陸が一つしかないのか、その理由は明解だ。他の大陸は全て――消えた。世界の綻びに飲み込まれてしまったのだ。

 人が誕生してから途方もない時が経ち、人は愛を知った。喜びを知った。悲しみを知った。苦しみを知った。そして、憎しみや欲望をも知ってしまったのだ。

 穢れなかった世界はその時から人間によって穢されるようになった。徐々に世界は均衡を失い、綻んでいった。そしてある時、まるで何かのたかが外れるように天変地異が起きたのだ。つい一瞬前まで山だった場所に谷が出来、川だった場所が湖になった。そして最後に全て水に飲み込まれた。人間の死体は一人たりとも見つからなかったが、その行方を知る者は誰もいなかった。

 そして世界は一つになった。その世界にも黒い感情は渦巻いていたが、何故か残されたのだ。それは他の大陸の滅びによって均衡がとれたからなのかもしれない。

 人間は驚き、泣き、喚いた。しかしすぐに立ち直った。元々国同士の交流は盛んではなかったからだ。だがそれ以上に驚愕したのは今まで傍観していた天界の者達だ。下界が滅べばその上に成り立っている天界も滅ぶしかない。世界というものは云わば平らな台の上でしか成り立たない天秤のようなものなのだ。天秤は沢山の命を載せて釣り合いをとり続けようと必死に頑張っている。でももしその均衡が崩れてしまったら、二つの世界はただの混沌に成り果てる。

 それは防がなくてはならなかった。だから創造主は神を造りだし、天使たちの上に立たせた。そして静かに命じたのだ。

 ――綻びを紡げ。世界がこれ以上壊れぬ様に。

 その日からずっと神と天使の役目は変わっていない。

 そしてきっとこれからも……。



  ◇  ◆  ◇



「ラディエス!?どちらへ行かれるのですかっ」

「お前達の居ないところだ。案ずるな、宵までには帰るさ」

 ラディエスはそう言うと雑踏の中に身を投じた。露店が軒を連ねる市をずんずんと進んでいく。人を押しのけ掻き分けてとにかく奥に進む。理由はただ一つ、まだ天界に帰りたくないからだ。

 ――全く。どうして天使という奴はこうも頭が固いのだ。仕事を終えたら即宮殿に戻れ、等と言うのは人間で言うと新妻ぐらいなものだろうが。

 ラディエスは今、天使達と綻びを紡ぐ為にリディアの中枢都市であるリガルタに来ていた。

 リガルタは半円状の街で中心に宮殿が聳え、その外側に上級住居区間、下級住居区間、商業地区の順で成り立っている。その為街は賑わっているものの貧富の差があるのも事実だった。

 今ラディエスが居るのは商業地区。雑多な雰囲気だが遠方の雑貨や珍味なども並んでいるので人手は多い。そして綻びが見つかったのはここからそう遠くない廃屋だった。

 人間の黒い感情が引き起こすと言われている綻びはその所為か暗がりに出来やすい。暗がりにまるで剣で切り裂いたかのように空間が切れているのを見かけたら、それが綻びなのだ。

 一度出来た綻びは自力では二度と閉じることは出来ない。まるで虫歯のようにじわじわと広がっていき、調和を乱そうとする。綻びが大きくなるとその近くに運悪く近付いた人間はまず体調不良や苛立ちを覚え、長い間なんの措置も取らなければ最悪人格が変わってしまうこともある。それ程までに綻びは人間を乱すのだ。

 廃屋の中にあった綻びは少々大きくなっていたが、すぐラディエスによって適切に処理された。天使は手こずっていたようだが、ラディエスの力を以ってすれば簡単に紡ぐことが出来た。

 ……しかしその後が問題だ。ラディエスが終わったと言った途端に「有難うございます。では、戻りましょう」とは。何が「では」だ。ラディエスは久々のリガルタを満喫するつもりで居たのに、気勢を削がれるとは正にこのこと。

 毒づきながらちらりと後ろを振り返る。既に天使達の姿は見えない。どうやら上手く撒いた様だ。ラディエスは走るのを止め、露店に並ぶ商品を吟味し始めた。並んでいるのは果物や野菜が多いが、パンや菓子を売っている店もある。どれも美味しそうだ。ラディエスはある店の前に立ち止まるとそこに並んだ木苺のタルトを指差して、

「これを一つ貰おうか」

 店主に銅貨を一つ放った。店主は売る気がないのではないかと思う程無愛想だったが、釣りは要らないと言うと途端に愛想良くなった。

「今じゃ兄ちゃんみてぇな気前の良い客は滅多にいなくてね。毎度あり。そこの焼き菓子一枚やるから、今後ともご贔屓にな」

「おお、悪いな」

 タルトを受け取り、焼き菓子を口に放り込む。バターの香りが鼻孔をついた。少々焼き過ぎな気もするが、甘さは丁度良い。

 タルトで口をもぐもぐさせながらラディエスは露店市を抜け出し、書物屋でも覗いて行くか――とそちらに足を向けた。書物屋が立ち並ぶ通りは上級住居区間と下級住居区間の境目辺りにあるので少し歩くことになるが、まぁ問題は無い。天界にも書物は有るが、もうそれは既に読まれていた。例え一度も開いたことのない本でもラディエスはその内容が分かってしまう。ラディエスに再読する趣味はない為、自然と新たな知識を求めるようになるのだ。博識な前の神といえど知らないことがないわけではない。

 歩く度に町並みが高級感に満ちていく。土が覗いていた道も白い石で舗装され、道行く人々の装いもどことなく上品だ。ラディエスはつい自分の衣を見る。大丈夫、汚れは付いていない。

 それから歩くこと数十分。やっと幾つかの書物屋が見えてきた。何処に入ろうかと考えあぐねていると、一つだけ奇妙な店を見つけた。それは他の店とは離れた場所にまるで塔のように聳え立っていた。看板は「塔の中の螺旋」。

 何となく気になり扉を押すとふわり、古い本独特の紙の香りが身を包んだ。そして回りを見渡したラディエスはほぅ、と感嘆の息を漏らす。同時に店の名前の由来も理解する。

 壁一面の本――それはなかなか圧巻だ。塔の如き高さを持つ店内は本棚に沿うようにしてゆったりとした幅の螺旋階段が這っている。

 一番上まで行くのは大変だろうな、等と思いながらラディエスは階段に足をかけた。余り客の入りは良くないようだ。ただ足音を静謐に響かせながら登っていく。

 暫く登ると店主らしき老人が前からやってきた。見ていて不安になる程大量の書物を抱えている。店主はラディエスの姿を認めると、

「お客さん。今はここから先に行くのは止めた方が良い」

「……何故だ?」

 思わず聞き返すとゆらゆらと本の山が揺れた。

「階段が通行止めじゃからな。いや……通行止めというよりは通行不可能と言った方が良いかもしれぬがの」

 同じ意味だろう? と言いたい気持ちをぐっと堪える。

「階段の調子が悪いのか?」

「いいや。……今は……娘があそこに陣取って本の山を築いておるのじゃ。そこを無理に通ろうとすれば落ちる。そしてこの店では階段から落とした本は買い取ってもらうという決まりだ。お客さんも気をつけなされよ」

 その言葉にラディエスは少々考える。立ち読みは許すが不注意からの本の損傷は許さない、これは――つまり。

「……あまり売る気がないということか?」

「まさかそんなことはない。ただご覧の通り閑散とした店内じゃからな。立ち読み料を払ってくれるというから特別に許可しているだけじゃ」 

 それだけ言うと店主はまたゆっくりと階段を降りていく。「ごゆっくり」一拍間を置いて背後から声が聞こえてきた。

 店主には進むなと言われたが、まだ自分の気に入る本が見つかっていない。上に行けば良い本が有るかもしれないと思うと、ついつい引き返せなくなる。

 だが直ぐに先程店主が言っていたモノが見えてきた。螺旋階段の幅いっぱいに積まれた本。成る程これは通行不可能だ。少しな空気の振動だけで雪崩が起きる。

 そしてその中にラディエスは異様な光景を見た。段差に腰掛けた少女が本を読みながら――泣いているのだ。号泣する訳でもなく、嗚咽する訳でもなくはらはらと涙していた。

 どう対処していいのか分からず、ぴたりと足を止めたラディエスとふと顔を上げた少女の視線がぴたりと合ってしまった。

 亜麻色の長い髪は丁寧に編み込まれている。涙で潤んだその瞳はこの国では珍しい翡翠色だ。纏う衣装はなかなか上等な設えのドレスだった。おおよそこの場の雰囲気にそぐわない少女だ。

 などと考えている間にも気まずい沈黙は流れている。

「…………滅多にこんなところに人は来ないんですよ」

 意外と低めな、落ち着いたトーン。

 少女が涙を拭う。

「だろうな」

「だから立ち読みして、好きだった格好良い悪役が主人公に殺されちゃうのを悲しんでいても誰にも文句は言われないんですよ」

「……だろうな」

 明後日の方向を見る。上から注ぎ込む光が綺麗だな、遠くから鐘の音が聴こえるな……等というくだらないことを考えながら。

「あと、いつもは泣いたりしませんから」

「わかったわかった。それより……私はこの上に行きたいだけなのだが」

 辺りに積まれた本を指し示すと少女は「すみません」と小さく謝って。持っていた本を閉じ立ち上がる。その動作の間にも、本の山はゆらゆらっと心許なげに揺れた。

 慣れた様子で少女は山をその内側から切り崩していく。そして時折ラディエスに「これはあっちの棚でお願いします」とちゃっかり本を渡して来る。ついついそれに従ってしまう我が身が悲しい。

「読まない本は出さなければ良いだろう……」

 不平を零したラディエスに少女は、

「いや、その、読みたいと思っている本が何故かいつの間にか近くに集まってきてですね」

「馬鹿を言え」

「言ってます」

「……は?」

「言ったじゃないですか、馬鹿なことを言えって」

 勝ち誇ったように笑う少女を見て、ラディエスは酷い疲れを感じた。憮然としながら、

「……言葉のあやだ」

「そんなに疲れきらないで下さいよ〜。私よりちょっと上くらいでしょう?若さって大事ですよ!」

「お前は何歳だ?」

「16です」

 ――では、18前後か。この見た目は。

 天界にいるときは威厳を保とうとしている所為か何だか自分が老けたような気がするのだが、こちらではそうでもないらしい。

 少々元気を取り戻し、片付けたばかりの本棚に目を走らせる。面白そうな本はないものか、と。

「お名前は?」

 暇を持て余した少女がラディエスの背中をつついた。簡潔に答える。

「ラディエス=エルク」

「好きな本のジャンルは?」

「……実話や民話」

「好きな作家さんは?」

「いない」

「厚い本は苦手?」

「そうでもない」

「好きなタイプは?」

「お前に答える義理はない」

 最後の答に少女はけらけらと笑った。そしてちょこんと居住まいを正す。

「私はローラ、ローラ=ミレットです。よろしくお願いしますね、ラディエスさん」

 少女――ローラは晴れやかに名乗った。心なしか敬語も緩くなった気がする。おそらく名を言い合えば友人とかいうおめでたい発想の持ち主だ。ラディエスはふん、と鼻を鳴らして、

「よろしくも何も、そんなに深い縁でもないだろう?」

「そんなことないですよ。だって普通こんなところで泣いている奴がいたら即回れ右です。なのに本の片付けまで手伝ってくれた貴方はきっと良い人だと思いますし、きっとこれも友情の芽生え、とかいう展開だと思いますよ? 出会いがもっと感動的なら恋の芽生えとかも言えちゃったりするんですが、さすがに涙で顔ぐしゃぐしゃのところ見られてからそういう事言えるほど私は自意識過剰じゃないんですよね……残念」

 何が「残念」だ。何か言い返してやりたくて立ち去らなかったのは好奇心だ――と言ってやろうと思ったが、止めた。労力が惜しい。

 本を探すためそれきり黙ったラディエスに、ローラはいそいそとどこかに行った。そしてすぐ戻って来ると、

「これ、私のお勧めです」

 差し出された本をしげしげと眺める。格調高い茶と金の装丁は読欲を沸かせてくれた。

「実在したある王の愛人の話です。込み入ってるんですが、なかなか面白いですよ」

 王の愛人――大丈夫だ。このキーワードについての頭の中のノートは白紙で、まだ知識は無い。

「では、それを買うことにしよう」

 あまり迷わず決めたラディエスに、ローラが目を丸くした。

「あ、意外と素直なんですね」

「意外、が余計だ」

 貶したつもりだったのだが、ローラはまた小さく笑った。そして元気良く螺旋を一人で下り出した――かと思うとくるりと身を翻して、

「ラディエスさん!何してるんですか?一緒に下りましょうよ〜」

「分かった。分かったから叫ぶな。ここは店内だ」

「大丈夫です!私達以外にお客さんなんて入ってませんから!」

 嗚呼、声が大きい。下に行ったらさっきの老人に睨まれそうだ。

 そんなラディエスの憂いを余所に、ローラは今度こそ階段を下り始めた。その背中は埃がところどころについている。上質な服が勿体ない。

 ローラがちら、とこっちを見る。まだ動いていないラディエスを見た途端に頬を膨らませた。その口が開く前にラディエスは歩みを進める。

 ――全く、変わった娘だ。

 まぁ、自分も神としては大分変わっているという自覚はあるので特に問題は無い。

 それに、こういうのも、偶には、新鮮だ――。



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