表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Dad is Online 〜落ちこぼれ娘が絶体絶命の瞬間、父の書いた「最強の一行」が機装(ギア)を覚醒させる〜  作者: ぱすた屋さん
第二章『共鳴するロジック』

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

49/50

第9話:九条家の休日とデジタル大掃除


 新宿、九条家のリビング。

 学園の喧騒と鋼鉄の軋みが嘘のように、そこには穏やかな午後の陽光が差し込んでいた。だが、テーブルの上に置かれたマグカップからは、すでに湯気が消えて久しい。結衣はソファに深く腰掛け、自分の膝の上にある「自分のものではないような手」を、ただぼんやりと見つめていた。


「……あ、つい」


 結衣が小さく呟く。お気に入りのホットココアを飲もうとして、指先がカップの熱を捉えるのに、一秒以上のラグ(遅延)がある。指が「熱い」と脳に伝えたときには、すでに皮膚の表面は赤くなっている。神経が焼き付いた代償。それは、世界との接触がデジタルのバリア越しになったような、奇妙な疎外感だった。


「結衣、無理に動かそうとしなくていい。今、リハビリ用の『感覚平滑化パッチ』をコンパイルしているところだ」


 リビングの片隅に特設されたワークステーションで、父・蓮太が狂ったようにキーボードを叩いている。数日間学園を休み、実家に戻った結衣を待っていたのは、父による徹底的な「デジタル大掃除」だった。

 ワークステーションのモニターには、アリエスの戦闘ログ、結衣のバイタル、そして過去数ヶ月分の全パッチコードが、巨大なデータの滝となって流れている。


「……お父さん、そんなに急がなくても大丈夫だよ。陽菜さんたちも、今はメンテナンス中だし」

「いや、ダメだ。僕が甘かった。一条との戦いで勝てたからといって、あんな劇薬ゼロ・リンクを実戦投入するなんて……技術者失格だ。今回の『掃除』は、アリエスのためじゃない。僕の……僕自身の甘さを洗い流すためのものだ」


 蓮太の目は赤く充血し、無精髭が伸びている。彼はアリエスのコードの中に蓄積された、ゼロ・リンクの「毒」――神経系を狂わせる過剰なフィードバックの残滓を一文字ずつ丁寧に取り除き、代わりに結衣の今の感覚に寄り添うための、繊細なフィルターを編み上げていた。


「父さん、そのへんにしておきなよ。サーバーのキャッシュが溢れてる。……あ、姉貴、そのココア、僕が温め直すよ」


 部屋の反対側で、自分のノートPCを操っていた弟の颯太が立ち上がった。彼は無表情に結衣からマグカップを取り上げると、キッチンへと向かう。颯太のモニターには、源三の機体『ギア・ファング』の挙動解析データが映し出されていた。


「……颯太くん、ごめんね。お休み中なのに」

「別に。……僕も、あの三年生が言った『時間の重み』って言葉が気になってるだけだから。……父さんの最短経路ロジックを、あんな風に『物理的な癖』で読み切るなんて。……データの掃除だけじゃ、次は勝てないよ」


 颯太の冷徹な言葉は、家族だからこその鋭さを持っていた。

 蓮太の指が、一瞬止まる。

 彼は大きく息を吐き、キーボードから手を離して結衣に向き直った。


「……颯太の言う通りだ。今回の『大掃除』で見えてきたのは、アリエスの性能限界じゃない。僕たちが、結衣の『感覚』という変数を、あまりにも粗末に扱っていたというログだ。……結衣、ちょっとこっちへおいで」


 結衣はおぼつかない足取りで父の隣に座る。蓮太は、結衣の感覚が失われた指先を、壊れ物を扱うようにそっと取った。

 モニターには、結衣の神経系とアリエスのOSを繋ぐための新しい接続定義が表示される。


$$H(s) = \sum_{n=1}^{\infty} \frac{Neural\_Residual(n)}{s + \lambda_{recovery}}$$


「これが、新しいリハビリ・コードの核だ。……今の結衣の指先は、強すぎる入力に耐えかねて、ゲートを閉じてしまっている。だから、逆に『何もない』という信号を流すことで、神経の緊張を解いてやる必要があるんだ」


 蓮太がエンターキーを叩くと、結衣の手首に巻かれた医療用デバイスが微かに振動した。

 何も感じない。だが、その「何も感じない」という感覚さえもが、少しずつ、穏やかな「静寂」として結衣の脳に浸透していく。暴力的な情報の濁流ではない、凪のようなデータ。


「……あ。……少し、軽くなった気がする」

「よかった。……これでお掃除の第一段階は終了だ。アリエスの古いゴミ(ジャンク・パッチ)も全部捨てた。これからは、結衣の感覚に寄り添い、共に育つための新しいロジックを組もう」


 その時、結衣のスマートフォンが震えた。琥珀からのビデオ通話だ。


『結衣っちー! 息してるー!? マジで新宿の空気どうよ? ウチら今、北倉庫の大掃除(物理)してんだけど、翡翠がホコリで死にかけててマジウケる!』


 画面の中で、埃まみれになりながら陽菜に怒鳴られている琥珀の姿。その横で、涙目になりながらフィルターを掃除している翡翠。

 結衣は、感覚の戻らない手で一生懸命スマートフォンを支え、笑った。


「琥珀くん……ありがとう。私も今、お父さんにデジタルのお掃除をしてもらってるよ」

『マジ? 掃除とかいいから早く戻ってきてよ! 結衣っちがいないと、陽菜さんの説教、全部ウチに来るんだから! マジでしんどいし!』


 琥珀の底抜けに明るい声と、翡翠の「……結衣さん、待ってる」という静かな呟き。

 家族の温もりと、仲間の騒がしさ。

 デジタル大掃除を経て、結衣の心の中にあった「戦うことへの恐怖」というゴミも、少しずつ掃き出されていく。


「……お父さん。私、やっぱりアリエスが好きだよ。手が治ったら、もっとちゃんとお話ししたい」


 結衣の言葉に、蓮太は深く、深く頷いた。

 三学期はまだ始まったばかり。九十八位。最底辺からの再出発は、傷ついた神経を癒やし、自分たちだけの新しい「論理」を見つけるための、静かな休日から動き出そうとしていた。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


本作を応援してくださる方は、ぜひブックマークや下の評価【☆☆☆☆☆】をいただけますと幸いです。


次回お楽しみに。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ