第13話:三雲嵐の再来と飢えた野生
北倉庫の静寂は、蹴り破られた扉の音と共に粉々に砕け散った。
流れ込んできた一月の冷気が、それまで倉庫に満ちていた温かな活気を一瞬で凍りつかせる。
逆光の中に立つ少年の影。
燃えるような赤髪を乱暴に逆立て、牙を剥くような笑みを浮かべた三雲嵐の存在感は、それだけで空間の酸素を奪い去るような暴力的な重圧を放っていた。
「おいおい。六十二位になったからって、随分としけたパーティーをやってんじゃねえか、ゴミ捨て場(Dクラス)の連中がよ」
三雲は、雪の混じった靴で遠慮なく倉庫の床を鳴らしながら歩み寄ってきた。
その歩幅は広く、迷いがない。
彼が通るだけで、作業台に置かれた工具が共鳴するように微かに震え、ひよりは椅子ごと後ろに下がる。
「三雲、先輩……」
結衣の声が、自分でも驚くほど小さく震えていた。
新宿でリフレッシュし、パパの新しいコードを胸に秘めて戻ってきたはずだった。
けれど、目の前の少年の瞳に宿る、底なしの「飢え」を直視した瞬間、心臓の鼓動が早鐘を打ち始める。
三雲嵐。ランキング五位。
彼にとって、学園のランキングは名誉でもなければ推薦のためのポイントでもない。
ただ、自分を満足させてくれる獲物を探すための、狩り場の地図に過ぎないのだ。
「源三のジジイを食ったって聞いた時は、マジで笑わせてもらったぜ。あのお堅い論理の塊を、よりによって一年坊主がバグでぶっ壊したんだからな。……だがよ、九条。今のてめえからは、あの時の不気味なノイズが全くしねえ」
三雲は結衣の鼻先まで顔を近づけると、クン、と犬のように鼻を鳴らした。
「……なんだこれ。随分とお利口さんにまとめちまったな。親父の書いた綺麗なコードに守られて、また箱入り娘に戻ったか? せっかく美味そうな獲物に育ったと思ってたのによ。今のてめえは、ただの量産品のギアと変わらねえ。……退屈で吐き気がするぜ」
「三雲! あんた、土足で人の家に入ってきて何様なのよ!」
陽菜がハンマーを握りしめ、結衣を守るように割って入った。
背後では大門が重装甲ギアの腕を構え、フェイもまた冷徹な手つきで狙撃銃のボルトを引き絞っている。
北倉庫の全員が、学園最強の一角を相手に明確な敵意を示していた。
だが、三雲は陽菜の怒号も、大門の威圧も、フェイの銃口も、まるで道端の石ころを見るかのような無関心さで受け流した。
彼の世界には、自分が認めた「獲物」以外、何も存在しないのだ。
「引っ込んでな、外野。俺は、この女の中にあった『バグ』に用があるんだ」
三雲は陽菜の肩を、軽く、けれど抗いようのない力で押し退けると、再び結衣を射抜くように見つめた。
「九条結衣。てめえは、源三との戦いで何を見た? あの瞬間、てめえの指先は確かにシステムを焼き切って、俺の領域(こっち側)に手を伸ばしてたはずだ」
「……私は、ただ、父の論理を証明したかっただけです」
「嘘を吐くな。あの時のてめえは、親父の顔なんて見てなかったはずだ。ただ『勝ちたい』、ただ『相手を殺したい』。……その剥き出しの意志があったからこそ、あの精密機械を壊せたんだ」
三雲の言葉が、鋭いナイフのように結衣の胸に突き刺さる。
確かに、あの瞬間。
ゼロ・リンクが起動し、感覚がアリエスと癒着した時、結衣の脳内にあったのは高潔な論理などではなかった。
自分を阻む全てをなぎ倒したいという、理性を越えた激情。
「……今のてめえは、その牙を自分で抜いちまった。親父がくれた『平滑化のコード』? 傑作だな。自分を安全な場所に置いて、傷つかないように戦いたいか? だったら、今すぐそのボロギアを捨てて、新宿でママのミルクでも飲んでろ」
「……そんなこと!」
「だったら証明しろよ。てめえの最短経路が、俺の蹂躙に勝てるってことをな」
三雲は懐から、学園の公式ランキング戦の申請端末を取り出した。
画面にはすでに、彼のサインと「三雲嵐 vs 九条結衣」の文字が入力されていた。
ランキング五位からの、強制指名。
通常、六十二位の結衣にそれを拒否する権利はない。
「三学期は、二学期までのガキの遊びとは違う。ここから先は、喰うか喰われるかだ」
三雲が端末の送信ボタンを、力強く叩き込む。
その瞬間、結衣のスマートフォンの通知音が鳴り響いた。
学園のシステムによる、正式なマッチング承認。
対戦相手、三雲嵐。
試合開始は、明後日の放課後。
「明後日、第八演習場で待ってるぜ。……親父の温かいコードが、俺の『ヴォルガ』の前でどこまで持つか、じっくり見学させてくれよ」
三雲はそれだけ言い残すと、背を向けて悠々と倉庫を去っていった。
蹴り破られた扉の隙間から、雪が吹き込み、結衣の足元を白く染めていく。
倉庫の中に、重苦しい沈黙が降りた。
陽菜はハンマーを握る手を震わせ、ひよりは真っ青な顔でモニターのデータを解析し始めている。
翡翠だけが、三雲の去った廊下をじっと見つめ、小さく呟いた。
「……赤。……視界が全部、血の色で塗り潰されてる。……結衣さん、あの音は……勝てる音じゃない……」
結衣は、感覚の戻った自分の右手を、もう片方の手で強く押さえた。
震えが止まらない。
それは恐怖なのか、それとも、三雲に指摘された「本能」の疼きなのか。
新宿で手に入れた「平滑化のコード」。
それは結衣の身を守る盾であり、お父さんの愛情そのものだ。
けれど、三雲嵐という「嵐」を前にして、その盾はあまりにも、美しすぎて、脆そうに見えた。
「……アリエス。行かなきゃ、ダメなんだよね」
結衣の問いかけに答える者はいない。
暗い倉庫の奥で、再起を果たしたはずの深紅のギアが、静かにその時を待っていた。
学園の頂点に近い、五位の怪物。
その蹂躙が、すぐそこまで迫っていた。
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次回お楽しみに。




