第5話 回る運命、回る皿!はじけよ乙女!(中編)
シーン4 西小木港 フェリーターミナル前――回転寿司店『すしじぇんぬ』
健次郎は一度その人数を数えてみることにした。
目の前に居る未代里を指差して「いち」、その隣の女子高生を指差して「にー」、その後ろで談笑する四人組の少女を指差して「ろく」……最終的に健次郎が唱えた数字は「にじゅうよん」となった。
店内にはいつの間にか未代里を含めた二十四人の女子高生が集まっており、各々が四人席に座って楽しそうに談笑していた。
「……これは、何?」
思わず未代里に問いかけた。未代里は平然とした様子で答えた。
「ん? 友達だよー?」
「え、と……顔、広いんだね、未代里ちゃん……」
てっきり三人だけで食事をするものと思っていた健次郎は、この機会にイタインジャーについての取材をしようとメモ帳に聴取項目をリストアップしてきていたが、この雰囲気ではとても取材などできたものではなかった。いきなり出鼻をくじかれてがくりと肩を落とした健次郎に追い討ちをかけるように、さらに未代里が友人たちに大声で呼びかけた。
「みんなー、今日はこの二人のおごりだから、いっぱい食べようねー!」
"この二人"とは、もちろん大地と健次郎のことである。その言葉に、二十三人の女子高生たちが沸き立った。
「おおー!」
「ゴチでーす!」
「ありがとうございまーす!」
皆が口々に二人にお礼の言葉を述べる中、健次郎は目を丸くしていた。
「ちょ、ちょっと、そんな話聞いてない……!」
慌てて弁明しようとしたが、それは少女たちの歓声でかき消された。必死に弁明する声も段々と小さくなり、最後にわらにもすがるような気持ちで健次郎は哀れな子犬のような目で未代里をじっと見つめたが、彼女はその視線をごく自然に逸らしてまた友人たちに呼びかけた。
「さー、どんどん食べよー!!」
店内は少女たちの歓声で沸き立ち、彼女らは寿司の回るレーンから各々の好みの寿司に狙いをつけ、それを次々と手に取った。そんな中、健次郎はひとり頭を垂れてカウンター席に座り、そして泣きそうな顔で横にいる大地の顔を見た。
大地は淡々とした動作で湯飲みに緑茶の粉末を入れ、そこへ湯を注ぎながら言った。
「だから言ったろう。後悔する、と」
「……板井、お前、冷静だな」
突然女子高生らの飲食代をおごらされる羽目になったのは大地も同様なのだが、彼は異様に落ち着き払っていた。健次郎はそんな彼の様子に違和感を覚えたが、その直後に大地の放った言葉で納得した。
「俺は、今回が初めてじゃないからな。
前回は五人がかりでステーキをおごらされた。その前はケーキバイキング十人分。その前は――」
大地は淡々と未代里の過去の悪行の数々を並べ立てながら、寿司の回るレーンからイカの握りを取って手元に置いた。そして一度店内を見渡し、少女たちの数を確認した。
「しかし、今日の人数は予想以上だな。足りるだろうか……」
大地はズポンのポケットから財布を取り出して中を見た。健次郎が横から覗き見ると、その札入れにはぎっしりと紙幣が詰まっていた。それを見て絶句した健次郎だったが、すぐに気を取り直して大地に聞いた。
「……お前、いくら入ってるんだ、それ」
「十万だ」
「……じゅうまん!!?」
「これでも足りんかもしれん。俺は多くても二十人未満だと思って来たんだが」
それを聞き、健次郎は自分の財布を取り出して中を見た。札入れには五千円札が一枚と、数枚のレシートやクーポン券しか入っていなかった。健次郎は、はあ、と溜息を吐き、うかない表情で大地に言った。
「……俺、ちょっと近くのATM探してくる」
「逃げるなよ」
大地はそう言うと、イカの握りを口に放り入れながら健次郎を睨みつけた。
「すぐ帰ってくるってば」
そして健次郎は席を立ち、そそくさと店を後にした。
シーン5 回転寿司店『すしじぇんぬ』 厨房
ホールが満席となり、その厨房の忙しさはピークに達していた。
まだ真新しい厨房の壁や床はつやつやと銀色に光り、巨大な炊飯器、酢合わせ用の巨大な機械などがその隅に整然と置かれていた。回転寿司店としては極めて普通の厨房だったのだが、二つだけ他の店と異なる点があった。一つは、料理人が全員黒い目出し帽を被っていること。そしてもう一つは、厨房の奥に一匹の巨大なタコが居座っているということである。
忙しく働く男たちの間を掻き分け、一人の男がそのタコの前に立って言った。
「本日も満員御礼でございます、店長!」
その言葉を聞き、店長と呼ばれたタコはその大きな目を細め、愉悦の表情を浮かべて答えた。
「ほほー、それはエエ。今日も売上予算は余裕で達成できそーやな。
旨い寿司で人間どもに食の素晴らしさを伝える、という作戦第一段階は成功と見てエエな」
「そろそろ、作戦の第二段階に突入してもよろしいかと存じますが」
「早坂、お前の言うとおりや。ならば、早速例の薬を用意せえ!」
そう言うが早いか、その男――早坂は懐から液体の入った瓶を取り出した。
「すでに用意してございます! 満腹感抑制剤です」
それを見て、タコは満足そうに笑った。
「うし、これを寿司に混ぜれば客どもは満腹を感じることなく永遠に食べ続けることになる。
そしてエッセン様の提唱する"食こそ人類最上の幸福"という理念にまた一歩近づく、っちゅうわけや!」
「しかし、この色ではどう混ぜても客に気付かれてしまいますが……」
その薬の色は赤黒くどろどろしていた。さらには中から時折気泡が浮かび上がり、その度にぽこっ、と小さな音を立てていた。
「早坂、その点はぬかりないで。ほれ!」
タコが指図すると、他の男が寿司の乗った皿を運んできた。その寿司は小麦粉を練った生地で包まれ、そのままオーブンで香ばしく焼かれて小麦色に輝いていた。
「ほう、パイ包み寿司、ですか」
「そや、これなら中が見えん。パイの中には具材のタコとその薬を入れるわけや。店のコンセプトにもよく合っとるやろ?」
「ですな。至急製造してレーンに流してみましょうか」
そして早坂は厨房の男たちにパイ包み寿司の製造指示を出した。
シーン6 回転寿司店『すしじぇんぬ』 ホール
店の自動ドアが静かに開き、健次郎が店内に入ってきた。その財布には近くのATMで下ろしたばかりの十万円が入っていた。健次郎は女子高生たちの席にうず高く積まれた空の皿の山を見て、深く溜息を吐いた。
ふと店内を見渡した時、健次郎はそこに妙な違和感を覚えた。そして大地の横の席に座り、目の前を見たとき、その違和感の正体に気付いた。それは寿司の流れるレーンの上にあった。
レーン上には、綺麗な小麦色のパイが流れていた。それもひとつやふたつではない。レーン上に流れる皿すべてに小さなパイが二つずつ綺麗に並べられており、それがいくつも連なってゆっくりと動く様子は、まるで回転寿司屋らしからぬ光景だった。
健次郎はその景色に唖然として呟いた。
「……パイが流れてる?」
大地が頭上のパネルでイカのにぎりの注文ボタンを押しながら答えた。
「ああ。さっき突然パイ寿司だらけになった」
「……パイ寿司?」
「店員の説明によると、パイ記事の中にタコの握りが入っているらしい」
「パイ生地と握り寿司って、なんか食い合わせ悪そうな……旨いのか?」
「さあな。誰も食べてないようだから分からん。俺はタコが得意じゃないしな」
見ると、未代里らを含め他の客たちは誰もレーン上のパイ寿司には手を出す様子が無く、皆、頭上のタッチパネルで各々の好みの寿司を注文してるようだった。回転寿司屋にも関わらずレーンに流れている皿に誰も手を出さない光景というのも、健次郎にはまた異様なものに思えた。
そのとき、健次郎の腹が小さく鳴った。この店に来てから、まだ何も食べていないことに気付いた健次郎だったが、どうも目の前を流れるパイには食指が動かなかった。健次郎は頭上のタッチパネルを操作しながら呟いた。
「俺もパイ寿司は遠慮しとこ……。何食おうかな……」
運ばれてきたイカ握りを口に放り込みながら、大地が言った。
「イカが旨いぞ」
「じゃあ、イカで……。つか、板井、お前さっきもイカ食べてなかったか?」
「安いからな」
――いや、安い寿司はイカ以外にもあるだろ……、と心の中で呟きながらも、健次郎はタッチパネル上のイカの握りの注文ボタンを押した。
シーン7 回転寿司店『すしじぇんぬ』 厨房
「店長、あの……」
早坂がバツが悪そうにタコに話しかけた。一生懸命パイ生地を捏ねていたタコが振り向いた。
「……パイ包み寿司が大不評の様で、ひとつも手にとってもらえません」
それを聞いたタコはうねうねとその足を動かして癇癪を起こした。
「な、なんでや!! あない旨そうなのに、なんで誰も食おうとせんねや!?」
「お、恐らく寿司とパイという組合せが受け入れられてないのかと……」
「わしの感性に付いてこれんとは、全く残念な客どもやな」
タコは呆れた様子で溜息を吐いた。そこでふと思いついたように続けた。
「そや。いっそ、薬を堂々と寿司の上にかけてみたらどうや?」
早坂はそれを聞いてきょとんと目を丸くした。
「え、上からかけるんですか?」
「"店長の特製ソース"とか適当に誤魔化しとけば客も食うやろ!」
「はあ……」
早坂は唐突な提案に首を傾げながらも、厨房の男たちにその指示を伝えた。
シーン8 回転寿司店『すしじぇんぬ』 ホール
「えー。イカの握りだよなあ……?」
健次郎は運ばれてきた皿を見て首を傾げた。そこには、彼の注文したイカの握りが二貫乗っていたが、真っ白なイカの身の上には妙な液体がかけられていた。その液体はやたらどす黒く、所々に赤い線がマーブル模様状に広がっていた。さらに、時折小さな気泡が液体の内側から沸き上がり、ぽこっと音を立てて割れた。
「えー、上にかかってるのは店長の特製ソースで御座います」
皿を運んできたホール係の女性店員がにこやかに言った。
「特製、ねえ……?」
健次郎は皿を持って、その臭いをくんくんと嗅いだ。つん、とした酸っぱい臭いが鼻をついた。
「これ、お前のと同じだよな……?」
健次郎は大地の手元にあるイカの握りと自分の持っているイカの握りを何度も見比べた。真っ白いイカの身とその下のシャリはまったく同じだが、先に運ばれた大地の握りの上にはその妙な液体はかかっていない。
大地は健次郎の持っている皿の上に広がる惨状を見て、眉間にシワを寄せて首を振った。
「……俺なら食わん」
「だよなあ」
その二人のやりとりが気になったのか、未代里が近寄ってきた。そして健次郎の持っている皿を見て驚嘆の声をあげた。
「うわ、何コレ!? ケンちゃん、こんなの食べるの……?」
「食べないってば……」
健次郎は軽く溜息を吐き、その皿を店員に手渡して言った。
「あの、やっぱり普通のイカの握りに変えてもらっていいですか?」
店員は少し困ったような表情をしたが、そのままそれを持って厨房へ続く暖簾をくぐって奥の方へ消えていった。
そして暫しの間を置いて、その暖簾の奥から怒声が響いた。
「こらーーーーー!!!!」
その声と共に、暖簾をくぐってホールに飛び込んできた影があった。その影が大声で叫んだ。
「なんでわしの特製ソースを食わんのや!?」
見ると、そこには巨大なタコが七本の足で立ち、残り一本の足で先ほど健次郎が返したイカの握りの皿を持っていた。その姿は昔のSF映画に出てくるグロテスクな火星人を彷彿とさせ、突然ホールに現れた異形の生物に店内は騒然となった。
「な、何? あれ、タコ!?」
「タコが喋ってる!」
「ちょーキモっ!!」
「うそ、まじで!?」
友人たちが騒然とする中、タコを見た未代里が玉子寿司を片手に叫んだ。
「うげ、怪人!?」
それを聞いてタコが反応した。
「だ、誰が怪人や!? わしはこの店の店長のオクトバっちゅうもんや!!」
未代里は首を傾げた。
「タコが店長……?」
「タコちゃうわ!!」
「……タコじゃん」
そこに大地が割り込んだ。大地は怪人を睨みつけて言った。
「……何か変だと思っていたが、やはりエスクロンの怪人が暗躍していたか」
早坂は、突然ホールに出て行ったタコの様子を厨房から暖簾越しに覗き見ていたが、大地の姿を見て慌ててホールに飛び出してタコに耳打ちした。
「て、店長! あいつら、イタインジャーですよ!!」
「な、何ぃ!? さては、ここがエスクロンの直営店だと知って殴りこみに来たっちゅうことか?」
健次郎はその言葉を聞いて小さく呟いた。
「直営店って……なんか手広くやってるんだな、悪の組織って……」
大地は腕を組み、怪人に答えた。
「ここに来たのは単なる偶然だ。回転寿司屋など経営して、今度は何を企んでいる?」
その問いにタコは周章したものの、平然を装って答えた。
「た、企みなんてしとらへん! ただ旨い寿司を西小木市民の皆はんに食うてもらいたいだけや!」
その横から早坂が言った。
「そうだそうだ! そんであわよくば客に満腹抑制剤を食わせて無限に寿司を食わせる作戦なだけだ!!」
健次郎がぽんと手を打った。
「なるほど、さっきの妙な液体がそれか」
タコはそれに気付き、うろたえた様子で早坂に注意した。
「早坂! 言うてしもてるで!」
「はっ!? つい口が滑りました……! この早坂、一生の不覚!!」
「お前は毎度毎度……いいかげんにせえ!」
タコが足の一本で早坂の胸元に軽くツッコミを入れたところで、大地が呆れた顔で呼びかけた。
「……漫才は終わったか?」
「漫才ちゃうわ!!」
すかさずタコが反論した。それを意に介さず、大地が言った。
「ここでは一般人を巻き込む。外に出るぞ」
「望むところや! 早坂、裏口から出るで!!」
そう言ってタコと早坂は暖簾をくぐって厨房へと消えた。大地はまだ席に座って寿司をほおばっている未代里に声を掛けた。
「未代里、食べてる場合か! 早く来い!」
「ふ、ふぇーい!」
未代里は手に持っていたマグロの握りを無理やり口に押し込んで大地の後について店を出て行った。もちろん、健次郎もその後を追った。
作戦内容をうっかり口走ってしまうのはお約束です。