第7話 大地とそら、兄妹の誓い!(前編)
シーン1 西小木港 第三倉庫群前
夕闇が迫っていた。
海面は徐々にその蒼を深くし、薄く掛かった雲のオレンジ色は次第にくすみ始める。
ウミネコたちが巣に帰ろうと上空を横切る中、港には二つの人影が立っていた。エスクロンの怪人ホッパー兄弟である。
バッタ型怪人の彼らは全身が緑色で、鋭いノコギリ刃の付いた両腕は逞しく、その腿は丸太ほどもあろうかという太さで、彼らの優秀な跳躍力を想像させた。頭からは二本の触覚が伸び、その両目は大きな複眼、口の両脇には鋭い大アゴがついている。
二人のうち、わずかに背の高い方――ホッパー兄が誇らしげに笑った。
「フハハ、これでまたこの世界にひとつ美しいものが増えた!」
「さすがだぜ、兄貴! この調子でもっとガンガンやろうじゃないか!」
「ああ、弟よ。我ら兄弟にかかれば、この西小木を美しい色で埋め尽くすことなど容易いな!」
二人は満足げに目の前に並ぶ建物――西小木港第三倉庫群を見つめていた。鉄筋コンクリート製のその倉庫群の壁と屋根は、本来は薄汚れたねずみ色であった。だが、今現在、その建物の全てが、鮮やかな緑色の蛍光ペンキでくまなく塗られていた。これは二人の仕業であった。
もう一度自身の仕事を見渡して、満足そうに鼻息を鳴らした後、弟が兄に問いかけた。
「それで、次はどうするんだい、兄貴?」
「次は……そうだな……」
兄は遠くに見える高台を指差した。小さな三角屋根がずらっと並んでいるのが見えた。
「あの高台の上にある富ヶ岡ニュータウンなんか格好の標的だとは思わんか?」
「おお、さすが兄貴だ! 目の付け所が違うぜ!! ローティア様もきっと絶賛してくれるぜ!?」
「そう褒めてくれるな弟よ。では、明日はあの高台を美しい緑で染めようぞ!」
そうして二人は高々と笑った。
シーン2 小見谷通り 喫茶店『ライト』
編集者 伊藤詩乃は目の前に積まれた原稿用紙の束を見て、呆れたように呟いた。
「何コレ?」
「新作! 読んでみてよ!」
健次郎は自信満々にその原稿の束の一枚目を詩乃に差し出した。詩乃は軽く溜息を吐きながらそれを片手で乱暴に受け取ってさっと目を通した。一行目に『西小木市 正義と悪の戦いの記録』と銘打たれていた。
「……ふーん」
詩乃はその原稿の一枚目の半分ほどまで目を走らせると、それをぱさっとテーブルの上に置いた。そして他の原稿の束とまとめて畳んだ。
「ま、編集長に渡しとくわ」
「えっと、また駄目かな? 前回よりはかなり良くなったと思うんだけど――あいてっ!」
健次郎の額に角砂糖が飛んできた。詩乃がそれを弾いた指をくるくると回して言った。
「ま、前回よりは、ね。あたしは全然興味沸かなかったけど。
つか、エンタメ系らしく書きなさいっていう編集長からのアドバイス、完全無視したでしょ……?」
「……はい」
詩乃に睨まれ、健次郎は萎縮した。詩乃は淡々とした動作でその原稿を鞄に入れ、次の取材先を記したメモを取り出した。
「で、次の取材先だけど――ここね」
健次郎がメモを受け取ると、そこにはこう書かれていた。
――『西小木市富ヶ岡一丁目五番地 喫茶店 みなと』
それは見紛う事なき、あの喫茶店『みなと』である。健次郎は少し戸惑った。
「え……、本当に?」
「そうよ? どうかした? すっごく景観が良い上に、コーヒーにもこだわりがあるお店らしいわよぉ。
ま、若い女性に人気のある店らしいから、あんたには似合わないところかもしれないけどねー」
詩乃は悪戯っぽくにやりと笑い、コーヒーを一口すすった。一方、健次郎はそのメモを物憂げにじっと見つめていた。詩乃はその様子に気付き、健次郎の顔を覗きこんで言った。
「ん? もしかして、不満?」
問いかけられ、健次郎ははっとして首を振った。
「あ、いや、行ったことあるとこだったから、さ」
すると、詩乃が目を丸くして感嘆の声を出した。
「へー!」
そして彼女は嬉しそうに笑って言った。
「あんたがこんなオシャレなお店に行ったことあるなんて、なかなかやるじゃない!
まあ、行ったことがあるならすぐにでもレビュー記事書けちゃうわね! 期待して待ってるから!」
「う、うん……」
詩乃が明るい笑みを浮かべる一方、健次郎は終始浮かない顔だった。
喫茶店『みなと』は、彼がイタインジャーと関わってから幾度も足を運んだ店である。いくつもの出来事があったその店は、彼にとって馴染みの店という以上に特別な場所になっていた。そこを客観的な視点でレビューしなければならない。それがどれほど難しいことなのかは考えるまでもないことだった。
シーン3 富ヶ岡ニュータウン 喫茶店『みなと』
店の扉が音を立てて開いた。
「いらっしゃいませ」
カウンターの中からにこやかに挨拶した大地だったが、店に入ってきたのが健次郎だと分かると、その表情が瞬く間に無愛想なものへと変わった。そんな大地の変貌振りも、最近では普段の光景の一つとなりつつあった。いつもの流れであれば、この後健次郎はゆっくりとカウンターの席に着いて、そして大地の顔色を伺いながらの会話が始まる。だが、今日は様子が違っていた。
「あ、ど、ども、こんにちわー」
健次郎は不自然な笑顔を浮かべ、そわそわとした様子で入り口に立ち続けていた。そんな彼を見て、大地は訝しげな顔つきをして言った。
「……何だ?」
その時、厨房からそらが顔を出した。彼女は健次郎の姿に気付くと、にこやかに挨拶した。
「あ、こんにちは、健次郎さん」
健次郎はまだ入り口に立ち、辺りを見回していた。懸命に記憶を辿り、初めて来店したときに感じた店の第一印象を思い出そうとしていた。もちろん、それは詩乃に依頼された記事のためである。
記事の書き方として、初めて店の扉を開けた瞬間に感じたことをそのまま記述するのが、健次郎のいつもの手法だった。だが、初来店時の記憶をいくら探っても大地と再開した後の出来事の印象のほうが強く、彼に胸倉を掴まれたことしか思い出せなかった。
健次郎は困った様子で呟いた。
「え、えーと、どうしようかな……」
大地が眉間にシワを寄せて言った。
「……何をきょろきょろしてるんだ?」
「いやあー、まあ、ねぇー。あははー」
健次郎は愛想笑いを浮かべて、頭をぽりぽりと掻いた。
健次郎と詩乃の間の取り決めとして、レビュー記事は覆面審査に基づく、というものがあった。記者であることを明かさずに店を訪れ、その店の普段の姿を見てそれを記事にするのだ。よって、健次郎は己の事情を大地らに話すわけにはいかなかった。
明らかに普段と異なる態度の健次郎を不審に思い、そらが近づいて不思議そうな表情で健次郎を見上げた。
「何か変ですよ? 熱でもあるんじゃないですか?」
「い、いや! 大丈夫! 大丈夫だからさ!」
そらが額に手を当てようとしたので健次郎は戸惑った。しびれを切らした大地が苛立った口調で声を掛けた。
「ここに座れ。今日はお前に話がある」
「いや! 今日はカウンター席よりも、景色の良い窓際の席の方がいいかな! はははー」
「何だ、一体……気持ち悪いぞ、お前……」
「ま、まあ、お構いなく……!」
そう言って、健次郎は木製の階段を登って二階の窓際の席へ向かった。そこは彼が初めて来店した際に座った席だった。
健次郎は席に着くと、すぐさま懐から小さなデジタルカメラを取り出した。そうして大地やそらに気付かれないよう、こっそりと店内や窓の外の景色をカメラに収めた。
すると、階下から階段を登ってくる足音が聞こえた。健次郎は慌ててカメラを仕舞った。
階段から大地が姿を現した。彼は一度振り返って階下の様子を確認すると健次郎と同じテーブルに着き、小声で話を切り出した。
「……話がある」
神妙な顔つきの大地を見て、健次郎は目を丸くした。
「……どうした? お前から話があるなんて始めてじゃないか?」
「ああ……」
そして大地は一度階段の方をちらりと見た。そこに誰も居ないことを確認し、おもむろに語りだした。
「只野、お前……イタインジャーにならないか?」
「え……」
健次郎は突然の申し出に唖然とした。大地はなおも続けた。
「今なら、イタインブルーの装備をお前に用意できる」
「え!? でも……」
イタインブルーは現在、そらのポジションである。それを用意できるとは、一体どういう意味なのか。健次郎は疑問に思い、大地に問いかけた。
「ブルーって、そらちゃんだろ? 俺がブルーになったら、そらちゃんはどうなるんだよ?」
それを受け、大地はもう一度階段を見た。そしてそこにそらの姿がないことを再度確認し、囁くように答えた。
「そらには、イタインジャーを辞めてもらう」
「……え!?」
つい大きな声が出た。大地は焦った様子で、人差し指を立てて唇の前に持ってきた。声を抑えろ、というジェスチャーである。
しかし、イタインジャーを辞めてもらうとはどういうことなのか。健次郎には大地の話がよく理解できず、声を潜めて聞き返した。
「えと、つまり、そらちゃんが辞めるから、俺が代わりにってことか?」
「そうではない。お前が代わりになることで、そらが辞める、ということだ」
「え、ど、どういうことだ、それ……? よく分からないんだけど……」
健次郎にはまだよく事情が飲み込めなかった。大地の意図がよく分からなかった。大地は少しの沈黙の後、その本音を語りだした。
「……俺はあいつにはもう戦いに関わってほしくないと思っている」
「……はあ」
「近頃は怪人の出現頻度も上がっているし、その強さも以前より増している。
そらは幼少の頃から病弱で、元々身体が強くはない。そろそろ限界だろうと俺は思っている」
「え、でも、当の本人――そらちゃんは辞めたがってるのか?」
「いや、これは俺が一人で考えていることだ。俺は、なんとしてでもあいつを辞めさせたい」
大地の目は真剣だった。そして大地は健次郎の両肩をがしりと掴み、彼の目を見て強い口調で言った。
「それで、お前にイタインブルーになってもらいたい、というわけだ」
「ちょ、ちょっと待て! なんでそうなるんだよ!?」
「お前が代わりに入ると言えば、そらを説得できる!」
「え、む、無理だろ、そんなの。それに、俺、お前やそらちゃんみたく強くないしさ」
「少し訓練が必要だが大丈夫だ。ブルーの装備の調整は、俺から叔父さんに頼んでおく――」
その時、階段の方から硝子が割れる音が響いた。
二人が驚いて振り向くと、そこにはそらが立っていた。呆然とした様子の彼女の足元には、銀色のトレーが転がり、コップの破片が飛び散っていた。コップに入っていたであろう水と氷が床に広がっていた。
「あ……」
「そら……?」
その話の内容の後ろめたさから、二人は戸惑った。すると、そらは慌てて足元のコップの破片を拾い集めた。その手元は傍目から見ても分かるほど、大きく震えていた。
「あ……、ご、ごめんなさい……、手が滑っちゃって、その、すぐ、えと、雑巾もってくるねっ」
そらの唇は振るえ、大きな瞳にはうっすら涙が浮かんでいた。そらは落ちた破片をひととおり拾い集めると、逃げるように階段を下りていった。
彼女の様子を見て、大地と健次郎は顔を見合わせた。
「もしかして今の話を……」
「……聞かれたか」
「板井……、やっぱりそらちゃんに直接話をした方がいいんじゃないか?」
「そうだな。只野、ブルーになる話、考えておいてくれ」
そして大地は席を立ち、小走りで階段を駆け下りた。階下から、彼がそらを呼ぶ声が聞こえた。
「そら! 話がある、ちょっと来てくれ!」
そこで、健次郎がふと窓の外を見ると、喫茶店を飛び出したひとつの影が目に入った。店の門の白いアーチをくぐって魚見坂へ向かって走るその人物。先ほど目の前で唇を震えわせていた女性――そらだった。
「え……、そらちゃん!?」
健次郎は思わずその名を呼び、席を立った。
シーン4 西小木駅前 バスターミナル
紺色の車体に白いラインの入ったバスが次々と現れ、乗客を入替えてはその場を後にしていた。
絶え間なく行き交うバスの陰――バスターミナルの片隅のベンチに、『みなと』のエプロンをつけたままの格好でそらが一人座っていた。その小さな肩はわずかに震えており、目からぽろぽろと涙が零れていた。
そこへ、息を切らしながら男が駆け寄った。健次郎だった。
「はあ、はあ、やっと追いついたー」
「……あ、健次郎さん」
そらは涙を拭い、健次郎の顔を見た。彼女の赤く充血した目を見て、健次郎はわずかに戸惑った。
「あ、ごめんな、店を出てくのが見えたから、つい」
「いえ、いいんです……」
そらが淀んだ表情のまま俯いた。頬に涙が伝った。すると、健次郎は慌てて言った。
「あ、俺、板井の話を受ける気は全く無いからさ! さっきのことは気にしなくていいから!」
「ありがとうございます……でも、まさかお兄ちゃんがあんなこと言い出すなんて……」
「だよな……。唐突過ぎるよ、あいつ」
健次郎は呆れた顔で鼻の頭を掻いた。そらはまだ俯いたままだった。
また一台、バスがターミナルを後にし、そしてまた新たなバスが滑り込むようにそこへ入ってきた。
暫しの間続いた沈黙を破り、健次郎がそっと口を開いた。
「でも、俺は板井の言い分もなんとなく分かる気がする」
すると、そらは顔を上げて目を見開いた。健次郎をじっと見て口を開いた。
「危険、だからですか?」
「うん。俺も何度か危険な目にあってるからさ。そうなると、やっぱり家族には安全な場所にいてほしいんだよ、きっと」
「そうですよね。でも……」
そらは目線を下ろし、物憂げな表情を浮かべた。そして、何か思いを決めたように、きゅっと口を結んだ。
「あの、私、これから行くところがあるんですが――」
そらが健次郎の目を見た。彼女の目には強い意思が漲っていた。
「――健次郎さん、一緒に来てくれませんか? お願いします!」
今回は板井兄妹にスポットを当てた回になります。
ホッパー兄弟の元ネタは、某仮面ライダーの地獄兄弟から。
二人が兄妹という設定を考えたときから、兄弟対決というのは是非やってみたいシチュエーションでした。
中編は6日、後編は7日に投稿予定です。