幕間:鉄拳とエプロンのロジック
午前4時。聖エルモ学園の全寮制校舎が深い眠りに包まれている中、大門の戦場はすでに火蓋を切っていた。
キッチンに立ち、手際よく五人分の弁当箱を並べる。巨大な手で繊細に卵を巻き、三つのコンロを同時に操りながら、背後で唸る洗濯機の終了音に耳を澄ませる。
「……時間は資源だ。無駄にするな」
ボソリと独り言ち、彼はフライパンを振る。五人の弟妹を抱える長男にとって、この「朝の狂乱」をいかに最短経路で処理し、全員を笑顔で送り出すかは、学園のランキング戦よりも遥かに過酷で、重要なミッションだった。
大門が「効率」という言葉を口にする時、それはエンジニアのような論理ではなく、生きるための切実な「生活の知恵」を指している。無駄な動線、無駄な待ち時間、無駄なエネルギー消費。彼は家事を通じて、物理現象の最適解を身体に叩き込んできた。
学園のハンガーに到着した時、大門はすでに一日のエネルギーの半分を使い果たしていたが、その瞳には淀みない集中力が宿っていた。彼が磨き上げるのは、学園から貸し出された旧型の重装甲歩兵機『センチネル』。最新鋭機のような流麗さは微塵もない、ただの鉄の塊だ。
だが、そのメインOSには、新宿の蓮太が結衣を経由して提供した特殊パッチが組み込まれている。
――[Patch V3.4: Mass-Inertia Shift]
このパッチは、機体の「重さ」を単なる負担ではなく、攻撃エネルギーへと変換する。本来、センチネルのような鈍重な機体は、最新鋭の高機動機にとって「動く標的」でしかない。しかし、蓮太の書いたコードは、その常識を物理法則の裏側から塗り替えていた。
「……よし。調整終わりだ」
大門がコクピットに乗り込んだ直後、演習場のアナウンスが響く。今日の対戦相手はCクラスの上位、240位前後のスピード自慢だ。掲示板には、大門の現在の順位である『275位』が小さく映し出されていた。
「おいおい、Dクラスの鈍亀が相手かよ。秒殺してやるから、さっさと盾でも構えな!」
通信回線から聞こえる相手の嘲笑を、大門は無表情で聞き流す。
彼の脳内にあるのは、ランキングの数字ではない。17時から始まるスーパー『聖エルモ・マート』の卵特売タイムへのタイムリミットだけだ。
「……15秒だ」
「あ? 何か言ったか?」
「お前を片付けるのに、15秒以上はかけられない。……スーパーの特売に間に合わなくなる」
電子ホーンの鳴動と共に、戦闘が開始された。
相手の軽量機が、最新鋭のブースターを吹かして陽炎のように揺れる。その残像を伴う突撃は、並のパイロットなら視認することさえ困難だ。相手はセンチネルの死角へ回り込み、高周波ブレードをその無骨な右腕へ向かって振り下ろした。
だが、大門は動かない。
避けることさえせず、ただ無骨な右腕を「添える」ように置いた。
ブレードが腕の装甲に激突する瞬間、蓮太のパッチが発動した。
センチネルの機体質量が、プログラムによって瞬時に「方向性」を帯びる。相手の斬撃が持つエネルギーを、装甲の傾斜と内部慣性制御によってそのまま自分の腕の旋回力へと『スライド』させたのだ。
相手からすれば、壁を斬ったつもりが、その壁が「自分を殴るためのバネ」に変わったような感覚。
「なっ……何だ、この重さはッ!?」
大門は、刃を弾いた右腕をそのまま止めない。受け流した勢いを殺さず、腰の回転を上書きして、逆方向から巨大な拳を振り抜く。
攻撃を防いだその腕が、そのまま鉄の質量を纏った凶器へと変貌する。
――鉄拳破砕。
回避不能のタイミングで放たれた一撃は、軽量機のコクピット横を完全に粉砕し、相手を地面へと叩き伏せた。火花が散り、砂塵が舞う。
ホログラムの時計が刻んだ決着時間は、わずか『12秒』だった。
「ターゲット、沈黙。……帰るぞ」
大門は勝利の余韻に浸ることもなく、誰よりも早くコクピットを降りた。
演習場の出口、階段の上からその光景を眺めていた影がある。2年生の上位ランカー、三雲嵐だ。彼は獲物を狙う猛禽類のような瞳を細め、低く笑った。
「……くくっ。派手な音を鳴らしやがる。あいつ、自分の拳の重さを『生活の重さ』にしてやがるな。……一条みたいな計算ずくの壁じゃねえ。もっとナマ臭くて、動かしがたい現実の重さだ」
三雲は、去っていく大門の背中を見送りながら、自らの拳を握りしめた。
「3年生の先輩方が卒業前にあいつを見つけたら、面倒なことになりそうだな。……ま、それまでは俺が楽しみにとっておいてやるよ」
校門付近。駐輪場で自転車の鍵を外していた大門に、結衣が駆け寄った。
「大門さん! お疲れ様です! 勝ちましたね、12秒なんて凄いです!」
「……ああ。お父さんに感謝しておいてくれ。あのパッチのおかげで、予定より3秒早く終わった」
結衣は「お父さん」という言葉に少し照れながら、「伝えておきます!」と元気に答えた。
「これから陽菜さんとお祝いするんですけど、大門さんも……」
「悪いが、これからが本当の戦いだ。……結衣、特売の卵はな、1分遅れるだけで全てが台無しになるんだ」
大門はそれだけ言うと、巨体に似合わない俊敏な動きで自転車に跨った。
夕日に向かって猛スピードでペダルを漕ぐ彼の背中。カゴの中には、誇らしげに特売のチラシが刺さっている。
学園ランキング255位。
誰からも注目されないその数字の裏で、今日も彼は「生活」を守るために、世界で最も無駄のない、そして最も重い一撃を研ぎ澄ましていた。
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武骨な男、大門のお話です。
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