第14話:五位の怪物と蹂躙の赤
学園の第八演習場は、雪混じりの突風が吹き抜ける極寒の舞台へと変わっていた。
公式戦の通知が飛んでからわずか二日。
観客席には、異様な熱気が渦巻いている。
六十二位の一年生が、ランキング五位の『頂上』の一角に挑む。
その無謀とも言えるマッチングを一目見ようと、上位クラスの生徒たちまでもが足を運んでいた。
結衣はアリエスのコックピットの中で、深く、静かな呼吸を繰り返していた。
モニターの端には、新宿のパパが徹夜で調整した『平滑化のコード』の稼働ログが流れている。
指先の感覚は、かつてないほどに研ぎ澄まされていた。
それでいて、精神はどこか冷たい水の中に沈んでいるような、奇妙な静寂に包まれている。
「……結衣さん。通信、良好です。ノイズ、全部私が食べちゃいました」
通信ウィンドウの隅で、ひよりがバイザーを直し、真剣な表情で告げる。
彼女が用意した『スタビライザー』は、吹雪による視界の乱れや、戦場の電子ノイズを完璧に除去していた。
アリエスの視界は、晴天の昼間のようにクリアだ。
これなら、いける。
父の論理と、ひよりちゃんの観測があれば。
最短経路は見えている。
その思考を遮るように、演習場の反対側のゲートが激しい火花を散らして跳ね上がった。
現れたのは、血を塗りたくったような禍々しい赤色のギア。
三雲嵐の専用機『ヴォルガ』。
それは、人型としてのバランスをあえて崩したような、異形のシルエットをしていた。
長く肥大化した両腕。
前傾姿勢で地を這うような重心。
そして、獲物を引き裂くためだけに設計された、獣の爪を思わせるマニピュレーター。
「……やっと来たか、九条」
外部スピーカーから響く三雲の声は、どこか楽しげで、それでいてひどく飢えていた。
ヴォルガのモノアイが、冷酷な光を放ってアリエスを射抜く。
その瞬間、結衣の背筋を氷のような悪寒が駆け抜けた。
ひよりちゃんがノイズを消してくれたはずなのに。
どうして、こんなに「嫌な音」が聞こえるんだろう。
ヴォルガがただそこに立っているだけで、大気が軋み、空間が食い破られているような錯覚に陥る。
「おい、一年坊。その『平滑化』とかいうフィルター、今のうちに最大出力にしておけよ。じゃねえと、てめえの脳味噌、一瞬でぶちまけることになるぜ」
三雲がヴォルガの操縦桿を蹴り飛ばすように操作した。
その瞬間、赤い獣が咆哮を上げた。
試合開始のブザーが鳴るよりも早く、ヴォルガの脚部ブースターが爆発的な熱量を放出し、雪原を蒸発させる。
――試合開始。
結衣は反射的に最短経路を選択した。
パパのコードが示す、最も効率的な迎撃軌道。
アリエスは高周波ナイフを抜き放ち、突進してくるヴォルガの「関節の隙間」を突くために加速する。
だが、計算が合わない。
ヴォルガの動きは、物理演算の常識を嘲笑っていた。
真っ直ぐに向かってくると予想された赤い影が、衝突の直前、四足歩行へと変形して地を滑ったのだ。
「え……っ!?」
アリエスのナイフが空を切る。
本来ならそこに「あるはずだった」敵の胴体が、忽然と消えていた。
最短経路が示す予測ラインが、ノイズのように激しく乱れ始める。
「遅えんだよ! 計算してから動いてんじゃねえ!」
背後。
ヴォルガは驚異的な柔軟性で反転し、その巨大な腕をアリエスの背部へと振り下ろした。
結衣はパニックになりそうな意識を平滑化コードで無理やり抑え込み、ブースターを逆噴射させて回避を試みる。
ガリ、と嫌な感触が伝わった。
アリエスの左肩の装甲が、ヴォルガの爪によって紙細工のように引き裂かれる。
「あぅ……結衣さん! 敵機の挙動、予測アルゴリズムが受理しません! データが、デタラメすぎます……!」
ひよりの悲鳴に近い通信が届く。
スタビライザーは機能しているはずだ。
情報はクリアなはずだ。
なのに、三雲嵐という怪物の動きは、どれだけ純度の高いデータを集めても「正解」を導き出せなかった。
ヴォルガの動きには、源三のような洗練された美しさは微塵もない。
ただ、一撃で殺す。その本能だけが、機体の駆動系を限界まで引きずり回している。
不規則な加減速。
関節の限界を無視した、獣のような捻転。
「どうした、九条! 親父のコードが答えを教えてくれないか!? だったら自分の頭で考えろよ! 今、てめえの目の前で、何が起きてるのかをよぉ!」
ヴォルガが赤い旋風となってアリエスの周囲を蹂躙する。
結衣は必死に操縦桿を動かし、最短経路を再計算させる。
けれど、計算結果が出る頃には、三雲はすでにその場所にはいない。
平滑化のコードが、逆に足枷に感じ始める。
父の優しさが、現実の暴力から結衣を「遠ざけて」しまっていた。
情報の角が取れ、穏やかになった視界の中では、三雲の殺意という名の「毒」だけが、鮮明な赤色となって結衣を蝕んでいく。
赤い蹂躙が、アリエスの視界を埋め尽くす。
蹂躙の赤。
それは、結衣が今まで頼りにしてきた全ての論理が、音を立てて崩れ去る前触れだった。
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次回お楽しみに。




