第33話:越年プロトコルと最後のお守り
新年の夜明け。九条家の冬休みは、突き抜けるような冬晴れの下で幕を開けた。
新宿の喧騒を少し離れた場所にある地元の神社は、初詣に訪れる人々で賑わっている。冷たい空気の中に漂うお香と甘酒の匂い。結衣は、厚手のコートにマフラーを巻き、その群衆の中にいた。
「ひよりちゃん、大丈夫? 無理に目を開けなくていいからね」
「あぅ……。大丈夫です、結衣さん。このスタビライザーがあれば、人の流れがベクトルの集合体に見えるので……。前よりずっと、酔いにくくなりました」
ひよりは、陽菜が調整した『ロー・ゲイズ・スタビライザー』の試作版を、ファッションの一部に見えるようなゴーグルとして装着していた。彼女の瞳の裏側では、数千人の参拝客の動きがノイズではなく、安全な動線として整理して表示されている。
「九条のおじさま、見てください! あの屋根の反り、あれこそが理想的な応力分散の形ですよ!」
「……ああ。日本の伝統建築には、確かに構造解析のヒントが詰まっているな。……だが陽菜さん、今は仕事のことは忘れて参拝に集中しよう」
蓮太は、元気すぎる陽菜の相手をしながら、少し照れくさそうに眼鏡を直した。
結衣の友達と一緒に初詣に来る。そんな「普通」の父親らしいイベントが、今の彼には何よりの贅沢に感じられた。
石段を上がり、拝殿の前で二礼二拍手一礼。
結衣は静かに目を閉じ、胸の中で願いを呟く。
(お父さんと一緒に、みんなと一緒に、三学期も戦い抜けますように。アリエスが、もっと遠くへ行けますように)
参拝を終えた帰り道、列から少し離れて歩いていた颯太が、父・蓮太の隣に並んだ。
「父さん。……三学期の初戦、相手は三年生のAクラスになるんだろ?」
「……ああ。一条たちとは格が違う。彼らは自前で機体を完全に掌握しているセミプロだ。僕の書いた最短経路を『予測』して、その隙間を突いてくる連中がゴロゴロいる」
蓮太の言葉は、エンジニアとしての冷徹な予測だった。経験値という名の巨大なデータベースを持つ3年生を相手にするには、今のパッチだけでは不足していた。
「……だから、これを用意したんだ」
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その夜、九条家のリビング。
陽菜とひよりが帰路につき、再び静かになった家の中で、蓮太は結衣を自室へ呼んだ。
デスクの上に置かれていたのは、古びた布製の御守り袋。だが、その中に入っているのは紙の札ではなく、鈍い銀色に光る特殊なメモリーチップだった。
「お父さん、これ……」
「三学期、お前がどうしても越えられない壁にぶつかった時……。最後の最後、負けを確信する直前にだけ、これを使ってくれ。アリエスのリミッターを一時的に排除し、お前の感覚を機体に直結させる緊急用パッチだ」
蓮太は、結衣の目を見て静かに語りかけた。
「名前は――『**ゼロ・リンク**』。……ただし、これを使う時は僕の書いたロジックさえも捨てることになる。お前の神経系に凄まじい負荷がかかるはずだ。……反動で、数日は指先の感覚が消えるかもしれない」
結衣はその重みを受け止めるように、チップを握りしめた。
お父さんが、「論理を捨てろ」と言った。それは、娘の持つ理屈を超えた可能性を、父が技術者として、そして親として尊重した証でもあった。
「……ありがとう、お父さん。大切にするね。……でも、できるだけこれを使わないで済むように、私、頑張るよ」
結衣の決意に、蓮太は優しく微笑んだ。
その様子を、ドアの隙間から見ていた颯太が、自室に戻って自分の端末を開く。
彼はすでに知っていた。父がそのプログラムを書くために、どれほどの深夜を費やし、どれほど自分の美学と戦っていたかを。
「……父さんも、過保護だな。……ま、そのプログラムが暴走しないように、僕がバックエンドで監視の重しを置いておいたけど」
颯太の指先が、流れるようなコードを叩く。
$$\sigma_{safety} = \lim_{t \to \infty} \int_{0}^{t} (Logic \oplus Emotion) dt$$
九条家の、それぞれの形をしたお守り。
冬休みが終わり、夜が明ければ、そこには新しい戦場が待っている。
Dクラスの少女が、学園の最高学年である三年生の洗練された猛者たちと相まみえる、波乱の第三学期。
その幕開けを告げるかのように、デジタル時計の数字が『0:00』を刻んだ。
第2部、始動。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
とうとう冬休みも終わり、波乱の3学期です!
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