第7話 大地とそら、兄妹の誓い!(中編)
シーン5 とある建物の地下二階――エスクロン本部
部屋の中央に独り佇む仮面の男マルスの背後から一人の男が近づいた。黒い長髪、縁の太い眼鏡、白衣を纏ったひょろっとした男――シャラーフである。彼はマルスにおもむろに話しかけた。
「マルス様、少しお話が……」
「ん? ああ、シャラーフか。何だ?」
マルスは彼に気付いて振り返った。シャラーフは声を潜めて話を始めた。
「例の"カラミティ・ジャック"とやらについて何かご存知ではないかと思いまして――」
と、話を始めるやいなや、マルスがひときわ大きな声をあげた。
「――む! もうこんな時間だな! 定例会議の時間だ! シャラーフ、皆を呼んでこい!」
「え、で、ですが、定例会議にはまだ三十分ほど――」
会議の時間にはまだ少しばかり早かった。だが、マルスはそれでも会議を行うと主張した。なんとか二人きりで話を進めようとしたシャラーフだったが、マルスはそうはさせじと早口でまくしたてた。
「その話は皆が揃ったときで良いだろう。ほれ、会議は前倒しで開催だ。早く他のものを読んでこんか! ローティアからも作戦の経過報告を聞かねばならぬ!」
「で、できれば内々に伺いたかったのですが……」
シャラーフはうなだれた。そして、"カラミティ・ジャック"という単語を耳にした途端に突然態度を変えたマルスに対して一抹の疑問を抱いた。
(やはりおかしい……! ジーファーだけではない。マルス様も何かを隠している……!
一体あの名前に何が隠されているというのだ……っ!)
シーン6 西小木市民病院
『5051 板井 杉蔵
5052 板井 時』
病室の入り口の脇に付けられたネームプレートには、そう書かれていた。
そらと健次郎はその部屋に入り、二つ並べられたベッドへ歩み寄った。
「こんにちは、お父さん、お母さん。今日は友達を連れてきたよ」
ベッドの上では、それぞれ壮年の男女が眠りについていた。その身体は静かに横たわり、瞳はそっと閉じられている。彼らはその腕に点滴こそ受けているものの、その顔は血色も良く、まるで病人とは思えない様子だった。そらが近づいて声を掛けたが、それに応える様子も無く、ただゆるやかにその寝息を響かせるだけだった。
健次郎は呆然としてベッドの二人を見た。彼らが一体何者なのかは、入り口のネームプレートからなんとなく想像ができた。そして呟くようにそらに声を掛けた。
「これって……?」
女性の眠るベッドの傍らに座りながら、そらが小さな声で応えた。
「父と、母です」
「……え」
「ずっと眠り続けています。私が物心ついたときから、ずっと……。
一度も起きたことはありません。死ぬまで、眠り続けるのだそうです……」
「死ぬまで……?」
健次郎はもう一度ベッドに横たわる二人の姿を見た。静かに眠り続ける二人の表情は安らかで、その寝顔を見ると、今にも起き上がってきそうな印象を受けた。だが、母の手を握り締めたまま黙って俯くそらの顔を見ると、彼女の言葉が真実であると感じた。
そこでふと、死ぬまで眠り続ける、という言葉に思い当たり、口を開いた。
「もしかして、シャラーフとかいう奴の……」
その言葉を聞き、そらが無言で頷いた。その瞳にじんわりと涙が滲んだ。
「およそ十五年前、父と母はイタインジャーのメンバーとして戦ったそうです。でも、ある時シャラーフの睡眠薬を飲まされ、それ以来目覚めない身体になったそうです。今は、点滴だけで命を繋いでいる状態です」
「そんな、本当にそんなことが……」
いつか自分が飲まされかけたシャラーフの睡眠薬。それを実際に飲まされた者が今、目の前に横たわっている。しかも、それがあの板井兄妹の実の両親であるという事実――あまりの衝撃に、健次郎は絶句した。
そらは俯いたまま、なおも語った。いつしかその手元には、ぽたぽたと涙が零れ落ちていた。
「私の記憶の中で父と母との思い出は、この病室の中で見る二人の寝顔だけなんです。私は、二人の寝顔以外、何も知りません……」
健次郎は、まだ信じられないといった顔つきで、ベッドに横たわる二人の姿を見た。そして、十五年間もの間、眠り続ける両親を病室の片隅で見守り続けた少女の心中を想うと、彼の心は掻き乱された。思わず手で口元を覆った。
「だから、私は二人が目覚めるまでは決してエスクロンを許すことができないんです。例え、それがお兄ちゃんの意思だったとしても、私は戦いを止めるわけにはいかないんです」
そう言うと、そらは左手でぐいっと涙を拭い、顔を上げた。健次郎の目を見つめながら、まだ涙の跡が残るその顔で懸命に微笑んだ。
「――これが、私の、そしてお兄ちゃんの、戦う理由です」
健次郎は暫くの間、言葉を紡ぐことができなかった。いまにも口から嗚咽が漏れそうになっていた。だが、気丈に微笑むそらの顔を見ると、己にそれを許すことは出来ず、必死にその口元を抑えた。
そして、何とか涙を喉の奥に追いやり、口を開いた。
「あ……あの、さ……」
すると、突然病室に入ってくる人影があった。それは妹の名を呼んだ。
「――そら!」
「お兄ちゃん……」
大地が息を切らしながらそこに立っていた。彼は荒れた息を落ち着かせながら、そらと健次郎を交互に見た。
「やはりここにいたか……只野、お前まで……」
「……ごめん。私が付いてきてほしいって頼んだの」
「……まあ、いい。
只野、理解したか? これが俺の戦う理由だ。そして、そらを巻き込みたくない理由でもある」
大地がそう言うと、そらが目を見開いた。
「……何で!?」
「お前までこのような姿にはしたくない。わかってくれ、そら。戦うのは俺だけでいい!」
大地は両親の姿を一瞥し、そして下唇を噛んだ。そらは立ち上がり、懸命に訴えかけた。
「……ず、ずるい! そんなのずるいよ! 私だって戦いたい! お父さんとお母さんをこんな姿にしたやつらと戦いたい!!」
「その気持ちは俺も同じだ。だから、もう俺に任せてくれ。復讐の枷は俺一人だけが背負う。
俺はそのために子供の頃からずっと戦う訓練を受けてきた。だが、お前は違う。
それはお前をこんな世界に巻き込みたくなかったからだ! お前だけにはまともな人生を歩んでもらいたいんだ!」
「……そんな! 私だけ逃げるようなことできないよ!! 私も戦う!!」
そらが声を張り上げた。大地は譲る様子も無く、なおも諭すように話し続けた。
「復讐は俺が必ず成し遂げる。だから、お前には戦う義務なんて無いんだ。分かってくれ、そら」
そして、つかの間の沈黙が流れた。いつしか、そらの肩が小刻みに震えていた。
「……ずるい、ずるいよ。お兄ちゃんも、お姉ちゃんも、勝手だよ。ずっと、私だけがのけ者で……」
そらの瞳から大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちた。彼女は目元を拭い、そして一言叫んで病室を飛び出した。
「お兄ちゃんの、ばかっ……!」
「そら!」
大地は彼女を追おうとした。だが、健次郎が彼の腕をぐいと引っ張り、それを制止した。
そらの背中は病院の廊下の彼方へと消えていった。
シーン7 富ヶ岡ニュータウン――喫茶店『みなと』前
(ばかっ……! お兄ちゃんのばかっ……!!)
病院を飛び出したそらは、きゅっと唇を結んだまま、早歩きで帰路についていた。兄に認められない悔しさ、悲しさ、そして怒り――様々な感情が彼女の中を駆け巡り、目からはとめどなく涙が流れていた。
そして彼女が自分の家を視界に捉えたとき、二つの人影が目に入った。
そらに背を向けて立つ、その二つの影は高らかに笑い声を上げていた。
「兄貴、ここかあ? 富ヶ岡ニュータウン、ってのは?」
「そうだ、弟よ。さあ、ここも美しく染め上げてやろうぞ!」
そらは彼らの姿を見るや、近くの物陰に隠れた。
(……怪人! それも、二人も……!!)
全身が緑色の怪人が二体、そこに立っていた。彼らの足元には大量の蛍光ペンキの缶が置かれていた。
その会話の内容からも、彼らがそのペンキを使って何かをしようとしていることは容易に想像できた。
(……どうしよう。二人も相手にできない……。応援を呼ばないと! でも……!)
そらは携帯電話を開けた。大地の電話番号を画面に表示したが、そこで彼女の手が止まった。今、兄の力を借りる気にはなれなかった。
二人の怪人――ホッパー兄弟はペンキの缶を持ち、目の前に立つ三角屋根の建物――喫茶店『みなと』へ一歩踏み出した。
「まずは、この喫茶店からだ。やるぞ、弟よ!」
「おうよ、兄貴!!」
それを見たそらは、思わず飛び出した。
「やめなさい、エスクロン!!」
兄弟の足が止まった。そらは必死で叫んだ。
「そこは、お父さんとお母さんが残してくれた、たったひとつの場所なの!」
ホッパー兄が振り返り、そらを見て首を傾げた。
「……む? 何だ、この女は?」
「兄貴、そんな人間の女なんか無視して、さっさとこの喫茶店をやっちまおうぜー」
ホッパー弟がペンキの缶の蓋を開け、そこへ大きな刷毛を突っ込んだ。それを見たそらが怒声をあげた。
「やめなさい! どうして、貴方たちはそうやって簡単に人の大事なものを踏み躙るの!?」
それを聞いたホッパー兄がそらを睨みつけて言った。
「何を言うか! 我らはここをさらに美しいものに変えてやろうとしているだけだぞ!?
全ては人類の幸福のためだ。それを、踏み躙るなどとは正に心外! 我らを侮辱すると許さんぞ、女!!」
「私だって、そこに手を出したら絶対に許しませんから! ――チェンジ!イタイン!!」
そらは携帯電話を頭上に掲げて叫んだ。彼女の身体が瞬く間に戦士の姿へと変貌した。
人の葛藤を表現するのって、ホント難しい。
病室での会話は何度も書き直しましたが、また書き直すやもしれません……
さて、次回は明日七日投稿です。兄弟バトル、頑張って書きます!