第3話:選別と隔離
聖エルモ学園の敷地は、中央の巨大な「アリーナ」を境界線として、残酷なほど明確に二分されている。
南側には最新の設備と陽光が降り注ぐ「選民区」。AクラスとBクラスの教室や、最新鋭機が並ぶ第一ハンガーが存在する。
一方で北側、常に校舎の影となる場所に、Dクラスの収容先である「北倉庫」がひっそりと佇んでいた。
「……おはよう、結衣」
学食へ向かう連絡通路。声をかけてきたのは、中等部時代からの親友、サオリだった。
彼女の制服の襟元には、同期率20%超えを示すAクラスの証、金色のバッジが誇らしげに輝いている。
「あ、サオリ。おはよう」
「あの……昨日は大丈夫だった? その、Dクラスの様子とか」
サオリの瞳には、隠しきれない「同情」の色が滲んでいた。
彼女が悪気なく言っているのは分かっている。サオリは優しく、そして誠実な友人だ。だが、今の結衣にとって、その優しさはどんな罵倒よりも深く心を削り取った。
「大丈夫だよ。座学の内容は中等部の復習が多いし、整備の基礎も面白いしね」
「そっか……。私、先生に相談してみたの。結衣は座学が学年一位なんだから、特例でAクラスの講義だけでも受けさせられないかって」
「サオリ……」
「でも、『同期率が一桁の者に、高等部の理論を教えるのは時間の無駄だ』って一蹴されちゃって。ごめんね、私、力になれなくて……」
サオリが俯き、結衣の手を握る。
その瞬間だった。
「おやおや、Aクラスの優秀な生徒様が、どうして『ゴミ箱』の住人と手を繋いでるんだ?」
背後から響く、不愉快なほど明るい声。
進藤拓海が、同じAクラスの取り巻きを連れて歩いてきた。彼らは一様に、結衣の泥が跳ねたDクラス用の作業靴を、汚物でも見るような目で見下している。
「進藤君、言い過ぎだよ。結衣は……」
「サオリ、君は優しすぎるんだ。いいかい、この学園のルールはシンプルだ。機を動かせる者が価値を持ち、動かせない者は重しでしかない。同期率0.01%なんて、もはや生物学的なバグだぜ?」
進藤は結衣の横を通り過ぎる際、わざと肩をぶつけていった。
「足手纏いとつるんでると、君のランクまで落ちるぞ。――行こうぜ、次の演習は新型の試乗会だ」
進藤たちは高笑いしながら、光り輝く第一ハンガーへと消えていった。
サオリは何かを言いかけ、だが呼び出しのチャイムに急かされるように、何度も振り返りながら去っていった。
一人残された結衣は、握りしめていた自分の手の平を見つめた。
そこには、午前中の重整備実習でついた、落ちない黒いグリスの汚れがこびりついていた。
「バグ、か……」
* * *
同時刻、都内にある老舗SIer『帝都システムソリューションズ』。
九条蓮太は、薄暗いオフィスの一角で、三台のモニターに囲まれていた。
「九条くん! 例のバッチ処理、まだ終わらないのかね!」
上司の佐竹課長が、苛立った様子でデスクを叩く。
「……あと、五分で終わります」
「五分五分って、さっきからそればかりじゃないか! ったく、これだからベテランは融通が利かないんだ」
佐竹が立ち去るのを確認し、蓮太は小さく溜息を吐いた。
目の前のメインモニターには、会社から押し付けられた退屈な業務コードが並んでいる。
だが、右端のサブモニター――隠しウィンドウの中には、全く別の、狂気じみた密度を持った文字列が踊っていた。
「……学園のOS、マニュアル操作の割り込み処理を意図的に無視《無視》するように組まれてやがるな」
蓮太は、学園のシステム構築に関わったベンダーのクセを読み解いていた。
彼らは「最新の脳波制御」の精度を誇示するために、古い物理入力デバイスの優先順位を極端に下げ、あろうことか「不要なラグ」をわざと持たせることで、脳波制御の優位性を演出していたのだ。
「エンジニアの傲慢だな。……利用者の声を聞かずに、自分たちの見せたい数字だけを追っている」
蓮太の目が、鋭く細まる。
彼はコンソールにコマンドを打ち込んだ。
『Execute: K-Shell_Injector_v0.1』
『Target: Student-ID 290_YUI_KUJO / Device-Link』
「最新のシステムを破壊する必要はない。その上に、俺だけの『ルール』を被せるだけだ」
蓮太が開発している『K-Shell』は、一種のバーチャル・マシンだった。
機体のOSが「ノイズ」として切り捨てる結衣の微細な入力を、OSが気づく前に捕捉し、それを機体の駆動モーターへと「直接」命令として叩き込む。
いわば、OSという名の無能な上司を飛び越えて、現場に直接指示を出す「超法規的なバックドア」だ。
「よし……。第一段階、接続完了」
* * *
放課後。地下の北倉庫。
クラスメイトたちが早々に帰宅する中、結衣は一人、隅に置かれた「残骸」の前に立っていた。
学園貸出機、軽量級『アリエス』。
かつては戦場の花形だったであろうその機体は、今や外装の半分が剥がれ、内部のフレームが剥き出しになっていた。Dクラスの生徒が「分解と結合」を学ぶためだけに用意された、文字通りの教材だ。
「……君も、いらない子って言われたの?」
結衣はアリエスの錆びた足首に触れた。
すると、ポケットの中のスマートフォンが、短く震えた。
「お父さんから……? ううん、通知じゃない」
画面を見ると、見慣れないアイコンが一つ、ホーム画面の端に現れていた。
無骨な黒い四角形に、白文字で『K』とだけ書かれたアプリ。
タップしてみるが、画面には『Target Not Found』という文字が出るだけで、何も起きない。
「なんだろう、これ。変なウィルスかな……」
結衣が首を傾げた、その時。
「おい、小娘。勝手に機体に触るんじゃねえ」
背後の闇から、しわがれた声が響いた。
驚いて振り返ると、そこには背の低い、だが岩のように頑強な体つきをした老女が立っていた。
銀髪を適当に束ね、顔中が煤で汚れている。彼女こそ、地下ハンガーに住み着いていると言われる伝説の老整備士、トメさんだった。
「あ……すみません、五味教官に、ここの整理を命じられていて」
「五味の野郎か。……ケッ、あいつは機械を愛してねえ。ただの数字の奴隷だ」
トメさんは結衣の横を通り過ぎ、アリエスの剥き出しの回路を忌々しそうに眺めた。
「同期率がなんだ。機体ってのはな、叩けば動く。締めれば応える。……お前、中等部で機械言語を学んでたな? あのレポートを書いたのはお前か」
「えっ、はい。……読んでくださったんですか?」
「論理だけは一丁前だった。だが、このアリエスを動かしたいなら、その綺麗な手を汚す覚悟を持つんだな」
トメさんはそう言い残すと、奥の作業場へと消えていった。
結衣は、もう一度アリエスを見上げた。
そして、先ほどスマホに現れた謎の『K』のアイコンを思い出す。
――その時、彼女はまだ知らなかった。
父・蓮太が満員電車の中で紡ぎ出したその「一行」が、まもなくこの鉄屑に魂を吹き込み、学園の常識を根底から覆すことになることを。
結衣はバケツとブラシを置き、代わりに作業台にあった古いレンチを手に取った。
同期率が0.01%なら、それ以外の方法で、この子と繋がってやる。
少女の小さな決意が、静まり返った地下倉庫に、カチリという硬質な音を響かせた。
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次回お楽しみに。




