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仲が良いスーパー銭湯常連客の美少女がトップアイドルだった  作者: 剃り残し


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 風呂から上がったばかりの肌は外気を強烈に求めていた。


 脱衣所と休憩所を繋ぐ通路の隅には、知る人ぞ知る特等席がある。


 壁際に設置された、黒い巨大な業務用扇風機。


 工場などで使われるような無骨なデザインだが、その風量は家庭用の比ではない。


 火照った体を一瞬で常温に戻してくれる、まさにオアシスだ。


 俺は首にタオルをかけ、特等席へと足を向けた。だが、そこには先客がいた。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……」


 巨大扇風機の真正面。


 首元がよれよれのグレーのTシャツに、赤い芋ジャージのズボン。


 両手と両足を肩幅よりも大きく開き、首を後ろに反らせて、全身で暴風を受け止めている女がいる。


 有馬陽菜に違いない。


「ワレワレハ、ウチュウジンダ……あ゛あ゛あ゛あ゛……」


 扇風機の風に向かって声を出し、その振動を楽しんでいるらしい。


 小学生か。いや、今の小学生でもそんな化石のような遊びはしない。


 俺はため息を吐き出し、歩みを止めた。


 彼女が宇宙人と交信していること自体はどうでもいい。


 問題はその状況だ。


 業務用扇風機の強烈な風圧により、陽菜のよれよれのTシャツが完全にめくれ上がっていた。

 引き締まった白い腹部。


 そして、形の良いへそが、蛍光灯の光を浴びて無防備に晒されている。


 ここは休憩所へ続く通路。自動販売機に向かう中年男性や、マッサージ室から出てくる若者のグループが、数メートル先を頻繁に行き交っている。


 俺は無言で歩幅を広げた。


 陽菜の真後ろ、通路から彼女の姿が最も見えやすくなる射線上に立ち塞がる。


 両足を少し開き、腕を組む。

 俺という名の肉壁の完成だ。


「……何をしてるんだ?」


 俺は背後から声をかけた。トップアイドルにそっくりで同名だなんていうのはパニックの素になりかねない。名前を呼ぶのは少し憚られた。


「あ゛あ゛……ん? あ、景だ! やっほ〜」


 陽菜は振り返り、ヘアクリップで留められた前髪を風になびかせながら、無邪気に笑った。


「見てよこれ、すっごい風力! 全身の毛穴から熱が逃げていくよ!」


「お前の熱と一緒に、社会的な尊厳も逃げていってるぞ。服を下ろせ」


「え?」


 陽菜は自分の腹部に視線を落とした。


 めくれ上がったTシャツと、丸見えのへそ。普通の女性ならここで悲鳴を上げて隠すところだ。


「あはは、ほんとだ。風のいたずらだね!」


 陽菜は笑った。隠す素振りすらない。


「笑い事じゃないぞ。通路から丸見えだ。お前、自分がどういう立場……いや、年頃の女性としての自覚がないのか」


「大丈夫だよ、景。ここはスーパー銭湯、つまり裸の付き合いの延長線上にある聖域なんだよ。少しくらいお腹が見えたって、誰も気にしないってば」


「気にしているのは俺だぞ。目のやり場に困る」


「えー、景って意外とウブなんだね」


 陽菜はニシシと悪戯っぽく笑い、一歩、こちらへ近づいてきた。


 距離が詰まる。


 扇風機の風が、彼女の甘いシャンプーの香りを俺の顔面に叩きつけてくる。


「それにね、景。おへそを風に当てるのは健康にいいんだよ」


「初耳だぞ。医学的根拠はあるのか」


「ないよ! でも、おへそは体の中心でしょ? チャクラ的な何かが集まってる場所だから、ここを浄化すると運気が上がるんだよ!」


 陽菜は自分のへそを指差し、胸を張った。


「特に私のおへそは、形が綺麗だってよくメイクさんにも褒められるんだから。ほら、見てみて。縦長でシュッとしてるでしょ?」


「見ないぞ。早く服を下ろせ」


 俺は視線を天井に向けたまま答えた。


「もったいないなぁ……」


「もったいなくなんかねぇよ……あと、チャクラってなんだよ、スピか?」


「ふふっ、チャクラはチャクラでしょ。知らないけど。螺旋丸だよ、螺旋丸」


「イジってるな……」


 陽菜は俺の言葉にウィンクをしてきた。「……あ、そうだ!」


 突然、俺のTシャツの袖を強く引いてきた。


「おい、何を……」


「景も一緒に浄化しよう! ほら、こっち来て!」


 陽菜の細い腕から信じられないほどの力が発揮され、俺は扇風機の真正面へと引きずり込まれた。


「風のシェアリングだよ! 二人で並べば、風の抵抗が分散されて効率的でしょ!」


 距離がバグっている。


 業務用扇風機の風の恩恵を受けられるスイートスポットは狭い。


 そこに大人二人が並んで立つには、必然的に密着することになる。


 俺の右腕に、陽菜の左肩がぴったりと触れ合っている。


 彼女の少し高い体温が、俺の皮膚に直接伝わってくる。


 俺の顔からわずか数センチ下で、彼女の頭頂部にある雑なチョンマゲ結びが風に揺れている。


「近いぞ。あと、暑苦しい」


「えー、冷たい風が当たってるからプラマイゼロでしょ!」


 陽菜は俺の腕に体重を預けるようにして、さらに距離を詰めてきた。


「あー……極楽、極楽……」


 彼女は目を閉じ、恍惚とした表情で暴風を浴びている。


 俺は彼女の肩越しに通路の奥を睨みつけた。


 自販機コーナーの方から、大学生らしき三人組の男が歩いてくるのが見えた。


 このままでは、彼女の無防備な腹部どころか、この至近距離での顔面まで見られてしまう。


 アイドルRIMAの顔だというのは、すっぴんというデバフがかかっていても、わかる人間にはわかってしまうんじゃないか。


 俺は陽菜を背中側に隠すように、俺の体全体で壁を作る。


「……ん? 景、どうしたの?」


 陽菜が不思議そうに見上げてくる。

 俺の胸板と彼女の顔の距離が、さらに数センチ縮まる。


「……風の角度を変えただけだ。右半身が冷えすぎた」


「ふーん? 器用なことするね。……あ、でも景が前に立つと、私の風が減っちゃうじゃん!」


 陽菜は文句を言いながら、俺の背中にぴたりと張り付いてきた。


「ちょっと、景の背中、大きくて壁みたいだよ! どいてどいて!」


 俺の背中に、彼女のおでこがグリグリと押し付けられる。


 背中越しに伝わる感触が、色々とまずい。俺は全身の筋肉を硬直させた。


「暴れるな。……少し大人しくしてろ」


「むぅ。景のいじわる。風の独占は禁止だよ。『私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律』違反だ」


「独占禁止法を正式名称で言わなくてもいいからな!?」


 大学生の三人組が、俺たちの横を通り過ぎていく。


 彼らは何事もないように、雑談をしながら休憩所の奥へと消えていった。


 防衛成功。俺は小さく息を吐き出し、体の緊張を解いた。


「よし、もういいぞ」


 俺は半歩下がり、陽菜から距離を取った。


「ぷはっ! やっと解放された! 景の背中、熱かったよ!」


 陽菜は乱れた前髪を手で押さえながら、大袈裟に息を吸い込んだ。


「お前がくっついてきたからだろ」


「景が壁になるからだよ! ……あ、でも」


 陽菜は急に声を潜め、またしても俺のすぐ横に顔を寄せてきた。


「……景のTシャツ、いい匂いした」


「……」


「洗剤? それともお風呂の石鹸の匂いかな。なんか、すごく落ち着く匂いだったよ」


 上目遣いで、真っ直ぐに俺の目を見てくる。


 無自覚な沈黙の爆弾だ。


 これだから、この人との距離感は油断ならない、と色々と気をつけなければガチ恋一歩手前までいきかねない。


 俺は扇風機の電源ボタンを容赦なく「切」に合わせた。


 ブォォォン、という重低音が徐々に静かになり、暴風がピタリと止む。


「ああっ! 私のオアシスが!」


「浄化の時間は終了だ。これ以上冷やすと腹を壊すぞ。……ほら、行くぞ」


 俺は踵を返し、休憩所のソファ席へと歩き出した。


「えー、待ってよ景! まだチャクラが開ききってないのに!」


 陽菜が慌てて後ろから着いてくる。


 Tシャツの裾をようやく手で押さえながら、小走りで俺の横に並んだ。


「チャクラは家で開け。信じてもないくせに」


「冷たいなぁ。あ、そうだ。今日は私がフルーツ牛乳奢る約束だったよね!」


 陽菜は俺の顔を覗き込み、ニカッと笑った。


「さっきの風のお詫びに、特大サイズのやつ奢ってあげる! 景、背中貸してくれたし!」


「背中は貸してない。勝手にお前が張り付いてきただけだ」


「同じことだよ! ほら、早く行こ!」


 陽菜は俺のTシャツの裾を軽く引っ張り、自販機コーナーへと歩調を速めた。


 俺は小さく首を振り、彼女の少し後ろを歩く。無自覚なアイドルと、それを隠すためのただの常連。


 この厄介な攻防戦は、まだまだ終わりそうにない。


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