第32話:観測者の休息と、重なる予感
冬休みの中日。北倉庫のトタン屋根を叩く乾いた風は、氷のように冷たかった。
「あぅ……、指先が凍って、ログのスクロールが上手くいかないです……」
ひよりが、かじかんだ手を吐息で温めながら、端末の画面を見つめている。
陽菜はアリエスの駆動系を丹念にチェックしていたが、ついにレンチを置いた。
「よし、今日はここまで! 寒すぎて精密な調整は無理。……結衣、今夜、あんたの家に押しかけてもいい?」
「えっ、私の家に?」
「そう。ひよりの専用ギアのキャリブレーション、もっとリラックスした場所でやりたいの。……それにお泊まり会、女子っぽくていいじゃない?」
陽菜の強引な提案に、ひよりは目を輝かせ、結衣は少しだけ困ったように笑った。
「いいけど……お父さんがびっくりするかも」
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九条家の玄関が開いた瞬間、新宿から帰宅していた蓮太は、固まった。
「お、お父さん、ただいま。……友達が泊まりに来たよ」
「お邪魔します! 九条さんの技術の源泉を拝見しに来ました!」
「ひ、ひえぇ……お、お邪魔します……」
陽菜の元気な挨拶と、ひよりの震える声。
蓮太は眼鏡を指で押し上げ、激しく動揺した。
「……い、いらっしゃい。……結衣に友達が来るなんて、その、デバッグの予定にはなかったな……」
「お父さん、変な言い方しないで!」
夕食は、蓮太が慌てて用意した特製寄せ鍋になった。
大門が教えてくれた「最も効率的で栄養価の高い」レシピに基づいたものだ。
そこに、自室から「お腹空いた」と出てきた颯太も加わり、九条家の食卓はかつてない賑やかさに包まれた。
「……父さん、また変なデバイス作ってるね」
颯太が、陽菜がテーブルに置いたひよりの専用ギア――『ロー・ゲイズ・スタビライザー』を一瞥して言った。
「変なとは何だ、颯太。これはひよりさんの『情報過多』を物理的にフィルタリングする、画期的なデバイスだぞ。……まあ、陽菜さんのハードウェア設計があってこそだがな」
「へえ……。視覚情報を一度仮想スタックに積んでから、アリエスの足元を基準に再投影するわけか。……悪くないんじゃない?」
中二の弟からの意外な高評価に、陽菜が「でしょ!」と胸を張る。
ひよりは、鍋の湯気の向こうで微笑み合う九条家の家族を見つめ、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
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深夜。結衣の部屋に三つの布団を並べ、女子会が始まった。
パジャマ姿のひよりは、枕元に置かれた新しいギアを手に取った。
「……結衣さん、ちょっとだけ、試してみてもいいですか?」
「うん。電気、消したほうが分かりやすいかな?」
月明かりだけの暗い部屋で、ひよりがギアを装着し、そっと瞼を開いた。
――瞬間に、彼女の脳内に「整理された世界」が展開される。
これまで目を開けた瞬間に襲ってきた、情報の濁流がない。
ギアのバイザー越しに見える世界は、結衣のベッドの端、フローリングの木目、そして結衣の手。
すべての情報が「アリエスが地に足をつけた時の視点」を基準に、優先順位をつけて青白いグリッドで表示されている。
「……すごいです。これなら、怖くない。……世界が、ちゃんと『層』になって見えます」
「よかった……。これでお父さんと陽菜さんが徹夜した甲斐があったね」
ひよりはギアを外し、暗闇の中で結衣の手を握った。
「私、今まで自分の目が嫌いでした。……でも、このギアがあれば、結衣さんが三学期に戦う『三年生』の先輩たちの動きも、きっと全部捉えられます。……だから、安心して戦ってください」
陽菜も、布団の中から声を上げた。
「双子の『ジェミニ』の進捗も、あのパッチのおかげで順調よ。……三学期は、結衣一人に背負わせない。Dクラス全員で、あの傲慢な先輩たちを驚かせてやりましょう」
三学期、待ち受けているのは卒業を控えた「最強」の世代。
圧倒的な経験の差に、一度は膝を屈することになるかもしれない。
けれど、この夜の温もりが、彼女たちのロジックをより強く、鋭く研ぎ澄ましていた。
「……うん。みんながいれば、私、どこまでも走れる気がする」
結衣が静かに呟く。
窓の外では、静かに雪が降り始めていた。
三学期の開幕まで、あと少し。
九条家の屋根の下で、反撃の牙は静かに、けれど確実にその鋭さを増していた。
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次回お楽しみに。




