第20話:五十五位の通知とポイントの理屈
北倉庫に、一月の冷たい朝が忍び込んでくる。
徹夜で行われたアリエスの応急処置が一段落し、倉庫内には静かな疲労が漂っていた。
結衣は自分の手に残った、油と鉄錆の匂いを静かに嗅いだ。
ハンマーを振り下ろし、仲間に教わりながら装甲の歪みを直した感触。
お父さんのプログラミングとは違う、泥臭くて重い「現実」が、結衣の掌にはまだ熱く残っている。
ふと、作業台の隅に置いていたスマートフォンが、無機質な通知音を鳴らした。
学園の公式システムからのメッセージだ。
三雲嵐との非公式戦、その結果を受けたランキングの更新通知。
結衣は、指先を少しだけ震わせながら画面を開いた。
完敗だった。パワーセルを引き抜かれ、何もできずに雪の上に転がされた。
六十二位という分不相応な順位からは、一気に転落しているはずだ。
百位、あるいはそれ以下の、元の「ゴミ捨て場」の定位置へ。
だが、画面に表示された数字は、結衣の予想を裏切るものだった。
【Rank Update: [D-62] Yui Kujo → [D-55]】
「……え?」
結衣は自分の目を疑った。
五十五位。
負けたはずなのに、順位が上がっている。
混乱する結衣の背後から、タブレットを片手にした陽菜が覗き込んできた。
「やっぱりね。……学園のシステムっていうのは、つくづく嫌な計算をするわ」
「陽菜さん……。どうして? 私、三雲先輩に何もできなかったのに」
「それが聖エルモの『理屈』よ。この学園のランキングは、単なる勝敗の積み重ねじゃない。機体がどれだけの性能を発揮し、どれだけの『異常データ』を叩き出したかがポイントに加味されるのよ」
陽菜が提示した解析画面には、三雲戦のポイント内訳が表示されていた。
そこには、三雲の攻撃を数回回避した際の加速度ログや、アリエスが限界を超えて発揮した出力数値が、高く評価されていることが記されていた。
「ランキング五位の三雲を相手に、一度でも有効打を入れ、システムの限界を突破する挙動を見せた。……システム側は、あんたの『敗北』よりも、アリエスという機体の『将来性』に高い点数をつけたってわけ。……皮肉な話よね」
「……そんなの、おかしいよ。私は、負けたのに」
結衣は、スマートフォンを握る手に力を込めた。
五十五位。
数字だけを見れば、自分はまた一歩、頂点へと近づいたことになる。
けれど、あの雪原で味わった絶望と、三雲との間にあった「埋められない深淵」を知っている結衣にとって、その数字はただの空虚な虚勢にしか見えなかった。
「……五位と、五十五位。……数字の上では、たった五十人しか違わないのに。……本当の距離は、もっと、ずっと遠いのに」
今の自分に、この数字を名乗る資格はない。
これはパパの最短経路や、ひよりのスタビライザー、そしてアリエスという機械が導き出した数字に過ぎない。
パイロットとしての九条結衣は、あの吹雪の中で立ち止まったままだ。
「……結衣っち」
奥のコンソールから、琥珀が顔を上げた。
彼女の瞳には、いつもの軽薄な明るさではなく、親友を案じる真剣な色が混じっている。
「その順位、不服かもしれないけどさ。……でも、周りの連中はそうは見てくれないよ。五十五位のDクラス。……もう、面白がって見てる段階は終わったってこと」
「……そう。これからは、『引きずり下ろされる側』の恐怖とも戦わなきゃいけないんだ」
ひよりがバイザーを外し、充血した瞳をこすりながら呟いた。
六十二位の時は「新星」だった。
けれど五十五位となれば、それは中堅ランカーたちの椅子を奪う「脅威」だ。
これからは、三雲のような怪物だけでなく、自分の順位を狙う無数の敵からの挑戦が降り注ぐことになる。
結衣は、北倉庫の冷たい空気を大きく吸い込んだ。
パパの論理が、三雲の野性に噛み砕かれた。
けれど、その瓦礫の中から、自分はハンマーを拾い上げた。
五十五位という、偽りの、けれど背負わなければならない数字。
これを「本当の自分の実力」にするために。
お父さんに守られるだけの娘ではなく、アリエスと共に歩む一人のパイロットになるために。
「……やるよ。私、この順位に見合う自分になる」
結衣は、陽菜に向かって真っ直ぐに言い放った。
陽菜は満足げに鼻を鳴らし、再びアリエスの整備へと戻っていく。
新宿からの通信ウィンドウが開き、そこには颯太が書き上げた新しい「毒」が含まれたプログラムが表示されていた。
『リフレクション・ロジック』。
結衣の神経に負荷をかけ、三雲の反射速度に追いつくための、歪な翼。
「……父さん。姉さんはもう、準備ができてるみたいだよ」
颯太の呟きが、新宿の作戦室に響く。
蓮太もまた、娘の覚悟をモニター越しに感じ取り、震える手でキーボードを叩き始めた。
もう、甘いゆりかごは必要ない。
必要なのは、どんな理不尽な嵐の中でも、自分を保ち続けるための、強靭な「自分自身の意志」だ。
三学期。蹂躙の赤を経験した少女の、本当の戦いはここから始まる。
一月の空はどこまでも高く、冷たい。
けれど北倉庫の中には、泥に塗れた少女たちの、熱い胎動が確かに響いていた。
九条結衣。現在、五十五位。
敗北の味を忘れないために、彼女は再び、戦場という名の檻へと足を踏み入れる。
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次回お楽しみに。




