第5話:孤独と残骸
アリエスのメインカメラに灯った青い光は、数秒と持たずに消え失せた。
地下倉庫に満ちた高周波の駆動音も、まるで幻だったかのように静まり返る。
「……消えちゃった」
結衣は手の中のスマートフォンを見つめた。
画面には『Connection Lost: Timeout』の文字。父のいる場所が、地下鉄のトンネルか何かに差し掛かったのだろう。
「お前さん、今のは……」
背後でトメさんが、呆然と立ち尽くしていた。
彼女は熟練の整備士だ。外部電源も繋がっていない、制御OSさえ死んでいるはずの残骸が、一瞬でも「生命」を宿したことの意味を、誰よりも理解していた。
「分かりません。でも……この子、まだ生きてます」
「……フン。寝言は寝てから言いな。駆動系が死んでる機体に、いくら電気を流したところで、そいつはただの『感電した死体』だよ」
トメさんは吐き捨てるように言うと、結衣の手からレンチをひったくった。
「帰んな。ガキが夜更かしして、いいことなんて一つもありゃしない。ここは『ゴミ溜め』だ。お前さんのような、中等部でチヤホヤされてきたエリート様が来る場所じゃないんだよ」
冷たい言葉。
結衣は何も言い返せず、ただ頭を下げて倉庫を後にした。
* * *
翌日。結衣を待っていたのは、さらに深まった「孤独」だった。
高等部の授業が本格化するにつれ、AクラスとDクラスの差はもはや修復不可能なレベルまで広がっていた。
昼休みの学食。結衣が一人でカレーを食べていると、周囲の席から露骨に椅子を引く音が聞こえる。
「あーあ、制服にオイルの匂いが染み付いてる。近寄らないでほしいよね」
「Dクラスって、実技の時間は何してるの? あ、機体のワックスがけだっけ?」
クスクスという笑い声。
かつて中等部で結衣の周りに集まっていた「友人」たちは、今や一人もいない。
彼らにとって、同期率0.01%の結衣と関わることは、自らのステータスを汚す行為に等しかった。
サオリの姿もなかった。
Aクラスは放課後、メーカーのテストパイロットを招いた特別講義があるらしい。
同じ学園にいて、同じ制服を着ているのに。
自分だけが、音のしない宇宙に取り残されたような感覚だった。
(……寂しくなんて、ない)
結衣はカレーを胃に流し込み、逃げるように学食を飛び出した。
向かう先は、あの薄暗い地下倉庫。
あそこだけが、今の自分に許された唯一の居場所だった。
* * *
JR中央線、四ツ谷駅付近。
蓮太は、スマホの画面に表示された「切断」の文字を見て、チッと小さく舌打ちした。
「四ツ谷の壁は厚いな……。通信のハンドオーバーが間に合わないか」
昨夜、颯太と共に行った負荷テストでは良好な数字が出ていた。
だが、現地の――学院の電波環境は、予想以上に最新OSのプロトコルで埋め尽くされている。古い規格のパケットを紛れ込ませる『K-Shell』にとって、それは激しい暴風雨の中を飛ぶようなものだった。
「パケットの多重化が必要だな。……それから、機体側の受信用バッファも足りていない」
蓮太は立ったまま、指先を踊らせる。
隣に立つサラリーマンが、彼が書いている黒い画面のコードを見て「ハッカーか何かか?」と不審な目を向けるが、蓮太は気にしない。
今の彼にとって、この満員電車こそが、娘の未来をプログラミングするための「書斎」だった。
「結衣、一人で泣いてなきゃいいが……」
父の胸をよぎったのは、昨夜、無理に笑って部屋へ消えた娘の背中だった。
自分は不器用なエンジニアだ。
「頑張れ」なんて言葉は、誰にでも言える。
だが、娘が直面している「システムという名の壁」を壊せるのは、この世界に自分一人しかいないのだ。
* * *
放課後の北倉庫。
結衣は、五味教官から命じられた雑用を早々に終わらせ、アリエスの前にいた。
昨日とは違い、アリエスは何の音もしない。
ただの鉄と樹脂の塊だ。
結衣は作業台に腰掛け、アリエスの巨大な指先にそっと自分の手を重ねた。
「……君も、孤独なの?」
アリエス。軽量級の汎用機。
かつては俊敏な動きで戦場を駆け、多くのパイロットを支えてきたはずの英雄。
それが今では、最新のシステムについていけないという理由だけで、こうして地下で埃を被っている。
「私はね、中等部の時は、みんなから『期待してる』って言われてたんだ」
結衣は、誰に聞かせるでもなく語り始めた。
「でも、同期率一つで、全部消えちゃった。昨日の友だちも、先生の期待も。……今、私に残ってるのは、お父さんがくれた変なアプリと、このボロボロのレンチだけ」
アリエスの装甲に、結衣の涙が一粒、静かに落ちた。
すると。
「……ケッ、湿っぽいねえ」
背後の物陰から、トメさんが現れた。
彼女は片手に油じみたスパナを、もう片手に紙コップのコーヒーを持っていた。
「トメさん……」
「機体に愚痴をこぼしたって、一歩も動いちゃくれないよ。機械ってのはな、自分を信じない奴の命令は聞かねえもんだ」
トメさんは無造作に、結衣の隣に腰掛けた。
「昨日のあの『パルス』。あれ、どうやった?」
「……分かりません。お父さんが送ってくれたアプリを、私が触った瞬間に……」
「父親、ねえ。SEか何かかい?」
「はい。普通の、サラリーマンですけど」
トメさんは鼻で笑った。
「普通のサラリーマンが、学園の最高機密を書き換えるパッチなんて送れるわけないだろう。……ま、いい。理由は聞かないよ。私はね、このアリエスがもう一度動くところが見てえ。それだけだ」
トメさんは立ち上がり、倉庫の奥から重そうな工具箱を引きずってきた。
「いいかい、お嬢ちゃん。あのアリエスはね、現行のOSじゃ制御しきれないほど、ピーキーに弄り倒された『魔改造機』なんだよ。だから誰も乗りこなせず、ここに捨てられた」
「……え?」
「だが、お前さんのその『お父さんの魔法』があれば、あるいは……」
トメさんは工具箱を開け、眩いばかりに磨かれた特殊なプラグを結衣に差し出した。
「これは物理バイパス用のコネクタだ。これをアリエスの脊髄に直結しな。お前さんのスマホから出る『信号』を、直接モーターに叩き込むための喉仏だ」
結衣は、その重厚な金属の塊を両手で受け取った。
トメさんの目は、冗談を言っているようには見えなかった。
「お嬢ちゃん。……世界中の誰もがお前を『無能』だと笑っても、私と、その機体だけは笑わないよ」
結衣は、受け取ったコネクタを強く握りしめた。
孤独な少女と、捨てられた残骸。
そして、それを見守る老整備士。
地下倉庫の冷たい空気の中で、三つの「はみ出し者」たちが、静かに、だが確実に結びつこうとしていた。
「やりましょう、トメさん。私……この子と一緒に、もう一度立ち上がりたい」
結衣の瞳から、迷いが消えた。
その瞬間、ポッケの中のスマートフォンが、まるで彼女の決意に応えるように、トクン……と、心臓の鼓動のような振動を伝えてきた。
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次回お楽しみに。




