第3話:精密機械の源三と六十位の壁
聖エルモ学園、第八演習場。吹き抜ける一月の風は砂塵を巻き上げ、静止した二体の機体に容赦なく叩きつけられていた。観客席を埋める三年生たちの目は、凍てついた池の底のように冷え切っている。彼らにとって、この戦いは「不浄な一年生」を排除するための、単なる清掃作業に過ぎない。
対峙する深紅のラインを宿したアリエス・カスタムと、くすんだ鋼色の巨躯を持つギア・ファング。
電子ブザーが鳴り響いた瞬間、結衣の神経は新宿の父、蓮太が編み上げた論理回路と直結した。
「行こう、アリエス! お父さんの論理を信じて!」
結衣の声に応えるように、アリエスの背部ブースターが臨界点まで加速する。青い火花が雪の残る地面を焼き、アリエスは瞬時にギア・ファングの懐へと滑り込んだ。
右マニピュレーターに展開された高周波ナイフが、最短経路を描いて源三のコックピット――その中枢を狙う。一条凱を葬った、回避不能の超加速。
ガキン、と。
冷たい金属音が響いた。
「え……?」
結衣の視界の中で、ギア・ファングは「回避」していなかった。ただ、一歩。いや、わずか数センチだけ重心を落とし、左腕の重厚なシールドをナイフの軌道上に置いただけだった。最短経路の終着点に、壁が最初から用意されていたかのような絶望。
「一歩目が早すぎる。一年生、君の加速には『予備動作』という名の信号が漏れ出している」
源三の低く落ち着いた声が、機体スピーカーを通じて響く。
結衣はすぐさま距離を取り、次の戦術へと移行した。正面がダメなら、攪乱だ。パパから送られてきた「多角機動パッチ」を起動し、アリエスを高速の残像へと変える。演習場を四方八方から包囲するように、アリエスの影が舞う。どこから来るかわからない、多点同時攻撃のプレッシャー。
だが、源三は動かない。
ただ、機体をわずかに旋回させただけだ。
ド、ン。
重厚な衝撃。
「う、あ……っ!」
残像の中から実体を引きずり出すように、ギア・ファングの右拳がアリエスの腹部を正確に捉えていた。結衣は激しい衝撃に肺の空気を奪われ、操縦桿を握る手が痺れる。
「そんな……攪乱データも完全に送ったはずなのに。なんでピンポイントで私を……!」
「君の論理は『正解』を選びすぎる。十通りの選択肢があれば、君は必ず『最も期待値の高い一点』に辿り着く。……だから、そこを叩けばいい」
源三の言葉は、これまでの勝利を支えてきたパパの論理そのものを否定する宣告だった。
焦燥が、結衣の思考を泥沼のように飲み込んでいく。
「これなら……これならどう!?」
結衣はアリエスのジャンプブースターを全開にし、上空からの急降下攻撃を仕掛けた。重力加速を味方につけた、物理法則の極地。それと同時に、偽装の通信ノイズを戦場全体に散布する。センサーすら狂わせる、捨て身の特攻。
ギア・ファングは、見上げることさえしなかった。
ただ、アリエスが着地する瞬間の地面へ向かって、巨大な鉄柱を射出するパイルバンカーを突き立てただけだった。
凄まじい轟音。
アリエスの足元が爆ぜ、着地と同時に機体が大きくよろめく。
「これも……これも通じないの!?」
結衣の心臓が、恐怖で早鐘を打つ。正面からの速度、側面からの攪乱、上空からの力技。学園の教科書にあるあらゆるタクティクスが、源三という壁に触れた瞬間に無意味なガラクタへと変えられていく。
モニターの端で、北倉庫の仲間たちの叫びが流れる。
「マジでありえないし! あのおっさん、チートでしょ!? 結衣っちの動き、全部スクショされてるみたいでマジウザいんだけど!」
琥珀がコンソールを叩きながら叫ぶ。その横で、翡翠は震える瞳でデータの波形を見つめていた。
「……琥珀、違う。……あのおじさんの波形、アリエスに『触れる前』に終わってる。……結衣さんが動こうとするたびに、学園の空気が先に重くなってるんだよ……」
「翡翠の言う通りだわ」
陽菜が眉間に深い皺を寄せ、新宿の蓮太へ向けて警告を送る。
「蓮太さん、止めて! 今のロジックじゃ、結衣を殺すことになる! 源三は、パパさんの『最短経路』を餌にして、結衣を罠へ誘導してる!」
『わかっている……わかっているんだ、陽菜さん!』
通信ウィンドウの中、蓮太の顔は苦渋に満ちていた。彼の指先は、キーボードを叩き潰さんばかりの勢いで数式を編み上げている。だが、その全てが源三の「三年間の経験」という名の巨大なデータベースに飲み込まれていく。
「父さん、もうロジックの限界だ」
ログを監視していた颯太が、冷徹に言い放った。
「僕たちの論理は『学園のシステム』の上で動いている。でもあの三年生は、そのシステムの『クセ』や『ラグ』を体の一部にしてるんだ。……プログラマーが何を書いても、物理的な床を踏んでいる奴には勝てない」
演習場。
アリエスはボロボロになりながらも、何度も立ち上がる。だがその度に、ギア・ファングの「最小限の一撃」によって装甲を削られていく。
「どうして……どうして当たらないの……っ。パパの計算は、世界で一番正しいはずなのに!」
結衣の視界が、涙と過負荷のノイズで滲む。
源三の機体が、ついに最後の一歩を踏み出した。
「正しいだけでは、ここでは生き残れない。……さらばだ、一年生。君の論理と共に、ゴミ捨て場へ還るがいい」
ギア・ファングの右腕が、容赦なく振り抜かれる。
アリエスのメインモニターに「Critical Damage Expected」の警告が走った。
死を予感したその瞬間、結衣の脳裏に、冬休みにお父さんから渡された銀色のチップが閃いた。
(お父さん……これを使えってことなの?)
感覚が遠のく中、結衣の手が、コンソールに刺さった「ゼロ・リンク」の起動トリガーへと吸い寄せられた。
九十八位の少女。その瞳に、論理を焼き切る黄金色の火花が宿る。
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次回お楽しみに。




