第7話:執念と改造
地下倉庫に、耳を刺すような金属の悲鳴が響き渡った。
「――っ、止めて! 結衣、出力を落としな!」
トメさんの叫びと同時に、結衣はレバーを中立に戻した。
アリエスの右腕が、激しい震動と共にガクンと垂れ下がる。肩の関節部からは、焦げ付いたグリスの嫌な臭いと、白い煙が立ち上っていた。
「はぁ、はぁ……っ。今、何が起きたの……?」
コクピットの中で、結衣は荒い息を吐きながらモニターを睨んだ。
コンソールには、父・蓮太が送り込んできた『K-Shell』のログが、警告色である黄色で埋め尽くされている。
『Warning: Hardware Bottleneck Detected.』
『Actuator stress: 145%. Structural limit exceeded.』
「……出力に、体が耐えきれてないんだよ」
トメさんが、梯子を駆け上がってコクピットを覗き込んだ。その顔は、いつになく真剣だ。
「お前さんの親父さんが書いたあの『パッチ』。ありゃあ、機体の限界を完全に無視してやがる。最新のAIが『安全のために一〇〇で止める』ところを、一五〇、二〇〇まで無理やり引き出してるんだ。……ソフトが天才でも、ハードが骨董品じゃ、一歩動いただけでバラバラになっちまう」
結衣は、自分の震える手を見つめた。
さっき一瞬だけ感じた、あの「万能感」。
自分の思考がダイレクトに機体へ伝わり、世界が指先に吸い付くような感覚。
だが、その代償は、愛機アリエスの自壊だった。
「これじゃ、戦えない……」
「当たり前だ。お前さんが乗ってるのは、最新鋭機じゃない。捨てられた『残骸』なんだよ。……諦めるかい? それとも、このボロに付き合うかい?」
トメさんの問いに、結衣は答えなかった。
代わりに彼女は、シートの脇に置いてあった工具箱を掴み、機体から飛び降りた。
着地し、迷わずアリエスの右肩へと駆け寄る。
まだ熱を持った装甲に手をかけ、ボルトを一本ずつ力任せに回し始めた。
「やるよ、トメさん。……お父さんが『動く道』を作ってくれたなら、私はこの子が耐えられる『体』を作る。……それだけだよ」
油まみれの顔。だが、その瞳に宿る執念の灯に、トメさんは一瞬だけ言葉を失い、やがて愉快そうに笑った。
* * *
中央線の帰宅ラッシュ。
蓮太は、スマホの画面に流れるリアルタイムの負荷グラフを見て、険しい表情を浮かべていた。
「……やはりか。アクチュエータの応答速度が論理値に追いついていない。フレームの剛性不足だ」
蓮太はSEとして、数々の「レガシーシステム(旧式のシステム)」に最新のパッチを当てる仕事をこなしてきた。
ソフトを高速化すればするほど、物理的なサーバーやネットワークの細さが露呈する。今、アリエスで起きているのは、まさにそれと同じ現象だった。
(結衣、無理をさせるなよ。……俺のパッチは、お前の技術を信じて書いた。だが、機体そのものが壊れてはおしまいだ)
蓮太は指先を動かし、コードを書き換え始める。
機体の負荷を抑えるためのリミッターを設けるのではない。
特定の部位が悲鳴を上げているなら、その部位への不可を「他の部位の機動」で補完するような、複雑な分散処理アルゴリズム。
「……ん?」
その時、蓮太のモニターに、結衣のスマホ経由で新しいデータが流れ込んできた。
アリエスの各種センサーが、現在行われている「物理的な改造」の内容を読み取っている。
「……各部のコンデンサを交換しているのか? しかも、回路を並列に増やして電圧の安定化を図っている。……ほう。このパーツの組み合わせ、理にかなっているな」
蓮太は、娘が現場で戦っていることを知った。
彼女はただパッチを待つ「ユーザー」ではない。
自分と同じ、現場の最前線で最適化を模索する「技術者」へと変わろうとしている。
「面白い。……それなら、その新しい回路に合わせた、専用のドライバを書いてやる」
満員電車の隅で、蓮太の口元がわずかに吊り上がった。
仕事帰りの疲弊したサラリーマンの姿。だがその脳内では、数万行のコードが光の速さで再構築されていた。
* * *
「トメさん、そっちのメイン・バス、ハンダ付け終わったよ!」
「よし、こっちは予備の冷却液を循環させた。……お嬢ちゃん、筋がいいねえ」
深夜の地下倉庫。
結衣は顔中を黒いオイルと煤で汚しながら、アリエスの内部回路と格闘していた。
トメさんに教わりながら、廃棄パーツの中から使えるコンデンサを拾い集め、アリエスの神経系を一本ずつ「強化」していく。
指先は傷だらけになり、爪の間には消えない黒い汚れが入り込んだ。
かつて中等部でトップを走り、綺麗な制服で称賛を浴びていた頃には、想像もできなかった姿だ。
(……でも、今の方がずっといい)
レンチの重み。ボルトを締める時の確かな手応え。
『同期率』という数字では測れない、機体との確かな「対話」。
「できた……。これで、お父さんのパッチの出力に、耐えられるはず……!」
結衣は汗を拭い、再びコクピットに滑り込んだ。
トメさんが外部電源を繋ぎ、合図を送る。
結衣は祈るような気持ちで、スマートフォンの『K-Shell』を起動した。
『New Hardware Configuration Detected.』
『Updating Drivers... Optimized for "YUI-Custom".』
「え……?」
モニターに表示されたその文字に、結衣は息を呑んだ。
まるでお父さんが、今まさに自分が弄った場所を見ていたかのような、完璧なタイミングでのアップデート。
「……お父さん、見ててくれてるんだね」
結衣は操縦桿を握り、ゆっくりと機体を立ち上げさせた。
今度は悲鳴は上がらない。
強化された駆動系が、潤滑なオイルの音と共に、父の論理を淀みなく力へと変換していく。
アリエスが、地下の闇の中で静かに、だが力強く右拳を握り込んだ。
「よし、それじゃあお嬢ちゃん……次は『実戦』といこうじゃないか」
トメさんが不敵に笑い、倉庫の奥にある「シミュレーター・リンク」のスイッチを入れた。
それは、学園の公式記録には残らない、地下の反逆者たちによる初陣の合図だった。
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次回お楽しみに。




